トレセン学園の廊下に突風が吹く。
このような事態はこの学園であれはいつものことなのだが、今回ばかりはいつものようにとはいかないようだ。
いかんせん風が強すぎる。
まるで最終コーナーからのラストスパートのように、その足運びは迅速だった。
強風の主は、白き稲妻タマモクロス、その人であった。
彼女は脇目もふらずに保健室へと向かうと、勢いよく扉を開け、息も絶え絶えに叫ぶ。
「オグリが倒れたって、ほんまか!!」
彼女の目には、ベッドで寝かされているオグリキャップと、その傍らで佇むオグリのトレーナーの姿が飛び込んでくる。
「オグリ!!」
絶対安静であるということは重々承知であるはものの、心配からか、つい大きな声が出てしまう。
「静かに、タマモクロス。」
オグリキャップの担当トレーナーは小さな声でタマモクロスを咎める。
「す、すまん...。つい...。」
そう謝りながら彼女はベッドのところまで移動する。
どうしてこんなことになってしまったんやろうか、彼女は横たわるウマが、一番の親友であるということをいまだに理解できないでいる。
昨日はあんなに元気だったやないか、どうして...。
アンタは丈夫が服着て歩いてるみたいなヤツやろうが...。
彼女の問いに答えはない。
眼前のものが結果である。
二人ともおしこくったまま幾分か経ったのち、ある疑問が浮かぶ。
苦しむオグリの表情を見れば、その問いの答えは聞かずとも分かる。
だが、一縷の望みをかけて彼女は重い口を開く。
「...オ...オグリの容態はどうなんや...。」
「良いとは言えないわ...。」
トレーナーは短く言い切る。
「そうか...。」
予想はしていた、だが実際に聞くのとはわけが違う。
つい、声が震えてしまう。
それからしばらくの静寂が続いた。
「わたしは...そろそろいくわね...。」
その静けさを最初に切り開いたのは、トレーナーであった。
「...。」
とりとめもない考えにとらわれたまま、何も答えることができない。
ドアが閉まる。
二人だけの空間に、また静寂が訪れる。
落雷がどこかにおちる音がした。
それがタマモクロスに正気を取り戻させる。
親友が苦しんでいるのだ、何かできることはないか。
そのように考え、オグリキャップに話しかける。
「なあ...オグリ...。痛むか...?なんかしてほしいこととかあるか...?ウチになんでも任せてや。今日は、いや、オグリが治るまでずっと一緒にいたるわ...。」
返事はない。
「水...。ここに置いとくで...。喉渇いたら飲みや...。」
応答はない。
彼女はその後も話しかけ続ける。
今日あったこと、楽しかったこと、面白かったこと...。
返事はなくてもきっと聞こえてるはずやと、またあの声でウチのことを呼んでくれるはずやと、今にも泣き出してしまいそうな自分を騙して必死に話を紡ぐ。
彼女がそこを訪れてからどのくらい経ったのだろう。
もう話のタネも尽きてきてしまった。
いや、あるにはあるがどの思い出にもオグリがいて、苦しいだけであったから、もう話せなくなってしまったと言う方が正しいだろう。
それでも、どうにか話を紡いでいくしかなかった、いつまでも起きない友を待つことしかできない時間に、耐えられないであろうから。
「なあ、オグリ...。今度のレースは新調した勝負服着て走るんやろ?この間ウチに話してくれたやろ?だったらはよ治さんとアカンなぁ...。ウチ絶対応援いったるからな。」
いつの間にか降りだした雨は、窓を打ち付けるほど強さを増してきている。
友は眠ったままだ。
彼女は話を続ける。
「お、見てみいや、さっきの稲妻どことなくウチに似てへんかったか?ちっちゃくて、細っこくて、でも音は大きくて...。」
いつしかすっかり日は暮れ、話は二人の出会った日まで遡っていた。
「オグリ...覚えてるか?アンタと初めて会った日もこんな日やったよなあ...。地方からトレセン来て、右も左も分からんどうし仲良うなって...。ウチはな、アンタがタマって呼ぶん、結構気に入ってるんやで。最初はペットちゃうねんぞって怒ったりして、悪かったなあ。でも、一気に距離が縮まった気がして...すごいうれしかったんや。」
「思えば、ここに来てからもう2年経つんか...早かったなあ...。いろんなことを一緒にしてきて...楽しかったなあ...。」
あかん。
タマモクロスは直感的に悟ってしまう。
このままやと...。
しかし、思いとは裏腹に口は止まらない。
「こうして思い出を探ってみてもな、記憶に焼き付いてるシーンには必ずオグリがいるねん...。」
視界が滲む。
「もうな...アンタなしじゃどうにもしまらんねん...。楽しないねん。だからな...早く病気治したってや...。ウチにまたあの笑顔で笑いかけたってや...。」
もう止まらない。
悲しくて、かなしくて、握った手を放したらこのままどこかに行ってしまいそうで。
タマモクロスはオグリキャップにしがみつき、声をあげて泣いた。
名ウマ娘としてレースでバリバリ勝ちまくってやると決めたその日から、もう泣かないと決めたのに。
我慢してきた日々のぶんが一気に押し寄せたかのように、涙は止まらなかった。
「タ......マ......?」
泣き続ける彼女の耳に入ってきたのはいつもの声であった。
「オグリ!?」
彼女はぐちゃぐちゃになった顔のまま顔をあげる。
「気がついたんか!?」
親友の声を聞き、タマモクロスは驚嘆の声をあげた。
「あぁ...私はいったい...?」
「あんたは倒れたらしいねん!気がついて本当によかったわ!!」
顔を拭いながら答える。
「ちょお待っててや!今センセ呼んでくるからな!」
気丈に答える彼女は未だに無二の友人の顔を直視できずにいた。
きっとまた、醜態を晒してしまうだろうから。
「まて、タマ。呼ばなくてもいい。」
そういって、ベッドの中の親友は保健室を勢いよく出ようとした彼女をとめた。
「もう、お腹もだいぶおさまったからな。」
「......ん?」
疑問符が浮かぶが、きっといつもの天然だろうと思うことにした。
「もう飯の話かいな、あんたらしくていいわ。でも、センセは呼んだ方がいいで。いくら良くなったといえど病み上がりには変わらないんやからな。」
「病気...?なんの話だ...?」
再び疑問符。
話が噛み合わない。
「えっ?でも倒れたって...。」
「それは事実だ。急に具合が悪くなってしまってな。でも私は病気じゃないぞ?」
???
この芦毛のウマは何をいってるんだろう。
まるでわからない。
「しかし、なんで私はなんで倒れてしまったんだろうなあ。乾燥ワカメを10袋ほどおやつに食べただけなのに...。」
「ひょぇっ?」
思わず口から変な音が漏れる。
思考が追い付かない。
「はっ!あんな少し食べただけで倒れるだなんて...!本当は病気なのか!?」
言葉がでない。
ウチのこの思いはいったいなんだったんやろうか。
「タマ!はやく先生を呼んできてくれ!!」
彼女は何も言わずに保健室を出ていく。
後ろから自分を呼ぶ声がするが、気のせいだろう。
雨はすっかり上がっていた。
彼女はオグリのトレーナーも相当の天然であったことを寮への帰り道で思い出すのだった。