クラクラとする頭を抱えながら、外観からして新しい建物の自動ドアが開く音を聞く。この頭の違和感自体は熱射にやられただけであろうが、俺がここを訪れたのは、その程度ではないここ最近の不調によるものだった。
「こちらへどうぞー」
白を基調とした部屋。待合室らしいここに他の利用客は誰もいない。いるのは今しがたここを訪れたばかりの俺とカウンターの向こうで微笑んでいるであろう女性だけ。曖昧な言い方をしたのは、場所に似つかわしくない仕切りによってその顔色を窺うのが難しいからだった。受付嬢らしきその人は肩の下まで伸びるピンクの髪を時折触りながら、こちらに何かの用紙を渡してきた。
「こちら初めてですよね? 保険証の提示と、問診票の記入お願いします」
「保険証……あった、はい」
そう、ここは。病院である。
最初にも言った通り熱中症がどうとかそんなことではない。渡された問診票にチェックを入れたりしながら、俺はここ数日間、いやもっと長い期間を振り返っていた。記憶が抜け落ちたりしている時期すらあるのだが、それも含めて丹念に。
「これ、お願いします」
「はーい。北条さんは……なるほど。不眠と、立ちくらみと、意識が朦朧として、たまに動悸も、と」
「……はい。最近急に卒倒したりと、もしかしたらどこかおかしいんじゃないかと思って」
症状で言えば、多分相当にどこか具合が悪いとかそのレベルだろう。少なくともここ1ヶ月で頻繁に意識を失っているという状況は相当異常だ。動悸がするのも変だ。
「最近?」
「例えばこの間の家でのお茶会……じゃないか。友人とご飯を食べていると急に目眩がして」
「それって蘭が」
「え?」
「あっ、いえいえ! こちらの話なのでお構いなく!」
「はぁ……?」
今この受付の人、蘭って言ったような? そういえば聞き覚えのあるような声な気もする。
「動悸もするんですね、今もドキドキしますか?」
「え? いや今は」
「私の手を握れますか?」
「え、えぇ」
何故か手を差し出されて俺はその手を握る。握っている間はトクン、トクンと心臓が脈打つのが意識された。
「……ふふ。ずっと握ってたいなぁ」
「えっ?」
「あー! お気になさらず! 今日は診察を希望と……。診察後は乳房検診も出来ますが、受けて行かれますか?」
「……ここって婦人科とかじゃないですよね?」
「ご希望ということですね畏まりました!!」
「あっちょっ」
中から意気揚々とした声が聞こえてくる。止めようかと思ったが、声をかけてもこちらの言うことを聞きそうな雰囲気もなく、カウンターの中身を覗き込むだなんて不躾な真似をするわけにもいかない。俺はあまり深く気にしないようにして待合室の座席に戻る。そこから数分もしないうちに呼び出しの声がかかった。
「北条さん。診察室にお入りください」
「はーい」
スリッパの音を鳴らしながらドアを開けると、背もたれの長い椅子に腰掛けて背中を向けた医師が、厳格な雰囲気で俺のことを待っていた。兎に角診察ということだったので俺は一言声をかけてその手前にある椅子に座る。すると、こちらに気がついて椅子を回転させた医者が……医者が。
「北条さん。お疲れ様です」
「……ふぁっ?! 瑠唯?!」
何故かそこにいたのは瑠唯だった。新進気鋭の女医のオーラを醸し出しながらの佇まいは威厳たっぷりで、本業なのではないかと錯覚してしまうほどだ。いやでもおかしい、瑠唯はまだ高校1年生。当然ながら医師免許なんか取れるはずがない。
「なんでここで」
「つべこべ言っている暇はありません。診察を始めます」
「あっはい」
「症状は立ちくらみや意識が朦朧とするということですか。精密検査が必要そうですね」
「そ、そうですか……」
おかしいな……。俺より遥かに歳下なはずだが、本物の医者のように見える。びっくりするぐらい本職に見える。
「あの、精密検査って、どこが悪いんですかね……?」
だって俺の聞き方、完全に大病を患って担当医に病状を尋ねる瞬間のそれだもん。これはもう完全に医者とのやりとりそのものだよ。
「頭だと思いますが」
「頭、ですか……」
いや確かに悪いかもしれない。瑠唯がお医者さんに見えてしまう俺は多分頭が悪い。
「どうすれば良いんでしょうか?」
「乳房検診を後で受けてください」
「あのさっきからその乳房検診って……」
「では心音を聴きます。大和さん」
無視された。さっきからそのパワーワードが気になりすぎるのだが、それはそうと呼ばれた名前も気になる。まさかと思えばそのまさかであった。
「はーい! フヘヘ、雄緋さん、お待ちしてました!」
「今度は麻弥か……。なんでみんなしてここにいるの?」
白衣を纏った瑠唯とは対照的にナース服を着込んだ麻弥。多分看護師をしているつもりなのだろうが、麻弥の目線はどこか怖さを感じざるを得ない。
