春爛漫と桃色の花弁が咲き誇る季節。ここCiRCLEの受付から見えるカフェテラスの奥の方でも沿道に咲いた桜がすでに開花している。俺はカウンターで春眠を貪りつつ……寝てちゃダメだな、予約表とのんびり睨めっこしながらバイトの時間を過ごしていた。
「……今日は、4月1日か」
4月1日と言えば、そろそろ春休みが終わるなぁ、なんて哀愁を楽しみつつ話題に上がるものがある。
そう、エイプリルフールだ。合法的に、いやまぁ合法的ってもついていい嘘とダメな嘘があるけれども、嘘をついていいという日なのである。今は受付業務をする時間だが、受付業務といいつつも誰も受付に来ないのであればそれは実質的に休憩時間も同然だから、そんな暇の極みのようなしょうもない考えに及ぶのである。
「といっても、つく嘘も思いつかないからなぁ」
生憎正直に生きてきたもので、絶妙にフランクな嘘なんてのは思いつきそうにない。ジョークとか大喜利とかその手のものもそんな得意では無いし、はてさてどうしたものか。
「おやおや……お困りのようですなぁ」
「そ、その声は?!」
突然CiRCLEのフロントに現れた謎の光。その光球は奇妙な音を発しながら、ユラユラと地面に落ちる。
「あたしはモカ神様だよ〜。嘘が思いつかない情弱・白痴の哀れな子羊に悪知恵を授けよ〜」
なんか今めっちゃdisられたような気がしたけど、まぁそれでもいっか、なんてつい思ってしまった俺の思考はすっかり毒されているらしい。そして、現れたモカ神様の光はカウンターに座っていた俺の方ににじり寄り、俺の全身を包み——。
「って、まぶしっ、んぐぅっ?! んーーー?!」
俺の意識は途端に混濁して、闇に落ちていった……。
「……はっ?!」
ぼんやりとしていた俺は目を覚ます。一体何が起こったのかとキョロキョロと辺りを見渡すが、特に何かが変わった様子などは無い。強いていうならば俺の視界の右斜め上あたりに先程のモカ神様のような光が。
「あっ、おい! モカ神様とやら、なんだよいまの?!」
「んー? 今になったら分かるよ〜」
「ちょっと雄緋くん?!」
「はいっ?!」
モカ神様などという胡散臭い神様に文句を垂れようとすると、急に廊下の方からまりなさんの声が聞こえて、身震いした俺は振り返る。
「あったかいから眠たくなるの分かるけど、今寝てなかった?」
「いやっ?! 勿論寝てません! はい、寝てるわけないですから!」
デデーン。
「え?」
「え?! なになに、ぐはぁっ?!」
「ええっ?! ちょっと大丈夫?!」
「大丈夫……じゃないです……」
お尻が……。お尻が……。
謎の力で今お尻にバチコーンって……。いてぇ……。なんとか突然お尻に走った激痛から回復した俺は視界の右端に佇むモカ神様にブチギレる。
「おい今のなんだよ?!」
「ふっふっふっ。モカ神様は、なんと雄緋くんに、今日一日。『嘘をついたらお尻が謎の力で攻撃される』呪いをかけました〜」
「はぁっ?!」
「題して、『絶対に嘘をついてはいけないエイプリルフール24時』〜」
「悪知恵働いてんのはテメェじゃねぇかぁっ?!」
くっそ……。漠然とどんな嘘をつこうかなーとかいうことを考えてたいた頃が恨めしく感じるレベルに面倒なことに巻き込まれてしまった……。
「えっと……。雄緋くん? 誰と喋ってるの?」
「……え? モカ神様と……」
「……頭おかしくなった?」
「……いや、嘘です。何も見えてません、独り言でした」
デデーン。
「しまったぁっ?! ぐはぁっ?!」
くっそ……。今のはヤバいやつと思われないために必要不可欠な嘘だったじゃねぇか……。俺は悪くないだろ……。
「と、とにかくよく分かんないけど、仕事はちゃんとしてよねー?」
「はい、すみません……」
「それじゃアタシもここらでドロンです〜」
あ。視界の端にいたモカ神様がフェードアウトしていった……。全く、とんだ疫病神もいたものである。これじゃあ本当に損なことしかないし、少なくともご利益を求めるべき神様の類ではない。
まぁ……。そうだ、嘘をついたらお尻に攻撃がくるだけなのだから、裏を返せば嘘さえつかなければいい。さっきのまりなさんとのやり取りでついた嘘なんてのはかなりの特殊な例なわけだから、日常生活で嘘をつく機会なんて、しかもバイト中であればそうそうない。というか普段から清廉潔白を売りに生きている人間な訳だから嘘なんてつかない。
デデーン。
「ちょっと待って?! ぐはっ」
今喋ってないよね? 頭の中で思考を展開してただけだよね? なんで今攻撃されたの?!
