俺はどうやら何かしらの揉め事の仲裁に入ることが多いらしい。このCiRCLEなるライブハウスのアルバイトを経験してから、常々思ってきたことだ。今日だってそう、俺の目の前で不毛極まりない争いが。
「香澄先輩のこと何も知らないくせに!」
「わ、私だって香澄さんに憧れて、バンド始めたもん!」
「「むむむ……」」
互いに一歩も譲らない、意地と意地のぶつかり合い。どうあがいたって2人が互いの矛を収めることはなく、プライドにかけて、自分のポジションをかけて引くことできないのである。
「まぁ2人とも……争ったって仕方ないんだから……」
「「雄緋さんは静かにしててください!!」」
「……はい」
ここまで強情に断られてしまっては間に入りようがない。というか普段は2人ともこんなに俺に強く当たることなんてなかったはずなのに、己の推しに対することであればなりふり構わずということらしい。これが同担拒否とかいうやつだろうか。
とまぁ、2人が香澄をかけてつまらない意地の張り合いをするのは勝手にしてくれればいいのだが、問題はその現場である。俺のバイト先こと、ライブハウスCiRCLE。その顔とも言えるエントランスでこの2人はぶつかっているからこそ、俺はどうにかこの場を収めようと躍起になっているわけである。
「そのね? 香澄に対して熱い想いを持ってるのは素晴らしいことだと思うんだけど、他のところで発散して欲しいかなぁ……なんて」
「今目の前に私の存在を脅かす好敵手がいるのに、引けません!」
「そんなの私だって……! そもそもどうせCiRCLE、私たちの関係者以外誰も来ませんから……!」
そんな身も蓋もない……事実だけれども。どっかの誰かが暴れたお陰で閑古鳥が鳴いている。まりなさんはショックで寝込んでサボタージュ起こしてるし、バイトの俺が1人で店を回すという、限界状況もいいところである。まぁ仰る通り客が来ないんですけどね? えぇ、来ませんよ。店潰れるよこのままだと。
「こうなったら……、やはり今ここで決着をつけるしかないようですね、RASと香澄先輩の名にかけて!」
「香澄さんの名前を語るなんて、100年早いよ!!」
「お前らは香澄の何を知ってるんだ……。取り敢えずそんな野蛮なやり方じゃなくてもっと穏便な……」
「暴力とかですか?」
「穏便と最もかけ離れてるからな! もっと建設的で、平和な解決方法があるだろ!」
なぜこんなにも血気盛んで、一触即発のいがみ合いを繰り広げられるのか。一体全体彼女たちの何が香澄への愛を駆り立てているのかすらよく分からない。だがしかし、どちらかが相手よりも愛が弱いことを理解しなければこの紛争は終わりが見えなかった。
エントランスホールの中央で対面した2人は、禍々しいオーラを放ちながら睨みを効かせている。相手からの強烈なプレッシャーにも臆することなく、2人が動きを見せた瞬間、CiRCLE正面のガラスの両開きの戸が大きな音を立てながら開かれた。
「ちょっと待った2人とも!!」
「その声はっ?!」
幾分かの既視感を覚えながら目線を向けると、ご丁寧に照明の落ちたフロアにカツカツと音を鳴らしてこちらに近づいてくる影が。その声の主はまさに渦中の人物と言って間違いない。
「香澄先輩!!」
「……ふふん」
よく分からないポーズを取りながら、威風堂々たる立ち振る舞いを見せつけた香澄。その周囲には普段では感じ取れないようなオーラを纏っているようにも見える。
「2人とも、私のために喧嘩をするのはやめて欲しいな!」
「香澄さんがそう言うなら……でも!」
まさかこんな近くで『私のために争うのはやめて』というお決まりの文句を聞くことになろうとは思ってもみなかった。それにしてもツンデレちょまま少女のみならず、後輩をこれほどまでに魅了して誑かすとは、香澄もなかなかやり手な、タラシと呼ばれそうな女だ。いつぞやの紗夜のことをふと思い出したが、今回こそはあの時のように巻き込まれてたまるかと思い直す。
「私はロックとましろちゃんが喧嘩してるところは見たくないもん!」
「香澄先輩……」
「香澄さん……」
それにしてもこの2人の少女、完全に恋する乙女状態である。星のカリスマこと香澄にここまで入れ込むのがどういう所以かも謎のままだが、何はともあれ争いが解決してくれるのであればこちらとしては万々ざ
「どうしても喧嘩したいと言うなら……。私も混ぜて!」
「へ?」
「ん?」
「は?」
こいつなんて言った? 混ぜて? 混ぜてって言った? 混ぜるって喧嘩に混ぜて? カチコミに来たのか何かってこと?