「ジブンが必要とのことだったので!」
「え、えぇ……。医療機器弄ったりとか?」
「それは物凄く興味があるッス!」
そのうち本当に分解して機構を理解しようとかしてそうなものだから怖い。それはそうと何故瑠唯は麻弥を呼んだのか。その答えを明かすように瑠唯が口を開いた。
「では、北条さん。服を脱いでください」
「……はいっ?!」
「心音を聴きますから! ジブンが脱がせましょうか? というか脱がせていいッスか?!」
「いやいや! えっと……その、大丈夫なので」
「大丈夫じゃないから病院に来たのでは?」
「病院じゃないよね? ここ」
最低限病院っぽい外観をしただけの別の何かである。瑠唯と麻弥が診察室にいる時点でまともなものじゃないのは確定だし、そう考えるとさっきの受付にいた看護師らしい姿も、知り合いの誰かかもしれない。声に聞き覚えがあったわけだし。
「兎に角、脱ぎましょう! 雄緋さん!」
「わ、分かったから! 脱ぐ! 脱ぐから!」
せめて自分で脱ごうとすると、背後に回った麻弥が俺の腕を掴む。俺の腕は万歳の姿勢のまま固められた。
「ちょ」
「フヘヘ……。……脱がせます!」
「吐息荒くない?! ちょ……」
抵抗する間も無く脱がされる俺の服。無様に晒された俺の素肌にひんやりとした感覚が。それは聴診器で、俺の左胸のあたりに順番に押し当てられる。
「……良い音ですね」
「良い音って何?」
「いえ、好みの音と感じただけです」
「心臓の音に好みとかあるのか……」
その独特な感性が理解できることはないだろうと考えていると、やがて聴診器が離される。心音が聴かれたということは動悸に関することなどは検討がついたのだろうか。
「あの、動悸の原因とか分かりそうですか?」
「はい。精密な検査は必要ですが、不治の病と思われます」
「……えぇっ?!」
「しかも本人に自覚のない病ですから余計にタチが悪いと思いますが」
「マジか……。自覚症状のない不治の病とか……、それってめちゃくちゃやばいやつだよな?!」
「……はぁ。気づくのにはもう何年か掛かりそうですね」
「え?! 今気づいたんだから治療してもらえるんじゃないの?!」
瑠唯のため息が止まらない。なんなら麻弥のため息まで聞こえてきた。……いやまぁ、そりゃそうか。何故俺はそんな大病を高校生に治そうとしてもらっているのか。ちゃんと大きい病院に掛かれという話か。結構健康には気を遣っていたつもりだっただけにその診断はかなりショックである。
「今度ちゃんと大きな病院で検査を受けるよ……」
「そういうことじゃないんですけどねぇ……」
「え?」
「……動悸に関してはそれぐらいかと」
「あっ、じゃあ立ちくらみは?」
「……意識障害については詳しくわからなかったので、検査が必要だと思いますので、検査室へ」
服を返してもらった俺は言われるがままに部屋を追い出され、隣にあった部屋へと誘導される。ドアの代わりにカーテンで仕切られたその部屋に入ると、やはり俺を待ち構えていた見知った顔が二人。
「お、お待ちしていました……!」
「燐子先輩緊張しすぎですって。雄緋さん、こっちで寝転んでください」
「今度は燐子と有咲か……」
ナース服姿の二人に目を奪われていたが、いつのまにか腕を引っ張られ、謎の台に寝かされる。診察台というにはあまりに物騒だ。というのも、四方には四肢の拘束に使うのだろう金具が取り付けられていて、まるで患者が暴れることを前提とした作りにしか見えないからだ。
だが、拘束されるかもしれないという悪い予感は当たることなく、意外にも俺は普通に寝転んだだけで、ベッドサイドに燐子と有咲が腰掛ける。何がとは言わない。絶景である。
絶景である。
「えっと……どうか、しましたか……?」
「いいえ、何でも。よし、続けてくれ」
会話として成立しているかすら不明のやり取りを交わして、俺は次に行われるであろう診察とやらを待つ。どうにかこうにか俺の不埒で邪極まりない考えは見透かされることはなく、安堵の息を吐きながら次の言葉を待つ。反省した俺は煩悩を頭から追い出すことに専念した。
「よく分かんないですけど、今から雄緋さんの意識障害となった原因を探るために問診していきますから、YESかNOだけで答えていってください」
「おっ、心理テストみたいだな。いいぞ」
「まず……、……立ちくらみをする時は、……いつも意識を失ってしまう」
「なんだかんだいつも気絶するから、YES」
そういえば俺の意識が遠のきそうな時っていつも完全に意識が途切れるんだよなぁ。尚のこと何が起きているのか不安である。
「気絶する時は親しい誰かと一緒にいる時だ」
「んー……?」
そう問われて、俺は直近で倒れた瞬間を想起する。自宅で茶屋が開かれていた折、ラーメン屋で激辛ラーメンを食べ残した時、過労によく効く添い寝をされた瞬間、そして七夕で氷川姉妹に甘えられた時……。たしかに全て親しい誰かと一緒にいる時だった。
