今回、一部BL的な要素を含む表現があります。苦手な方はご注意ください。
リクエストしていただきありがとうございました。
俺は今、すごい空間にいる。卓を囲むのは俺、そしてガールズバンドの面々……ではなく、蘭のお父さんと友希那のお父さん。唐突に蘭の家にまで呼び出され、そしてその構えに硬直していたところ、招かれて入ったのがこの空間である。
いや、何ここ?
物凄く厳格な雰囲気は出てるし、お茶菓子のようなものが長机には置かれていて、何やらその道に通ずる人が点てたのであろうお茶も湯気を立てている。そしてこの2人の親御さんの娘、犬猿の仲でもあるはずの2人は、どういうわけだか襖の奥からこちらを見守っているようである。視線が気になる。
「君が、北条雄緋くん、だったかな」
「は、はい」
拷問かな? 圧迫面接とか、それに近しい雰囲気の何かを感じながら名前を尋ねられる。身近な人の親族とはいえ、そう会ったこともなければ言葉を交わしたこともない。要するに赤の他人なのだが、そんな関係性の人間からジロリと鋭い目を向けられれば、頭の回転が止まってフリーズしてしまうのは至極当然であろう。
「いつも友希那と仲良くしてくれてありがとう」
「いえいえ、こちらこそ」
「友希那のこと、これからもよろしく頼むよ?」
「あ、はい、何卒よろしくお願いいたします……」
父が問う 消えいるような 俺の声。風流のかけらもない俺の川柳は適当に流してもらって、そうこうしているうちに友希那の父が俺を見定めるような目線を向けた。その目線から逃れるように右の方へ顔を逸らすと、これまたこちらを品定めするような目線の。
「北条雄緋くんか。蘭が世話になっているね」
「いやまぁ、はは」
「うちの娘では不満かな?」
「いえいえとんでもない」
「ならば、よろしく頼むよ」
何なのさっきから? よろしく頼むよって何? 俺はこの緊張感に耐えきれず、取り敢えず目の前に出された茶と、茶菓子に逃げることにした。
——思えばこれが全ての過ちであった。阿鼻叫喚な騒動の引き金であった。
茶菓子を食べ終えた俺は、ふと自分の体の違和感に気がついた。その違和感を、最初は説明することは叶わなかったが、段々とその感覚に気がつくことが出来た。
今、俺は恋をしている。
あ、いやいやちょっと待て俺は何を言っているんだ。何を言っているか分からないと思うが俺も分からない。恋をしているとは如何様な意味か。
俺は、どういうわけだか蘭のお父さんと友希那のお父さんに惹かれている。
いやいや、俺はノンケである。異性愛者とかいうやつだ。それでガールズバンドの子達を恋愛の対象として見做すかどうかは別の話として、恋愛の趣向としては女性を求める傾向にあるのである。これまでの己の経験を統合しても男性に惹かれた経験はなかった。だから困惑しているのだ。
「……ん、どうしたのかな、北条くん」
「あ、いえ、なんでも!」
何故か頬を赤らめた友希那のお父さん。俺が濁すような返答をすると、友希那のお父さんもズズ、とお茶を飲み干して場の空気を変えようとしていた。
——この時の俺たちには知りようがなかったが、某財閥の悪戯の副産物として、同性が魅力的に感じる粉末が茶菓子に使用されていたらしいのだ。それがどういう経路で混入したか知らないし、こんなのリコールものだが、決して俺の性癖が歪められたとかそういうことではないということを注記しておく。
「……さっきから北条くんは、言葉数少なめなようだね」
「あ、いえ、あはは……」
いやいや、おかしいだろう。俺からすれば蘭パパは一回りも二回りも上の男性で、そこに人間的な魅力がないとは言わないが、実質今日が初対面みたいなものである。それに色っぽさを感じるなんて、俺は一体全体どうしてしまったんだ。
「どれ、緊張しているのか? こちらに来なさい」
「……はい」
距離が近い。いやまぁ、いつものバンドメンバーの方がよっぽど距離が近いのだけれども、それでも初対面の人間とここまでの距離の近さはそもそも経験があまりないもので。こうして近くで見ると、意外と蘭パパもダンディに見える。顔立ちが整っているのは、蘭の端正な顔が同じ遺伝子を受け継いだものだと考えたらまぁ納得はいく。
「緊張しているのならお茶を淹れよう」
「あ、いえ、お、お構いなく」
「なんだ、私の茶が飲めないというのか?」
「そんなことはっ」
「……飲みなさい」
「はい……」
急須で淹れたお茶であったが、飲んでいると確かに心が落ち着く。そして肩が触れ、蘭のお父さんの和服の生地の感覚が伝わったちょうどその時、反対側から声がかかった。
