「あぁ……今日も疲れた……」
どこぞの刺激物のおかげかガラッガラになった声でうめきを上げながら、今日も今日とて労働を終えて帰宅の途に着いた自分を慰める。毎日頑張って偉いね、みたいな。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、人間毎日働いていると思った以上に自分を蔑ろにしてしまうものなのだ。
「バイトの段階からこれって、就職したらブラック耐性ありそうだな、なんて」
そんな風に洒落にもならない悲しき性を笑いながら、玄関のドアを開ける。安定と信頼の我が家は今日も整ったフローリングの廊下で俺を待ち構えている。そんなプライベートとパブリックの狭間の長い廊下を抜けると、
和室だった。
アイエエエエ! ワシツ!? ワシツナンデ!? この部屋昨日までというか朝俺が出かけるまでごく一般的なワンルームの洋風リビングだったよね?! 改装? そういうこと?!
「お帰りなさいませ! 旦那様!」
「え?」
まるでそこがメイドの喫茶店かと勘違いするような声が聞こえて、俺は和室の畳に釘付けになっていた視線を戻す。そこには部屋と完全にマッチした、涼しげな緑の浴衣を羽織った、お茶の少女がいた。
「バイトお疲れ様です!」
「イヴ? なにこれ?!」
部屋が異次元の改装を受けることなんてこれまで幾度となく体験してきた俺であるが、それでもまさかこんな短時間の間に家の雰囲気そのものがここまでガラッと変化するとは。外見上は何は変わりがなかったせいで余計痛烈にこの部屋の変貌ぶりが目に焼き付けられた。
「こちらですか? 新装開店の甘味処『若宮』です!」
「何勝手に人の家で店開いてんの?!」
ここで怒鳴り散らそうがきつい言葉で嗜めようがなにも変わらないということは嫌と言うほど知っている。が、俺はそうツッコミをせざるを得ないのである。そういう定めだから。
「こちらのお席どうぞー」
「花音もいるのかよ、止めろよ!」
「あはは……。準備してたら楽しくなっちゃって……」
どうやらこの大改造は甘味処云々ではなく、花咲川の茶道部の出張事業の成れの果てらしく。
「花音、茶団子のおかわりを頂けるかしら?」
「ほんと花音がいる所どこにでも出没するよな……」
クラゲ少女の大親友こと、某腹黒純真無垢の女優やら。
「このお茶……悪くないね……」
お店の違い棚に飾られた花瓶に挿した花を見繕ったであろう華道少女やらがいる。
「というか、千聖と蘭は客人なんだよな? なんで客まで浴衣なの?」
「和の空気を壊すわけにはいかないので」
「納涼って知らないの?」
「他人ん家で涼まないでくれ……」
どうやらみんなで徹底的に部屋の作り出す空気に馴染むようにしているというわけらしい。そりゃそうだよな。俺これまでの人生でこんな狭い部屋の中で野点傘をさすやつ見たことないよ。屋内なんだからその傘さしてちゃダメだろとすら思うよ。部屋の中でやってるならそれはもう野点じゃないじゃん。
「いやというか、和室に改装するのはいいとしてなんでナチュラルに客呼んでんの?」
「家を勝手に和室にしたところは怒らないんだ……」
「そんなのに一々文句言ってたらキリがないだろ」
「お客さんとして呼んでる人はガールズバンドに限定しているので大丈夫です!」
俺が大丈夫じゃないんです。いやまぁ、一般客を呼ばれたらさらにブチギレていたか。
「雄緋くんもバイト疲れたよね? お茶をどうぞ?」
「あぁ、こりゃどうも……」
ふぅ……。
あ、この茶団子美味しい……。渋いお茶の苦味と和菓子の素朴な甘さが混ざり合うとこんな落ち着く味になるんだなぁ……。……あぁ。
じゃないんですよ。ダメなんだよ、緋毛氈を敷いた床几の上に座ったら、あぁお茶屋さん来たなぁとか実感して和むけど、そうじゃないんだよ。ここはお茶屋さんじゃないから。俺の家だから。寛いでちゃダメなんだって。
「だから違うんだって!」
「雄緋さん……煩いですよ? 茶席でぐらい静かにできないんですか?」
「こちとら家が占領されてんだぞ!!」
君たちがどれほどこの家に勝手に入ろうが、不法侵入しようが、合鍵を作りあたかもレンタルスペースが如く使おうが、この家は俺の家なんですよ? そりゃあ賃貸だから正確に言えば俺のじゃないかもしれないけど、唯一俺の心にゆとりと平穏を齎すオアシスなんですよ? それを我が物顔で占領しないでという矮小で切実な願いすらスルーしないであげて欲しい、それだけなのだ。
