『ゴジラ対ヴ級海底軍艦 轟天振武の章』   作:モーター戦車

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プロローグ 第0話「はじまりのはじまり」Bパート

「っし大成功!

 バス間に合うってーのに、わざわざタクシー券だしてくれるんだから間違いなく成功よね! ま、エース扱いの私達が出張シェフやったんだし、成功して当然ってもんだけど!」

 

 タクシー後部、右側後部座席でガッツポーズを決める、赤いコート姿の惣流明日香20才を、助手席から振り返りつつ、呆れ半分疲れ半分の半目で以て、碇慎司は見つめていた。

 

 自分の右眉が無意識にひきつるのを感じている。状況が状況とは言え、大学3年の年末休み前半が吹っ飛んだので、内心に非常に複雑な思いがある。

 

「上手く行ったけどさ……ほんと、惣流って無茶するよね昔から。

 店が逃尾に疎開して半年、まだまだ借金が多いからって、電話で片端から飛び込み営業って……ああいうの、神風営業っていうんだよ」

 

 慎司は深々とため息を付いた。

 

「この年末の時期に、大慌てで営業電話しても普通上手くいかないのに、99件連続失敗して100件目で成功、しかも相手が怪獣災害解決の立役者、今じゃ日本で知らない人居ないんじゃないぐらい有名なオオタキファクトリー相手って、運がいいんだか悪いんだか」

 

 言いながら、彼の口からため息が再び漏れた。

 

 明日香の独断専行の果てに降って湧いた仕事とは言え、仕事である以上手は抜けない。手を抜けば『そういう店』という評判が立つに決まっているのだから、店長や同僚のためにも絶対に手は抜けない。

 

 結果い、参加者全員の味の好みとアレルギー確認に、古いにも程がある町工場もいいところの本社の調理設備の確認、漁港やら何やら巡っての食材の仕入れ、不足している必要機材の搬入、エトセトラエトセトラ。

 

 仕事納めと言うにはあまりにもすることが多すぎたため、碇慎司はもはや完全に疲れ切っていた。

 

 とはいえ、惣流明日香が正社員でもないアルバイトの分際でありながら、慣れない営業の真似事を独断で初めたのにも、あまりに異常過ぎる時代をこの国が、いや全世界が迎えてしまったがゆえの事情があった。

 

 日本に限った話でも、ラドン出現に端を発した一連の怪獣および、紅塵がもたらした大規模怪獣災害、特に大怪獣ゴジラの上陸によって、半年前に東京の首都機能のほぼ全てが壊滅してしまっていた。

 

 東京の山手線地域から東側、下町のあたりまでがゴジラのもたらした異常な気温変動、そして止めとばかりに、紅塵が変異したと思しき謎の青色結晶が、東京中を埋め尽くしてしまったのである。

 

 彼らが通っていた赤坂の大学キャンパスも、彼らがアルバイトしていたイタリアン・レストラン『モンナ・リーザ』もゴジラの吐いた謎の青色光線に破壊されたか紅塵の青色巨大結晶化に巻き込まれたか、今はもはや残っていないだろう。

 

 現在も首都圏は封鎖状態で、侵入が禁止されてしまっている有様だから、確認のしようがないが、都心部はあの青い結晶に完全に埋め尽くされたような有様になっている。

 

 あれで残っていたのなら、むしろ奇跡のたぐいだろう。

 

 大学は当分休校を宣言している。そして、慎司・伶・明日香の3人とも相模原キャンパスには学部都合で縁がない。

 

 慎司と伶が同居していた杉並区のアパートも、下北沢の明日香のマンションも、水道・ガス・電気等の事情から住めたものではなくなってしまい、行政が割り当てた千葉の避難住居への一次避難を余儀なくされてしまっていた。

 

 とはいえ、人間とは、喪失に明け暮れるだけでは生きていけない。食べなければ生きていけないのだ。

 

 怪獣と紅塵がもたらした大規模災害の終結以後、各国政府は迅速に復興へと動きはじめた。

 

 幸い、東京は被災したものの、避難そのものは迅速であり、人的被害はゴジラが上陸するという恐るべき事態が発生した割には、犠牲者自体はだいぶ少ないものに押さえられていた。

 

 彼らが通っていた赤坂学院大学も、日本政府が用意した復興支援制度を利用し、空き地や空きビルを利用して臨時キャンパスを購入しており、2月には授業を再開するという話になっている。

 

