4月も末に差し掛かり、冬の寒さを忘れてしまうほどに暖かくなってきた。それは朝の時間帯も同じことで、薄い掛け布団1枚でもすっかり熟睡が出来るほどには暖かい。俺はふわふわのベッドの上で春の陽気な睡眠を享受して……いたはずだったんだよ。
「重……って、え、金縛り?」
陽光がカーテンで遮られているから、部屋の中は薄暗いのだが、それでも仰向けで寝る俺の腰の上あたりにはシルエットがぼんやりと浮かんでいた。おまけに確かな重みが下半身には感じられて、俺は動くことができない。
これは創作の世界でよくみる金縛りかと身構える。漫画とかならここでそのシルエットが振り返ったら、ヨボヨボのご老人が怨憎の炎を瞳に宿して睥睨するような、そんな状況。俺は肝が冷える思いで震えていた、が。
「おはよ〜」
「……モカ? なんで」
そこに居たのは呪詛を唱えるご老人でも、現世に未練を残した地縛霊でもなかった。俺を金縛りに遭わせていたのはパンを咥えたダウナー系美少女でした。こんな感じのラノベのタイトルありそうだけど売れなさそうだな、なんてつまらないことを考えながら、どういう経緯でその美少女とやらが現れたのかを尋ねた。
「んん? モカちゃんがいる理由が気になっているのかなぁ?」
「……そりゃ」
「ズバリ、モカちゃんが目覚まし時計になってあげようとしたのですよー」
「……目覚まし時計?」
「そうそう。お腹に負荷を与えて目を覚まさせるタイプのとけー」
どこの世界にそんなアクロバティックな時計があるんだと文句の一つでも言いたくなったが、目が覚めたらちゃんとどいてくれたので俺はゆっくりと上体を起こす。目覚ましとやらが無駄に機能したせいでいつもよりもかなり早い起床となってしまった。
「春だからと言って、遅くまで寝てたらダメですよ〜?」
「モカには言われたくないな……ふあぁ……」
春夏秋冬、眠気に負け続けているこいつに言われるのは癪である。もっと反論しようと思ったが、あまりにも眠くて、あくびを噛み殺すのに精一杯だった。
「……で、なんで来たんだ?」
「……目覚まし時計?」
「じゃなくて、起こしに来た理由だよ」
ここで何の理由もなく起こしに来たなんて言われたら、それこそ俺は秒でモカを追い出して二度寝を決め込む。けれども普段から睡眠と恋人のようなモカがこんな早くに起こしに来たのだ。それなりの理由、俺を起こした動機なんてものがあるのだろう。
「実はですねぇ、モカちゃんは品評会に行きたいんです〜」
「……品評会?」
「そーそー。蘭が作品を出してるんだよ〜」
蘭が作品を出しているということは華道関連の何かしらか。それはいいとして、蘭の華道の作品ということならどうしてAfterglowの面々ではなく俺を連れ出したのか。あとついでにこんなクソ早い時間に叩き起こされなくちゃいけなかったのか。
「つぐは家の手伝いが忙しくて、トモちんとひーちゃんはバイトをサボったツケが回ってきてるらしいんですよ〜」
「……あ」
「そーいうことだから、ゆーひくんを連れて行こうというわけです〜」
「……朝から?」
「そこは気分ー」
「……はぁ」
これだよ。これだからさ……。いい加減家の鍵付け替えようかな……と思ったけど、大家さんに言うのも面倒だし、どうせ変えたところで誰かがすぐ合鍵作ったりしてるんだよね。俺には安息の地などないのだ。とほほ。
「ねっむ……」
「モカちゃんと一緒に二度寝しますかー?」
「1人で」
「あたしの体、あったかいですよー?」
「……あ、ほんとだ。じゃねぇよ」
「あふぅ」
二度寝した日には布団の中にまで潜り込まれていそうなので、俺は諦めてカフェインの力に頼った。さぁ……。行くぞ……。……行くぞ!
