はい、氷川姉妹のお話です。尊い。
都心では珍しく雪が降り積り、静かな一月の空が広がっている。
「それでねー、あたしは『雄緋くんだから大丈夫』って言ったんだけどさー」
「ふーん」
一月。正月が明け、成人の日が過ぎ、高校生たちは大学受験が迫る。そんな季節。だが、俺はそんな時節との戯れをするでもなく、学生の本分に必死に取り組む季節なのだ。
「おねーちゃんなーんにも分かってくれなくてさー」
「ふーん」
学生の本分? それはバイトでもなく、遊びでもなく、恋愛でもなく、況してや競馬やパチスロなんかのギャンブルでもない。
その名は、勉学。大学生たる俺は自らの勉学の成果を、研究の成果を示すべく文字に起こしているのである。
「だからあたしが『おねーちゃんなんか知らない!』って叫んで飛び出してきちゃったんだよね」
「ふーん」
パソコンで文字を打ち込む、カタカタという音だけが寒空の雪からの冷気を受け止めた部屋に響
「無視しないでよ雄緋くん!!」
「うるせぇ勝手に家来といて文句言うなぁっ?!」
「今の雄緋くん怒ってあたしを無視する時のおねーちゃんと一緒だもん!」
「知らねぇよ!! こちとら締め切り期限ギリギリのレポートに追われてるから邪魔するんじゃねぇ!!」
炬燵に包まれてほんわかしてる、なんてことはなくて、俺はそんな学生の本分である学問に苦しめられている最中というわけなのである。苦しめられているというか、まぁ溜まってた負債を返済してるって言った方が近いけどね。そんな休日返上で文献を読み込みレポートを書き上げている俺の邪魔をしに来たのは、『おねーちゃんおねーちゃん』と五月蝿く騒ぎ立てる翠色の髪をした少女。
「だってあたしには雄緋くんのレポートなんか関係ないもん」
「俺だって姉妹喧嘩になんか関係ないんだけど?」
他所の家庭の揉め事を持ってくるなと、こっちが叱りつけたいぐらいなんだけど。まぁそんなことをしたところでこのシスコンが大人しくなるわけではないということは嫌というほど知っている。
「それでもちょっとぐらい話聞いてくれてもいいじゃん?」
「聞く義理がない」
「家入れてくれたのは聞いてくれるからじゃないのー?」
「俺家に上げるだなんて一言も言わなかったよな?」
実は最近ひとつ気がついたことがあるんだけど、玄関のインターホンが鳴っても出ない方が良いらしい。ってこの間それを実践したら大家さんにめっちゃ怒られた、『居留守すんな』って。あと『煩い』って苦情が来ているらしい。違うんです俺が悪いんじゃないんです大家さん。
「まぁいいや。どうせ集中力切れてるでしょ? ならあたしの話聞いてよ」
「切れさせたやつの台詞じゃねぇんだよなぁ……。まぁ聞くけどさ」
俺はとうとう諦めて、俺のベッドに腰掛けて、脚をぶらぶらさせて愚痴を言いたそうにしている日菜の方にちょっとだけ向き替える。
「で、なんで喧嘩してんの?」
「あたしさっき散々話したでしょ?」
「ごめん何も聞いてなかった」
だって一応真面目に勉強してたし。大学生みんな遊びまくってるだとか、飲み会ばっかやってるとか、馬鹿みたいなことばっかしてるだとか、そんなことないからな。やるときはちゃんと勉強してるよ? 卒業できないし。
「はぁ。それがさー」
『日菜、あなたこの間雄緋さんの家に行ったでしょう』
『あれ? 何で知ってるの? 話したっけ?』
『……ゴホン。他の人から聞いたのよ。人に迷惑をかけてはいけないといつも言っているでしょう?』
『迷惑なんかかけてないもん! それにおねーちゃんだってこの間行ったんだよね?』
『……何のことだが』
『ひどーい! 自分のこと棚に上げてるじゃん!』
『あ、あれは湊さんに誘われて仕方がなく……。そ、それに雄緋さんといかがわしいことをしているとも聞いたわ。そんな風紀の乱れの典型のようなこと、すぐにやめなさい!』
『ぶーぶー。変なことしてたのあたしじゃないもんー、千聖ちゃんだもーん』
『どちらでも変わりません! それに年頃の男性の家にアイドルが挙って押し掛けるというのがまずいけないのです!』
『雄緋くんだから大丈夫だもん! ……あっ、分かった。おねーちゃん嫉妬してるんだ?』
『なっ?! そ、そんな訳ないでしょう! 言いがかりはよしなさい!』
『羨ましいんだ? 自分は素直になれないからって?』
『う、煩いわね!! そんなことないと言っているでしょう?!」
『ふーん。まぁヤキモチ妬いてるんじゃないんだったらあたしを止める理由なんてないよね?』
『そ、そういうことではないと言っているのがどうして分からないの?!』
『ふーんだ、おねーちゃんなんてもう知らなーい』
「というわけなんだけどさ」
「仲良いなお前ら。てかなんでその喧嘩した流れで俺の家来てるんだよ。1番ダメな展開じゃん」
日菜が言うほどには喧嘩のようには思えなかったのだが。前もっとヤバい嫉妬の嵐みたいな喧嘩というかすれ違いしてたし、それに比べたらこんなの屁でもないよね。まぁそれはともかくとして、これでなんとなくあらましを聞いたわけなんだが……。
とは言ったって……不可抗力だし俺は悪くないよな? 招いたわけじゃないし。あ、いやでも家に入れた時点で俺が悪いのかな。というか俺の何が悪かったんだ……。これ犯罪ならないよね?