 また、店が無くなり肩を落としていた『モンナ・リーザ』の店長は、長年繁盛させてきた店が災害で消滅してしまったことがショックでふさぎ込んでしまっており、店をたたむことを四年に検討していたものの、根強い常連や店員たちの声に応じて店の再開を決意、人口が急増した逃尾市に新たな店を構えた。

 

 結果として、慎司たちはこの厳しい時期にあってどうにか職を喪わずに済み、住まう土地こそ変わったものの、引き続き店長の元で働いている。元々千葉に食材仕入先があったのが幸を奏し、店の収支は赤字と黒字の狭間をすれすれ飛行しているような状態ではあったものが、この調子なら赤字で潰れることはなさそうな程度には稼げていた。給料も無論払われている。

 

 機を見るに敏と判断した慎司たち3人は、それぞれに逃尾の不動産屋に片端から電話し、それぞれの住居を臨時キャンパス近くに確保していた。

 

 なにしろ避難民が隙間風吹く仮設住宅暮らしに耐えかねて、皆こぞって転居先を千葉に求めたものだから、地価と家賃が急騰して気が触れた数値になっている。契約は早めに済ませたほうがいい、というのが彼らの状況判断であり、それは概ね正しい方向に働いていた。

 

 碇慎司は育ての親である親戚とは微妙な仲なので長野に変えるのは御免であり、綾波伶は箱根の古代遺跡に棄てられていた孤児であり、ついでに言えば碇慎司の同居人でもあるのでどうするにせよ新居がひつようであったし、惣流明日香は実家があるドイツで、父親の再婚相手とどうにも生き方や性格が合わず、最終的にお互い別居するのがベストという形で15才で日本に留学名目で逃げ込んできたようなところがある。

 

 全員が全員後退先がない以上、新天地で全力を上げて根差す方向で頑張る他になくなっていた。そのような事情から、『帰るところがもとよりないし、帰れたとしても帰りたくない』という点では方針が一致している。

 

 年末休み、被災で疲れているとはいえ、休日を潰してでもマネタイズしたい、というのは、彼らの偽らざる本音の一つであった。家賃と部屋更新代の事前備蓄や生活費の確保は、彼らにとって火急の責務なのである。

 

 喪ったものは確かに多い。けれど、喪っただけでもないという日々を、この半年、慎司たちは過ごしていたのだ。喪失を埋め戻すかのような、人生万事への一意専心。それにともなう充足の日々。

 

 そういう思いを抱いているのが彼だけではないことを示すかのように、後部座席左側の綾波伶がわずかに微笑みながら、彼の言葉に応えるように呟く。

 

「私達で臨時に店を経営できたようで、今日は楽しかった。和食に少し寄せた味付けにしてみたけれど、みんな美味しそうに食べてくれたもの。

 社長のおじいさん、また頼むなんて言ってたから、また依頼があるかもしれない。その時は頑張らないと」

 

 怜の言葉に、腕を組んだ明日香が然りと頷く。いわゆる『ドヤ顔』とでも言うべき表情を浮かべていた。

 

「結果オーライでいーのよ営業なんて、神風でも波風でも浜風でも上手く行けば。

 あんただって伶だって、疎開の引っ越しでいくらでもお金いるんだし、大学の学費免除だっていつまで続くかわかったもんじゃないし、稼げる時に稼いでおく! 月月火水木金金!

 忙しいのは私達だけじゃなくてオオタキファクトリーの人たちもみたいじゃない。

 仕事も納めずあの日も私達が来るまで働き詰め、あの会社色々手広くやりすぎてて、果たしていつに休んでいるのやら。

 ともかくあの大災害からまだ半年、どこも忙しい、食事を作る手間も惜しい、逆に言えば私達みたいな外食産業にとっては、ある意味稼ぎどきってもんじゃない」

 

 などといいつつ、明日香の勝ち気に自らの勝利を祝う目つきに、若干の疲労がまじり、口の端には苦笑が僅かに混じりはじめた。

 

 多分、あの会社のメンバー(特に約2名)と、その素行について思い出してしまったんだろう。さもありなんと慎司は内心で思った。

 

 まともに話ができそうなのは筋骨粒々とした加藤という社員と事務員の金原という女性(彼女にしたところで派手なピンク色に染めた髪の色と、目の隈のごとき黒いアイシャドー、黒レザージャケットに黒のレザーパンツといった出で立ちなものだから、慎司にとって第一印象で一番の変人に見えた)、インターンと称した事実上の早期入社状態らしい神野銘の3人である。

 

  残りの2人、社長の大滝吾郎と社員の有川ユンは天才か天才と紙一重であり、なんというか、接客をしていてやや気疲れしたことは慎司としても同意だった。悪い人たちでないのは間違いないし、たちの悪い客でもない。それはそれとして、彼らの独特な個性が個性すぎて、慣れるまでにだいぶ疲れてしまったのだ。

 

 明日香が苦笑交じりに、ガレージで行われた立食会のことをぼやきはじめる。

 

「あの人達、年末だってーのに、最初えっらい疲れた顔してて目で『もう帰りたい』『食事なんてどうでもいい』なんて疲労をこっちに目で訴えてくるから、ホント勘弁してほしかったわよね。

 何日鉄火場だったんだか……スーパー……なんだっけ、ワックスの改修だっけ? 