「おら、起きろ。行くんだろ」
「うーん」
そして、今は立場が先程と完全に逆転しました。どういうことかって? 俺のベッドでモカが眠いと言って二度寝を始めたら起きなくなりました。なんでだよ……。それなら俺をもう少し朝から寝かせてくれよ。
けど、そんな恨み辛みも夢の世界に旅立ったモカからしたら認識の外の世界の話で。俺がどれほど揺さぶっても、声をかけても、ほっぺたをびよーんと伸ばしても、モカはふにゃりとした唸り声を少し上げるだけで起きようともしない。
「早く起きてくれよ……」
「んー。眠った姫はねぇ、王子様のキスで起きるんだよ……」
「……は?」
キス? キスって言った? 寝言で? いやいや。
「おいモカ。起きてるだろ?」
「ちゅーが欲しいなぁ。もしくはパン」
Oh... kiss or bread?
そんな2択ある? ありました、ここに。
「早くパン食べさせてぇ……」
「……ほら」
「もっと近づいてぇ……」
「はいは……ん?!」
kiss or kiss。
「モカちゃんふっかつ〜」
「……ほら、いくぞ」
「えいえいおー」
こんなに気の抜けたえいえいおーが聞けるとは。不意打ちの不意打ちに心が疲弊した俺はモカを連れてようやく家を出た。
駅まで出て、電車を乗り継ぐこと数十分。花咲川からは少し離れた街の展示会場に赴く。西洋風の造りをした建物は華道の展示の他にも、考古学的に有名な何かの展示会だとか、美術品の展示なんかを盛んにポスターで宣伝されていた。俺は芸術だとかその他のものに疎いので、紙に踊る文字列の少しも理解できないのだが。
「よーやく着いたねぇ」
「誰のせいだと……」
俺が起きてからだと実に5時間ぐらい経っている。移動には1時間もかかっていないのだから、余程家でゆっくりしていたということがよく分かるだろう。この時間でいいならばやっぱり俺はもう少し寝ることが出来たはずなのである。後の祭りだけど。
「さーさーれっつごー」
「ほんと良い性格してるな……」
調子のいいモカに呆れながらも矢鱈と高級そうな赤絨毯を踏みしめる。ロビーからして格式高そうなのだが、こんなところに芸術のげの字も理解できない若造が転がり込んでもいいものなのか。若干周囲の目線を気にしながら、華道の品評会とやらをやってるらしい展示室への誘導看板を見つけたので、館内を歩く。
「おお、やってるねぇ」
「モカは来たことあるのか?」
「蘭が作品を出してるときはねぇ」
そこは幼馴染だから流石というべきか。廊下の角を曲がったところで、観音開きに開かれたドアがあって、その中にはそこそこ人が集まっている様子だった。多分俺たちのような一般の来客もいるのだろう。華道の品評会なるものを目に焼き付けようと、ドアを潜る。
「……おぉ。すごいいっぱいお花が並んでるな」
「感想が陳腐だねぇ」
うるせーほっとけ、と口汚く文句を言いたくなるのをグッと堪えながら、少しずつ厳かになっていく部屋の空気に口籠る。こういう場でもいつも通りの雰囲気を醸し出しているモカは一周回って大物である。俺は部屋に入ったばかりだというのに、通路の両サイドに並んだ作品に、近寄り難い正体不明の畏怖を抱いてすらいるのだが。
「蘭も来てるのか?」
「勿論だよ。どこかなぁ」
「……え?」
モカの間延びした声が部屋の奥へと飛んでいった丁度その時、後ろから聞き覚えのある、詰まったような声がした。件の人が現れたかと振り向く。振り向いた先にいたのは、普段ステージ上ではあまり見ることのないような、動きづらそうな和装に身を包んだ蘭。赤ベースに花の咲き乱れた柄といつもの赤メッシュが交互に目に飛び込んできていた。
「……おぉ。よっ、蘭。品評会? お疲れ様」
