妹姫(仮)   作:蛍石

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麋芳伝に詰まっている時に思いついたネタですが、仕上がってしまったので投稿します。
次話が何時投稿されるかは私にも分かりませんw


プロローグ -月下の約定-

 その部屋の寝台には、寝巻き姿の髪の長い女性が臥せっていた。彼女は窓から差し込む月の光を浴びながら、部屋の中から夜空を眺めている。

 世界の全てをその光で満たさんとするかのような満月。彼女もその美しさに目を奪われたように、身を切るような寒さを気にも留めず、身動きしないで見つめ続けている。

 ……まるで、もう目にする機会が無いかのように。

 

 どれほどそうしていただろう。

 部屋の外から扉を叩かれる音を耳にした彼女はようやく月から目を外し、部屋の扉を見つめた。

 そして彼女は、部屋の外へいる人物へ声をかけた。

 

「何事か?」

「ご主人様。お客様がお見えです」

「ああ、ようやく来てくれたか。ここで会うから連れてきてくれ」

「……よろしいのですか? もうお眠りになるべきでは」

「ふふ、心配は無用だ。今日は驚くほど調子が良いからな」

 

 部屋の外から声をかけてきた使用人にそう返し、彼女はどこか安心したかのように微笑んだ。

 

 しばらく待っていると、先ほど声をかけてきた使用人の女性が、少女を伴って入ってきた。その少女は、寝台に横たわる女性と比べると随分と小柄だった。

 使用人が一礼をして去った後、屋敷の主たる女性は少女へ椅子を勧めた。少女は無言でその勧めに従い、指し示された椅子へと座った。

 数呼吸ほどの時間を無言で見つめ合い、寝台に横たわる女性は口を開いた。

 

「遅かったな、藍里(らんり)。もう間に合わないかと思ったぞ」

「申し訳ありません、冥琳(めいりん)。しかし、政務のすべてを放って会いに来る訳にはいかないでしょう?」

「当然だ。そんな事をするなら呉の重臣として、病身とはいえ説教をしなくてはいけなくなる」

 

 冥琳と呼ばれた寝台の女性がどこか楽しげに話しかけると、藍里と呼ばれた女性は落ち着いた声音でそう返答した。

 おそらく、親しい仲なのだろう。話しかける際に、気負いなどが感じられない自然体を互いに保っている。

 

「こんな格好のままで済まないな。病身にある者の我が儘に付き合ってくれ」

「別に構いませんが、冷たい風は体に障るでしょう。窓を閉めたら如何ですか?」

「何となくこれで満月は見納めになるような気がしてな。お前が寒くないようなら、申し訳ないが月見に付き合ってくれ」

 

 そう言って、冥琳は再び窓の外へ目を向けた。釣られるように、藍里も月に目をやった。

 確かに美しい満月だ。思わず藍里も見惚れそうになるが、ここに来た目的を思い出して、月を眺める冥琳へと視線を戻して話しかけた。

 

「それで、一体何用ですか?」

「おいおい。用など無く、私が友と語らいたかったとは考えないのか?これでも明日の朝日を見れるか分からぬほどの重病人だぞ? 友と末期(まつご)の別れを済ませようと考えても不思議ではなかろう?」

「相手が常人であればそう考えたでしょう。しかし、貴女がそのような理由で軽々しく太守の任にある者を呼び寄せるとは思えません。雪蓮の命を(いしずえ)として築いたこの国。貴女が無下に扱う事を良しとする事はありえないでしょう」

「ははは。信用された物だな。まあ、正解だが」

 

 朗らかな表情で言葉のやり取りを交わす冥琳に対して、藍里は淡々と応じ続ける。

 表情や態度こそ常と変わらぬと言える物であったが、寝台に横たわる冥琳に見られない位置に置いた手を血が滲むほどに強く握りしめている事が、彼女の心情を強く表していた。

 

「とはいえ、末期の挨拶を交わそうというのも嘘ではない。どうやらいよいよ危ないようだ」

「……そうですか。お疲れさまでしたと言うべきでしょうか。雪蓮といい、貴女といい、善き者ほど早く居なくなっていく物ですね」

「おいおい、私をあいつと一緒にしないでくれ。あの怠け者と一緒にされると、私の立場がないだろう」

「と言いつつも、彼女と同じだと言われて嬉しくてしょうがないのでしょう?」

「……お見通しか」

「雪蓮との付き合いはそこまで長くはありませんでしたが、貴女とは十年以上前からの付き合いですからね」

「考えている事くらいは簡単に察する事ができる、か」

 

 冥琳は深々と嘆息した。

 冥琳と藍里は幼馴染みと言って良い間柄だ。藍里が徐州に住んでいた頃から親同士の交流により知り合い、交遊が始まった。藍里の叔父が袁術に利用され、住む場所がなくなった諸葛家を冥琳の家が庇護した事でなおの事仲良くなった。互いの才を認め合い、切磋琢磨して勉学に励む日々は、間違いなく二人をより高みへと導いたと自他ともに認めている。冥琳にとって藍里との交遊関係は、断金と称された今は亡き親友との関係と同じくらいに大事な物だと言える。

