「
「──」
「おーい、牧野くーん?」
「──」
「……」
電話が鳴った。俺の電話ではなく会社のスマホへの非通知番であったため、俺はすぐに取った。
「はい。星見プロダクションです……って、
一字一句同じ言葉が別方向から聞こえてきて振り返る。そこで俺は電話の主が麻奈であると知った。
「やーっと気づいたねー」
「……すまん。作業に集中してた」
「別にいいけどさぁ」
麻奈は通話を切ってスマホをしまいながら言葉を続ける。
「牧野君、働きすぎじゃない?」
「そうか?」
働きすぎ……なのだろうか。
麻奈に誘われてバイトになり、そこから社員に昇格してまだ半年と経っていない。社員になるとバイトの時よりもやることが多くなるし、慣れない作業で滞っていることも多々あり、働けなさすぎという感覚はあるが働きすぎという感覚はなかった。
「ちなみに、前休んだのは何時?」
考えが顔に出ていたのか、麻奈は怪訝そうな表情で聞いてきた。
「えーっと……二日前?」
「その日は何をやってたの?」
「……仕事、だな」
「休日になってないじゃん!」
確かに。思い返せばそうだ。しかし慣れるまではこうだろうとどこかで高を括っていたし、実際そこまで苦ではなかった。
「休むときはちゃんと休む! ほら、今日も牧野君、休憩なしで頑張ってたんだから、今日のところはお休みにしようよ」
「それは助かるけど……」
スケジュール管理は本来マネージャーがアイドルに対して行う仕事であり、麻奈が俺のスケジュールを管理するのはどうなのかと思ってしまうが彼女の決定に従う他ないだろう。
……しかし大丈夫なんだろうか。
「俺はまだまだ新人だし、多少は休日を削ってでも仕事を進めないと──」
「じゃあその日、仕事の他に何してたの?」
「──」
「ほらやっぱり。頑張りすぎるのは牧野君の美徳だけど、少しは休養を取らないと体に毒だよ」
「そうだな……次の休みの時は、ゆっくりするよ」
「だーめ。牧野君のことだから、半日くらいは仕事に使うだろうから」
「ぐ、否定できない……」
「だから、今日は休む!」
「は?いやちょっと待て!今日は平日で、普通に出勤日だぞ!?」
「大丈夫、三枝さんからの許可はとってあるから」
「はい!?」
「さ、デスクワーク止めてソファーにゴー!」
「あ、おい。あのソファーは来客用……」
「今日は誰も来ないから大丈夫だって」
「わ、わかったから引っ張らないでくれ……そしてパソコンの電源だけは切らせてくれ」
そう言うと麻奈は俺の服を引っ張るのを止めた。
一息つく間もなく、麻奈が睨んでいたので、俺はさっさとパソコンの電源を切って閉じる。
「さ、行こっか」
今度は手を引いて、麻奈は応接用のソファーに俺を座らせた。
「座り心地いいな」
「あれ、牧野君そこ座るの初めてなの?」
「社員がこんないいソファーに座るわけないだろ」
麻奈はスカウトされた時などに座ったのだろう。
「じゃあそこで待っててー」
そう言って麻奈は場を離れていく。
急遽休みになったとはいえ、勤めている会社の来客用のソファーに深く座るのはマナーが悪いだろう。とはわかっているのだが、どうも動けそうにない。人をダメにするソファーだ。
そんなことを考えていると、控えめな甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「……何か作ってるのか?」
「作ったんじゃなくてアップルティーを淹れたの。インスタントのね♪」
ゴトッとソファー前のローテーブルにコップが置かれる音がした。
「飲ませてあげよっか?」
「自分で飲むよ」
「つれないなぁ」
そう言いつつ麻奈は笑って隣に座る。
「……いただきます」
「フフッ、召し上がれ」
既に麻奈は自分の分のカップを持っていて、既に口をつけていた。
俺も一口飲んでみると、微かな甘酸っさと林檎の風味が口一杯に広がってきた。
「うん、美味しい」
「えへへー、ありがとう」
「砂糖は入れてないみたいだが……蜂蜜か何か入ってるか?」
「正解! 疲れてる時は糖分摂らないとね」
「ありがたい」
これじゃあホントに、どちらがマネージャーかわかったもんじゃないな。そんなことを考えながら、もう一口紅茶を飲む。
「あー……落ち着く」
「良かったー。でも、まだ休日は始まったばかりだからね」
