「時に雄緋……。芸術の秋という言葉を聞いたことはあるだろうか」
「まぁ、聞いたこともあるし、知ってもいるけど」
昔懐かしい高校の部室。ありふれた木製の椅子に座らされ、自分の世界に没頭した羽丘の王子様からご高説を受けている最中である。最中とは言ってもつい15分ほど前に始まったばかりだが、すでに俺の心持ちとしては帰りたい気持ちでいっぱいである。集会なんかで校長先生の話をずっと聞くのは苦痛に感じると思う人はそこそこいるだろう。つまりそういうことである。
「それで、我が演劇部にも新しい風を吹き込みたいんだ」
「新しい風?」
「そう。この芸術の秋に相応しいような、舞台芸術の真骨頂を作り上げたいのさ」
さっきまでは座ったまま語り出したかと思えば、急に立ち上がってポージングを決めるあたりえらく元気な王子様なこと。俺が呆れ気味なことに気づいたのだろうか、王子様こと薫はこちらに手を伸ばす。
「さぁ雄緋。私と共に新しい芸術の秋を探しに行こうじゃないか」
「お断りします」
「……儚い」
何が起きてどうなっているのか状況が掴めない人もいるだろう。それはある夕方のことだった。家で暇をしていた俺の元への来訪者。麻弥しかいないと思ってドアを開けたのがミスだった。
何も言わずに羽丘まで来てくれと言われ、着いてきたらいきなり部室に拉致されて、今はこんな状況である。そして俺を連れ出した肝心の麻弥は部室の隅にある椅子に深く腰掛けている。その顔はどこか虚空を見つめており、相当な疲れが目に見えて分かった。
「何故ダメなんだい? 芸術の秋、普段関わることの少ない世界に造詣を深めるのにはもってこいだ」
「生憎暇じゃないし、どうせ俺を演劇に呼んでどうこうって話なんだろ? そんな経験ほとんどないぞ」
「流石、鋭いじゃないか。その通りだよ」
俺は隠すこともなく大きなため息をつく。壁掛けのシンプルな時計を見ればもう本当なら家で早めのご飯を食べて、のんびりと夜の時間を過ごすつもりだった頃。俺は徐に立ち上がり部屋を後にしようとする。そこですかさず、それまでは部屋の隅にいた麻弥が俺を止めに入る。
「お願いします雄緋さん! もう少しだけ話だけでも聞いてください!」
「話聞くって言っても……。この話ずっと聞き続けるのある意味相当辛いんだけど」
「それはジブンも……、ってとにかく! どうかお願いします!」
必死になって頭を下げる麻弥。どうしてそこまでして必死になって俺を舞台に出させようとしているのだろうか。どうやら麻弥だけでなく薫も、澄ました表情ながら顔はキョロキョロとあちこちを見つめ、少々落ち着きがないようだ。
「何か俺が出ないと後ろめたいことでもあるのか?」
「そそそそそんなことあるわけないじゃないか。だろう、麻弥?」
「そっそっそっ、そーですよ! まさか千聖さんに怒られたりは……あっ」
「は? 千聖?」
どういうわけか演劇部の部員ですらない名前が飛び出てきて、俺は薫の方に振り返る。俺と目があったはずの薫は分かりやすく目を逸らす。そして右往左往していた目線は最終的に薫が握りしめていたスマホの画面に向いていた。
「……なんだ薫。そのスマホの画面は」
「何もないよ、雄緋の気のせいさ。そう、シェイクスピアも言っている。気にしたら負けと」
またチラリとスマホを表に向ける薫。怪しい、そう踏んだ俺はつかつかと薫の方ににじり寄る。
「薫、画面を見せてくれたら考えないこともないぞ」
「ほ、本当かい? なら——」
「あっ、ダメですって薫さん!」
麻弥が止める声も虚しく、薫がこちらにスマートフォンの画面を向けてくる。その画面には何やらメッセージアプリが表示されていて。
< 12 ちーちゃん
| 実は今度羽丘演劇部で舞台をやるんだ |
| 千聖、君も出てくれないだろうか |
| 嫌よ。観には行くからそれでいいでしょう |
| 千聖がヒロインの脚本なんだ |
| また貴方が主役かしら? 嫌なものは嫌よ |
| 相手役は雄緋さ。悪くないだろう? |
| 詳しく |
