「でねー。人数不足で天文部潰れそうなんだよね」
俺が眠たい目を擦りながらせっせと大学に出す書類にボールペンで記入している中、ちょっと日当たりが良さげな……いや、もう全く太陽光が届いてない時間帯なんだけれども、ベッドのへりに腰掛けて、足をぶらぶらとさせながら彼女は特に取り乱したり焦ったりもせずにそんな言葉を吐き出した。そりゃあまぁ、今まで部員が1名という状態で部活として存続を続けてきた事自体がまず奇跡、もとい先生方の温情である。彼女もそれがわかっていないというわけではないらしく、どうにかこうにかと頭を捻っていた。
「なら頑張って新入部員を勧誘するしかないんじゃないのか?」
至極真っ当な解決方法である。人がいないから潰れそうだと言うのなら、そりゃ根本のところ、入る人を増やせば良いという至極単純かつ根本的な解決方法である。が、まぁ俺とてそれでどうこうなるものなら今こうしてここに悩みを持ち込まれる事自体ないはずだ、というそれぐらいの察しはついている。
「でもなんだかみーんな入ってくれないんだよね。あたしと一緒に星見ようよーって言っても、微妙な反応のまま去っていくんだよね」
「あー。まぁ、それは日菜に常識とかそういう大切な部分が抜け落ちてるからじゃないか?」
「ひどっ?! そんなこと言うんだ〜。へー」
「だってさぁ……」
今、1時なんですけど? もちろん深夜ね? え、え? 泊まりに来たの? って時間よりやばいよ? これ同じ街ならギリギリセーフだけど、遠出してたら終電終わってるよ?
「人の家にこんな常識はずれの時間に訪れるやつに常識が欠けてるって言って何か問題があるのか?」
「大アリだよ!」
なわけ。やばすぎるだろ。常識とか全部姉の方に吸い取られてるんじゃないかって疑うぐらいだよ。
「時間くっそ遅いのに?」
「それで言うなら雄緋くんだってこんな深夜まで明日提出の書類書いてるのもおかしいじゃん! というか日付変わってるから提出今日じゃん!」
「それを言われるとなぁ……」
極論を言えば提出時間に間に合えさえすればいい。窓口が明日の17時とかだから、後16時間の猶予があると思えばまだまだ耐えというやつだ。それと比べたらむしろ咎められるべきはこんな時間に自宅に帰っていない日菜の方で間違い無いだろう。外を歩いていたら余裕で補導の対象である。ついでに言えば俺は犯罪者の烙印を押される対象である。指名手配の誤解が漸く解けたばかりだというのに。
「で、なんでこんな時間までここにいるわけ?」
長い文章を書く欄と遭遇した俺は書類を書くのを諦めて、いつの間にかベッドでゴロゴロと遊んでいる日菜と相対した。俺が重たい腰をあげると、日菜がゴロゴロとベッドの奥の方まで行ってくれたので、ありがたく固い床で痛めた尻をベッドの縁に乗せた。……というか、まぁまぁ夜も遅いというのに、まだ眠気の欠片すら見せないこいつは一体何者だ。
「えー? 逆に聞くけど何だと思う?」
「……雑談?」
「あははっ、それだけのためにこんな時間まで居たら流石にあたしおねーちゃんに怒られちゃうよ?」
その言いぶりということは今日は何もお咎めなしでいるということだろうか? そこは流石に叱ってほしい。いくら何かしらの事由があるとは言え、こんな夜遅くに帰らないなんて、風紀として末期ではないだろうか。
「……じゃあ何なんだよ?」
眠気に苛まれて特段何も思いつかなかった俺は白旗を上げる。だが、日菜はニヤニヤしたまま小さくため息をついた。
「えー? 男女がこんな夜遅くに二人きりですることといえば?」
「……は?」
