神将御伽草子−パラダイムシフト−   作:飴玉鉛

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十二話 【竜気蓋世の戦絵巻 (上)】

 

 

 

 

 

 明らかに人体に有害そうな紫の空気層。しかしそこへ突入した俺の体に異変は起きなかった。

 

 臭いはない。無臭だ。吸い込んだ空気で気道や肺腑が痛みもしない。

 むしろ深い森の中にいるかのように空気が澄んでいると感じる。

 

 無意識に左掌を開いてそこに視線を向けると、青い【勾玉】の中に【八咫】が映っていた。俺の魂の姿である青い機体【人形思兼主神】がホログラムを虚空に投影する。何事かと思うも、どうやら空気中の含有成分を分析しグラフ化しているらしい。

 俺が気にしていた不安要素を解明していたのだ。自律行動したのか、と自問する。しかしすぐにそうではないと思った。深層心理(バックグラウンド)内で無意識に、反射行動として解析したのである。

 まるで自分の体ではないかのようだ。例えるなら一世代前の携帯端末だった体が、知らない間に数世紀先の端末へアップグレードされていたようなもの。自身の性能を扱いきれていないのである。

 

 疾走する馬の動きに合わせ、上下する視界の中で舌打ちした。

 

 紫の帳の中にある空気の成分は、酸素が約21パーセント、窒素約78パーセント、その他約1パーセント。合計で100パーセントだ。これは人間が呼吸できる空気だが、しかし空気中には他の成分も漂っていた。通常の機器では計測できない成分があるのである。

 それは血だ(・・)。ただの血液ではない。高濃度の魔力を内包している故に、酸素などと混じり合うことなく虚空に漂って魔力の霧になっている。つまりこの紫の帳の正体は、魔力そのものということだ。

 誰の魔力なのかは不明だが、結論を急ぐ必要はない。九針に付いて行けば自ずと判明するだろう。今はとにかく帳の只中を疾駆する。――と、その時だ。俺の視界の隅にヨコイソの集落が掠めた。

 

「――っ? 九針、右を!」

 

 高速で過ぎ去る景色の中、俺は反射的に反応して九針に声を掛ける。

 なんとその集落――名も知らない村の中に、人が倒れているのを見かけたのだ。

 

「人が倒れてる! 救助は!?」

「捨て置けッ」

 

 こちらを見ず、村にも一瞥をくれることすらなく九針は即答する。

 俺は目を見開いて九針の背中を見て、次いで再び通り過ぎていく村を見た。

 倒れているのは男と女、それから幼児だ。夫婦とその子供だろう。襤褸の小袖を着ている。

 超人になっている恩恵か、俺は見ようとした対象へ焦点を合わせ、克明にその姿を識別した。

 

 ――まだ生きている。仰向けに倒れているが胸は上下し、息は浅いが呼吸している。見たところ外傷はない、急げば助けられるかもしれない。

 

 そう思うも、冷酷に吐き捨てた九針の言葉に、俺は瞠目した。

 

「奴らはなんの力もない百姓だ、それが外州の空気を装備もなしに吸っているんだぞ。どうせ遠からず死ぬ、無駄な荷物を抱える趣味はない」

 

 超人だったらなんら痛痒を覚えない紫の帳も、そうでない人間には毒になるらしい。

 どんな症状を起こすのか。この外州の空気とやらが魔力の霧なら、恐らく現代人が大量の魔力にあてられた際に起こすという魔素中毒だろう。軽度なら失神程度で済むが、重度になると脳と心臓の血管が破裂し死に至るという。なら確かに助けられない、既に手遅れだ。

 助けられないなら仕方ない。すっぱり視線を切って諦める。俺は自分が跨っている黒馬の手綱を握り締めながら、聞き忘れていたことを訊ねた。

 

「ヨコイソの人達を助けないのは承服したよ。でもそれとは別に、九針に1つ聞いておきたいことがあるんだ」

「なんだ?」

「俺達はどこに向かってるんだ? この帳に入る前ヨコイソを遠目に見た時、俺の目だと鬼とドラゴンの姿を視認出来なかった。九針は目標の位置を把握してるんだろ? 目標がどこにいるかぐらい前もって教えてくれ」

「知らん!」

 

 またもや即答され、俺は頭を抱えた。つまりノープランで危険地帯に突入したってことだ。

 馬鹿か? 馬鹿じゃん。向こう見ずにも程がある。なんでそうも無鉄砲なんだ。

 呆れ混じりに怒鳴り声を上げた。

 

「知らないならどうやって目標を見つけるんだ!?」

「適当に走っていたらその内見つけられる、黙って付いて来い!」

「ふざけんなバカ! 一旦止まれ、俺に手がある!」

 

 バカと罵られた九針は、驚いたように背後の俺を振り返ってきた。

 俺が手綱を操り黒馬を止めているのを見て、彼女も鳳翔月影を停止させる。葉子が凄い目で睨みつけてくるのにはビビったが、九針はそんな義妹の胸に軽く拳骨を押し当てて制止してくれる。