「家に帰って、年頃の女の子が一杯いるなんて恵まれた環境を享受しているくせに、何を文句を垂れているのかしら?」
「それ勝手に来たやつがふんぞり返って言うセリフじゃねぇから!」
「いいえ、チサトさんの言う通りです! ユウヒさんはもっとこの状況を悪代官様が如く悪用してもっと酒池肉林、驕奢淫佚の限りを尽くすべきです!」
「千聖は今絶対にそんな趣旨の話してなかったよね?」
「解釈違いかなぁ……」
「甚だしいだろ!」
どっからどう考えても日本語を最大限歪めた読み違えです。明らかに最初は恵まれた環境に文句を言うなという話だったはずがその恵まれた環境に溺れろと言われているのだから。
「悪代官様の話を知らないんですか?」
「知ってるよ?」
「私、袖の下を渡したいです!」
「袖の下って、賄賂をか?」
イヴが袖の下なんてものを学んでいる点も掘り下げたいところだが、悪代官様に纏わる話で賄賂なんて言えば、商人と悪代官が菜種油の明かりで照らされながら小判の枚数を数えるあのシーン以外思いつかない。イヴから送られてくる視線は熱いもので、もう目の奥がキラキラと輝いているようにすら見える。
「……ワカミヤお主も悪よのぉ……?」
「いえいえ、お代官様ほどでは……」
「ノリノリじゃねーか!」
明らかにフリだったとはいえやってしまった。だって悪代官様といえば、『お主も悪よのぉ』だろ? 人生のうちに一度は言ってみたいセリフランキング27位ぐらいには入りそうじゃないか。ノリノリなのは俺とて同じことだった。
「わ、私もやりたい!」
「今度はなんだなんだ……」
今のこのしょうもない悪代官様ごっこを見ていた花音が、どういうわけだか顔を赤らめたまま口を開く。今のやりとりのどこにそんな要素があったのかは不明だが、何を演じたいか問うと、覚悟を決めたような表情で花音が顔を上げる。
「お、お許しくださいお奉行様……」
「……え? ……あぁ。おぉ、良いではないか良いではないか?」
これ、俺合ってるよね? これってお奉行様に差し出された町娘の浴衣に巻かれた長い帯をクルクルするあれで合ってるよな。そう思いつつ、俺は花音の背中の帯に手をかけ……。
「あ、あーれぇ……」
「ちょっと待て」
「や、やらないの?」
「これだと俺が花音の浴衣脱がせることになるよね?」
「……いいんだよ?」
「よくねぇ!」
主に俺の理性が。むしろ合わせの隙間から誘惑が顔を覗かせる状況でここまでよく耐えた方だと自分を自分で褒めたいよ。ちゃんと浴衣の帯に手をかけたところで理性が頑張って仕事をしたおかげで、ラッキースケベみたいなこと起きなくて済んだんだから。
「セクハラよ。変態ね」
「松原さんが可哀想ですね」
「自分からやられにきてたよね?」
明らかに望まれて、それに俺が応じただけだったのに物凄い言い様である。こうやって冤罪は増えていくと言うことを嫌と言うほど分からさせられる。
「……雄緋くんのえっち」
「おい」
4VS1はもうただただ卑怯である。俺を叩いてくるけど、そもそも事の発端は全て俺じゃない。要はとばっちりというやつだ。
まぁ、ね。CiRCLEのバイトを始めてから数えられないほどの理不尽と対面して打ち克ってきたわけだから、その程度で俺の心は挫けないけれども。
「反論はするけれど、花音の帯を外そうとしていたのは確かよね?」
「え? いやまぁ、最終的に躊躇したし」
「ユウヒさん! いくら悪代官様でもやって良い事と悪いことがありますよ!」
「言い出しっぺが言うか?! なぁ?!」
少なくともさっき淫らな宴に溺れろ云々と説いたこやつだけには言われたくないのである。元を辿っていくとこの憎むべきお代官様ごっこの始まりもイヴだし、多分だけどこの魔改造の元を辿ってもイヴに帰着するだろう。そんなこんなで文句をぶつけていると、俺が腰掛けていた床几の両サイドにぽふりと腰掛けるお二方。
「というかここは宴席でもない、お茶の席よ? 女の子を襲ったりとか暴れるのも大概にしてくれないかしら?」
「そうですよ。もっと慎み深く、厳かな場の雰囲気を崩さないよう、節度を持ってお茶を楽しめないんですか?」
「ど正論なんだけど、発言に行動が伴ってないよ?」
「……それよりチサトさんもランさんもユウヒさんにくっついててずるいです!」
「言いたいことは同じなんだけどずるいって反応はおかしいかな」
千聖と蘭は陣取ったりとばかりに俺の両腕をロックしている。その態勢はあまりにもお茶を飲むには不向きで、凡そ茶屋客の振る舞いとしては風流を欠いている。
