皆さんは、快適な睡眠の邪魔をされた経験、ありますか? いろいろなものがあると思います。学校に行けと親に布団を剥ぎ取られて叩き出されたり、休日だと思ってたら会社からの電話で飛び起きて休日出勤に放り出されたり、シチュエーションで言えば、きっと様々なものがあると思います。
皆さんは経験したこと、ありますか?
「ワンッ、ワンッ!」
「……」
朝起きたら、知り合いの飼っている犬に顔を舐められて起きたこと。
いやもう、顔ベットベトのドロンドロンなんだけど? なんか獣臭いなーって思って目を開けたら、いきなり愛くるしいお顔とお目覚めの騒がしい美声と、そして鼻をいきなり抉り取る生臭さ。びっくりしたよね。
「ちょっとレオン! やめなさいってば!」
「……」
「ワンッ!」
「もう……。そんなに雄緋のことが好きなのね。その気持ちは分かるけれど、迷惑をかけちゃダメよ?」
「……」
「ワンッ!」
俺の顔を舌で舐めながら、尻尾をブンブン振り回すレオンくん。元気だね。ものすごく元気だね。
「……なぁ」
「ん? どうかした?」
「……助けて」
俺は飼い主に助けを求めた。ものっすごい懐かれているのはまぁいい事ではあるのかもしれないけど、ここまでとなるとちょっと愛が重いな。というか俺、レオンくんとそんなに顔合わせたことないのに、なんでこんなに懐かれてるの?
まぁきっと皆さんの中には今どういう状況か分かっていない人もいるだろうから、簡単に説明すると。千聖の飼ってるレオンくんが朝起きたら俺の顔を舐めてました。はい、説明終わりでーーーす。
やばい、似非関西弁が出てしまった。突っ込みたくもなりますよ、こんな非日常。人の家に勝手に出入りされてるのはまぁ良いとして、その場に飼い犬を連れてくるというクレージーな非常識を持ち合わせたやつに
「助けてと言われても……。レオン、私のいうことを全然聞かないんだもの」
「躾出来てないんじゃなくて人望……いや、犬望が足りてないんじゃない?」
「初めて聞いたわねそんな単語。それはそうと、確かに流石に可哀想だから」
そういうと千聖はパンパンと手を叩く。その音に反応したレオンくんはくるりと翻り、膝をついて腕を広げる千聖の胸へと飛び込んでいった。ゴールデンレトリバーのレオンくんが千聖に飛びつくのを見ると、サイズ感的な意味合いでなんだか不思議な感覚に襲われる。
「よしよし」
「……とりあえず顔洗ってくるわ」
「えぇ、ごめんなさいね?」
そう思うなら朝っぱらから人の家に犬を連れてこないでくださいって言おうかなとも思ったんだけど、あまりにも水分を蓄えた顔面の不快感に駆り立てられるように洗面所に向かった。鏡には寝起きでものすごい形相をしている自分が映っている。
「はぁ、……ふー、スッキリした……」
まだ朝ということもあって水道から出る水はしっかりと冷たさを感じるし、目が冴える。いやまぁ、舐められまくった時点で完全に目は覚醒状態にはなっていたけど。というか最初このまま食べられるのだと思ってた。流石にそれはないか、なんて自分に呆れながらリビングに戻る。
「で、こんな朝っぱらからなんでレオンくん連れて家に来たんだ?」
「朝からレオンを散歩させていたんだけれど、いつもと違うコースを散歩してたら急にレオンが走り始めて、そのリードに引かれるままに来てみたら雄緋の家だったのよ」
そういえば遠い過去の記憶で家の中に兎と猫とが溢れて、窓からレオンくんがやってきた記憶があるようなないような。多分その時に家へのルートを完全に覚えて、また帰ってきたというところだろうか。
「つまり散歩の途中だったってこと?」
「えぇ。勝手に入ってごめんなさいね」
「……ん。まぁ、吠えまくって近所迷惑になっても困るからな。いいよ別に」
この世の地獄のような不等式、爆誕。
早朝、顔を犬に舐められる不快感 < 自宅前で犬が吠え苦情がくる迷惑