 

「手があるだと? 何をする気だ」

「こうするんだよ」

 

 馬を寄せてくる九針に目を向けず、先天外法を発動する。俺のそれは、単に銃火器を創造することしか能がないわけではない。【人形思兼主神】が教えてくれた通りに先天外法を行使した。

 右人差し指の腹を犬歯で噛み皮膚を破る。出血させた人差し指を左掌に押し当て、【勾玉】の上を横切る形で五芒星を描き、中に『機』と『空』とだけ血文字を書いた。そして自身の喉に横一文字の血の線を横切らせて、脳裏に浮かんだ呪文を唱える。

 

「【宿りし者の力と念を、我が下に於いて此れへと移す。天機・霊機・人機・神機、急急如律令。我が力に従いて、其の力、此処に聞こし召し給え。急急如律令】」

 

 語りかけ、命じるのは自分自身に、だ。

 全身から血が失せていく感覚は軽微。魔力消費は殆ど無い。俺が火と土の属性を持つ魔力で形成したのは小型の無人航空機(ドローン・ラジコン)だ。カメラを内蔵したそれを左手に掴む形で創造した。

 九針は興味深げに覗き込んできて、白い機体のドローンについて訊ねてくる。

 

「それは……なんだ?」

「ドローン。コイツを今から飛ばして周りを偵察する。それで帳の中の様子を見渡すんだ」

「ふぅん……飛ばして、か。飛ぶのか、これが? 鳥みたいに?」

「そ。鳥みたいに飛ぶんだ。カメラを内蔵してるから、リアルタイムで周辺環境を見ることができる。本当なら他にも色んな設備が必要になるんだけど、このドローンは俺が創った式神みたいなものだから、脳内に直接映像を届けてくれるんだよ」

「『かめら』とか『りあるたいむ』とか、訳の分からん単語を並べるな。分かるように言え」

「こういうことだよ」 

 

 疑わしけな九針達に明確な返答はせず、ドローンに魔力を送り込んで上空へ投げ放った。解説しなかったのは、今回の件に関して説明不足な九針への意趣返しでもある。

 2対のプロペラを回して飛んだドローンを見て、九針達が感心と驚き混じりの声を漏らす。それを無視して俺は目を閉じた。脳内には、あのドローンが内蔵するカメラを通して映像が送られてきていた。まるで自分の体を残して、魂が幽体離脱していったかのように、視界だけが天高く昇っていく感覚はひどく頼りない。が、それに恐怖心を覚える質でもなかった。

 どんどんドローンは上昇していく。周りを見渡す前に把握したいことがあったからだ。果たしてこの外州の空気、帳とやらは、どこまでの範囲を覆っているか知っておきたかったのである。

 

 やがて式神であるドローンは上空13000メートルまで達する。空に浮かぶ雲の高さだ。これ以上は上げられそうにない。ここが俺の限界らしい。現代で作られていたドローンは、果たしてどこまで上昇できるのだろう。ちょっと気になるが、今更知りようもなかった。

 

「マジか……」

 

 そこまで高く飛ばした甲斐あって、外州の空気層がどこまでを覆っているか把握できた。

 外州から立ち上る紫の帳は、成層圏にまで(・・・・・・)達している。宇宙から地球を見下ろしたなら、恐らく外州の上空だけ紫色に染まっていることだろう。

 驚嘆に値する光景に唖然としながら、ドローンを降下させていく。ついでに外州が本当に存在するのかも確かめるために四方を見渡す。――本当に、ヨコイソから西を見ても海がない。陸地だ。

 紫の空気に充満する陸地で、大華大陸と昼鮮半島がヤマト列島と地続きになっている。だから九針はヤマトを『列島』ではなく『本州』と言ったのだろう。

 

 事実確認をして、九針からの情報が誤りではないことを認める。元々疑ってはいなかったが、彼女は信用できると改めて思った。そうして地表に降下させていく最中、俺は向かって10時の方向に、一際高く盛り上がっている山を見つける。不自然な地形だった。

 地上にいる俺達から、距離にして約4キロメートル。空中からは他に目につくものはない。それが逆に不自然さを煽っている。俺は眉根を寄せ、胸の前で手印を組む。左人差し指と中指を合わせ、他の指は畳んだ形だ。解、と呟いてドローンを掻き消す。

 使っていて気づいたが、俺の先天外法は魔法で言うところの仙術に属するようだ。手印と呪文を組み合わせて使うのが証拠である。先天外法のタイプからして、俺は内外法だと仙術の方が性に合っているのかもしれない。内外法を学べるなら、このことは覚えておこう。

 

 頭の片隅でそんなことを考えつつ、閉じていた目を開いた。

 

「向かって北西の方角、距離4キロメートルほど先に山がある。皆には山が見える?」

「きろめーとる?」

「え? あー……えっと、1里って言えばいいんだっけ?」

 