 都だか自衛隊だかの急ぎの依頼で掛り切りか何か知らないけれど、あんな疲れ切るほどのおお仕事だったら、立食パーティなんかしてないで帰らせてあげなさいっちゅーの」

 

「それは営業を断られるのとイコールということにならない?」

 

 伶の言葉に明日香がぼやく。

 

「そうなのはわかってるけど、それはそれとしてに決まってるでしょ。

 ものの味がするのこの人達、ってくらい疲れてたじゃない。

 それにしてもあの銀髪メガネ、メシならよりによって『ブラジル』のチキンカツのほうがいいんだけどとか抜かし腐って、こいうどうしてやろうかと思ったわよね」

 

 有川さんと加藤さんは小洒落た店より、地に足がついた地元の料理屋の方が好きそうなタイプだものなあ、と碇慎司は内心でだけ呟いて、明日香の愚痴に同意する。最もそのあたりは事前調査済みであり、カルパッチョも旬の寒鰆を使ったものを、醤油とバルサミコ酢などで和風に寄せたタレを使い、好みそうな味に頭を捻って寄せた。

 

 寒い時期でもあるから暖かなものをと、パスタはペシャメルソースとトマトソースを合わせたコクたっぷりのソースをやや太めの新を残したパスタにたっぷりとかけ、オーブンで焼いて仕上げた熱々のキャセロールを提供、これは全員に非常に評判が良かった。

 

 なるべく肉類も手間を掛けず、それでいて受けの良いものをと、子羊とパルマ・ハムとハーブを重ねて焼いたサルティン・ボッカや、シンプルな牛肉のタリアータを手抜きせず、多すぎず少なすぎずだすことで、顧客の心を掴めたように思う。

 

 特に加藤さんが露骨に足りないという顔をしており、リピーターになる顧客様特有の目つきをしていたので、ひょっとしたら常連になってくれるかも知れない、と慎司でさえ胸算段したほどだ。

 

「サングリアも更に甘口にして正解だった。ホットとアイスの両方を用意したのも正解。

 有川さんが甘いのに目がないということは事務員さんから聞いていたから、ジェラートにかけてたべられるようにしたけれど、功を奏してよかった。神野さんも美味しそうに、いい顔をして飲んでいた。きっとベリー多め果実マシマシが正義」

 

「結果良ければすべてよしよね。皆きれいに食べてくれたし。

 それにしても、あの社長さん。

 イタリア料理で自分の秘蔵の日本酒だって言いながら開ける人、初めて見たわよ、

 東京より魚がいいから魚介メニューには拘ったし、そりゃ合うは合うだろうけれど……出張とは言え自前の酒開ける? 店じゃないからいいのかもしれないけれど、出張シェフでドリンク代も料金入ってるのにそれって……まあ、払いがいいから全て良しだけれど、どーなのかしらね」

 

「思いついたら即実行の人らしいから……」

 

 一番高齢であるはずなのに一番元気にあれこれ言いながら大騒ぎしていた大滝社長の振る舞いを思い出しつつ、慎司は明日香の言葉に答えた。

 

 調べた限り、相当の高齢のはずなのに、メンバーの中で一番活力にあふれていて元気であり、元気の勢いが余って、大滝社長の口から次々に素人には高度過ぎて意味不明な言葉が怒涛のごとくに繰り出され、しかも有川さんや加藤さんは普通に会話を成立させていたものだから、正直なところかなりおののいたのは事実である。

 

 健康食品の話題から急にAIの学習パターンに話が飛んだと思えば、この世に存在しない動物は果たして何次元まで知覚可能か、それを統合検知できるセンサーはあるかなどなど、ジャンルから話題の内容まで本当に話題が飛び飛びであり、とりあえず流そうとすると不意に今の食い物はなんだ旨えぞとか聞いてくるので一切合切気が抜けず、それでさらに疲労が増したのは慎司だけの秘密だ。