 

「子瑜、頼みたい事がある」

「お伺いしましょう、公瑾」

 

 互いを真名ではなく字で呼び合う。

 それは彼女達にとって、儀式の一環とも言える物だ。

 互いの(あざな)に、自らの(いみな)を与えあうという、真名の歴史よりも古くからある慣習。相手に不幸が降りかからんとする時に、身を削ってでも守る事ができるようにという願いが込められている。

 この慣習に従い、周瑜は『瑾』の文字をもらい『公瑾』を字とし、諸葛瑾は『瑜』の文字をもらい『子瑜』を字とした。言わば、互いの名を相手に込める行為であり、よほど親しい間柄ではない限りは行われる事はない。まして、現在では真名の習慣の方が広く流布されているため、すっかり廃れてしまっていた。

 真名の交換だけではなく、わざわざそんな古い習慣を二人が行った事に、二人の親交の深さを垣間見る事ができる。二人にとって字で呼び合うというのは、相手だけではなく、友の心中に居る自分自身に話しかける意味も含む。

 そうする事で、自らの言葉が相手に響いていくようにと願うのだ。

 

「私は精一杯生きたよ。誠蓮様が遺した物を雪蓮と共に抱え、あいつがいなくなった後も蓮華様を支え、国を興した。人ひとりの身で行うには、十分大きな事を成し遂げたつもりだ」

「はい。その通りでしょう」

「だが、人とは欲深い物だと常々思うよ。このような満足に動けぬ身体になったとしても、まだ成したい事が山ほどある。この国がどこまで大きくなるのかを見てみたい。私の弟子とも言える子達が私を越えてくれるかを見届けたい。それから……」

 

 そこで冥琳は言葉を切り、頬を赤らめて恥ずかしそうに微笑み、少しためらいながら口を開いた。

 

「愛する男ともう一緒に居たい。彼との間に作った子供が成長するのを見届けたいんだ」

「そうでしょうね」

 

 心中を吐露していく冥琳へ、藍里は肯定の言葉を返していく。

 

「しかし、それが叶えられない事もすでに理解出来ている。それが何よりも悔しい」

「……」

「すまん。愚痴になった。頼みたい事というのは、その心残りの一部についてだ。国の行く先を見守り、誤った方向へ進みそうになったら正して欲しい。これは中道を歩む事を旨とするお前にしか頼めない事だ。どうも呉の重臣達には極端な考えをする者が多すぎる」

「歴代の主君に似たのでしょう。孫家の臣下としては、私や貴女の方が変わっているのですよ」

「くくく、違いない」

 

 藍里の返答に冥琳は喉の奥で笑ってみせた。

 そんな冥琳に対して、藍里は小さく肩を竦めながら返答した。

 

「まあ、引き受けざるを得ないでしょう。蜀は協調せざるをえない勢力ではありますが、信を置く事ができる国とは言えません」

「実の妹が宰相だろうに、酷い言い様だな」

「だからこそ、信用しないのですよ。あの娘とは同じ土俵で競っても敵いませんし、国を背負って行動する以上は肉親の情より勢力の発展を重視するでしょう」

「認めるがゆえに警戒する、か。それも一つの姉妹の形か。ともあれ、引き受けてくれてありがとう。そうして貰えると安心して逝ける。それから、もう一つ頼みたい」

「伺いましょう」

「私の子の養い親になってくれないか?」

 

 藍里はその言葉にすぐには答えを返さず、真意を確かめるようにじっと冥琳の目を見つめた。冥琳も目をそらさずに、藍里の顔を見つめ返す。

 

「……どうやら本気のようですね。理由を聞かせて頂いても?」

「いくつかあるのだが、まずはお前の疑念を晴らす事にしよう。父である一刀に預けるのが筋だと考えているのだろう?」

「ええ。友人とは言っても他人に過ぎない私に預けるよりも、その方が良いと思うのは当然でしょう」

 

 まして、彼女の子の父である北郷一刀は呉王孫権の配偶者になる。一介の太守に過ぎない者に預けられるのと比べ、大切に育てられるだろう。

 

「まあ、お前なら話しても良いか」

 

 呟くようにそう口にした後、冥琳はその理由を話した。それを聞き、藍里は眉をひそめた。

 

「本気……なのでしょうね。貴女が何の意味もなくそんな事を言い出しはしないでしょうし」

「まあな。……ちょっと孫呉のために見直しをしなくてはいけない時期に来ているという事だ。ただ、それは私達大人が負うべき事であって、咎無き赤子が背負うべきではないと思ってな」