 オウム返しに呟いた千景の様子に、面倒だなと思いながら当世での距離の単位を口にする。

 3人とも北西を見た。そして平野が広がっている(・・・・・・・・・)のを確かめ、3対の視線が俺に戻ってくる。訝しむように葉子が言った。

 

「何も見えませんわ。どれぐらいの大きさの山なんですの?」

「でかい。富士山って分かる? 目算だけどそれぐらいの大きさだ」

「………」

 

 超人ではなく、現代人のクソザコ視力でも4キロメートル先にあるデカい山は見えるだろう。

 なのに何も見えない。これは明らかに異常だった。

 普通なら俺の目がイカれてるか、ドローンの故障を疑うところだが、生憎とここにいるのは普通じゃない人間たちだ。九針がいつものように「ふぅん」と吐息を溢し、義妹に目をやる。

 義姉の意を受けて葉子は下馬すると、左人差し指を立て、親指を残りの指で包む。反対の右手で左人差し指を握り、右親指で左人差し指の先に触れる手印を結んだ。智拳印と呼ばれる印だ。

 半眼となって1秒の間を置く。印の効力を確かめているのだろう。葉子は智拳印を解くと、右手の指全てで地面に触れた。触地印だ。すると地に触れていた葉子の右手の指全てから、5つの魔力の波紋が広がっていく。湖面に小石を落としたように。

 

 効果は瞭然だった。

 

 肉眼では捉えられなかった巨大な山が、際限なく広がっていく波紋に触れ、忽然とその姿を表したのである。「うわっ」と声を漏らした千景を尻目に、九針は唇を歪めた。

 

「次郎太。あれほどの山を築き、隠蔽してのける業も、貴様に掛かれば形無しだな。お手柄だよ、次郎太を連れてきてよかった。貴様がいなければあれを見つけるのにどれだけ走り回っていたか」

「うん。褒めてくれるのは嬉しいんだけど、それより前見てほしいかなって」

 

 乾いた笑みを浮かべて前方を指差す。

 俺が見つけ、葉子が暴いた名も無き巨山。緑のない禿げた地層を覗かせる山頂に――居た。

 

 キリンのように長い首は太く、刺々しい鱗に覆われた体躯は巨大。岩石を掘り起こしたようた腕には隆々とした筋肉が浮き上がり、3本の指には分厚い鉤爪が付いている。

 蝙蝠の如き1対の羽は畳まれて、2本の捻れた角は片方が半ばから折れており、城門のような目蓋は重く閉ざされていた。見るからに筋肉の塊である尾に頭を乗せ、山頂にて眠っているのは――典型的な西洋竜――ドラゴンだ。悪魔的な禍々しさが見ただけで伝わってくる。

 

 暴力的な魔力の奔流を感じる。どうして今まで何も感じなかったのか不思議なほどだ。

 4キロメートルも離れているのに、はっきりとその巨体が見て取れる。余りに(おお)きい、恐らくだが余裕で全長30メートルは超えていそうだ。体重なんて何トンあるのか想像したくもない。

 空中からドローンであの山を見た時に気づかなかったのは、あのドラゴンが途轍もなく大き過ぎる上に、岩石のような体色だったからだ。あの山の一部に見えていたのである。

 だが肉眼で見ると、カメラ越しでは認識できない生物の存在感を痛いほど感じた。

 

 葉子の術により、巨山を覆っていた結界らしきものの消失を察知したのか、ドラゴンは訝しげに目を開き――こちらを見た。ゾッと背筋が粟立つ感覚に襲われる。上体を起こしたドラゴンが、じろりと九針を、葉子を、千景を見て。最後に俺を見た。

 

【――――!!】

 

 岩石の如き悪魔竜が、世界そのものを振動させているかのような咆哮を上げた。

 規格外の声量で、地響きすらしている。

 顔を引き攣らせて、俺はドラゴンを見ながら言った。

 

「これ……ヤバくない?」

「うん、ヤバい」

 

 九針は笑っているが、若干冷や汗を浮かべている。

 見れば千景は能面のような無表情になっていた。何事もなさそうなのは葉子だけだ。

 ヤバいと返してきた我らが頭領に訊ねる。

 

「どれぐらいヤバいの?」

「滅茶苦茶ヤバい」

「……どうヤバい?」

「龍神の眷属が目じゃないぐらいヤバい」

「それは……ヤバいね」

「ああ……正直舐めてた。あのどらごんとやらは、龍神達の末端ぐらいにはヤバそうだ」

「つまり?」

 

 ヤバいヤバいと連呼するだけだと分からないので、彼我の戦力比について訊ねているというのに、九針は要領を得ない返答を寄越すばかりだった。焦れて端的に問う。

 すると九針は覇気を溢し、俺に一瞥を向けてくる。

 その顔は猛々しく、怯懦の一片もない、獰猛な獣の欲望を湛えていた。

 

「殺し甲斐がある」

 

 

 

 

 

 


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