寝転がっていたはずの日菜がのそのそと起き上がり、俺の肩に手をかける。視界の端に映るその指はほんのりとピンク色に染まり、俺の肩口に先を滑り込ませて、くすぐってくる。俺の心臓が大きく飛び跳ねた。
「1文字目は『セ』で……」
「……おいおい」
そんな風に言われたら、いくら健全を基調とする俺の思考回路でさえも、大人の交わりを想像せざるを得なかった。耳元で日菜の吐息がかかる。普段こそ快活で、色気だとかを連想させない程度には清純さを保った少女だった日菜はそこにはおらず。
「ムード漂う空間で、ロマンチックな想いに耽って……」
「ちょ、日菜……?」
無理やり日菜の方に向かされた顔。その頬が日菜の左手で撫で回されたかと思えば、日菜の真っ赤で瑞々しいリップが震えていた。日菜の表情は艶やかと形容するに相応しく、大人の女の魅力を存分に蓄えた嬌笑を浮かべていた。
「相思相愛の男女が愛を囁き合うと言えば……?」
「そんなの……」
「例えば雄緋くんとあたしが……夜に二人きり、暗い場所で愛を囁き合いながら、することといえば?」
「……いえば?」
「セ?」
「……」
「星座を観る、だよね?」
「……へ?」
「……ぷっ」
星座を観る? 何の話だ……? 理解が追いつかなかった俺のあげた素っ頓狂な声に、日菜は笑いを堪えられていなかった。
「なになにー? 星座だよ? セ、イ、ザ! 何だと思ったのかなー?」
「……おま、ちょ、日菜……。嵌めやがったな……」
「え?」
「……あ、違う。えっと、引っ掛けたな?」
「別にー? あたしは、天体観測の説明をしただけなんだけどなー?」
「なら1文字目とかややこしくいうなよ! 1文字目は『テ』じゃねーかよ!」
俺の虚しい勘違いへの嘆きの声が部屋に響く。そういや今深夜だったな、あんまりうるさくしてはいけないと思い直し、口をつぐんだ。それを見た日菜が言い返されることはないと悟ったらしい。
「ねぇねぇ何すると思ったのー? ねー?」
「……何でもない」
「えー? 顔赤いよ? 初心だねー?」
「うるせぇ」
「ちょーーーっとだけでもえっちなこと想像しちゃったのかなー?」
「だーうるさい! あんなん勘違いして当たり前だろ!」
あれは悪意たっぷりの説明をした日菜が悪いと、そう反論したかった俺は思い切り立ち上がろうとした。しかし、日菜の手は肩にかかったまんまで。立ち上がろうとした俺を押さえつけながら、日菜は俺の耳元に口を当てた。
「……あたしはね? 雄緋くんとなら、いつでもそーいうことしてもいーよ?」
「……はっ?!」
「よーし、天体観測へレッツゴー! ……あれ、どうしたの?」
意識が飛んだ。
「……はぁ、本当に駆り出されたし」
「だってー、普通に今の時間外で歩いてたらあたし補導されちゃうもん」
俺は車の助手席に日菜を乗せ、……序でに後部座席にはいつの間にか置かれていた日菜の望遠鏡とやらが色々と積まれて、目的地へと出発した。明日が休みだとはいえ、まさかこんな時間になって車を運転するとは。眠気の残ったまんま運転するのは危ないからドバドバとカフェインを摂取した。どうにかして日菜の我儘に付き合おうというわけである。
「というか検問とか万が一あったら俺がお縄につくことになるんだけどこれ……」
「あはは、誘拐とか?」
日菜は愉快そうに笑っているが、捕まる側からすれば全然笑い事でもなんでもない。ガチで笑えない。
「てか、これ本当に道合ってるんだろうな?」
「うーん。あたしもよく分かんないんだよねぇ」
「は、はぁ?」
俺が運転しているものだから日菜の行きたいところとやらを日菜にナビしてもらっているのだが、生憎スマートフォンを充電中だったせいでグローブボックスに積んでいた紙媒体の地図帳を引っ張り出している。が、日菜の返答はなんだか曖昧だ。
