鬼更井駅の事件から数日後。怪異対策局の食堂にて、涼真はコーヒーカップ片手に考え事をしていた。
「どうしたものか......」
ここ最近、彼の頭の中にはある疑問が渦巻いていた。それはもちろんノゾミの事だ。
邪神の影響を受けた彼女は仮面ライダーになり、これまで危険な怪異と戦いを繰り広げてきた。だが彼女の傷は自分とは違って回復力が段違いで、もはや人のそれとはかけ離れていた。
キサライ怪異との戦いで、トゥルークに変身した彼女は致死量の出血を経験した。にも関わらず異界から帰ってきたときには健康そのものだった。ヒヒ怪異のジャイアントスイングも本来ならば両足が捥げてもおかしくない状況だった。だが彼女の脚はしっかりと繋がっている。
「もしかすると......」
1本だけシュガースティックを入れた微糖のコーヒーを飲む。すると背後から声をかけられた。
「何悩んでるんや?」
振り替えると、そこに立っていたのは正義だった。彼は少し遅めの昼食を取りに来たようで、持っていたトレーには醤油ラーメンと相棒のチュパカブライザーが乗っていた。
「涼宮......」
「隣ええか?」
「ああ、構わない」
正義は空いている席に着くと、チュパカブライザーをトレーから移動させる。ライザーの前にペット用の皿を置くと、その中にパック詰めにされた輸血を入れてプラスチック製のストローを差した。
『相棒、いつもすまないな』
「かまへんかまへん。たまたま知り合いから安く買い叩けたし」
正義は割り箸を割って手を合わせ、ライザーと共に好物を口にした。
「やっぱ醤油は最高やな」
「お前はいつもそれだな」
涼真は呆れた口調で言う。とは言うものの、この時間に微糖のコーヒーばかり飲む自分が言えた口ではなかった。
正義は付け合わせのサラダに和風ドレッシングをかけ、レタスを頬張りながら答える。
「そりゃ、この味が1番旨いからしゃあないやん」
隣の相棒にも同意を求めるが、そちらはそちらで新鮮な血を堪能している最中で聞く耳をもっていない。
正義は急いでラーメンを完食すると、真剣な眼差しで涼真を見つめた。
「それで、何考えてたんや?」
「実は......神戸ノゾミのことなんだが」
「あー、ノゾミちゃんな。どうかしたん?」
「お前も気づいているだろう。彼女はもはや邪神の力を与えられたという次元ではない。明らかに影響を受けすぎている」
「......せやな」
少し間を置いて正義は同意を示す。そして空の器に目を向けたまま黙り込んでしまった。
「どないするつもりなんや?」
「......まだ、決まったわけじゃない」
「せやけど、いつかはその時が来る。相手は邪神やで? 殺生石が集まるのも正直期待はできへん」
対策局は、世界各地に怪異に関する情報網を張り巡らせている。そこから発見された怪異の調査、確保、討伐及び隠蔽の指示を判断している。
しかし殺生石を持っている第一級怪異はその討伐は不可能に近く、仮に力が弱まった場合でもその驚異は計り知れない。
「知っとるやろ? 局長はあの時みたいな惨劇を繰り返したくないんや。あの人の正義感は暴走しとるとは思うけど、それでも倒せるかの判断はしっかりしとる」
「分かってる。もしこのまま力が増していくようなら──」
「ようなら、何でしょう?」
すると涼真の前にいつの間にかシスターが座っていた。栗色の髪を揺らしながら彼女は小首を傾げている。
「アンナ......」
「今の名前はシスター・アニーと何度も申し上げたはずです。全く不愉快ですね」
「すまない......シスター、今日は非番じゃなかったのか?」
涼真が尋ねると、彼女は落ち着いた様子で銀色のスプーンを差し向ける。
「あなた達が困っているようなので聞いたまで。それに私もあの子に興味がありますから」
「そうか。助かる」
「いちいちイラつかせないでくれます? 暴れたくありませんので」
そう言って彼女は手を合わせると、トレーに置かれた真っ黒のカレーを食べ始めた。
◆
(ダメだ、全然集中できない)
ノゾミは自室で机に向かっていた。対策局がバックについた通信校のレポートを進めている中、ペンを持つ手を止めてため息をついていた。
レポートが進まない原因は分かっている。時折押し入れからこちらを覗いてくるわらしの存在だ。彼はノゾミのことが心配なのか、事あるごとに顔を出してくる。
電気スタンドを消して立ち上がると、押し入れの襖を勢いよく開ける。案の定わらしは不安そうな表情でこちらを見つめていた。
「大丈夫だから、いちいちこっち見ないで」
「でも......」
「お願い」
ノゾミが強く言うと、わらしは渋々といった様子で引き下がった。
(でも、やっぱりおかしいよね......)
