「モデルの練習?」
部屋に響いたのは疑問符たっぷりの俺の声。素っ頓狂な声を上げた俺はと言えば、腰を抜かした状態でなんとも情けないこと極まりない。
「はい! ユウヒさんにこそ見てほしいんです!」
きっと、そもそも今はどんな状況なのか気になる頃だろう。自分ですら何が起きたのか把握できていないが、端的に今の状況を語ろう。
部屋で寛いでいた折、壁紙が剥がれて突如現れたイヴ。当然俺は心底驚き、心臓が飛び跳ね、腰を抜かしてひっくり返り、ビニール袋か何かの山に頭を突っ込みながらイヴと会話をしている。
大袈裟だと思うかもしれないけど、壁紙が剥がれたんだぞ、それこそ隠れ身の術みたいな感じに。俺としては何故、どうやって隠れていたかにツッコミたい気持ちで一杯だけど、どうせ話が進まないからスルーしてしまった。
「モデルって、何の?」
「色々ありますよ? 『月刊ブシドー』、『週刊 戦国武将の鎧を作る』や」
「待って待って」
「なんですか?」
そんな可愛らしく首を傾げられても。イヴが挙げてくれた雑誌のタイトルはなんだかんだ聞いたことがないようなものが多かったが、それにしても武士道色の強いこと。モデルって言うぐらいだから、もうちょっとファッション雑誌とかそういう類いのものが来るのだと俺は身構えていた。
「モデルって何の写真撮るの?」
「色々です!」
「その色々を聞いてるんだけど……」
「あ、『日刊ジャパニーズニンジャ大全』の撮影もありますね!」
「毎日忍者について刊行されてるのか……」
すぐにネタ切れしそうな誌面はさておき、イヴが俺の家に突入……もとい不法侵入、身を潜めていたことを考えたら、俺に断るという選択肢はない。断ったら最後暗殺されそうである。そんなビクビクしそうな怯えを努めて明るい笑顔で隠す。
「それで、練習に付き合ってくださいますか?」
「うん。闇討ちはされたくないし」
「ヤミウチ?」
「暗殺だよ」
「なるほど! ジャパニーズ夜這いというものですね?」
「違います」
この間千聖や花音、蘭から教え込まれた夜這いの作法とやら含めて誤解が甚だしいらしい。モデルの練習とやらには俺が快諾すると、夜這いの嘘を教えられてしまった哀れなイヴは意気揚々と部屋を出て廊下のドアを閉めた。良かった、流石に俺の前で服を脱ぎ出
「ユウヒさんに脱がせてもらった方が良かったでしょうか?」
「ダメです」
「うぅ」
すような愚かな考えはなかったらしい。
イヴが部屋から出て数分。ドアの奥からはガサガサという音がしていたが、それがようやく止んでノックの音がする。
『入っても良いでしょうか? まずは忍者の格好からです!』
「あー、入ってもいいよー」
『失礼します!』
ゆっくり、ゆっくりと開くドア。ドアの向こうから飛び出してきたのは、紺色の忍び装束に包まれ
「ちょっと待って」
ず、クノイチから連想されるような薄ピンクの忍び装束……でもなく、紫がかったピンクのタイツみたいな格好をしたイヴ。一言で言うと非常にアブナイ。
「どうしましたか?」
「どうしたも何も、え、何その衣装?」
「クノイチ、女忍者の格好だそうです!」
「クノイチもそんな格好してないと思うよ?!」
そのピンクの全身タイツも光沢たっぷりで、テカテカと目にうるさいぐらいである。ボディラインをやたらと強調する服に、清純さなるものは凡そ微塵もない。
「そうなのですか? でも、日本にはこういったことを専門に行う忍者があると聞きました!」
「へ? どういうこと?」
「このコスチュームを着ると、感度が物凄く高くなるそうです!」
「ふぁっ?!」
「って、この衣装を発注してくださった方が言っておられました!」
「待っててなイヴ。そいつを今から成敗しに行くから」
「成敗ですか?! お供しましょうか?」
「ダメです!!」
なんというやつだ……。こんなにも清楚で純朴な……いやまぁ、たまに夜這いがどうのとか言ってたけど、まともな時は清廉さをそのまま具現化したような天使の如きイヴにそんな悪知恵を吹き込むとは。地獄でも生ぬるい。消し炭にしてやる。
と、俺がそんな風に意気込んでいると、それまで成敗のワードに興奮していたイヴが急に大人しくなった。何かあったのかと思って見つめていると、どういうわけかイヴはこちらへと身を寄せてきた。
「え? どうしたイヴ?」
「……なるほど。感度が高くなるとは、そういうことなのですか……」
「え、何が? どこで納得した?」
そんな不純極まりないところで納得なんてしないで欲しいのだが、譫言のように呟いたイヴの頬は、しっかり覗き込むと紅潮していた。
「って、熱でもあるのか?」
「ひゃぁっ! ゆ、ユウヒさん! 不意打ちは卑怯です!」