「北条……いや、親しみを込めて雄緋くんと呼ぼうか。私のお茶も飲まないかい?」
「え?」
友希那のお父さんが差し出してきた茶碗。そこから立ち上る湯気に視界が眩み、その奥に佇む友希那のお父さんの表情は朧けだった。しかし、そこに蓄えられた凛々しい色気が俺に更なる緊張を生む。
「えっと……」
「……そう緊張しないでいいんだ。ゆっくり、飲みなさい」
まるで俺が赤子にでもなってしまったかのように飲まされるお茶。優しく丁寧な言葉遣いから感じる、凛々しさの中に隠れた柔らかさに困惑して、俺は飲んでいるお茶の味すらわからなくなった。あと、お腹がそろそろ水分でいっぱいになってきた。
「雄緋くんは、とても綺麗な瞳をしているんだね」
「……へっ?!」
「うちの友希那が嫁となるのがもったいないぐらいだ」
「あ、あはは……。結婚するなんて一言も……」
「どうせなら私が君のために歌ってあげたいぐらいだ」
「……ふぁっ?!」
突然、凛々しさを崩した、優しさだけを持った笑みに思わず目を奪われる。それはきっとミュージシャンとしての魅力の一つでもあろうが、それと同じぐらいに、人間そのもの、そしてある種では魅了に近しい本質的で潜在的な興奮を煽る色合いを蓄えていた。
「その、ち、近い、です」
まるで自分が少女漫画に出てくる主人公のように、魅力に満ちたマスクを被った男にときめいているような感覚に浸り、俺は目の前に置かれていたお茶を一気に飲み干す。お茶の熱とほんのりとした苦味がしてようやくその呪縛に似た感情を数瞬忘れることが出来た。
「まぁ湊さん。そういう誘惑は青少年には良くないでしょう」
「……何を?」
「へ?」
感情が忙しく、目眩がしそうな俺の背後から、今か今かと発言を待っていたらしい蘭のお父さんの、嗜めるような声が聞こえてくる。なるほど、確かにまだ人を愛するという経験に乏しい俺を誘惑してくるような、儚さを秘めた友希那のお父さんの美しさは心臓に悪い。
「北条……いや、雄緋くん。うちの蘭と、ここは一つ結納というところでどうだろうか。そうすれば私は君の義理の父になるんだ。何をしてもいいんだぞ?」
「何を……しても……」
何故だ……何故一瞬俺の心は揺らいだんだ。友希那のお父さんと蘭のお父さんの間で揺れる俺のこの心を、言の葉で形容するとなれば、最適に感情を呈する表現とは何なのか。答えは自明であったが、難解極まりなかった。
「美竹さん。青少年の心を惑わすのは良くないと言っていたのは貴方ではないんですか?」
「……どうかしましたかな。私はあくまで、雄緋くんが是非うちの娘と結ばれてほしいと、そう告げただけでしょう」
「雄緋くんが蘭ちゃんと結ばれるのであれば、そこに義理の父親に過ぎない美竹さんが介入するのは、ナンセンスかと」
「蘭は恥ずかしがりですから、きっと雄緋くんが求めている何も、満たせはしないでしょう。だからこそ私が雄緋くんの欲望を満たしてあげようとしているんですよ。ねぇ、雄緋くん」
「は、はいぃっ?!」
あまりに突然に話を振られて、慌てふためいた俺はもはや蘭のお父さんを直視することなど出来なかった。いつにも増して魅力的に映るその顔を見れば、俺はどうにかなってしまいそうだったから。貫禄を感じさせる風貌に似合わぬ、茶目っ気を持ち合わせた表情を見ると、きっとその人間的な魅力に吸い込まれてしまうだろう。
「無理に言い聞かせても意味がないでしょう、美竹さん。雄緋くん、友希那はどうかな? 勿論友希那が拒むことであっても、私は受け入れよう」
「う、受け入れるって」
「君がどんな欲望を持ち合わせた人間だとしても、友希那がそれを拒んだとしても、私はそれを受け入れようと言っているんだよ」
「はいっ?!」
そして、直視できないのは友希那のお父さんの顔も一緒であった。友希那のお父さんの、儚さと芯の強さが境目の見えぬほど入り混じった表情を一瞬でも見つめて仕舞えば、俺はきっと元の北条雄緋に戻ることが出来なくなってしまう。
そんな風に、俺の両脇を固める両父の方を向くことが出来なくなっていた俺だったが、2人の俺への距離感はさらに詰まる。それと同時に俺の心臓はさらに高鳴る。
俺の両手に重ねられた手の放つ温かさは、親心を超えた温かな気持ちを感じさせた。
そして、遂に肩の線が俺の身に触れ合おうとする、その時に急に視界が一瞬だけ白くなった。その白い靄が秒で消えると、両隣にいた2人の距離はもはやゼロに近いほどになっていた。だが、それまでの胸を焦がすような感覚はどこかに霧散して、先程までの魅力的に感じた色気やら何かは消えてしまっていた。困惑した俺は慌てて後ろに飛びのいた。