「今どこら辺にいるかぐらいは分かるだろ?」
「うーん道路の形とかは分かるんだけどなぁ」
「……あ、今右手にあるの総合病院っぽいから、病院探せよ」
「あたし地図記号わかんないんだよねぇ」
「えぇ……」
意外にも日菜は地図記号はさっぱりらしい。何でもかんでも天賦の才でこなしているのかと思えば、変なところで能力が欠けているらしい。まぁ、地図記号が分からなくても人生で困ることはそうそう無いと思うが。
「うーん、だからわかんない!」
「はぁ……。次のコンビニで一旦停まるわ……」
諦めて俺は近くのコンビニの駐車場にて、自力で地図を読み解くのだった。
そこから15分ぐらい、深夜で車通りも無い道路を延々と走り、街並みが徐々に寂れていくのを目の当たりにする。意外や意外、花咲川の町の近くにも、……いや、車で結構走ったが、それでも都会から程近い場所に自然が溢れていることを知った。
「結構山がちなところ来たんだな」
「まぁ山というか、丘ぐらいかな? そろそろ着くよ?」
道なりに進んでいくと、やがてアスファルトでの塗装が粗雑になった道に出る。それからさらにもう少し行くと、とても小さな駐車場のようなものがあって、そこから先はもはや車で行く道が用意されていない、公園のような、野原のような場所が広がっていた。
「ここ、あたしの見つけたお気に入りの場所なんだよ?」
車から降りた俺は、声につられるように顔を空へと向けた。そこには肉眼でも都会の数十倍、いや数百、数千倍の星々が見えた。普段観る夜空なんてのは星が疎らで寂しいものだが、今観ている夜空には星が溢れ、最早暗い部分の方が少なく見えると言っても過言では無いかもしれない。
「よいしょっと。……雄緋くん、これ持てる?」
「おっし、任せろ……。っておも、これ何に使うんだよ……」
どうやら天体観測には望遠鏡だけじゃ足りなかったようで、何やら重たい長方形のそこそこのデカさの箱を運ばされた。明らかに体の前に両手で持つことは不可能だったので、腰を折り曲げて自身の背中に載せて、フラフラとした足取りながらもその矢鱈と重たい何かを日菜を追いかけながら運ぶ。日菜はこれまた重かろう望遠鏡を軽々と運んでいて、それはそれで驚いた。
「あ、台車持ってきてたの忘れてた」
「は、はぁ? 先に言えよ……」
散々重たい荷物を所定の場所にまで運んでからそれを言われると精神的にきつい。それはそうとして、俺はどうにかその重たい箱を下ろした。
「なんなのこれ……」
「箱から出せば分かるよ? じゃあ雄緋くんは望遠鏡組み立てといて! こっち向いちゃダメだよ! 絶対にね!」
フリかとも思ったが、かなり念押しするものだから、まぁ見ないでおいてやろう。素人に望遠鏡の組み立てなんか出来るのかと思ったが、意外や意外、説明書通りにやればなんとかなるもので、ものの10分程度で設営が終わる。俺が作業を終えるちょっと前に日菜も終わったらしく、絶対に振り向くなとまたもや念を入れた上で手伝ってくれた。
「じゃあ早速星を見よー!」
「おー」
すでに眠気に襲われかけていて、俺の返事は気力に欠けているが、空を見上げたら疲れだとか眠気は吹き飛んだ。
「あっちの空に見えるのが、アルクトゥールスとスピカとデネボラで、春の大三角だよ!」
「んー。……どれ?」
その歩くなんちゃらとやらがまずどの星かわからない。だってそうだろう。あまりにも星が多すぎる。こんなに大量の星が散らばった夜空を見たのは随分と久しぶりだ。
