「......あれ?」
ノゾミはいつの間にか知らない場所にいた。辺り一面真っ暗闇で何も見えないが、不思議と恐怖は湧いてこない。むしろ心地よいくらいだ。
「ここどこ......」
とりあえず周囲を探索しようとしたその時、声が聞こえてきた。
「おーい!」
振り向くと目の前は光輝いていた。眩しくてよく分からないが、そこにはシルエットからして男性が立っている。
「誰?」
そう尋ねると、相手は少し戸惑った様子でノゾミを手招きする。
「ノゾミ、家に帰ろう」
その瞬間、頭の中に景色が流れ込んでくる。夕焼けに染まる遊園地の光景だ。
メリーゴーランドに乗っている幼い自分と、外で手を振る父親の姿。
「パパ!」
思わず駆け寄った。だが父の影は次第に遠退いてしまう。
「待って! まだ一緒に遊びたい!!」
ノゾミが必死に手を伸ばしても、その手が父親を掴むことはできなかった。
◆
「......ミ、神戸ノゾミ」
肩を揺すられてノゾミは目を覚ました。
見上げると、そこには心配そうな顔をした涼真の姿があった。
「大丈夫か? 随分うなされていたようだが」
「ええ、まあ......そうだ、今何時ですか!?」
「午前6時だ。学校ならこちらが諸々手続きをしている」
「手続き?」
「怪異に触れた以上、人との接触は避けた方がいい。対策局が運営している通信校への転学を勧めよう。ご家族は?」
「......いません。1人暮らしなんで」
そう言うと涼真は言葉を飲む。
ふと時計を見ると、確かにいつも起きる時間になっていた。しかし気分は最悪だった。
家族だけでなく友達や居場所までなくなったのだ。それを思うと胸の奥が締め付けられるような感覚に陥る。
「学費はこちらが負担するから安心してくれ。当分会えなくなるだろうから、友達に連絡をいれておいた方がいいかもな」
「大丈夫です。そんなに友達いないし、チカにはあの日からブロックされてますから」
「そうか......すまない、俺はこれで」
涼真は左肩を押さえながら、重い足を引きずって病室から出ていった。
◆
涼真は怪異対策局の管制室に呼び出されていた。非戦闘局員はここで怪異の情報を探知・追跡を24時間行っている。
彼らを後目に向かうのは、呼び出し人は組織のトップである局長の零澤だ。その隣には、ナンバー2の狭霧副長がいる。
「面倒なことになったな風祭」
「局長、そのことなんですが──」
「分かっている」
零澤はファイルに閉じてあった資料を涼真を手渡した。
「キュウビについてはお前も知っているな」
「はい。日本で最も妖力の強い怪異ですよね?」
零澤は右の手の甲についた傷跡を撫でながら、キュウビについて語り始める。
平安時代の末期に、帝の寵愛を受けた女性がいた。名を
だが彼女の正体は、人の王を惑わし国を滅ぼす恐ろしい妖狐・キュウビであった。神に匹敵する妖力を備えた彼女だったが、帝の命を受けた2人の武士によって討伐されたかに思われた。
しかし武士が討ち取ったのは彼女の化けの皮だった。それはたちまち殺生石と呼ばれる、緋色の石に変わった。強力な妖力を持った殺生石に怪異が引き寄せられるのを危惧した帝は、陰陽師にその石を全国に散らせたのだ。
「だが各地の怪異は殺生石を取り込み、9体の第一級怪異に進化してしまった」
「まさか零澤局長、あなたは!」
「察しがいいな狭霧。そう、殺生石を集めれば強力な妖力が手に入る。それを利用できれば......」
「神戸ノゾミを救えると?」
「可能性はある。第一級怪異を殲滅するにはいい口実だ。現在確認できるのは3体、期が来るまでは調査と準備だ」
零澤は涼真から資料を奪い取ると2人に背を向ける。その姿勢は一切の批判を受け付けないというものだった。
「しかし零澤局長、それまではあの高校生をどうするつもりで?」
「もちろんただ飯を食わせてやるつもりはない。丁度いい案件がある」
◆
「怪異の討伐ですか? 私が?」
ノゾミは思わず聞き返した。
零澤曰く、怪異対策局では各地に点在するいくつかに格付けされた怪異の中で、第三級以上の危険度を誇るものを駆除するのだという。今回の対象は第三級怪異の『
「我々は君を救うため全力で対策を取っている。だから君にも組織のために報いてもらいたい」
「......わかりました。私頑張ります!」
ノゾミは快く返事する。もう邪神と契約してしまった身、今更逃げるつもりはない。
それにこのまま何もしなければ、自分の知らないところで誰かが犠牲になってしまう。それを見過ごせなかった。
きっとうまくいく。根拠はないが、しかしノゾミにはそんな気がした。
「そういえばりょ......風祭さんは?」
「風祭はこの前の傷が癒えていない。怪異と戦うのは困難と考えて待機させている。よって今回は君1人で調査に向かってくれ」
1人では不安だが仕方あるまい。ノゾミはどこかで見たヒーロー物のように、局長に対して敬礼した。
「......ところで、原付の免許は持っているか?」
「一応身分証代わりに。ペーパーですけど」
「そうか。では出発前に地下1階の開発部に向かってくれ」
◆
怪異対策局の内装は至って普通のオフィスビルのようだった。スーツ姿の大人がパソコンに向かっている姿は、悪の秘密結社のような仕事振りを予想していたノゾミにとっては拍子抜けだった。
