俺は今、大変な状況を迎えている。いやまぁ、そんなの今に始まったことじゃないだろうと思う人もいるだろう。確かに俺は頻繁に修羅場に巻き込まれて精神をすり減らしているからその理解で強ち間違いではないのだが、そうだとしても現在直面している問題が解決するわけではない。
俺が直面している問題、それは。
「ということは、最近話題のグループみんなとお知り合いってことですよね!」
「ま、まぁー。そんなところですかね……はは」
「やっぱりCiRCLEで練習出来て良かったぁ。すごい経験だよ!」
「だったら良かったです……」
「お兄さんもすっごく優しく対応してくださって、ありがとうございます!」
みんな、誰? ってなってるだろ。俺も分からん。いや、CiRCLEの利用客ってことは分かるし、このビッグウェーブに乗って、ガールズバンドを始めた子達ということも知っている。まぁ前に何回かここでチラッと見たりしたかなぁ、ぐらいの関係性だ。名前も苗字ぐらいなら覚えてるかなぁ……ぐらいなのだ。
なのに、なのにである。
「よかったら、お兄さんの連絡先、教えていただけませんか? 勿論私の番号も渡しますから!」
「いやー、その……はは」
逆ナンされてます。いや違う、たらし込んでる訳じゃないぞ、勘違いをするんじゃない。羨ましいだとかそういうことも言わない。考えてもみろよ。大して知っているわけでもない人からいきなり連絡先交換しませんか、なんて言われるのは男の俺でもちょっと怖いんだからな。
「俺と連絡先交換したところで、全然連絡することもないと思うし」
「いやいや、お兄さん、結構目が肥えてたりしてますよね? 話題のガールズバンドみんな見ている訳だし!」
「まぁ……それは」
目の前でキラキラと顔を輝かせているところ申し訳ないのだが、連絡先を交換したところで別段連絡を取るわけでもない。当然好みが云々だとかそういうことでもないし、あくまでも俺は店員だと、そういうことである。あとこれ以上何かやらかしたらまりなさんに怒られそうだし。
そういうわけで俺はどうにかこうにかのらりくらりとかわそうとしているのだが、4人という数の暴力で押されるとどうにも弱く出るほかない。別にナンパされてるのがちょっと嬉しいとかそういうことではない、うん。断じて。断じて。
「私たち、まだまだ上手くなりたくて……」
「くっ……。泣き落としとは卑怯な……」
「周りのバンドはみんな大きな舞台で羽ばたいているのが憧れで……!」
「くっ……。泣き落としとは小癪な……」
「私たちもCiRCLEを代表するバンドになりたいんですっ!!」
「ぐはぁっ!!」
致命傷であった。それはCiRCLEに誇りと使命を持って勤労奉仕する俺にとって、強烈すぎる一撃だったのである。
「だから、お願いします!」
その時、固まっていた俺の両手がギュッと握られる。あまりに突然訪れた温もりにびっくりした俺は顔をあげる。そこには新しくCiRCLEの顔を目指さんとするボーカルの端整で熱意のこもった表情が。俺を見つめる熱い視線に、その脇からも降り注いでいる懇願の目線。俺はたじろぎながら、気恥ずかしさに目を逸らそうとして。
「……」
固まる。いや、手を握られたことで驚きすぎたからとか、そんなちゃちな理由ではない。ただ、その幾重にも降り注ぐ期待の満ちた目線のさらに後ろから、身の毛もよだつほどの冷たいオーラが放たれていることに気がついたからである。
「おい」
「へ? ……えっ、RASのレイヤさんとマスキングさん?!」
低く冷たい声でその存在に気が付いたのか、逆ナンパをしかけてきたガールズバンド4人組も一斉に振り向くと、大物の登場にすっかり呑まれてしまったらしい。いや、違う。それはレイヤとマスキングが大物だからという理由ではない。周囲の気温を5℃ぐらい下げていそうな、全身が萎縮するほどの冷たい空気の威圧に呑み込まれたからである。
「ねぇ、雄緋さんの手を握って、何、してたの?」
「え、いや。その……お兄さんにもっとバンドのこと教えてもらいたいと思って……」
「それで連絡先をせがんでたのか?」
「そういうつもりじゃ……」
「でも実際、聞き出そうとしてたよね?」
2人からの鋭い糾弾に押し黙ってしまう4人。俺ももはやどう立ち回るべきか分からず、その威圧感に気圧されて、惚けるばかりであった。