| 早く |
| 教えなさい |
| はよ |
| すまない。先生と話していてね |
| 君と雄緋の恋愛ものだ、出てくれるかい? |
| 当然よ。プロだもの、どんな舞台でも 喜んで全力を尽くすわ |
| 暫くお仕事はキャンセルするから |
| キスシーンなんかもあるのかしら? |
| 沢山用意しているよ |
| 最高 |
「おい、なんで勝手に俺の名前出してんの? というか俺が既に出る予定で演者を集めてんの?」
ものの見事に千聖を勧誘する餌として俺を使っている光景が。まさかとは思ったが本当に俺を出汁に人を集めているとは。そもそも俺とて演技がそう上手いわけでもないのに千聖がここまで食いつくのも謎な話だが。
「もう俺出なくてもいいよな?」
「そ、そこをなんとか! 雄緋さんに出てもらえないと……」
「出てもらえないと?」
「……千聖さんから、二度と口を聞かないと」
「Oh……」
仮にも同じグループであるというのに。それにもう片割れも幼馴染のはずが。流石に俺が渋り続けることで友情崩壊というわけにはいかない。千聖もそこまで本気で言っているわけではないだろうが、光栄だと思ってやるしかあるまい。
「……分かった、やるよ」
「本当ですか?! ありがとうございます!!」
「助かるよ、雄緋」
「まぁ今回はな。でもこれからはせめてちゃんと俺に確認をとってからやれよ」
こうしてなんの気もなしに主役として舞台に上がることが決定してしまったわけだが、残念なことに俺に演劇の才は殆どないと言ってもいいだろう。学んだことも、演じた経験もまるでないわけで。強いて言うなら以前に時代劇擬きをさせられたことぐらいだろうか。
「でも、俺は演劇とかほぼやってないし、稽古とかも分からないぞ」
「そのために今日呼んだんだよ。さぁ、私たちと一緒に練習しよう」
そうやっていきなり手渡されたのはそこそこの厚さの台本。既に主役の欄には俺の名前が記されていて、俺がこの舞台に出ることは確定事項であったらしい。
「練習って言ったって、台本も読まずにいきなりやるのか……」
「大丈夫だ。私がリードしよう」
「監督と脚本はジブンが務めてるので大丈夫ですよ!」
俺を惑わす甘言。そんな風に言われてしまうとなんだか根拠のない自信が溢れてきて、何でも出来るような気がしてくる。台本を読まなかったとしても、普通に指示された通りに動くことぐらい俺にだって出来るだろう。そうだ、なんだって、どんな無茶な台本だろうがアドリブで。
「それじゃあまずは『姫を前に抱えたまま燃え盛るお城の窓から10m下の地面に飛び降りて、姫に怪我がないことを確認した後、姫から深い愛情の籠った口づけを与えられるシーン』からだ」
「待って待って待って、アクションとラブコメが入り混じりすぎじゃない?」
情報が停滞していて、1発で完全に理解できた気がしないが、整理をするとこういうことだろう? お城炎上、俺が姫を助けて飛び降りる。無傷の2人は幸せなキスをして終了。
「ここのシーン結構手の込んだ演出なんです! 実際に体育館を燃やすんですよ!!」
「俺とか観客を仕留めにかかってる? 絶対千聖もそんな舞台やりたがらないと思うけど」
「千聖なら、『雄緋と一緒に心中……。ふふ、私と雄緋が永遠に赤い口づけで結ばれるなんて素敵ね……』って、理解してくれたよ」
「怖すぎない? というか俺はまだ死ぬつもりないからな?!」
千聖も何を縁起でもない冗談を言っているのだろうか。薫にそんな冗談を言ってしまえば真に受けて実行してしまいそうだろうに。いや、薫の相手をするのが面倒になってしまったのかもしれない。それならば俺が全力で止めなければ。
「体育館燃やすとか普通に考えて無理だからな?」
「えー……。でもスケールの大きなことをして、演劇界に新しい風を吹き込ませようと……」
「新しい風が吹き込んで燃えるんだけど?」
どうやらこの演劇部は芸術の秋とやらを履き違えまくった結果、トンデモな思考回路になってしまったらしい。それに乗っかる千聖も大概だが、俺は極めて常識的な考えを持っているわけで、流石にこの案に賛同はできない。