しかしエレベーターで地下1階に降りるとその様子は一転した。スパイ映画で見たような近未来的な施設がいくつも並び、強化ガラス越しには涼真が使っていたドライバーや何かの武器が製造されている。
ノゾミはさらに奥に進んで『開発部第1課』と書かれたプレートの付いた自動ドアの中に入る。壁際には色とりどりの球体が試験管に並べられており、正面には大量のダンボール箱が乱雑に置かれていた。
「やあ、よく来たね」
ダンボールの山から手が伸びると、資料の山を押し退けてゴーグルを付けた冴えない男が現れた。
「僕が責任者の
「神戸ノゾミです。よろしくお願いします」
頭を下げると、三雲はうんうんと頷く。資料の束を退けて机の上を自由にすると、ノゾミにコインケースを渡した。中には怪異の力が封じられた数枚のコインが収められている。
「これ就職祝いね。時間がなくてちょっとだけど」
「えっと、ありがとうございます」
ノゾミの礼を片手間に流しながら、今度は部屋の隅にある青いビニールシートを取り除いた。中からは白のスーパーバイクが現れる。
「マシンオボグルマーだ。みんなバイク、バイクっていうけどね」
「これが私のバイクですか?」
「......そうなるね。渡したコインの中にウンガイキョウのコインがある。マシンの投入口に使ってみなさい」
ノゾミは早速マシンに跨がると、メーター付近のコイン投入口にウンガイキョウコインを入れる。
『ウンガイキョウ!』
すると目の前の空間が歪んで大きな丸鏡が現れた。
「この先はワープゲートだ。目的地までの距離を1つの直線に変換し、最短で着けるように設定している」
「わかりました」
ヘルメットを被りエンジンを吹かす。軽快な音を立ててエンジンが始動し、車体が振動する。
「それじゃあ行ってきます!」
「幸運を祈るよ」
ノゾミの言葉に三雲は笑顔で答える。ノゾミはアクセル全開で勢いよく走り出し、丸鏡の中へと突入した。
◆
とある農村での葬儀、喪服姿の村の人間たちがお経が唱えられている中、小声で話をしていた。
「おい、聞いたか昨晩の......」
「裕次郎くんだろ? まだまだこれからだってのに......」
「だけどよ、あの裏山に入ったんだろ? 自業自得じゃねえのか?」
「おい滅多なこと言うんじゃねえ」
「にしてもお姉ちゃんも可哀想にな。後追いなんかしなきゃいいんだが......」
周りからも同意のざわめきが起こる。
遺族の席に座っていたナオコは、誰にも気づかれずそっと会場から抜け出した。
◆
ナオコが向かう先は村の外れにある山だ。入ったら最後生きて帰ってこれないと言われる裏山だ。
猟師を目指していた弟はこの村の風習に疑問を抱いていた。だから父の遺した猟銃を手に復讐を果たそうとした。そして山に入った後、右脚1本だけで帰ってきた。
たった1人の肉親を失ってしまった。目に光の灯っていない彼女は、ふらふらと山へ歩みを進める。
「あ! あのすみません!」
後ろから声をかけられる。声の主はノゾミだった。同年代の彼女はバイクを押して息を切らしている。
「この村の村長さんの家に行きたいんですけど、迷っちゃって」
「それならあの道をずっと行ったところですよ。大きなお屋敷ですから一目で分かります」
「そうなんですか? でもおかしいな、そこ通ったんだけど......もしよろしければ案内してもらえません?」
ナオコは丁重に断りを入れたが、結局ノゾミは押し切られる形で村長の家を案内することになった。
赤の他人と、田んぼの蛙が鳴き始める中で並んで歩く。正直投げ出したくなったが、今更置いていくわけにはいかなかった。
「そうだ。あの山に行くなら明日にした方がいいですよ」
「......別に、行こうとしてませんけど」
「そうなんですか? まあ今日はもう遅いですし、狒々も出ますしね」
しばらくして村長の家に付く。ノゾミは何度もお辞儀をし、バイクを押して駐車スペースへ消えていった。
◆
ノゾミは村長の家に入ると、使用人に案内されて応接間に通された。
高価そうな美術品に囲まれて落ち着かない中、しばらくすると深緑の着物を着た壮年の男性がノゾミの前に現れた。
「大変お待たせして申し訳ない。私がこの村の村長の吉田と申します」
「ご連絡いただいた神戸です。早速ですが、その狒々について話してもらえませんか?」
「ええ、あれは今から30年ほど前になりましょうかな......」
この村には大きな森があったのだが、ある日そこに1匹の猿が住み着いた。最初は木の実を盗む程度だったが、成長するにつれて畑を荒らし家畜を襲ったりと被害が大きくなっていった。
村人は何度も猿の駆除を試みたものの、猿の悪知恵にはまり中々うまくいかなかった。そこで村人は金を出し合い、腕利きの猟師を雇った。3日3晩の末に、ようやく猿は殺された。
「しかしそれは間違いでした。奴は自身を殺した人間を恨んで妖怪になったのです。山に入った者は皆手当たり次第に喰い殺されました。唯一無事に生還できた村の者は涙ながら言いました、『あれは猿の化け物、狒々だ』と......」
ノゾミは唸った。事前に零澤から話を聞いていたが、現地にいた人間の話にはその恐怖がよく伝わってきたからだ。
「分かりました。必ず狒々を退治してみせます!」
「本当ですか! ありがたい、何卒お願いいたします」
村長は深々と頭を下げる。意気込んだノゾミは森の調査に出かけるべく、颯爽と応接間を後にした。
その背中を見送ると、村長は不気味な笑みを浮かべるのだった。