 

 ドンガラの首都防衛移動要塞云々に始まり、地磁気異常がどうの、なんとかいう町の言い伝えがどうのならまだかわいいほうなので、本当に恐ろしい会社だと思う。ゴジラ退治の原動力にして最大殊勲賞、とまで言われるのも妥当だろう。ゴジラ顔負けの活力だ。

 

 普通の日常会話の中からシームレスにあれが最後のゴジラとは思えねえなどの恐ろしい発言が飛び出してみれば、突然『怪獣来たりて有明の、江戸の都を振り捨てて、西海の波濤に~』と氏素性が全くわからない、どこかの浪曲らしいものを突然唸りだすに至っては、どうやって周りの人は会話を成立させているんだろうと頭を抱えたくなったほどだ。

 

 本当に大丈夫なのだろうか、天才と紙一重というのはこういう人のことをいうのだろうかなどと言う言葉が、大滝社長を見ていると脳裏に浮かんでくる。勿論接客業だから、顔にも声にも出さなかったが、今は帰宅中なので脳裏もよぎるし顔にも疲弊の形で出る。

 

 ただ、そうしたおよそ常人には理解し難い人物ではあったけれど、相手をしていて不快なメンタリティを持つ人物でなかったのは確かで、慣れればそういうところに好意を抱かれるタイプの人物なのかもしれない、と思いながら、ふと慎司は自分の左の車窓を眺めた。

 

 夜を照らす街灯と、街路樹として植えられたヤシの木が、タクシーの後方へ流れていく。

 

 この半年ですっかり見慣れた北条海岸通りだ。しかし、どうも景色に馴染みがない。

 

 どうも話し込んでいるうちに、曲がるべき角を随分通り越してしまったようだった。慌てて慎司は運転席のタクシー運転手を振り返る。

 

「すみません、少し戻って貰えませんか? 道を行き過ぎてます」

 

「いえ、道は間違っていません」

 

 その返答に、慎司は怪訝な表情を浮かべた。

 

「いえ、3丁目は2つ前の道を右に──」

 

 しかし、制帽を被り、ティアドロップのサングラスをかけた、今どき古風とすら言える出で立ちのタクシー運転手は、否定するかのように首を振ると、碇慎司の方を向いた。

 

「少しばかりあなた方と話がしたかったのです、特に碇慎司さん。あなたに確認したいことがあります」

 

 胃の腑に不安がこみ上げる。タクシー会社に伝えたのは名字までのはずなのに、この運転手は自分の名前を知っている。

 

「話? 確認したいことって、なんですか?」

 

 自分の声が不安に震え、上ずるのを自分の耳で他人事のように聞く。道を間違えた運転手の冗談かなにかであってほしかった。

 

 しかし、運転手の視線はサングラスに隠れて見えず、口元はどこまでも無表情だ。感情を全くみせる気配がない。

 

 あくまでも事務的な、感情を含まない声で、運転手の男は慎司に問いかけてきた。

 

「はっきり申します。この国が海底軍艦とでも言うべき、恐るべき大軍艦の修復を行っていることを我々は既にして察知している。それにあなた自身が関与していることもです」

 

 何を言ってるんだ、という言葉を慎司は飲み込んだ。海底軍艦? 潜水艦のことだろうか。しかし、潜水艦というのは、慎司の知る限り、『大軍艦』などという表現の似合うものではない。

 

「海底軍艦? 話がさっぱりわからないんですけれど。人違いじゃないんですか? 僕はただの大学生で、千葉に来たのも被災したから……」

 

「とぼけないでいただきたい。かつて我らが祖国、ムウ帝国を滅亡の瀬戸際に至らしめ、そして破局を導いたあの忌まわしく恐るべき兵器、海底軍艦轟天号!

 この計画に、あなたは確かに名を連ねている! 若輩の身ながら艦長として! 我々ムウ帝国の諜報網を侮らないで頂きたいものですな!」

 

 慎司の言葉を、運転手の語気強い言葉が遮った。サングラスで表情が隠れているにせよ、明らかに怒っているようだった。それも、激怒の類をどうにか礼節で噛み殺しているような気配がある。

 

「かつて我がムウ帝国を滅ぼした悪魔の艦、轟天号! この復活は、危ういところで滅亡を免れた我らムウ帝国民族に、怪獣災害の混乱にまぎれて止めを刺さんとする企てと見た! 直ちに修復を即刻お止め頂きたい!」

 

 うろたえ、シンジは後部座席に一瞬視線を投げた。

 