『モカ神様からの自分をよく見せようとする愚かな人間への天罰です〜』
すでに天罰よりタチの悪い仕打ちを喰らっているのに天罰とはこれいかに。どうやらこのモカ神様とやらはモノローグでさえも隙有らば攻撃しようとしてくるらしい。本当に全くもって厄介である。これは迂闊に嘘を考えることもできない。
そうこうしていると、ヒリヒリと痛むお尻を庇いながら座っていた時に、CiRCLE入口のベルがなった。
「……こんにちは。予約してた、Afterglowです」
ドアを開けて入ってきたのはAfterglowの5人。……というかモカ? モカ神様? どっちの人格か分からないけど、そのびっくり能力をお持ちのモカ神様にお尻を大変なことにされているというのに、モカはのんびりとパンを食べていて、なんだか恨めしくなった。
「はいはい。予約してたスタジオの鍵は……これかな」
「ありがとうございます!」
「そういえば雄緋さん、今度ラーメン食べに行きませんか! オススメのニンニクたっぷりの濃厚な豚骨ラーメンのお店が出来たんですよ!」
濃厚な豚骨ラーメン……。巴の誘いはとても魅力的だが、このパターンはまずいという話は蘭から愚痴で散々聞かされている。なんでも一度誘いになると次からも断りづらくなってそのままの流れでラーメン店を梯子してお腹の容積を越えそうになるとか。それで律儀に相手をし続ける蘭はなんだかんだと言って優しいと思うが、俺には流石にそこまでの根気はない。
「あー。最近ラーメン食べたばっかりだから今回は……」
デデーン。
「なんで?! 今のはノーカンだろ、ぐはぁっ?!」
「え、ええっ?! 大丈夫ですか?!」
今のは……嘘も方便というやつだって……。世渡りの術なのよ……。嘘認定したらダメでしょ……。
『絶対に嘘をついてはいけないので、ダメでーす』
「……モカが2人いる」
「……? モカちゃんは1人ですよー?」
「……ぐふ」
すでに4発食らって、満身創痍のお尻。Afterglowの面々は完全に不審者を見る目つきで去っていった。その目はかなり心にくるけど……まぁお尻が叩かれるリスクが減ることに関しては万々歳だ。……そうだ、というよりここでもう誰もお客さんが来なかったらその分だけおしりを叩かれるリスクが……。
「こんにちはー、スタジオ借りに来ましたー!」
ですよねー。元気いっぱいで4人を連れて入ってきた香澄。香澄が来たってことはPoppin'Partyかなと思い、予約リストのついたバインダーに目線を落とす。
「……あれ、ポピパの名前ないぞ?」
「えぇ嘘っ?!」
「香澄また予約ミスったのかー?」
「そ、そんなはずは。今日の17:30〜のところに名前、本当にないですか?!」
「えー。……あれ、2枚目がある。あ、あったあった!」
そのバインダーで表に挟まれていた紙には続きがあって、偶然にもポピパの予約の内容は後ろの紙の方に書いてあったので俺はスタジオの鍵を手渡そうと俄に立ち上がる。
デデーン。
「……え? はっ?! ぐはぁっ?!」
「え、大丈夫ですか?!」
「……今の跳ね方、ウサギみたい」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ?!」
そっか……。本当は予約リストにあったのにないって答えたから嘘認定されたんだ。……こんなのシンプルにミスしただけじゃん……。見逃してよ……なんて弱気な口も叩いてしまうわけだが、まぁ文句を言ったところで仕方がない。文句を言って解決するぐらいなら、そもそもこんなクソみたいな茶番劇に参加すらしてないよなぁって。
「と、とりあえず……スタジオ空いてるからどうぞ」
「はーい! 行こっ有咲!」
「だぁっ! 走るなぁ!」
もう行った? 行ったよね? お願いします、モカ神様お願いします。もうか誰も来ないでください。バイトとしては失格かもしれないけど、これ以上誰かが来たら俺のお尻は大変なことになってしまいます。