刑法第二二四条 未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。
あ、ヤバいかな。パソコンに表示された刑法の条文がものすごく厳しくこちらを見ている。いや、俺誘拐したわけではないね。自ら来てるし、てか押しかけてるし。
「ねぇ話聞いてる?」
「あ、ごめん聞いてなかった」
「ちゃんと聞いてよ! でねー、別にあたし雄緋くんの迷惑になってないよね?」
「えっ」
「えっ」
まさかこいつ……自覚がないのか……?! たった今、現在進行形で、be動詞 + 〜ing形で俺の期末レポートというラスボスの討伐を邪魔しているというのに……。こいつ、何者なんだ……?!
「邪魔してないよね?」
「あ、うん。それでいいよ」
まぁ直前までやってない俺が悪いんですけどねー。
「えへへ、そうだよねそうだよねー! 日菜ちゃんは雄緋くんならそう言ってくれると思ってたよー!」
「これでいいのか……」
明らかに俺の返答妥協感満載だったよね? 『もういいや……』みたいな諦観が見え隠れしてたよね? 日菜が気にしないならいっか……。
「じゃ、じゃあ……そ、その。これからもあたし、この家来ても……良いよね?」
「え? まぁ、俺が居る時なら……」
「ほんと?! わーい! 雄緋くん大好きっ!!」
「おわっ?! いきなり飛びついてくんなぁっ?!」
炬燵に両足を突っ込んでいた俺に、ベッドの方から猫のように飛びかかってきた日菜。避けることもできずその飛び込む勢いに。
カチッ。
あ、なんかのキー押し
「あああああ?! 俺のレポートおおおぉぉぉあああ?!?!」
焦ってもう一回立ち上げたらちゃんと一時保存効いてた、良かった。……本当に良かった。数時間の努力が全部水の泡になるところだった。
「いきなり飛びついてきたら危ないだろ?!」
「ご、ごめんね……?」
「あ……、ごめんこちらこそ。強く当たりすぎた……」
俺に抱きつきながらもいつにもなくしおらしい日菜の姿に思わず俺も激しく自省する。快活な普段の姿からは想像もつかないほどに今の日菜には元気がなかった。
……そっか、そういえば元々大好きな紗夜と喧嘩して、家を飛び出してきてるんだもんな……。本当は俺がもっと大人の余裕で日菜を慰めるなり、助言を与えたりするべきなのに。
「……ごめんな日菜。困ったこととか、辛いこととかあったら、なんでも言ってくれたら、俺にできることなら何でもするから」
「……本当に?」
「本当だよ」
「……今、何でもって言ったよね?」
「……あ」
……ヤバい。
ヤバい。
終わったかもしれん。え、どんな要求来るんだ? 俺の人生もしかして詰んだ? いつものぶっ飛んだ日菜の思考回路なら、下手したら『じゃあ一生奴隷ね!』とかいう訳分からんお願いきてもおかしくないよね? あ、ていうか今の紗夜との喧嘩を鎮めてくれ、とか言うのがむしろ1番しんどいまであるかもしれない。
「じゃあその。……えい」
キョトンとする俺に、俺のすぐ隣の位置に入ってきた日菜は。
「このままちょっとだけで良いから、……慰めて?」
「……うん」
本日の日菜ちゃん。天使だった。
「雄緋くんのここ、あったかくて落ち着くんだよね……」
「そうか?」
「……うん。……えへへ、だーいすきっ」
やばい。照れる。
普段の日菜がこんなにデレデレすることないじゃん? 2人きりの時の日菜ってこんなにデレデレと甘えてくるのか。……堕ちそう。あ、でも紗夜に対して甘えるのとかと同じ感覚か? だとしたら俺は兄として見られてるのかもしれない。
アリだな。
「おにーちゃんって呼んでも良いんだぞ」
「……え? あ、いや、うーん。それは、ないかなぁ……」
「……調子乗ってすいませんでした」
めっちゃ引かれた。泣きそう。
「『おにーちゃん』は無いけど。か、彼氏とかなら……」
「彼氏?」
「……あたし聞いたんだよ? 彩ちゃんから」
「彩が?」
「この間のSNSの話とか。というか事務所でまるで惚気みたいに、めちゃくちゃ幸せそうにその話ばっかりするから」
「あいつ言いふらしやがった……」
そりゃ口止めなんてしてなかったけどね? 口止めしてなかったからこそSNSあげてプチ炎上したんですけど。
「あたしもそういうの、ちょっと憧れあるんだよね……」
「……日菜?」
それまではパソコンのレポートの安否だとか、そんな些細なことばかりに囚われて、全く意識していなかったのに。気がついたらものすごく近くに迫っていた日菜は頬を赤らめて恥じらいを見せながら、いじらしい目をこちらに向けていた。