俺の頭の上には疑問符が大量に浮かんで、このカリスマの突飛な発言の意図が全く汲み取れそうにない。おそらくこれは極めて普通の反応で、さっきまであれほどいがみ合っていた六花とましろも完全に『この人何言ってるんだろう……?』という表情で憧れの人とやらを見つめている。そこにカリスマへの憧憬のような、瞳の輝きはなさそうである。
「香澄、お前は何を言っているんだ?」
「そうですよ! 混ぜてってどういうことなんですか?」
「だーかーらー! ロックとましろちゃんが喧嘩するんなら、私もその喧嘩混ぜてよ!」
「は?」
「へ?」
「え?」
こいつは一体何を言っているんだ。ちょっと何言ってるか分からない。なんでわからねぇんだよと問われても分からないものは分からない。香澄はまさか香澄自身を巡って六花とましろが言い争っていることに気がついていないのだろうか。そうだと考えれば説明はつく。あ、いやでも、『私のために争うのはやめて』みたいなこと言ってたのにそれはないな。詰まるところ、香澄の今の発言は本当の本当に意味不明である。
「あの……意味が分からないんだけど」
「ごめんなさい香澄先輩。私もよく分かんないです……」
「じ、実は私もさっぱり……」
「えー? だから、どうせ喧嘩するなら3人の方が良いでしょ?」
……?
ダメだ手に負えない。少なくとも俺の極めて陳腐で、極めて常識的な脳の回路ではこいつの言葉の意味を理解することは出来ない。理解しようとすると脳のどこかが焼き切れて、理解を拒む。まるで理解してはいけないと、そんなふうに脳内に直接囁かれているようであった。
(○○○チキください。)
こいつ直接脳内に……!
「すまんな。俺にはその、喧嘩するなら大人数の方が良いって理論が理解できない。もうちょっと詳しく説明してくれ」
「えっとー。喧嘩は大人数でする方が楽しいよね?」
「……ん?」
こいつは喧嘩を一種のエンターテイメントや、レクリエーションの一環だとでも考えているのだろうか。単に野次馬根性だとか、そういうものであればそれは強ちまちがいではないのかもしれないが。
「香澄先輩って喧嘩……好きなんですか?」
「そんなことないよ? でもロックとましろちゃんが争うぐらいなら私も争いたい!」
「でも、争うって言ったって……」
「あっ、喧嘩に混ぜてって言ってもそんな殴り合いだとか、そういう野蛮なやり方じゃないよ?」
野蛮じゃない喧嘩とはこれいかに。話を聞いていてもちんぷんかんぷんな部分もあるが、兎に角香澄が言いたいのは、どうせなら3人で競争しようぜ、みたいなことらしい。自信満々に『野蛮じゃない』と言い張る香澄のドヤ顔を見れば、香澄の考えがそれほど物騒なやり方ではなかろうことは薄ら伝わってくる。
「そうだなぁ。私を賭けるんじゃなくて、折角だからゆーひくんを賭けて争おうよ!」
「はい?」
「雄緋さんを」
「賭けて?」
「うんっ。勝った人がゆーひくんを独り占め!」
「雄緋さんを……」
「独り占め……」
「えっなになに怖い怖い」
2人の目つきが急激に変わったところが怖すぎる。それはともかくとして香澄の主張を整理しよう。
いかん。論理の飛躍が激しすぎる。というより折角だから賞品を俺にしようぜという発想自体が碌なことになった覚えがない。大体この手のことに巻き込まれると俺の日常生活の自由な時間は消えて……いやまぁ今も現在進行形で消えてるんだけども(作者註:現在雄緋はバイト中です)。
「俺が賭け事の賞品にされる謂れがないんだけど?」
「じゃあゆーひくんはロックとましろちゃんが言い争って傷ついても良いって言うの?」
「……え?」
「心優しいロックとましろちゃんが不毛な言い争いのせいで、心ない言葉に傷ついても構わないって言うの?」
「それは……ダメですね……」
「でしょ?」
「あっはい」
「じゃあゆーひくんを賭け事に使っても問題はないよね?」
「それはちょっとおかしい」
危ない。言いくるめられるところだった。ふつうに考えたら仮に香澄を巡って六花とましろが言い争おうが、CiRCLEの店内で喧嘩をするのでさえなければ仕方ないと言うか、言ってしまうと俺からすれば関係ない話になる。が、香澄の理論でいくと俺の犠牲回避は心ない行動らしい。なんてこったい。そもそも心ない言葉で相手を傷つける奴を心優しいとは言わない。
「というかロックとましろも、元々香澄目当てで争ってたのに、それじゃあ意味ないだろ……って、ロック?」