「YES」
「次は……、気絶する時は……目覚めて暫くの間の記憶が、曖昧だ」
「うーん、YES」
「気絶中に何をされていたとしても覚えていない」
「YES?」
それは気絶してるからこそ当たり前だろう、そんな風にぼんやりと考えていたが故に、段々と回答が適当になっていた。当たり前のことしか聞いてこないものだから、全部『YES』で答えればいいだろう、と。おそらく検査という緊張感も、寝転がりながらだからこそ薄れてしまっていた。
「その、……大きな、胸は……好きだ」
「YES……って今燐子なんつった?」
一瞬、俺は自分の耳が完全にバグったものだと思った。だって、まさかそんな質問がいきなりされるだなんて考えもしなかった。だが、俺の疑問にも燐子は少々頬を赤らめる程度で、何も答えない。俺が困惑していると、有咲が懐から何かを取り出して、器具らしき何かを俺の目の前に持ってきた。
「じゃあ次は採血するので」
「採血?」
言われるがまま俺は腕を出して、目を背けていると何かで刺されたような痛みを感じる。何故採血をするのかは分からなかったが、きっと精密検査云々と言っていたからそれのことだろうと自分に納得させた。
「これで雄緋さんの血液が……」
「……市ヶ谷さん。後で……わかって……ますよね?」
「当然です、燐子先輩」
「えっと……お前らどうした?」
「あっ、すぐに検査しますから、はい」
2人が内緒話のようにわざとらしく口元を手で抑えているのを勘繰る。有咲はなあなあで俺の話を流すと、機械っぽい何かの前でさっき採られたばかりの俺の血液を弄っているらしかった。
「えっ、有咲は何してるんだ?」
「今、雄緋さんの……、血に含まれている成分を……解析してるんです」
「解析?」
「意識障害の……原因を調査するために必要なので」
聞けば精密検査して、薬剤かなんかの成分が体内から検出されたら、俺がたまに意識を失うのは睡眠薬だとかそういうのが原因だと分かるということらしい。原理などはさっぱりだが、燐子の説明が終わってまもなく有咲がこちらに帰ってくる。
「結果出ました」
「早くない?」
「いえいえ。で……検査の結果ですが。特に異常はありません」
「……へ?」
てっきり俺は気絶の頻度や突発性からして、
「なら俺が気絶する原因って」
「うーん、疲れとかじゃないですか?」
「俺そんな疲れてるのか……?」
「あとはその……安心して、とか」
燐子の言うことにも一理あるのだが、俺は安心するたびに気絶をするとか言うびっくり体質をお持ちなのだろうか。そう考えるとやはり納得はいかない。
「疲れとか安堵で倒れてちゃ世話ないんだけど……」
「そんなに疑うなら、乳房検診受けてみます?」
「え?」
またもや聞いたパワーワード。いやまぁ、レディースクリニックなんかだとそういう検査はあるだろうが、男性に対してもそういうのって必要なのだろうか。
「あの、さっきから聞くその検診って何?」
「……受けますか?」
「え、なになにこわいこわい」
一瞬で検査室の中の空気が変わって軽く恐怖を覚える。台の上に寝転んだまんまだからこそ、謎の圧迫感を感じる。
と、ちょうどその時。
「あ、検査終わりましたー?」
「待ちくたびれたわ」
「長かったですねー」
先程まで受付やら診察室にいたであろう瑠璃や麻弥、ひまりがカーテンレールを滑らせて入ってくる。いつのまにかみな一様にナース服に着替えている。ただ、服装がどうであれ、寝転んだ周囲に5人が立っているというだけでさらに圧迫感は増している。
「ちょ、何のつもりだ……?」
「乳房検診するって、受付でも言いましたよねー? 楽しみー!」
「燐子先輩が準備頑張ってくれましたもんね、私も楽しみです」
「可愛いの……作りましたから……。乳房検診ということで……気合い入れました……!」
「いやだからその乳房検診って」
「名前の通り、乳房に関する検査です。時間が惜しいです、始めましょう」
「うわ何をするやめ」
俺は目覚める。いつもと変わらぬ自室の天井。窓の外に目をやると、区切られた空が既に暗くなって、1日の終わりがやってきているようだった。外では相変わらず街のあちらこちらで明かりが漏れていて、何ということのない日常が続いていた。
どうやらさっきのは変な夢だったらしい。そりゃあそうか。急に街の中にあんな訳の分からない病院が建つはずがないし、病院が出来たとしても他に客も来るだろう。そもそも高校生の彼女たちが働いているなんてありえない。
「考えても無駄、か。まだ眠いし……寝るか、って痛っ」
寝返りを打ってちょっとだけ痛んだ左腕と胸部を庇いながら、もう一度俺は、心地よい眠りについたのだった……。