「知らなかったのか? 確かにまだ雄緋さんはRASの専属マネージャーになってもらうところまでは至ってないが……」
「雄緋さんに触れていいのは、少なくとも私たちRASを含めた、特別に選ばれた7バンドの人間しか許されてないんだよ? 私たちは協定を結んで、そう決めたんだよ?」
「えっ、あっ……あっ……」
「ちょっと待って協定って何?」
修羅場の真っ只中にいる俺ですら全く聞き覚えのない単語にびっくりする。だが、俺が聞き返したところで鬼神のごときオーラで周囲の全てを薙ぎ倒しそうな勢いの2人が返事をしてくれるわけもなく。
「……わかったら、私たち全員を圧倒できるぐらいになってから出直してこい!!」
「す、すみませんでしたぁ!!」
もはや声すらも失うほどの威圧、常識の通用しない謎の協定に涙を飲んだ4人組。無礼を働きすみませんでしたと、一言詫びを入れられたのだが、それほど怒りなんてものは特段感じていない俺はその子たちを宥めようとする。だが俺のか細い声の慰めを聞き届けることもなく、レイヤとマスキングの威圧に屈服したのか、逃げるように店から立ち去っていってしまった。
「あ、行っちゃった……」
「……って、雄緋さん! 大丈夫でしたか?!」
「え?! な、何が?!」
カウンターで困惑を隠しきれない俺の肩をいきなり揺さぶるレイヤ。さっきまでの威圧的な雰囲気のそれとは打って変わって、目に見えて慌てたような声と態度に風邪を引きそうになるほどの温度差を感じたが、それはレイヤだけではなかった。
「そうですよ! 何か変なことされませんでしたか?!」
「変なこと?」
これまたさっきの怒りに満ちた様相を完全に失ったマスキに詰問される。が、連絡先を聞き出そうとされたことを除いては特段変なことをされた覚えはないし、何ならさっき聞こえてきた『協定』とか、態度の変わりようの方がよっぽど変であるし気になっている。
「例えばそう……、全身を弄られるとか?!」
「そんな犯罪みたいなことされてないからな?!」
流石にその域にまで達してるようであれば今頃俺は警察に駆け込んでいる。とはいえ俺の体を弄ろうとする物好き中の物好きはこの世には居ないだろうから、発想が奇想天外、論理飛躍の塊のような2人の少女に呆れてため息をついた。
「あのなぁ……。されるわけがないし、そもそも俺の体弄るような悪趣味なやつは居ないって……」
「えっ、みんな思ってるよね?」
「え?」
「え?」
レイヤの口から飛び出た予想の斜め上のさらに斜め上を行くような返答に俺の思考はフリーズした。みんな思ってる? みんなって誰? それは俺の知ってるみんななの? なんていう哲学的な思考を繰り返した結果、理解を拒んだ俺の脳の神経回路が断線する。
「えっとまぁ。兎に角何も君らが思うような変なこと? はされてないから! 何考えてたのか知らないけど!」
「何考えてたってそりゃあ、雄緋さんのデリケートで敏感な」
「あーあー言わなくて良い言わなくて良い!」
何が悲しくてそんな薄い本が分厚さを増していくような、特定のニッチな部分にしか需要のない妄想じみた悪夢を聞かされなくてはならないのか。大体ここはライブハウスのエントランスで、ここでそんな事態になった時点でCiRCLEは閉鎖待ったなしである。
「まぁ……。落ち着いたか? それはそうと一々大袈裟すぎだろ……。いきなりドスの効いた声が聞こえてくるから誰かと思ったよ……」
今思い出してもそれまでの、困り果てていたとはいえ比較的和やかだった空気を一瞬で凍りつかせるようなオーラの襲来は恐ろしかった。まさかそのオーラの発生源がマスキたちだとはとても思わなかったが、これまで幾度となく修羅場を潜り抜けてきた俺が恐れ慄くほどの圧迫感であった。
「だって……その……」
「その?」
「……とにかく! 雄緋さんの連絡先が全くの部外者にバレたら困るんですって!」
「そうですよ。だから私たちはそれを全力で阻止した、それまでです」
「最後の方もはや脅迫だったじゃん……」
俺に声をかけてきた女の子たちを店から追い出すに至った際の声はマジで怖かった。俺に対して言われているのは違うと分かっていても、それでも俺すら目の敵のようにされてるんじゃないかと思うほどの空間の支配力を誇っていた。