「……はぁ、散歩途中か」
「そ、レオンも満足しただろうから、そろそろ行くわね? 朝っぱらからごめんなさい」
そうして千聖がレオンを連れ出そうと、その首についたリードを引っ張ろうとした瞬間、レオンが少しだけ小さな遠吠えをあげて、こちらを振り向いた。
つぶらな瞳。儚さを感じさせる哀愁漂う目の輝き。
トゥンク。俺はな、犬よりも猫派なんだ。つい3秒前まではな。
「……いや、俺もいくよ。散歩」
「……え?」
ありえないものを見るかのように、目を大きく見開き、驚きの表情を浮かべている千聖だったが、レオンの嬉しそうな声を聞いて、表情を和らげた。
「……そう。レオンも喜んでいることだし、ご一緒してくれたら嬉しいわ」
「あぁ。眠気も覚めちゃったしな、どうせ二度寝はできないし」
俺は半ばどうしようもなかった朝の運命を呪いながら家を出る支度をする。とは言いつつも、そんな大層なものではなく、最低限朝の外を出歩く格好に着替えただけだけど。
「いいかしら? 出られる」
「いいよ。鍵閉めるから先出てな」
トタトタとレオンを連れて、玄関の方に出て行く千聖。窓の戸締りを確認してから俺も玄関の方へ。……うわぁ、キッチンのシンク前に敷いてあるマットにハンコのように犬の足型がくっきりと。こりゃ洗ってもダメそうだな、可愛い。
「よし、じゃあ行くか」
「えぇ、行きましょう」
「……ん? 何その手」
千聖は右手でレオンくんのリードを握りながらも、どういうわけか左手を差し出してきた。
「私1人じゃレオンに引っ張っていかれちゃうかもしれないから、ほら、今日雄緋の家に連れて来られちゃったのも、体が持ってかれちゃったからだから」
「ワンッ! ワウワウッ!」
「それは貧弱すぎだろ……。まぁ良いけども」
別に今更手を繋いで不純異性交遊です! とかそんななんちゃってで校則の厳しい高校の生徒指導の先生みたいなこと言わないからな。確かにレオンくんが走り出したりとかしても問題かと思ったので俺はその手を取った。
「
「ふふっ。早く行きたいのね、分かったわ」
「
朝早くからでも元気なレオンが些か羨ましくも恨めしくもあるが、そういうわけで俺たちはいつもは通ることのない散歩コースを通ってみたのである。
まだ多くの人が家を出るような時間になっていないこともあってか、人通りもまるでなく、少しだけ青白く暗い街を歩いていた。
「それにしても、まさか雄緋が着いてきてくれるなんて思わなかったわ」
「ん? まぁ、別に犬とか動物と遊ぶのが嫌いな訳じゃないぞ。朝顔を舐められて起きるのは嫌だけど」
「
「あら、そうなの? てっきり前の時はたえちゃんの兎で嫌そうな顔をしていたから、動物自体が苦手なのかと思っていたわ」
「あれは……家帰ってきたら兎に占拠されてたからな、そりゃ怒っただけで。俺は動物は好きだぞ。もちろん犬もな」
「ふふっ、良かったわねレオン」
「
なんだか朝起きた時とは違って、ものすごくレオンの吠え方に敵意を感じる気がする。さっきまではどことなく優しさの籠った吠え方だったのが今のは威嚇混じりのような気が……。まぁ俺は動物の声とかが分かるわけではないし、杞憂というやつだろうか。
「レオン、下手をすれば私よりも雄緋の方が懐いてるきらいがあるわね」
「
「お、……確かに懐かれてるような気がした」
「
「……本当に懐かれてる?」
「え、えぇ。レオンがこんなにも顔を舐めたり、ずっとついて回ったりすることなんて珍しいから」
「
……の割にはめちゃくちゃ吠えられてる気がするんだけどなぁ。まぁ千聖の言う通り、ある意味では懐かれているとも言えるのかもしれない。さっきからずっとレオンに構ってもらってるし。一応千聖と2人で手を繋いで歩いているけれど、正直レオンくんの方に気がいって仕方がないぐらいだ。
「
「ふふっ……。あっ、あの公園は別の散歩コースでも寄っているから、今日も寄っていきましょうか」