 運転手の異常な様子に、普段あまり感情を表にだすことのない綾波が、動揺の表情を見せている。惣流はというと、スマートホン画面を操作していたが、どうも電波が繋がらない様子で、バッグに手を突っ込んでいる。そこに密かにスタンガンを隠し持っていることを、慎司は知っていた。なにしろまだ怪獣災害から半年しか経っておらず、強盗などのニュースは珍しいものではない。警察も状況の沈静化に必死なようではあったが、いかんせん怪獣たちが齎した被害と混乱は、彼らの職掌で対応可能な域を越えていた。

 

 おそらく大滝社長がタクシー券で帰るよう気を回してくれたのも、そういう時節を鑑みてかも知れないが、まさかその運転手が、どう見ても何らかの妄想に取り憑かれた危ない男であるというのは、想像の埒外であったに違いない。

 

 何れにせよ、この人物が危険であることは疑いない。惣流の性格を考えれば、間違いなく仕掛けるだろう。このような相手に手加減できる状況でもない。運転中にスタンガンは危険かもしれないが、狂人の妄想を聞きながらドライブするよりは、多分よほど危険がない。妄想に駆られて海中にでも車ごとダイブされてはたまらないのだ。この冬の時期の海水浴は、間違いなく年令問わず体に悪いに決まっているのだから。

 

「何の話ですか!? 分かりません、僕はそんなことには全く──」

 

 慎司は運転手に視線を戻し、叫んだ。狼狽していてわけがわからない、という顔をする。本当にそういう気持ちであり、なおかつ狼狽しているのだから、演技でもなんでもない。

 

 しかし、恐ろしいことに、運転手はそれを演技かなにかと本気で思っているようだった。慎司の表情を見ていよいよ真顔となり、唇を強く噛み締めた。血が出ている。明らかな激情。見ず知らずの人間にどうしてここまで怒れるのかがわからない。

 

「さては記憶操作か。やむを得ません、あなた方には我々のムウ帝国に来ていただく。

 いかに記憶を隠そうとも、破壊でなく隠蔽であるのならば情報は健在です。引きずりだすことも不可能ではないのですからな。

 乗艦を離れるこの機を逃さずに済んだのは、我々ムウ帝国にとってまさに行幸。

 碇慎司艦長、それに式波・アスカ・ラングレー副長、ご観念を」

 

「だれが! 副長! だっつーの!」

 

 後部座席から惣流の叫び声、次いで強烈な炸裂音が、運転手の首のあたりから響いた。

 

 惣流がバッグの中に護身用に入れていたスタンガンを、最大電圧で運転手の首に押し当てたのだ。危険なのは間違いないが、艦長だの副長蛇のムウ帝国だの、明らかに言動が奇妙だった。それこそ危険極まりない。

 

「済まない惣流、助かっーー」

 

 礼を言おうとした刹那。しかし運転手はむしろ毛ほども苦痛を感じていないようであった。

 

「ははは。天下の轟天号の副長ともあろうものが、我々ムウ帝国国民の身体の頑丈さを知らぬとは!

 これだから地上の奴隷共は愚かしい!」

 

「え、何こいつーー」

 

 奴隷!? なにかとてつもない言葉を聞いた気がしたが、しかし慎司はそれどころではないと直感した。最大電圧のスタンガンを頸部に食らってしまえば、大抵の人間は指一本動かせなくなる。そういう護身用具だからだ。それが、この運転手にはまるで聞いていない。むしろ愉快そうに唇に笑みすら浮かべている。

 

 そして運転手は右手を後ろに回すと、惣流の持っているスタンガンをいともたやすく奪い取り、握り──不意に、慎司の視線野崎、運転手の手を包んだ手袋が燃え上がる。

 

 そしてスタンガンが薄赤く光り──そして、あろうことか溶解した! 

 

 プラスチックだけではなく、内側の構造まで溶けてしまうほどの高熱を、この運転手は手から出したというのだろうか。

 

「に、人間じゃ──」

 

「私こそが人間だ! 地上に棲む脆弱な奴隷が人間を名乗るのがおこがましい! では、あなたがたを全員我々のムウ帝国にお連れ──」

 

 そう言ってムウ帝国国民を名乗る運転手は高らかに笑いながら告げ、ハンドルを右側、街路樹のヤシの木と、その向こう側、浜辺と海が広がる方角へハンドルを切り──

 

 次の瞬間、なにか、途轍もない、牛の鳴き声にも似た、おそらくはエンジンの咆哮が、後方から響いてきた。驚いて慎司は振り返る。

 