「ひっ」
「えっ」
「どうしたんだい、雄緋くん?」
いつのまにか、誘惑の目線云々は恐怖の対象になっていて、完全に怯えてしまった俺は、震える脚をなんとか立たせて、唯一の出入り口である襖の方に腰砕けながら這う。
「そんな逃げなくてもいいだろう」
俺は何故か止まらぬ動悸に促されるように襖を開いた。そこでは何やら難しい顔をしていた友希那と蘭がいた。
「ゆ、雄緋さん?」
「……どうかしたの?」
「ら、蘭……、友希那ぁ……」
「えっ、ちょ?」
「何があったのよ? わ……」
見知った顔を見た俺は安心したからか、壁に背をもたれながらこちらを不思議そうに見ていた友希那と蘭の元に飛び込んだ。いつもならハグが云々とか、抵抗が云々とか言っているはずだが、今はまた別である。緊急事態のそれなのだ。
いつもは優しさだとかは不器用で、上手く伝わってこない2人だったが、不思議なことに涙の止まない俺の背中をとんとんと叩いたり、頭の後ろに腕をそっと回して抱きしめたりと、何か慈しむような感情すら伝わってきたのだ。
丁度その時、ガラガラと背後の襖が開く音がして、俺は完全に硬直した。
「……父さん? 何したの?」
「何したの、じゃないだろう。雄緋くんとくっつきすぎだ。男女でそうも密着するなんて、不純だろう」
「煩い。雄緋さんに何したの? 答え次第では、許さないから」
「友希那、雄緋くんが苦しそうだろう。離してあげなさい」
「……お父さんが雄緋に何をしたかを教えてくれたら、考えるわ」
「別に、何もしていないよ。そうだろう? 雄緋くん」
「ひっ」
「……ダメよ。雄緋、安心しなさい。私が守るから」
「あたしだって付いてますから。あたしは雄緋さんの味方ですよ」
「蘭……友希那……」
情けないと思われるかもしれないが、出会って精々1時間経たずの大の大人の男性2人から迫られていることに気がついた時の恐怖なんて、こんなものなのだ。普段そばで慕ってくれる蘭や友希那の豹変とかであればまだしも、まだ距離感すら掴めていない人の豹変は最早得体が知れず、怖すぎるのだ。
「父さん、雄緋さんのこと襲ったの?」
「襲ってはない。ただ想いを重ねようとしただけだ」
「……最低。暫く雄緋さんに近づかないで」
「なっ?!」
「……お父さんも。何をしたの?」
「雄緋くんの全てを、受け入れようとしただけだよ」
「……ダメね。雄緋に近づいたら、許さないから」
「……友希那?」
ただ震えているだけの俺だったが、なんとか蘭と友希那、信頼関係の築けている2人に慰められて、現状をうっすら理解できるまでになった。
「雄緋さん、怖かったですよね。父さんがごめんなさい」
「私からも、ごめんなさい」
「いや……大丈夫……」
「その、お詫びと言っては何ですけど、雄緋さんが安心できるように、き、き、き」
「き?」
「美竹さん。それじゃ怯えている雄緋にトラウマを思い出させるでしょう?」
「そんなことは」
「……雄緋、雄緋が心の底から落ち着けるよう、私がキスをするわ」
「へ? ……えっと、大丈夫、元気になった」
「……そう。早く」
「ちょ、抜け駆けはずるいですって。あ、父さんたちは早く部屋戻ってて」
「え?」
「いいから」
「はい……」
向こうのほうからは何故か重苦しい空気と、蘭の冷たく鋭い声が聞こえてきた。俺はキスをせがむ友希那をそこそこに交わしながら、一体全体何が起きたのかをゆっくり頭で振り返るのだった。……え、キス? 2対1で勝てるわけないだろ。
「で、いつのまにか雄緋さんを誘惑しようとしてたと?」
「……はい」
「雄緋が魅力的に感じたから、仕方がないって言いたいの?」
「……そうだ」
「で、雄緋さんもうちの父さん達が魅力的に感じてたんですね」
「あぁ……良くわからないけど」
「……はぁ。どうなってるの」
それから数分、蘭と友希那のお父さん達も正気に戻り、今に至るという訳である。部屋の空気はお通夜のような暗さだが、起きた珍事に全員が困惑すらしている。
「雄緋さんと結婚出来るってなったらその……嬉しい、けど。父さんには絶対渡さないから!」
「ちょ、蘭?」
「……娘が強く成長したのを実感して、何よりだ」
「美竹さんの想定には賛成できないけれど。私も雄緋と結ばれたとしても、お父さんには渡さないわ」
「友希那もどうしたんだよ……?」
「……あぁ。友希那を頼んだよ……雄緋くん」
その後、冷静になった俺、蘭のお父さん、友希那のお父さんの3人でお互いに謝り倒した。そして、5人で心の安らぐお茶を啜ったという……。