「助け出すシーンが大事ならもっと他にもシチュエーションあるよな? 燃えるにしても他に演出のやりようはあるよな? 照明落として赤黒い光を当てるとか」
「その発想はなかったです!」
「えぇ……」
少なくとも学校の施設を燃やすという発想よりは陳腐であり常識的な発想だと思う。だが、このイカれた演劇部員たちにとってはそれじゃあまだまだ生ぬるいということらしい。
「それよりも雄緋。体育館炎上はさておき、ヒロインを抱えながら飛び降りるなんて出来るのかい?」
「忘れてた。流石に10m飛び降りるのは生身じゃ無理だよ?」
体育館炎上はさておき、なんてパワーワードをスルーするのも心苦しいが、それより俺の生命の危機がもう一点。そうだ、俺は人を抱えたまま、10m下に飛び降りるということを強いられそうになっているのである。
「そもそも体育館の天井の高さを見積もっても10mなんて取れないだろ?」
「あぁ、今のところは体育館の天井を開閉できるように改造するつもりなんですよ!」
天井が開閉? 体育館の天井が開閉されるってどういうこと? ドームとかの天井が開いて空が見えるような状態になるってことだよね、私立高校の体育館の天井が。えっ、しかもその改造を施して最後は燃やすの?
「お前ら倫理観どこに置いてきたの? 流石に現実味がなさすぎだろ!」
「ダメですかね……」
「ダメだよ絶対!!」
「でもそうすると、演劇部に新しい風を吹き込ませる夢が……」
「演劇部に魂売りすぎだろ!!」
打ち込むのはいいとして巻き込まれる学校施設が可哀想すぎる。流石にこの計画を学校に通した時点で即却下されそうだが、あの生徒会長ならOKを出してしまいそうで恐ろしい。
俺にバッサリと計画を斬り捨てられたからか麻弥はガッカリと項垂れ、薫も頭に手を当てて悩んでいるようだ。
「だが、姫を連れ出すと言うプロットを変更なんて出来ないよ」
「千聖さんにはもうその条件で伝えてありますからね……」
「本当に段取りから計画まで無謀が過ぎるな……」
「だからと言ってはだが雄緋、折角だからお姫様抱っこの状態から飛び降りる練習だけはしておこう」
「どういう練習?」
さっきのシーンはどうやら筋書きからして中々変えることは渋いらしく、俺の膝がピンチなことには違いないらしい。流石に自分1人の体重なら2m弱ぐらいであれば大きな負傷なく飛び降りれそうだが。人を1人抱えたままとなると、間違いなく俺の膝は再起不能になるだろう。
「だから、雄緋。今日は私を抱えて飛び降りてくれないだろうか」
「澄ました顔して何言ってんの? 俺の膝が確実に昇天するんだけど?」
「か、薫さん。やっぱり」
薫よりは常識を持ち合わせていたのか、麻弥が薫の手を引いて距離を取り、コソコソと2人で話し合っている。何を話しているかは少し聞こえそうにないが、多分、無理はさせられないという常識的な意見を進言してくれるのだろう。
「薫さん、ここはジブンが」
「麻弥。君は以前花嫁姿で雄緋と写真を撮ったそうじゃないか」
「でも! ジブンの方が身長も低いですよ!」
「だ、だがしかし……」
「ここはジブンがお姫様抱っこされるべきです!」
「……いや! いくら麻弥でもここは譲れない!」
「お前ら何話してんだ?」
その瞬間、ガラガラガラと部室のドアがスライドして開く。勢いよく開かれたドアはバーンという大きな音を立てて、部屋中の視線を集めた。そして、そんな騒がしい来訪者の正体は。
「あっ、やっぱり雄緋くんここにいたんだ! るんっ♪ってしたんだよね、一緒に帰ろーよー!!」
「えっちょ、引っ張」
「ま、待ってください日菜さん!」
「それじゃあ貰ってくね!! えへへー、今日は雄緋くんとおねーちゃんとでお家デートだね!!」
「おわぁっ?!」
あっという間に演劇部の部室が遠くに消えていく。そのまま廊下をものすごい力で引き摺られた俺は氷川家へと連行されるのであった……。
「……儚い」