 この道は二車線であり、右側の道は対向車線である。しかし、お構いござらんとばかりに、二つのライトがぐんぐんとタクシーめがけて迫ってくるのが見えた。

 

 その車はあっという間にタクシーに追いついた。そして、対向車線であるにも関わらず、海への進路を阻むように、並走する。運転手のドアの窓ごしに、慎司はその車をあっけに取られながら見つめた。

 

 特徴的な鋭角の、赤い車体に見覚えが有り、あれはたしかランボルギーニの──その左側のドアが、縦に旋転して上に開く。ガルウイングのドアなのだ。

 

 左側の座席に座っていたのは、金髪の、どうも見覚えがある少女だった。高校一年生時代の惣流にそっくりだと気づく。左目におおきな黒い眼帯をしていた。葬式の時に着るような、真っ黒いスーツに身を固めている。

 

 惣流の姉妹だろうか? しかし慎司はそんな話は聞いていない。その、惣流にそっくりな少女は、一瞬慎司を右目で見つめ、にこやかな表情で右手を挨拶するように横に振った。

 

 その体が近づいてくる。右ハンドル仕様なのか、運転手がランボルギーニのどのモデルかわからないが、ともかく馬鹿みたいに高いスポーツカーを、アクション映画かなにかのように、無造作にタクシーめがけて幅寄せしてきたのだ。

 

 開いた助手席の側から、金髪の眼帯少女が身を乗り出し、運転手側のドアの窓に触れ──まるで薄ビニールかシャボン玉の泡でも破るかのような容易さで、運転席側の窓ガラスを腕力だけで突き破る!

 

「何者だ!?」

 

 さすがの狂人も狼狽したが、遅いようだった。眼帯少女は運転手の胸ぐらを掴む。きな臭い音と炸裂音──先程のスタンガンより激しい電流が雷じみて炸裂したような気配があった!

 

 金髪の少女の髪が一瞬電流でも受けたかのように逆立ち、しかし少女は不適に笑い──あまりにも過去の惣流に酷似した彼女の声音が、次の瞬間慎司の耳朶を打った。 

 

「情報通りの生体電流! でも残念ね、対策済みよ蒸気人間! 単に効かないだけだけど!」

 

「離せ……貴様、何者……いや、貴様こそが本物の!」

 

 運転手の驚愕した叫びが響く。

 

「あいにくこっちはパチモノ、そっちが本物。認めたくはないけど、私は平行世界の同位体のコピーってとこなんだろうし。ってーか、形象情報ぐらいちゃんと聞いておきなさいよ! 私はそんなに身長も高くなければ!」

 

 金髪の少女の眼帯が、不意に赤黒く光った。まるで少女の怒りに連動しているかのように。否、眼帯を透かしてその奥側の眼球が光っているのだろうか。

 

 だが、それもお構いなしに、少女は右手で運転手の胸ぐらをつかみ──

 

「胸も尻も大きくない! 成長できない悲しみを知れ、リリンもどきの蒸気オカルト都市伝説人間野郎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 

 まるで10年も溜まった怨念をすべて吐き出すような彼女の咆哮が、タクシー車内に響き渡る。次の瞬間、何か凄まじい破断音が響き渡り──次の瞬間、運転手は運転席から消えてしまっていた。

 

 おそらくは引き剥がされないよう抵抗するために掴んでいた運転用のハンドル及び、運転手側のドアもろとも。慎司は呆然と思い出した。

 

 右の真っ赤なランボルギーニが、加速してタクシーを追い抜き、前方へ走り去る。

 

 自分の視界と記憶が発狂しているのでなければ、あの惣流にそっくりな少女は、まるでティッシュ箱からティッシュでも引き抜くかのように、運転手を文字通りドアごと車から引っこ抜いてしまったのだ──

 

「慎司ィ! ブレーキ! 事故るーーーーー!!」

 

 惣流の絶叫で正気を取り戻し、とっさに慎司は運転席に身体をずらした。アクセルを踏む人間が居なくなったとは言え、タクシーは惰性でなお時速60キロ以上で突進を続けていた。

 

 慌ててブレーキを踏み込む。が、奇妙に軽い。ブレーキが掛かる気配もない。

 

「ブレーキの油圧……さっきハンドルむしり取られて……逝った?」

 

  顔面から文字通り血が引くのを感じる。寒い日にびゅうびゅうと冷たい風が吹き込んでくるのに、まだ人間は寒さを覚えられるものだろうか。

 

「碇くん、ハンドル!」

 