「はーい、了解」
右手前方に現れたのは住宅街の中にあるにしては少し広めの木々や草も生えた公園。この時間は特段人もおらず、閑散としている。
「向こうのベンチまで行きましょうか」
「レオンくんも連れて行けるのか?」
「えぇ、ペット禁止とかではないから」
奥まった藤棚の横に並んだ2人がけベンチに近づいて腰を下ろす。俺たちが並んで座ると、レオンくんも千聖の足の前にノシリと座り、その姿はさながら忠犬であった。
「今日もいい天気になりそうね」
「だなぁ。ちょっとずつあったかくなってきたもんな」
「
さっきまでは少々大きな声で吠えていたレオンくんだったが、座ってどっしりと構えていると、少し小さめの声でグルグルと吠えるのみだった。
「そ、その。今日はお昼も天気が良いそうよ?」
「
「おぉ……。洗濯物干そうかな」
「
「洗濯物を干すって……。今日は一日暇なのかしら?」
「え? あー、まぁ忙しいっちゃ忙しいけど暇といえば暇というか」
今日の予定は1日家でゆっくりとダラダラ過ごすという予定を入れていたために少しだけ迷う。ある意味では忙しいのである。
「
「もし暇なら一緒にランチを食べに行くなんてどうかしら?」
「
「え? あー……。今日は家で済ませるつもりしてたから」
「そ、そう……」
「
「いた! いててて?! レオン?! 歯が痛い!」
「ちょっとレオン?! やめなさい!!」
突然俺の足に突き立てられたレオンの歯。とか言ってる場合じゃない痛い痛い! ズボンの上からでも痛いものは痛い! 千聖がリードをピンと引っ張ってくれて、なんとか俺は難を逃れる。
「ダメでしょレオン!! 1週間おやつ抜きにするわよ!」
「
「ま、まぁまぁ。おやつ抜きは可哀想だから、俺は大丈夫だぞ」
いくら俺を噛んでしまったとはいえ、落ち込むレオンくんの表情を見ているとおやつ抜きにされてしまうのは少しだけ忍びない。……そもそもレオンくんがおやつ抜きとか言われても理解してないだろうけど。
「
「雄緋がそう言うなら……。本当に大丈夫?」
「あぁ、血とか出てなさそうだしな」
「良かった……。そ、そうだ。その……お詫びと言ってはなんだけれど、今日のお昼、ご馳走したいのだけれど。……どうかしら?」
千聖の表情はこちらを探るような。一応レオンくんに噛まれる前にはそう言う話も出ていたことだし、飼い犬が噛んだわけでもあるから、負い目というか、少しだけ不安のようなものもあるのかもしれない。
「……まぁ。そういうことなら、折角ならご相伴に預かろうかな」
「……ふふっ。任せて、腕によりをかけるから」
「
「あぁ。楽しみだな……。俺も作るの手伝うよ」
「料理できないんでしょう? 無理しなくていいのよ?」
どうやら俺が料理をまともにできないという話はすでにそこそこ広がっているらしい。……まぁホワイトデーの一件もあるし、仕方がないと言えば仕方がないか。
「
「あら。……ふふ、レオン、さっきは怒ってごめんね?」
「
「それじゃ、そろそろ散歩も切り上げて、帰ることにするか」
「そうね。食材の準備とかもしなくちゃだし」
「
「あれ、でも昼ごはんだよな」
今はまだ早朝。こんな時間から店に行ったところで開いていないし、そもそもご飯を作り始めたらこんなの昼ごはんではなく朝ごはんである。
「えぇ。時間まで暇だったら、少し家でゆっくりしましょう?」
「
「だな……。一旦じゃあ、レオンくんもいることだし千聖の家に帰るか」
「えぇ、そうね」
そうして俺はお昼の時間が近づくまで千聖の家にお邪魔して時間を潰し、食材を買いに行って、ご飯を作ることになるのだが、それはまた別のお話……。
「それじゃあレオン。お留守番よろしくね?」
「またなレオン」
「ワン……?」
犬小屋は静かだ。
「
苦労人、……犬? は今日も元気です。