「へ?! 不意打ち?!」
イヴの熱そうな額に触れただけで不意打ちと言われる始末。妙に甲高い声を上げたイヴは、やはり速く、荒い呼吸をしているから、一見すると体調が悪そうだというのに、イヴはそんなことはないと否定するばかりだった。
「でもそんな具合悪そうで」
「今私の体に触れちゃダメです!!」
「あ、まぁセクハラだよなこれ……」
「いえ、その……もっと……襲われたくなってしまいます……」
「襲う? ……夜襲?!」
「むぅ……」
静まり返ったり、むくれて拗ねたりと感情が忙しいイヴは、俺の胸元に額を埋めたまま動かなくなってしまった。最初はモデルの練習だとか言っていたはずなのに、ポージングとかは一切……いや、今のイヴの格好で変にポージングなんか決められたら俺の理性が即死するわけだが、当初の目的は何も達成できていなかった。
「なぁイヴ。モデルの練習するんだよな? 取り敢えずこの衣装を作ったやつはお説教の刑に処するとして、他の衣装で練習しないか?」
「……はっ! そうでした! 他にも練習しなければいけないことは山積みですから、着替えてきます!!」
「うん、そうしよう、な?」
「……ここで、脱いだ方が良いでしょうか?」
「ダメに決まってるだろ?!」
俺は際どい衣装を纏い、誘惑し続けるイヴを取り敢えず廊下に追い返し、呼吸を落ち着ける。
よし……ふう。心頭滅却すれば火もまた涼し。煩悩退散。うん。これで俺の中の醜い心たちは散り散りになったはずだ。取り敢えず廊下に追いやったイヴが着替え終わったかを声で確認する。良さそうな返事が返ってきて、安心した俺はドアを開いて……。
「重た……よいしょ。っと、これでどうでしょうか?」
「待って、甲冑ってフル?」
「鎧兜です!」
「そこの拘り今聞いてないんだわ」
現れたのは声が無ければすでに誰かなのかすら分からない塊。顔も兜で隠されているから、本当に図体の大きな飾りが鎮座しているのを見ている気分である。ただ、イヴが着込んだであろうその甲冑も移動の度にガチャガチャと音を立てながら、ブシドーを体現しているらしい。
「これは週刊誌の付録特典を全て集めたらこうなるみたいです!」
「付録特典……?」
「全巻を購入した方はみんなこれが手に入るらしいです!」
「デカすぎねぇかなぁ?!」
「これは首から下の部分だけで重さが50kgはあるそうです!」
「よくそれでイヴも動けるな……って、家の床からやばい音なってるんだけど?!」
イヴが歩く時に鎧から鳴る高めの音のほかに、耳を澄ませると鈍く、低い音が聞こえてくる。それは木の軋む音、そのままであり、イヴの足元の床がなんだかものすごい凹んでいる気がする。
「ちょ、今すぐ脱いで!! それ!!」
「ぬ、脱ぐなんて……大胆です……」
「つべこべ言わずに! 壊れるから!!」
「理性がですか?!」
「床だよ!! 早く脱ぎ捨てろ!!」
「そんな、脱ぎ捨てるなんてハレンチです!!」
ダメだ、会話が成立しそうにない。イヴは重そうな装備を纏った腕を器用に顔の横ぐらいまで上げて、何やらポージングをしているが、今はそんなモデルの練習とやらをさせている場合ではない。危機だ。崩壊の危機だ。俺の家の。あとそれから、これほど重たい鎧を纏っているイヴの体も心配である。
「そんな重たい鎧で、イヴはそもそも大丈夫なのか?」
「もう……決壊しそうです」
「決壊? よく分からんけど、ヤバいんだな?」
「はい! 限界です!!」
イヴを見ると、何かを我慢しているかのようにプルプルと震えている。軽快なやり取りも、きっとイヴは無理してしていたのだろう。床が凹むほどの重さの鎧を着込んで、そうそう楽なはずがない。
「もう俺が脱がせるからな!」
「はい……優しくしてください……!」
「痛くないようにはするから!」
「その、お恥ずかしいのですが、ハジメテですけど大丈夫ですか……?」
「俺だって脱がせるの初めてだから分かんないけども!」
「えへへ……。良かったです! 気持ちよくしてください……」
「すぐ楽にさせるからな!!」
俺は甲冑の重みに苦しんでいるイヴをどうにかしようと、取り敢えず兜の方から紐を解く。乱暴にしてしまっては脱がされるイヴも痛がるだろうから、俺も初めてで分からないなりに足掻く。そりゃそうだろう、これまでの単調な人生の中で、鎧兜を脱がせるような稀有な経験があるわけがない。イヴの呼吸は段々と荒くなっているようで、やはりその異次元の重さに苦しんでいるらしい。
取り敢えず兜が外せるようになり、ゆっくりとその兜を外す。はっきりと露わになったイヴの表情は紅く、力んでいるようで、相当無理をしているようだ。
「苦しそうだな……」
「はい……胸が苦しいです……!」