 流石に綾波が普段と違う必死の声を上げてくるが、そのハンドルは運転手とドアごと行方不明である。アクセルはもしかしたら効くかも知れないが、死につながるだけだろう。

 

「もうだめだ」

 

 思わず呟く。

 

「いやああああああ!!」

 

 後方から惣流の叫び声が聞こえてくる。どうしてこうなったんだ。続いて、制御系を喪った前輪が、致命的な蛇行を開始し、車体が傾いで──今度はタクシー後部から、なにか銛のような物が突き刺さったような金属音が響く。

 

「今度は何なの」

 

 綾波が怯え気味に呟くが、どうにも答えようがない。正直怪獣騒ぎの頃と大差ないような恐ろしい何かが起きているとしか理解できず、慎司はどう返答したものか困った。ただ、車の速度がみるみるうちに落ちていくのと、前方に引かれるようなGをかんじるあたり、どうも引っ張られているのだろう。

 

 そして、とうとうタクシーが止まった。慎司は振り返る。ジープを更に巨大にしたような車──たしか、ハマーとかいう、米軍が使っている大型の車が後ろに停まっていた。その巨大な車体の右側から、背の高いショートカット、黒髪女性が降りてきた。

 

 日本人離れした形相と美貌。服装は、彼女もまた喪服のような黒スーツだ。そういう制服の組織かなにかなのだろうか。

 

 彼女の右手には、巨大な水中銃のようなものが握られており、その先端からはワイヤーが、丁度タクシーの後部のあたりまで伸びている。

 

 どうもあれをタクシー後部に打ち込んで、ワイヤーで引張ることで暴走状態だったタクシーを停めたようだった。女性にできるのだろうかそんなこと、と慎司は思うが、実際止まったので、できたのだろう。

 

「モニク・デュプレよりカピタン、あなたのオリジンたちを救助。あまり無理をしないでいただけると助かるわね」

 

 女性はヘッドセットをしている。自身の耳元あたりを右手で操作しつつ、何か慎司にはわからないことを言いながら、慎司の方に歩み寄ってきた。

 

 逃げ出すべきだろうか、などという言葉が脳裏をよぎるが、助けてもらったのであれば、お礼を言うべきかも知れない。しかしどうも思考が上滑りするばかりで、立て続けにおきたあれこれに精神が完全に失調をきたしており、指一本動かせなかった。助かったという安堵のせいか、完全に脳が飽和しており、全身脱力状態である。綾波も惣流も、似たような状態らしかった。

 

 その女性はタクシー右側面の開口部──惣流がまだ子供だった頃の姿をした少女のような誰かにパワーだけで一瞬にしてむしり取られたドアのあった場所までたどり着くと、タクシー内部の様子を見た。瞳に少し安堵の色を浮かべこそするものの、表情は硬く、緊張感が僅かにある。任務遂行中の軍人、という言葉が、ふと慎司の脳裏を過ぎる。

 

「艦長って、大人になると随分背が伸びるのね」

 

 不意に、背の高い黒髪の女性の後ろ側から、まだ幼さを残した少女の声が聞こえてきた。その声の方を、反射的に慎司は見る。

 

「私!?」

 

 驚愕の声を、後部座席の綾波が上げた。

 

 彼女の言う通り、黒髪の女性の後ろ側に、綾波とそっくりの、髪も肌も白い少女が立っていた。服装はやはり黒のスーツにネクタイ。興味深げに、運転手席の慎司を見つめている。

 

「名車初代スカイラインがこの有様。必要とは言え、勿体ないわね。可能なら回収したいけれど、事故偽装には必要。惜しいわね、廃車なんて」

 

 何かをぶつぶつとぼやいている。街灯の光を浴びた瞳は明らかにアルビノの赤。中学生ぐらいの幼さであることをのぞけば綾波そっくりだ、と慎司は思う。しかし、綾波に姉妹なんていない、彼女は孤児で──

 

「なんなんですか、一体」

 

 漸くのことで、慎司はそれだけの言葉を絞り出した。あまりにも多くの出来事が起きすぎて、言語野はそれだけの言葉しか作り出せないようだった。その言葉に、綾波そっくりの少女が、無表情なまま頷く。

 

「話せば長い。守秘義務もある。そうね、強いて言うなら──水漏れ、停電、怪現象」

 

 そうして少女は、何かまたしてもよくわからないことを言い始めた。

 

「幽霊に宇宙人、超能力に都市伝説、多元宇宙論、怪獣騒ぎに素早く対応。

 あなたの街の大滝ファクトリー……の提携先ね、強いて言えば。

 あまり仔細は話せないから、どうしても疑問なら、大滝社長に聞いてみて」

 