「ねぇ……。ちょっとだけで良いから、目を瞑って?」
「……え、どういう」
「良いから。早く」
俺は薄々と次に起きることを予測しながら、半ば期待を持ってしまっている自分の愚かさを恥じながら、瞼を下ろす。そして。
「……え?」
「……ぷぷっ。引っかかったねー!」
「……え、いやいや、え?」
どういうわけか俺の両頬はピンと伸ばされた日菜の両の人差し指で押されて、凹んでしまっていた。
「ぷぷっ、変な顔ー! なになにー? 日菜ちゃんと何がしたかったのかなぁー?」
「おまっ、おまっ! 男の純情をっ!」
「純情ー? なにそれぇー?」
「絶対許さ、って、んっ……」
「んっ……んんっ……。ぷはぁ……。こういうこと?」
「……日菜?」
「えへへ。ありがと、雄緋くんのおかげで元気出たよ。これはそのお礼っ!」
「……どういう」
「よーし、あたしは帰っておねーちゃんに謝ってくるね!」
俺の疑問に答えるつもりはないのか、足早に炬燵から飛び出して、晴々とした顔を浮かべる日菜。部屋から出て行こうとしていた日菜が、少しだけ名残惜しそうに振り返った。
「……日菜」
「あたしの初めてだよ? 純情だもんねっ、じゃあね!!」
「……という自慢を日菜からされたのですが。どういうことでしょうか?」
「すみません、全くもって正座をさせられている意味が分かりません」
都心では珍しく雪が降り積り、静かな一月の空が広がっている。
「私が日菜に怒ったのは、年頃の男性が一人暮らししているところに女子高校生がそうやすやすと訪れるのは倫理的によろしくないから怒ったのですが」
「え、それなら今の紗夜さんはいえなんでもありません」
一月。正月が明け、成人の日が過ぎ、高校生たちは大学受験が迫る。そんな季節。だが、俺はそんな時節との戯れをするでもなく、学生の本分に必死に取り組む季節なのだ。
……取り組んでいた、はずでした。日菜が怒涛の勢いで俺を甘い残り香で惑わしながら帰って行って、ようやく冷静になれたところで、今度は怒涛のピンポンラッシュが起きたんです。それで急いで玄関のドアを開けたら乗り込まれました。そして気がついたら正座させられました。さっきまで炬燵にいたので寒いということだけ言っておきます。
「というか、今の私は別に1人で来たわけではありません」
「へ? そうなの?」
「あたしもいるよー!」
開幕から怒りマックスだった紗夜さんの迫力に呑み込まれたからか気がつきませんでした。
「……そ、それで自慢が云々というのは」
「だから、日菜から自慢を受けたのですが、貴方は何をしているんですか!」
「えっ……、し、姉妹喧嘩の相談?」
「違うでしょう?! どこをどうしたら姉妹喧嘩の相談の最後にキ、キスをすることになるんですか!!」
「断じて俺からしたわけじゃないから!!」
これだけは声高に主張させていただきたい。風紀の乱れ? 言わんとするところはわからない、というわけではない。だが! 俺は! やってない!! って言いたいけど紗夜さん怖すぎて言えないです。
「まぁまぁおねーちゃん。本当は怒ってるんじゃないでしょ?」
「へ?」
「な?! お、怒っていますよ! 怒っているからこそココに出向いてまで叱りつけているんです!」
「えー、本当?」
「……何が言いたいの日菜」
声を荒げる紗夜をスルーして、どういうわけかこちらにとことこ歩いてきた。
「……ほらほら、おねーちゃん。素直になったらこういうことも出来るんだよ?」
「ちょ」
「日菜! やめなさい!」
「えぇ? 本当はおねーちゃんも、こんなこと、したいでしょ?」
「ちょ、日菜くっつくなって」
紗夜さんの眼光が修羅になっております。
「いいの? おねーちゃん。ここで素直になったら、雄緋くんにいっぱい抱きついたり……、もっとすごいことまで……」
「くっ……」
「……おねーちゃん。あたし、おねーちゃんと一緒に雄緋くんと仲良くしたいっ。……こんな我儘、ダメ?」
「日菜……。……雄緋さん。これはその……、指導! 指導のためですから!」
「え、俺指導される謂れなんて……ちょ」
「おねーちゃん、ここ、良いでしょ?」
「……悔しいですが、否定はしません」
「……えへへ、おねーちゃんも雄緋くんも大好きっ!」
「わ、私だって! その……大好きですから! ……ふ、2人とも」
姉妹喧嘩、終戦しました。めでたしめでたし。