「じゃあ……私は真ん中で?」
「何しようとしてんの?」
両サイドを固められたからとばかりに、俺の膝の上にそっと腰掛ける花音。腰の部分の帯が絶妙に座ろうとすると俺の体との間の緩衝材となっているが、それでも膝頭の方に無理やり座ろうとする。
「むむむ……。カノンさんまで……」
「いやだから、止めろよ。というか他3人は自重しろよ」
「嫌よ」
「ヤダ」
「私も嫌かな」
揃いも揃って頭の中が一面桜色のピンクなやつしかここにはいない。俺は両腕をロックされてなおかつ膝の上に人を乗せているというカオスな状況に身を置いている。黄色と赤と青の花に囲まれていた。
3方向から固められたせいで身動きが取れなかったが。セクハラ云々と言われても面倒なので無反応で居続けると、右隣から大きなため息が聞こえた。
「ずっと疑問だったんですけど、なんで雄緋さんってあたしたちに手出したりとかしないんですか?」
「あ、それは私もずっと思ってたよ。どうかしたの?」
「どうかしたも何も……。手出したら社会的に終わるんだけど?」
世間体を考えれば、大学生が高校生の少女に手を出すなんてほど人聞きの悪いことはない。それも男性なるものに慣れていないであろう女子校の生徒達である。手を出そうものなら俺は間違いなく『悪い大人』に成り下がる。
「私たちでは魅力が足りなかったんでしょうか……」
「そんなことはないけど、人生詰ませたくないし……」
「詰めば良いじゃない?」
「なんてこと言うの?」
「別に雄緋の人生が詰んでも私たちの人生は変わらないもの。というより詰んでくれた方が好都合なのだけれど」
「無情だなぁ……って、どういうこと?」
無情というか非情というか。今まさにこの瞬間にでも人生の道が閉ざされるだなんて考えたら貰ったお茶を飲んだところで落ち着ける気もしないし、それどころか動悸も収まらない。
「逆にどうやったらあたしたちを襲ってくれます?」
「ものすごい物言いだな……。いや、襲わないよ?」
そんな期待の目みたいなの向けられても反応に困る。そもそも襲われたいだなんて時点で物好きだとは思うが、俺は喩えどんな手を使われようがそんな発想に至ることはなかろう。
「でも武士は夜襲をするのでは?」
「それはもはや意味が違ってるんじゃない?」
「イヴちゃん。イヴちゃんが言いたいのは夜這いのことじゃないかな?」
「ヨバイ、ですか?」
「こらこら、純粋な子にそんな知識教えようとしな……え、花音は夜這いとか知ってるのか?」
イヴの無垢さに胸を撫で下ろそうとしたのも束の間、よくよく考えると千聖とかじゃなくて花音の口からそんなアダルティックなワードが飛び出したことが衝撃的だった。
「うん。知ってるというか、仕掛けようとしたこともあるよ?」
「そうなのか。……ん、……えぇっ?!」
「なかなか上手くいかないけどね。……えっ、普通だよね?」
「えぇ、常識かしら」
「Afterglowのみんなも狙ってますよ」
「……さ、最近の高校生は進んでるんだなぁ……」
俺の知らないところで風紀は吹き飛んでしまっていたらしい。無法地帯と化しているとまでは言わずとも、俺の身の回りのバンド少女達は爛れ切った学生ライフを送っているのだ。
「なるほど、では私もヨバイをしたいです!」
「何言い出してんの?」
「あらイヴちゃん。じゃあ、今日、ここでレッスンしましょう」
「千聖もなんで悪ノリしてるの?」
その瞬間鋭い眼光で下から睨みつけられる。悉くを絶句させるような迫力で俺の反論は握りつぶされる。その目力で全身が痺れたように、蛇睨みのように硬直した。
「イヴちゃん。夜這いする時はまず羽織った浴衣をはだけさせて、たわわに実った2つの果実を晒け出すんだよ」
「花音は官能小説かなんかでも読んでるの?」
「イヴ。男性を興奮させるために、全身に縄化粧施すか、亀甲縛りをしてもらわないと」
「蘭はなんでそんなコアな知識ばっか知ってるの?」
「なるほど……。皆さんの知識を総動員して、ヨバイをします!」
「やる気出さなくていいから!! って……うっ、眠気が……」
イヴに襲われそうなことを察知して逃げようとした俺だったが、急に視界が薄暗くなる。そうか、お茶を飲んだ時ぐらいから体に感じていた違和感はこれだったのか、そんな風な後悔をする他なかった。
「これがヨバイ……! 日本の伝統的な男女の交際スタイルですね!」
違います。違……う……。
に、日本すげぇ……。カルチャーショックと共に眠りについた。