「いや、でも、お礼とか──」

 

 言わないと、と言いかけて、何を逝っているんだと自分で思う。けれど助けられたのは事実だ。変なドライバーが変なことを言い出して、暴走して、そうしたら惣流そっくりの誰かがドライバーをむしり取って、タクシーは制御不能になり、知らない外人の女性と、綾波そっくりの女の子に助けられ、これ助けられたってカテゴライズしていいのかなこれ──ひたすら胡乱さをましていく脳を、どうにか奮い立たせて碇慎司は何かを言おうとする。

 

「いいの、無理しなくて。碇、慎司くん。それに惣流明日香さんに、──綾波、伶さん。

 あなたたちが普通に生きているだけで嬉しいし、助けられたのが嬉しい。巻き込んだのは私達の方だから。これほど形象が違うのに、勘違いするというのがそもそも計算の外だもの。

 そうね、それでは納得できないのなら、闇に隠れて生きる早く人間になりたい、そういう存在だと思ってくれればいい。あなたたちが人間らしく生きられる、それを確かめられただけでも、私達にとって憧れであり、嬉しいことだから」

 

 いや、あの、と必死で声を、綾波伶そっくりの少女に対して、碇慎司は絞り出した。

 

「ほんと、誰なんですか、あなたたち──」

 

「通りすがりのメン・イン・ブラックよ。あいにく記憶消去装置が手元にないけれど」

 

 しれっと言い切って、綾波伶によく似た少女は今度こそ慎司たちに背を向け、ハマーの方へ歩み去った。黒髪の外国人女性が、無表情だった顔に、つかの間苦笑じみたものを浮かべた。そして、慎司たちの方を振り返る。

 

「現在ジエイタイのマツバラ一佐の部下がこちらに急行しています」

 

 少し外国訛り、強いて言うならフランス語に似た響きを持つ日本語で、彼女は慎司に語りかけてきた。

 

「あなた方の身柄はジエイタイとキョサイタイ……だったかしらね、彼らがともかく保護します。怪我があるといけないから、病院に一度搬送することになると思うけれど、恐らく日本政府がうまくやるでしょう」

 

「あ、あんたらなんなのよ……」

 

 ようやくのことで精神が復旧してきた気配の惣流が、言葉をどうもフランス系と思しい外国人女性めがけて投げかけた。

 

 黒髪の女性はその言葉に肩をすくめる。

 

「フランス対外治安総局所属、モニク・デュプレ……と言ってもわからないわね。

 もともと非正規部門の上、この世界ではHEATチームは結成されなかったようだし、同位体も異なる人生を歩んでいる。別人のようなものね。トニー・ヒックス上院議員、なんて冗談も起こる。

 無駄話が過ぎたわね。

 それではごきげんよう。お大事に(Bon rétablissement.)

 

 言いながら、モニクと名乗った女性は踵を返し、ハマーの方へ歩み去っていった。

 

 彼女が乗り込む前に、エンジン音が響き渡る。

 

 運転するのは、あの綾波似の子の方なのか。海外だと、セーフなのかな……と、脳裏をどうでもいい思考が走り抜けていく。

 

 意識が薄らいでいく。脳が状況に対応しきれず、とうとう動作を放棄したようだった。

 

 高熱電気人間、素手で自動車のドアをむしり取るドッペルゲンガー、謎のフランス人、メン・イン・ブラック、よくわからないが、掲示板やSNSにしばしば書かれる怪談には、きっと本物が混じっているのだろう。そういう恐ろしく益体もないことを考えながら、たぶんタクシーの中で夢でも見たんだと思いつつ、碇慎司の意識は途絶した。

 

 後部座席の二人も、疲労も手伝って続々と彼の後を追うように失神する。その後ややあって、盗難されたタクシーの動向を密かに監視していた上空の自律思考ドローン『ナイジェル2』が機体不調を起こしてタクシーの傍らに墜落爆発したが、3人共それには気づかなかった。

 

──彼らにとって不幸なことに、これは現実であり、目をさますのは病院であった。彼らはその後しばらくの間、見たことを事故に伴う意識の混濁のせい、ということにして済ませることにした。

 

 知らなくてもいい現実というのは、世の中に実に数多くあるものだ。しかし不幸にも、この世界においてこの戦いは紛れもなく現実であり、そして人に知られることなき暗闘は、密やかにその苛烈さを深めていく──。

 

 

次回に続く

 

 

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