「……なんで、なんでいるん、ですか?」
「モカちゃんが呼んだんだよ〜。みんな来れないと蘭が寂しがるかなぁって」
「さ、寂しくなんてないし! え、え、ええっ?!」
「そんな大声出してもいいのか?」
「だ、だって!」
なんとなく周囲の人たちから冷たい目線が飛んだ気がするのは俺が荘重な雰囲気に当てられているだけだろうか。いや、蘭は俺たちに困惑しながらも、明らかに罰の悪そうな顔を浮かべている。これはサプライズ登場とやらはあまり良くなかったな、なんて反省しながらも珍しい蘭の姿をありがたく拝んでおいた。
「あー、も、もう! 外行くよ外!」
「え、ちょ」
「あーれー」
やっぱりその場の空気を乱すのは良くなかったらしく、顔を赤らめた蘭に引っ張られるがまま俺たちは部屋の外に連れ出された。展示室の中は暖かみのある濃黄色のライトアップがされていたが、一度ロビーだとかのある方に出ると、大理石なんかの主張がうるさく、蘭の和服姿が余計に目立った。
「で、なんで雄緋さんまで来てるんですか?!」
「朝起きたらモカに連れてこられた」
「も、モカ!」
「またまたぁ、蘭だって嬉しいくせに〜」
俺たちの予想外の登場にあたふたとしながらも元凶のモカに抗議の目線を向ける蘭。だが、モカからすればそんな反応も織り込み済みで、飄々と蘭の言動を受け流している。
「蘭もひーちゃんたちが来れないってなって落ち込んでたでしょー?」
「落ち込んでなんか……なんか……」
これほどまでに分かりやすい奴がいるのかと、モカと2人顔を見合わせてニヤリと笑った。品評会の経緯を詳しくは知らないが、蘭も本当はAfterglowのみんなに見てもらいたかっただとか、そう言う気持ちがあるらしい。
「で、でも雄緋さんが来るとか……聞いてないし……」
「言ってないしー」
「俺も知らなかったし」
「……そうですけど」
「ゆーひくんが来ちゃダメな理由でもあるのかなぁ?」
「べ、別にそんなことはないというか確かに来て欲しかったけどいざ来られると恥ずかしいしテーマがテーマだからぁ!!」
「は、はぁ?」
聞いたこともないような捲し立て方でペラペラと喋る蘭。いつにもないほど饒舌である。というかモカとの会話のペースに慣れすぎたせいか、蘭の口調があまりに早口すぎて半分も聞き取れなかった。
「よく分かんないけど、来て欲しかったならそうだって言えば良いのにー」
「そうだぞー」
「モカの口調の真似しないでください! 腹が立ちますから!」
「しくしく。悲しいなぁ」
「ちょ、モカには言ってないって!」
モカに翻弄される蘭を見ていると、まだ本当の目的である作品には一切触れていないと言うのに、今日来た目的が全て達成されたような気すらする。蘭が小さな頃から親しんでいた華道へのモカの理解が、そのやり取りのあちこちに凝縮されているようだった。
「まぁモカちゃんは1人でも行くつもりだったけどねぇ」
「……なら雄緋さん誘わずに来ればよかったじゃん」
「ほんとーに蘭、そんな風に思ってるのー?」
「……来て、欲しかった」
「……なんか俺が恥ずかしいんだけど?」
俺が恥ずかしがる要素はまるでなかったはずなのに、そこまで素直に吐露されるとそれはそれでこちらが恥ずかしい。勿論喜んでもらえて何よりだけれども。
モカがこの状況を面白がるように斜め前からこちらを覗き込んできたので、会話の流れ自体を変えるために俺は本来の目的を思い出して、2人を誘う。
「とにかく、蘭の作品を観に行こう、それからだ」
「……はっ、ちょ! ダメです!」
「……どうした? 蘭」