「今助けるからな!」
「はいっ!」
そもそもこんな重たい鎧を、どうやって一人で着込んだのだろうか。イヴの全身を包むプレート部分の外し方を試行錯誤しながらふと考える。
「ひゃっ……」
「イヴ? ごめんな、痛かったか?」
「ち、違います! 大丈夫です!」
イヴの反応もそろそろ限界そうだから、俺はさらに焦る。繋ぎ目を結ぶ紐を解いて良いのかダメなのか、よく分からないが、取り敢えず脱がせるのに必要そうなところを外した。
「これなら、脱げるんじゃないか?」
「はいっ。……うんっしょ……。はぁ……」
イヴがなんとか上半身を覆っていた鎧を脱ぎ下ろすと、床に置くだけで凄い音がする。これほどのものを着込んで動いていたイヴの怪力はすごいものがあるのかもしれない。
「足のやつは自分で脱げるだろ?」
「脱がせてくれないのですか?」
「多分自分で脱いだ方が脱ぎやすそうだし……。まぁ足の部分だけなら着けたままでも問題ないかもだけど」
「ユウヒさんはタイツも履いたままのが好みかも……と……」
多分あの姿を見るに、一番重そうなのは胸部周りの部分に見える。両足につけられた、脛当てのようなパーツは多分それほど重くないだろう。
「脛当は外しても良いでしょうか?」
「ん? 逆に外さないのか?」
「そ、そうですよね!」
俺の返答を聞くなりいそいそと残りの小具足も全て外してしまうイヴ。それらは大して重くないようにも見えた。けれど、全てを外して一つに纏めると、やはり物凄く重そうにしか見えない。
「ふぅ……」
「疲れたよな」
「はい! その……だから、ベッドの方で」
「へ? うわっ」
何故かイヴに強い力で引っ張られて、俺はベッドの上へ。そして訳もわからないまま寝転がされる。
「どうした? え?」
「疲れたので、お休みが必要です」
「いや俺は疲れてないからイヴが……」
「日本では、こういう時『休憩』をすると聞きました!」
「休憩? まぁ、疲れたなら休憩すれば」
「……脱がさないのですか?」
「はい?」
イヴの言わんとすることの意味があまりよくわかっていない。既にイヴは鎧も付属品も全て外したわけだし。
「……ハジメテですよ? ユウヒさんも、そうなんですよね?」
「え、まぁ脱がせるの初めてだけど」
「……えっ?! ということは、脱がせないのは経験があるということでしょうか?!」
「いや、着たこともないけど」
「着たことがないのですか?!」
さっきまでの神妙な空気全てを吹き飛ばしたような壮絶な驚きようを見せるイヴに困惑するしかない俺。どういうわけだかのし掛かりを掛けられながら、妙に距離感の近いイヴの言動に疑問を覚えていた。
「いやいや……でも、普段見る時はユウヒさんも着てますからそんなことはないはず……」
「いや、人が見てない時に着たことがある訳じゃないぞ?」
「そんな趣味があるのですか?!」
「は、はぁ?」
何故か目元を抑えて、泣くような仕草を見せるイヴ。もうさっきから反応がどれも珍紛漢紛である。
「……私は、ユウヒさんが露出癖をお持ちでも、受け入れますから!」
「……はぁっ?!」
「全てを受け入れる……。日本には据え膳食わぬは……という言葉があるそうですから!」
「いやいや、どこから露出癖きたの? あとそれって、男の恥、だよね?」
「女性は食べちゃダメなんですか?!」
「え、いやー、よく分かんないけど……。そもそも意味知ってる? ご飯の話じゃないよ?」
「知ってます!! 小馬鹿にしすぎです!!」
耳の奥に響くぐらいの大声に目をパチクリとさせる。すると、怯んだ俺を気にすることもなく、ずっと俺の上にのし掛かっていたイヴがこちらに体を倒してきた。
「今みたいな状況を指す……言葉ですよね?」
「え、今?」
その時、空気が変わった。カーテンの隙間から差し込んでいた日の光が、雲によって遮られ、部屋が暗くなった。
影に隠れたイヴの表情。頬が赤く染まり、口が半開きになっている。
「……襲っても、良いんですよね?」
「襲う?」
「ハジメテ同士……ですから」
「イヴ……?」
俺を押し倒すような姿勢のまま、イヴの腕が、俺の首の後ろへと回る。
「首……弱いんですよね?」
「ちょ」
「寝るって、そういう意味なんですよね……」
「やめ」
「プライドとか、誇りとか、捨てちゃいましょう」
「イヴ、待って」
「これは、男と女、1VS1の戦い、真剣勝負なんですから」
「イ……ヴ……」
「私も……もう、我慢できません。ずっと、昂って仕方がないんです」
「……そう、か」
「私のブシドー、ユウヒさんに全て、ぶつけます!」
ブシドー
ブシドー
ブシドー
ブシドー
……
この後めちゃくちゃチャンバラした。めちゃくちゃ軽装備で。