頭をフル回転させる。
どこの位置から仕掛けるか、足運びはどのようにすべきか…いくつもの思考が脳裏をよぎる。
その全てが何度も実践し、シミュレーションし、突き詰めていった論理。
彼女は決して頭脳を休ませることはない。
その娘にとっては、夢の中でさえ、研鑽の場に過ぎないのだ。
エアシャカ―ルはそこにいた。
彼女の耳には何も届かない。
ライバルたちの声、鳥のさえずり、周囲で掻き立てられるその全てがノイズに過ぎない。
己と対話しながら、ただひたすら出走の時を待つ。
そしてー
(今!)そう思うのと同時に彼女は勢いよく飛び出す。
此度のレースは短距離戦。もう何度目の挑戦になるだろうか。
適性から考えれば、彼女にとって決して得意とは言えない距離だ。
無謀だと笑う者がいる。誇大な夢だと嗤う者がいる。
されど、決して、止まらない。止まることはない。
数多の罵声、嘲笑、侮蔑。それらを全身で浴び、振り払い、歯牙にもかけずに突き進む。
己の理論を証明し、栄光をつかむまでその足は止まることを知らない。
今この瞬間に上がっている非難の数々も聞こえてはないのだろう。
レースはまだ始まったばかりであった。
見慣れた光景が続く。
最後方からの景色。何も変わらない景色。
それは試合運びが順調であることを告げるとともに、再びの敗北を予期させるものでもある。
そのことは彼女も気づいている。だが、
(この角はこうやって入って、次の直線はー)
あくまでもシミュレーション通りに。
ロジックの信奉者である彼女はいたって冷静である。
常に二手三手先を読みながら戦場を駆けていく。
レースは中盤戦へと差し掛かっていた。
レースが動いたのは目標まで残り200mを切った時。
エアシャカ―ル、暴走。
眼前のすべてを叩き潰し、目標へと迫る。
理論を捨て、フィールドを疾駆する獣の姿がそこにはあった。
経緯を追うために、少し時を遡らねばなるまい。
数瞬前―
(クソっ!!はえェ!!速度が足りねェ!!)
エアシャカ―ルは苦悩していた。
強豪たちを追い抜けないのだ。
これまでのレースから考えれば、彼女はとっくに先頭だったはず。
それもそのはず、この日は夏合宿明け。
夏の猛暑と鍛錬の日々が、ライバルたちを屈強な猛者へと変貌させていた。
彼女の卓越した頭脳の計算を上回るほどに。
(俺の計算がッ!!間違ったってことかよッ!!)
つい、冷静さを欠いてしまう。
以前の彼女なら、ここで終わっていただろう。
だが、今なら。
夏を越え、走りに磨きをかけたのは、ライバルたちだけではない。
つい笑いがこみ上げる。
どうにも上手くいかないことに腹が立つ。
周囲を見渡す。
メジロの令嬢に、生徒会長に引っ付いているチビ、その他にも名のあるレースで勝利をもぎ取った強豪の顔が飛び込んでくる。
一筋縄ではいかないことを悟る。
(我々の精神がもたらす結果も参考にすべきだ、ねェ…。)
アイツの顔がちらつく。
同じようで同じじゃない、どうにもできない厄介なヤツ。
(どうせこのままじゃ厳しいんだ、根性論っつうのを試してみるのも悪くねえかもなァ!)
ここに、氷のような精神と熱い闘志を宿したウマ娘が誕生した。
一度走り出した暴走機関車は止まらない。
持ち前のパワーで敵を薙ぎ払う。
行ける、そう確信した。
しかし、何か引っかかる。
何か忘れていることがあるのではないかと、頭が自分に語り掛けてくる。
それを思い出させたのは、一つの足音だった。
もはやある種の警告音であるその音は、何も届かないはずの彼女の耳を鷲掴み、この私を忘れてるんじゃないだろうな、と威圧してくる。
脳内で響く、最大限の危機報告。
(来たか、「怪物」ッ!!)
彼女のすぐ後ろには、芦毛をたなびかせるソレが迫っていたのだった。
レースは最終局面、目標まで数歩の距離。
そしてー。
木陰の下、可憐な少女が仲良く並んで座る。
手には特大のパフェ。
彼女が欲してやまなかった学年混合レースの景品。
二人そろって仲良く、一つのパフェをつつく。
終わらぬ談笑。
片方のとびきりの笑顔に押され、戦いを制した娘もかすかに微笑む。
(今は、これだけだけど、いつかは。)
俺もとびきりの笑顔を見せられたら。
ついに栄光を手にした彼女はそんなことを思うのだった。
プルプル、プルプル
「なんだいもう、いいとこだったのに。」
「よいしょっと。まったく誰だいこんな大事な時に。」
「…おお、珍しいこともあるもんだねえ…。」
「もしもし。」
「…おう、俺だ。」
「あぁ、どうしたんだい君?もしかして実験に参加する気になったのかい?」
「ちげェよ。わかりきった答えを聞きやがって。」
「そんなに呆れたような顔をしないでくれたまえよ、冗談ってヤツさ。それで、どうしたんだい?」
「つまんねえ冗談だ。ああ、一応礼をと思ってな。」
「お礼??」
「根性論ってのも悪かねぇな、じゃあな。」
ガチャン、ツーツー。
「なんだったんだい、今のは…。彼女がお礼だなんて…。しかし…。」
「フフフ…君はそんな笑顔で笑えたのかい…クックック…。」
彼女の網膜には、にんまりと笑う同志の姿が焼き付いていた。