カランコローン。
絶望を告げる鐘の音。どうあがいたってこの呪いのような企画からは逃れられないのだ……。
「雄緋! とっーーーても楽しいことを思いついたわ!」
「おぉ……。絶対スケールがデカくてやばいことだと思うけど。それはとにかくいらっしゃい。でもハロハピ予約とかしてなかったよね?」
「あ、はい。今日は練習に来たとかじゃなくて、こころが来たいって言ったので」
それで5人全員揃い踏みするあたりはさすがと言えば流石らしい。
「で、楽しいことって?」
「今日はエイプリルフールというらしいわ! 嘘をついていい日なの! 雄緋も嘘をついてちょうだい!」
「……えっ?!」
それは、やばい。本当にヤバい。スケールが小さくて良かったと言えば良かったんだけど、いかんせんタイミングが最悪すぎる。だって、俺がお尻を守るためにはこの純真無垢なつぶらな瞳の期待を全てドブに捨てるという方法しかないってことでしょ? 俺はそんな畜生にはならない。……なれない。
「実は今日、俺ライブするんだ」
デデーン。
知ってた……けど辛いよ。
「本当に?! 楽しみにしてるわね!」
「やったー! 雄緋くんのライブだ!」
「……儚い」
嘘つけって言われて言ったのに本当のことじゃないに決まってるじゃん……。そんな目で見ないで……。罪悪感湧いて本当にライブやりかねないから。というか弦巻財閥が本気を出したらガチでステージがセッティングされちゃうから。それは困る。
「えっと……ご迷惑おかけしました!」
「いいんだよ花音ちゃん……。ハロハピの良心……」
3バカに振り回されていった美咲と花音がスタスタとCiRCLEを後にした。結局、こころの考えたとっても楽しいことはエイプリルフールの何だったのだろうか。そんな疑問に思いを馳せていると、またもやあの鐘の音が。あー。……憂鬱。
「こんにちは! 雄緋くん!」
「今度はPastel✽Palettesか……」
もうお尻がスースーする程度には攻撃を受けて悟りを開いているので、この後に起こりうる何かに想像を働かせながら、俺は予約リストに目を通す。あ、ここだな。
「そういえば聞いてよ雄緋くんー。彩ちゃんってば、パスパレみんなの嘘、ものすごく真に受けちゃうんだよ?」
「だっ、だってあれはみんなの嘘が上手いからじゃん!」
「へー。……俺、来月でCiRCLEのバイトやめるわ」
「……えぇっ?! 嘘ぉっ?! ……嘘だよね?」
俺が心の中で泣きながら吐いた嘘に、泣きそうな表情を浮かべる彩。
「うん、嘘」
「……って、知ってたよ? 嘘泣きだよっ」
デデーン。
「ぐはぁっ?!」
「いたぁぁっ?! 何今の?!」
「アヤさんどうしたんですか?!」
「というか雄緋も、何が起きたの今?!」
「モカ神様の祟りじゃ……」
「モカ……神様? 青葉さんですか?」
「分かんなくていいよ……」
一体何が起きたのか俺にも理解できなかったが、どうやら今のモカ神様からのお仕置きが、俺のみならず彩にまで行ったらしい。まぁアナウンスで『丸山』って呼ばれてたしな。でもまぁ、アナウンスは他の人には聞こえていないらしいから、彩からすれば本当に突然、訳もわからずお尻に激痛が走るという怪奇現象に襲われたと勘違いしたに違いない。
「痛いよぉ……」
「彩ちゃん大丈夫ー?」
「でもほら、予約時間になったから。歩ける? 彩ちゃん」
「頑張る……」
「ありがとうございましたユウヒさん!」
「……はーい」
お尻痛いけどもう痛くない……。何言ってるか分かんないと思うけど、もうすでに10発近く食らっている。ここまで食らうとなんだかね、もうお尻の感覚自体が消え失せて、痛いという痛覚すら無くなってきた。
「くっそ……いつまで続くんだ……!」
全てはモカ神様の御心のままに……!