文脈的に蘭は俺がこの品評会に来てくれることを一応は望んでいたはずだ。そこで俺がダメだと言われて止められるのが分からず、俺はモカと蘭の顔を交互に見合わせていた。どうして出鼻を挫かれようとしているのか、と。
「その……。さ、作品は! 先に先生方の評価というか! そういう感じの何かがあるんでダメです!」
「え? あ、そうなの?」
確認のためにモカに目配せした。
「またまたー。そんなのないでしょー」
「モカ!」
そこは話を合わせてよ、なんてお手玉にされている蘭があたふたを隠さずに文句を言っている。まぁ、品評会といえど一般公開されているのだから、一般の観覧者も見ていいのだろう。少なくとも何度か来たことのあるだろうモカがそう言っているのだから大丈夫だと自分に言い聞かせる。蘭は頬を紅潮させたまま何も喋らなくなってしまっているし、モカもニヤニヤとするのみだった。
「とりあえず、行くぞ?」
「ほらー、らーんー。行くよー」
「も、もう……ダメだ……」
まるでこの世が終わるかのような悲壮感を蘭の言葉の節々から感じるが、モカの反応を見るにそんな大したことはないのだろう。多分これもいつも通りの何かだと思いながら、さっきまでいた展示室へと戻る。人の数はさっきと同じぐらいだが、通路に立ち止まりながら、ボードを携え何かを書き込んでいる人がいる。品評会というぐらいだから、何かと評価を受けたりするのだろうか。
白い布の被せられたテーブルの上に等間隔で並んだ生花たちが揺れることもなく静かに佇んでいる。モカの案内に従いながら、その横を通り抜けていく。蘭はやはり俯いたまんまで顔を上げようとすらしない。
「蘭の作品はどこかなぁ。ねぇ、蘭」
「……知らないし」
「あれー。冷たいなー」
「……うっさい」
蘭の言葉尻は刺々しいが、それは不満を表しているというか、本人の何かしらの葛藤の表れか何からしい。そのせいか、蘭に話しかけてもまともな返事は何一つ返ってこない。
「……なぁモカ。なんで蘭のテンションこんなに低いんだ?」
「さぁー? 蘭の作品を観ればきっと分かるよー」
「……見つからないならさ、もう帰ろ?」
「というか蘭が案内しろよ……」
「絶対ヤダ」
「あっ」
頑なに拒む蘭だったが、遂にモカが目的のものを発見したらしい。モカの小さな声がした方を見ると、モカが指さした先に1つの花器に飾られた生花があった。
「これが蘭の作品か?」
「……おわった」
「ほうほう……。味があるねぇ」
「華道のこととか全然知らないから味とか分かんないけど……。……ふむ」
さも通のように、口元に右手を添えて見定めたフリをする。左腕は顔を上げない蘭に掴まれっぱなしなものだから、遠目から蘭の作品を眺めてみた。
周囲の作品はかなり華やかなものが多い。4月だから花の種類も多いとか、そういうことなのだろう。事実、ぱっと見でも彩り豊かな、目に煩いほどにテーブルの上が多彩な色で溢れている。
だが、蘭の作品は右寄りに立つ1本の茎。その茎の先に1輪だけ真っ赤な花が咲いている。その茎に寄り添うように太い茎がもう1本、その赤い花に覆い被さるように聳えたっている。その2本の茎の根元には草本がいくつか生えていながらも、薄紫のちょっと独特な形の花が彩りを添えていた。
「……やっば全然分からん」
「この花はナデシコでねー、その下の方を辿っていくと錨草で剣山を隠しながらー」
「モカは解説しなくていいからぁ!!」
「茎の絡み方が幽玄の美を体現していると」
「変な言い方やめてくださいよもう! ほんとダメ……」
結局モカの説明もさっぱりなまま、蘭に帰れと背中を押されて会場を後にする。蘭の表情は最後までナデシコの花のように真っ赤だった。
素朴だけれど抑えきれず、隠しきれない純愛の
執念深さを不安定な全体で表現しました。