「あの赤い星がアルクトゥールスだよ? で、その下の方の明るいのがスピカで、そっから向こうの方にちょっと離れてるのがデネボラ」
「あー。なんとなく……明るいもんな」
春の大三角なんて銘打つぐらいだから、当然見やすい星になっているのだろうが、これだけ星が多い中でも輝きを放っているなんて、すごすぎる。それはまるで、スターの原石溢れる芸能界で輝くパスパレそのもののようにも見えた。
「実はあっちには、冬の大三角も見えるんだよね」
「あ、それなら知ってるぞ。デネブとアルタイルとベガだろ?」
「残念それは夏だよー? 冬はシリウス、プロキオン、ベテルギウスだよ?」
「聞いたことあるな……」
小学校の理科だとか、そんなのでやったっけか。だが余りにも昔のことすぎて、正直記憶が曖昧だ。あと眠い。
「まぁ星に興味持ってないと難しいよね」
「覚えたのは覚えたけどな」
「でも、星、観てると綺麗でしょ? 折角だから望遠鏡も使って観てみようよ」
「おっ……いいな」
日菜ははしゃぎつつも、そのテンションの上がりようは抑え目だった。けれど、俺は何故だか幼い頃の何も知らないことを知る楽しさだとか、そんな無邪気な心を思い出した。あと眠い。
「ほら、もっとはっきりと見えるでしょ?」
「おぉ……すごい」
さっきまで夜空を直に観ていた時はむしろ星同士の繋がりを無意識のうちに線で捉えていたのに、望遠鏡で一つの星を拡大して観た瞬間、その星一つ一つがかけがえのないものであることに気がつく。不思議なものだ。眠い。
「あたしも変わって!」
「はい、ほらよ」
「眠たいの?」
「うん」
「ギュッてしてていいよ?」
ぎゅっDAYS♪。so sleepy.
「あすなろ抱き……。えへへ……」
「……んー。……見えるか?」
「……え? うんっ! るんっ♪ ってするよ!」
どれぐらい時間が経ったか。漸く日菜が動いて俺は覚醒した。いや、目は完全に開き切ってないけど。日菜は流れるように望遠鏡を片付ける。ちょっとだけ眠い。
「……ん? もう観ないのか?」
「うんっ。すっごく満足した!」
元気だなぁ、なんて思いながら、日菜に手を引かれた。このあとどうすんだろな。運転したら事故起こすよこれ。車中泊? 味があるけど流石に。
「どうすんの? 帰り」
「そういうと思って、じゃじゃん!」
「……ん?」
目の前にあるのはテント。暗いここでは何色のテントかはあまり見えないが。
「……テント?」
「そうだよ? るんってするでしょ?」
「るんっ」
俺は日菜に手を引かれるまま、そのテントとやらに潜る。ここキャンプ場だったっけ、なんて思いながら、俺はその真っ暗なテントの僅かな灯りを点けた。そこそこの広さ、とは言いつつも2人が寝転がれば窮屈だが、そんなテントのど真ん中には水色の何かが横たえられている。
「もう眠いもんね? 一緒に寝よ?」
「……あぁ」
2人はあれだから1人だけ車で寝るよとか言えるほどの元気もなかった俺はゆっくりと頷いた。
「えへへ……。いっちばんるんっ♪ ってきた」
「るんっだなぁ」
「でもごめんね? あたし寝袋一つしか持ってきてなくて」
「んー?」
「一緒に入ろ?」
「ん」
柔らかい日菜の体とあったかさに包まれて、俺は早々と睡魔に襲われた。
「ものすごく近くて良い匂いして……。……るんってきた」
「……」
「……えへへ、好きだよ、雄緋くん……おやすみっ」
「……ひーーーーなーーーー?」
「ぽ、ポテトの無料券がここに!」
「……」
「……今度3人で天体観測、とか」
「……」
「ゆ、雄緋くんのあすなろ抱き付きで!」
「絶対よ? 言ったわね?」
……るんっ♪
眠くなるとちょろくなる主人公。天体観測、流行ります。