「……雄緋さんを独り占め……。旭湯でこれから毎日同じシフトで、上がったら一緒にお風呂で全身洗いっこ……。あっ、CiRCLEにいたら2人一緒にシフト入れる時間減ってまうからまりなさんに言ってクビにさせて……。そうしたら他の人との関わりも絶てて一石二鳥で……、旭湯のところで2人暮らし……同棲……うへへへ……」
「ちょ、どうした? 本当にどうした?」
俯き加減で声のトーンも低く、何を言っているのかはまるで聞き取れなかったが、ロックから漂うのは先ほどまでの一触即発の対抗心とかではなく、むしろもっと身体の危険を感じざるを得ないような恐怖を抱かせるオーラである。かつてここまで人を畏怖させることがあったのだろうかと疑いたくなるほどのオーラだ。俺はそのオーラから目を背けるようにましろの方に振り返る。
「えっと、その。ましろだって、そうだよな? ましろも元々香澄が目当てでロックとあれだけいがみ合って……って、ましろ?」
「雄緋さんを独り占めできたら……。あっ雄緋さんにあのノート一緒に見せて、そうだ魅了と発情の呪文をこっそり夜に寝入ったタイミングで……。なら部屋の床に先に五芒星を紅のチョークで書いておいて……。そうだ、入室した瞬間発動する結界も張って……。そうしたら雄緋さんが狂気に染まりながら私に覆い被さって……。ふ、ふふふ……」
「おーい? どうしたー? おーい、おーい?! 返事しろー?!」
六花だけでなく、ましろも同じように呪詛みたいなものをつらつらと呟き続けるようになってしまう。2人とも、小声でぶつぶつと物騒な単語をたまに吐き散らかしながら、俺の声掛けにも一切の反応を示さない。一体何が彼女たちをそんな状況へと駆り立てるかは不明だが、明らかに様子のおかしくなった2人を前にして救いを求めるべく、香澄を頼ろうと目を向けた。
「ふっふーん、これで私に有利な戦いを持ちかけてー、ましろちゃんとロックには悪いけど、絶対に私が勝てるようにしてから……。そうだ、有咲に言って蔵を貸してもらって、そうしたらロックもライブの日限定で会えるだろうから快く許可してくれそうだし……。あっでもそうしたらポピパのみんなに取られちゃうかも……。じゃあ私の家で、私がどうしても居れない時だけあっちゃんに頼めば……」
「あのー? 香澄さんや、おーい?」
どうやら気を違えてしまったのは六花やましろだけじゃなかったらしい。俺を賭けの対象にするのを提案した香澄自身がどうやら策を練っているらしく、俺は背中の冷や汗が止まらなくなる。ガイアが俺の直感に地の果てまで逃げろと囁いている。
「あー、3人とも? 俺ちょっと裏で作業することあるからこの辺りで……」
「……え?」
「裏で作業?」
「嘘ですよね? まりなさんは今日出勤してないから、受付業務だけですよね?」
ものの見事に論破される。そりゃあそうか、CiRCLEのバイトの状況だなんてみんな知ってるし、簡単な嘘なんてすぐバレる。とはいえ逃げないだなんて選択肢はない。ガイアが俺に囁いているのだから。だが今このままでは逃げ出すことだなんて不可能だ。
「じゃあ勝負の内容発表するね?」
「ま、待って!」
「どうしたんですか? 雄緋さん」
思わず俺は意気揚々と喋る香澄を遮り、視線が一斉にこちらを向く。正直話すことは何も頭には思い浮かんでいないが、ここで止めないと完全に手遅れになると思ったのだ。
「……勝負の内容は、俺が決める」
そうだ、まだ俺の反撃のフェイズは終了していない。ここで逆転の一手を、魔法の如き神の手を発動するのだ。即ち、3人が勝負を続行できなくならざるを得ない状況へと追い込むのである。独り占めにされる状況が不穏なのであれば、独り占めにならなければいいのだ。
「……3時間後、可能な限り自分の陣営に加わってくれる人を集めて来て、人数が最も多かった陣営が独り占めしていいというルールにします!!」
「つまり誰よりも人を集めて来たら、その人たちでゆーひくんのことを独り占めしていいってこと?」
「そういうことだ! 但し独り占めの期間は1日だけな! 俺の自由が侵害されるから! 今から3時間後だぞ!」
「急がないと……!」
「他の人に盗られる!」
「待っててくださいね雄緋さん!!」
3人が一斉にCiRCLEを飛び出していく。きっと他の2人に負けないように陣営の数を増やそうとするだろう。しかし人数を増やせば増やすほど独り占め出来る時間とやらは減る。まさにジレンマというやつである。
勝利を確信した俺は、優雅に休憩時間に入るのだった。
3時間後、地獄を見ました。