「俺もまぁ、連絡先教えるのは流石に憚られたけど、そこまでしなくとも……」
「いやいや、バレてからじゃ遅いんですよ!」
「レイの言う通りですよ。私たち以外に知れ渡るのはまずいんですから!」
「何? 俺の連絡先は全てを手に入れた海賊王が隠した遺産の在処か何かなの?」
「当然! トップシークレット中のトップシークレットです!」
どうやら俺の個人情報もとい、俺とのコンタクト手段は完全に最高機密に類する扱いを受けるらしい。というかそこまで重大な秘密に認定されるぐらいなら、もう少し俺のプライベートスペースもより機密性を高めても良いものだと思うのだが、彼女たち曰くそこは、『辛く苦しい人生で、天が授けてくれたオアシス』らしい。俺の個人情報しかり俺の家しかり、一体何だと言うのか。
「連絡先の件は分かったけども……。はぁ、これじゃあまたお客さん減っちゃうじゃん……」
「それなら私たちがもっと来ますよ?」
「既に一定以上来てるユーザーが来る頻度上がるよりも、単純に利用客の母数が増える方がなぁ……。大体君たちチュチュのマンションでいっつも練習してるじゃん……」
「くっ……」
そもそもCiRCLEにそれほど来ないでも活動を続けるRAS頼りにするよりも、新規のユーザーをより多く獲得した方が良い。なんだったらここ最近、CiRCLEを利用するのは大体俺と知り合いのガールズバンドばかりなので、新規利用客の開拓は急務なのである。まりなさんからも頻繁にその類いのぼやきは聞いているので、俺としてはお客さんが離れていくのは心苦しい部分もあった、だが。
「……ちが大切なんですか」
「へ?」
「ぽっと出のガールズバンドと私たち! どっちが大事なんですか?!」
「え、え、えぇっ?!」
いきなりカウンター越しに胸ぐらを掴まれ、耳にキーンとした痛みが残るほどの叫びを喰らい、またもや思考がフリーズする。お客さんが離れていく云々の考えが吹き飛ぶほどに揺さぶられる視界。
まさか『仕事と私、どっちが大事なの?!』みたいな2択をここで投げかけられることになるとは。そもそも比べる必要もないと思うのだが、変な答えを返すと尋問が続きそうだった。
「も、もちろん君たちです……」
「ですよね? なら、もっと……私たちのことを優先してくれても良いですよね?」
「え、もうかなり優先して痛ててて?! しますっ、しますっ! バンバン優先します!」
完全に言わされたし、優先をするとは具体的にはどういうことをしろと言う要求になるのだろうか。それを考える余裕は俺になかったわけだが、俺に残された選択肢はただただうなずくのみである。
「本当に優先するんですか?」
「ほんと、本当です!」
「じゃあCiRCLEの利用客が私たちだけになっても問題ないですよね?」
「えそれは問題あ、ありませんありません! 問題ナッシングです!」
俺の考えの全てを見抜いていくような目線に耐えきれず、ポロリと出てしまった微弱な本音の芽すら摘まれている。どうやらCiRCLEに来るお客さんは35人に完全に絞らざるを得ないらしい。
「ちょーーーっと待った!!」
「その声はっ?!」
「まりなさん?!」
俺がCiRCLEの行く末を悲観し始めたとき、大きな声と共に現れたのは我が上司、まりなさんであった。
「それは困るよ! CiRCLEに来るお客さんが減ったらここ潰れちゃうから!」
「でも、雄緋さんが居ないのにCiRCLEに来る意味ないですよね?」
「え、それは極端すぎない?」
どうやら俺はCiRCLEの本当の意味での客寄せパンダということらしい。別段客寄せパンダとして働くことに文句があるわけではないが、一体何処の部分にみんなは俺の存在に価値を見出しているのだろうか。それだけは甚だ疑問であった。
「極端じゃないです! そもそもあんなぽっと出のガールズバンドに誑かされる雄緋さんだって悪いんですからね?!」
「なんで?!」
「とにかく、これからCiRCLEに来るお客さんたちはしっかり私たちで選別するので!!」
「そんなぁ?!」
「私たちがルールです!!」
ライブハウスCiRCLE。
そこは、1人の男子大学生を巡る争いが白熱した結果、理不尽な経営状態に追い込まれるのであった……!