「素直に言ったらどうです?『私の可愛い子供を巻き込みたくない』と」

「……はは。そうだな。ああ、そのとおりだ。私はあの子をこんな事に巻き込みたくはないんだ。だから、呉の中央とは距離を置こうとするお前にあの子を託したいのだ」

「……何点か条件があります」

「伺おう」

 

 藍里は呼吸を一つしてから条件を指折り、一つずつ挙げていく。

 

「一点目。子供がきちんと判断ができる年齢になった時に、素性を話した上でどう生きるかを自分で決めさせます」

「まあ、妥当か。承知した」

「二点目。一点目の事を行うまでの間は周姓を名乗らせずに諸葛姓を名乗らせます。それに伴い、教育方針は好きにさせて頂きますが」

「ああ、そうしてくれた方が、子供もお前と姓が違う事に違和感を感じずに済むだろう。お前が教えを授けてくれるならば、願ったり叶ったりだな」

「三点目。ある意味ではこれが一番重要なのですが」

「ん?何だ?」

「乳母を一人紹介してください。妹達の面倒をみていたので、子供の相手をした経験がまったくないわけではないのですが、乳児からとなるとまともに育てられる気がまったくしません」

「あはは。まあ、そうだろうな。現在乳母を務めている者をそのまま連れて行くと良い」

「四点目。もう少し大きくなるまでの間は、建業に留め置きます。首も座りきっていない今の時点で動かすのは、赤子を殺しかねません」

「……できれば、すぐに連れ出して欲しいのだが。まあ、やむを得ぬか。承知した」

「五点目。建業にいる間は、私自身が付いているわけにはいきませんので、母達が住む家で世話をしてもらい、隣家である子義殿に守護を任せるつもりです。それでよろしいでしょうか?」

「ああ。彼女だったら申し分無いだろう。武も律儀さも信を置ける。悪いようには扱わぬだろう」

「六点目。例え仲謀様、北郷様がどれだけ反発なされようとも、子供を渡しはしません。これは、条件というよりも貴女との約束を命を賭してでも守るという宣言ですね」

「ああ。そういうお前だからこそ、大事を任せたいんだ。遺言として一筆書いておくし、(こう)(太史慈の真名)にも同様の遺書を書いておこうと思う。それで、お前の負担が少しでも減るか?」

「十分すぎるほどに。では、以上の条件で預からせて頂きます」

「そうか。最後まで苦労をかけるな」

「友人の末期の願いを断るほど、薄情に生きるつもりはありませんよ」

 

 肩の荷が下りたと言わんばかりに安堵の息を吐いた冥琳に対して、藍里は質問をした。

 

「そういえば、貴女の子供の名前は何と言うのですか?まったく聞いていませんでしたが」

「ああ、お前に付けてもらおうと思って、まだ決めていないのだ。自分で名前を付けた方が愛情が増すのではないかと思ったし、何よりお前に付けて欲しいと願っていたのでな」

「……七点目。一緒に名前を考えますし、助言はするので自分で付けなさい。親としての最初の責務を放棄してはなりません」

 

 冥琳はやはり自分で名を付けたかったのだろう。苦虫を噛み潰したようにそう口にした藍里に対して、華やぐと表現したくなるほどに嬉しそうな顔をした。

 

 後に『月下の約定』と呼ばれる事になる会合は、こうして終わりを告げた。

 

 

 

 それから三日後、冥琳は眠るように静かに息を引き取った。貴賤を問わず国中で嘆きの声が漏れた事からも、彼女が国中の人に愛されていたのだと分かる。

 

 冥琳と最後に話した人物は藍里となった。あの満月の夜の後、遺言状を書き終えた冥琳が目を覚ます事は無かったからだ。

 主君である孫権、一刀の二人へは、冥琳から自分に託された遺言を一部ぼかして伝えていた。彼女の子の事で多少揉めたが、結局は遺言通りに藍里が引き取る事となった。

 

 冥琳の国葬が執り行われるその日。中華南方に位置する江東としては珍しく、雪が舞っていた。呉の人々は『ああ、孫伯符様が周公瑾様を迎えに来たのだ』と噂しあったという。

 

 葬儀に出席するために着替えをしていた藍里もその光景を眺めていた。そして、着替えの手を止めて苦笑した。

 

「まったく、最期まで貴女達は見せつけてくれますね」

 

 そう小さく呟きを溢す彼女の目から、一粒の滴が零れた。




最後までお読み頂きありがとうございます。

最後までお読み頂ければお解かりかと思いますが、本作品では赤壁の戦い直後に逝った冥琳が一刀との間に子を作れるくらいまで生きていれば、という外史でのお話となります。
二宮事件っぽい話になる予定。

・三人称
難しい。ずっと一人称で書いてきたせいか、非常に違和感を感じます。

・藍里
同姓同名の別人。

・字と諱
捏造設定。しかし、この二人に関しては面白い偶然。

・一刀
本編ではずっと『北郷』と呼んでいる。
最後の最後で、一刀以外の前でデレました。

・それが何よりも悔しい
悔しいのならなんとかしろ!

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