そう言って麻奈は嬉しそうに笑う。
この笑顔には敵いそうにない……そう感じてからしばらく無言の時間が続き、俺はふと浮かんだ疑問を口にした。
「そういえば、どうして急に休みにしてくれたんだ? 三枝社長にも許可を取ってたみたいだし」
「んー……まあ、たまには息抜きしないとね」
「なんだそれ……」
俺が呆れていると麻奈が身を寄せてきた。
「なあ……」
「なあに? 私のマネージャーくん」
「……」
麻奈は時々こういうことをしてくる。
心臓に悪い。けれどそれを嫌ではないと思う自分がいるのもまた事実だ。
しかし俺と麻奈はあくまでアイドルとそのマネージャー。一年前なら許された距離感かもしれないが、もう俺達は立派な大人なのだ。ここまで親しげだと麻奈のアイドル人生に泥を塗りそうでならない。
「どうしたの? 黙っちゃって」
「いや、なんでもない」
「そう?」
俺の気も知らず、麻奈は優雅な所作でアップルティーを飲んだ。
無自覚なんだろうか……前からわかっていたけど、本当にタチが悪い……。
「……ところで、なんでアップルティーだったんだ?」
「えっとね、アップルティーってリラックス効果があるんだよ」
そうだったのか……そう言われると、何かさっきより肩の力が抜けているような気がする。
「それに、好きな人にお茶を振る舞えるのが嬉しいから……かな?」
「はい……?」
一瞬何を言われたのかわからった。脳が拒否したと言ってもいい。しかしフリーズは一瞬の出来事で、理解したら一気に顔が熱くなったのを感じた。
「流石に冗談だよ牧野君……もしかして、本気にしちゃった?」
「そりゃあ……ちょっとは……」
「え……それは……そうなんだ」
自分で言ったことなのに少し恥ずかしそうにする麻奈を見て、何故かこちらまで照れ臭くなってきた。
「あ、牧野君耳まで真っ赤だ。かわいいー」
「それを言ったら麻奈だって真っ赤だぞ」
「え、嘘!?」
「嘘じゃないぞ」
鏡でも見ればすぐにわかるだろう。
……俺も人のことを言えた義理はないけどな。
「ふぅ……とてもいい休憩になったよ」
「え? 牧野君なに終わった気でいるの?」
「へ?」
まだあるのだろうか……その疑問は素面に戻った麻奈が俺を無理やりに膝枕したことで示された。
「今日は休日でしょ。だから、昼寝とかもしちゃっていいわけ」
「ああ……」
なるほどそういう事か……確かに、言われてみればそれもそうだ。
「だから私の膝枕で寝ちゃえば?」
「わかった……って、ちょっと待て。何してるんだ?」
「何って、膝枕だけど」
「いや、それはおかしいだろ」
俺がそう言うと、麻奈は心外だと言わんばかりに不満げに頬を膨らませた。
「むう……私はただマネージャー君の疲れを取り除こうとしてるだけなのに」
「それが問題なんだ」
「あ、そっか。マネージャー君は私に触られるのは嫌な人だもんね」
「そうじゃなくて、アイドルとマネージャーの関係が逆転してるから問題なんだよ」
「それは牧野君が不摂生な生活をしてるのが悪いと思うな」
不摂生って……俺はそう言って苦笑しかけたが、麻奈はとても真面目な表情で言う。
「最近の牧野君、ちょっと働きすぎだと思うの」
「そんなことは……」
「そんなことある! 牧野君、仕事が終わったあともずっと事務所にいるよね? それに最近、お風呂にきちんと入ってないでしょ」
「……」
「図星みたいだね」
麻奈は呆れた様子で言う。
確かに最近仕事ばかりでロクに風呂に入っていない。流石に二日に一度は入るようにしているが、忙しくて入れてもシャワーを浴びるだけだったりと本当に入ったと言っていいのかわからない日が続いている。
「流石に今から入れとは言わないけどさ、今日くらいはゆっくりしたほうがいいよ」
そういう麻奈の声は本心から心配しているのかトーンが落ちている。
……本当、俺はまだまだ未熟だな。
「ありがとう、それじゃあお言葉に甘えて少し休むことにするよ」
「うん!」
観念して膝枕された俺の頭を麻奈は優しく撫でてくれた。その感触がとても心地よくて……いつの間にか眠気の波に意識が飲まれていた。
次に目を覚ました時、時計の針は三時間ほど進んでいた。
あけましておめでとうございます (凡そ1年半ぶりの投稿)。
続きは明日19時投稿です。