ノゾミは自身の身体の変化に気づいていた。あの時キサライ怪異に致命傷を負わされたのにもかかわらず、外傷も見当たらないほどに回復している。
加えて、最近妙に感情的になっている気がする。父親の姿を真似られて怒りは湧いたものの、今までの自分ならばあんなにも狂ったりはしなかっただろう。
「どうしたんだろう私......」
頭を抱えてそう呟く。その時だった。
コン、コココン。入り口の襖を叩く音が聞こえる。ふと壁の時計を見ると既に夜の9時半を回っていた。
「はい、どちら様ですか?」
そう言いながら襖を開ける。そこに立っていたのはアニーだった。彼女はノゾミの顔を見て驚いたように目を丸くする。
「あら。子供はもう寝ていると思いましたが」
「あの、どちら様ですか?」
「失礼。私はアニー、同じ仮面ライダーといえば話が早いでしょうか」
「あ、ああ......!」
ノゾミはすぐに彼女の正体を理解した。同時に、彼女の現れた理由も何となくだが察しがつく。
「もしかして怪異ですか?」
「いいえ。あなたのことについてお話ししたいことがありまして」
アニーは靴を脱いで部屋に上がり込むと鋭い視線をノゾミに向けた。
「単刀直入に聞きましょう。あなたは誰です?」
「......どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ」
アニーはさらに近づいてくる。その瞳には強い光が宿っており、直視できないほどに輝いていた。
「私は神戸ノゾミです」
「すみません、質問を変えましょう。あなた最近感情的に行動していませんか?」
「それは......」
図星だった。確かに最近の自分の行動は明らかに以前と異なっている。
「心当たりがあるようですね」
彼女はさらに歩みを進める。ノゾミもその勢いに押されるようにまた後ずさった。
「あなたは邪神の影響を受けすぎています。今まさにこの時も」
「まさか──」
「まさか? あなたは自分がおかしくなっていることに気づけないほど愚かな人間なのですか?」
アニーは呆れたような口調で言うと、ノゾミの首筋に手を当てる。
「まあこの程度なら問題なさそうですが」
アニーはそう言うと足早に部屋を立ち去った。ノゾミは得体の知れない苦いものをこみ上げ、開いたままの入り口をさっと閉じた。
◆
翌朝、ノゾミは朝食をとるために食堂へと向かっていた。すると向かいの方から涼真とアニーが歩いてきた。2人はどこか険しい表情をしつつも、足取りを揃えて前に進んでいる。
「おはようございます!」
ノゾミが声をかけると2人は立ち止まる。涼真の顔からは焦りが感じられるのに対して、アニーはけろっとした様子で挨拶を返した。
「ごきげんようノゾミさん」
「あの、どうかしましたか?」
「そうですね......クソ真面目さんには出来ない頼み事がありまして」
アニーに腕を組んで睨まれると、涼真はばつが悪そうに肩を落としてどこかに行ってしまった。追いかけようとしたノゾミだったが、彼女に右腕を掴まれて引き留められる。
「ほう、こんなか弱い腕で戦ってきたわけですか」
「離してくれませんか?」
「まあまあそうキレないで。今夜いい中華料理を紹介してあげますから」
「中華料理?」
ノゾミは思わず聞き返す。アニーは彼女の腕を離すと、黒い長財布から1枚のカードを取り出した。
「最近会員になったので、私となら一見さんでも入店できます。現地集合は嫌いなので今夜8時に桑原中華街でまた会いましょう」
「えっ......え?」
「ワープを使えばすぐです。が、時間厳守でお願いします」
アニーはポンとノゾミの肩を叩くと颯爽と去っていく。残されたノゾミはぽかんとした様子で取り残され、訳もわからぬまま食堂に入っていった。
◆
その夜、ノゾミはマシンオボグルマーで桑原中華街にやって来た。無料の駐輪場に止めて大通りにまっすぐ向かうと香ばしい匂いが辺りに漂った。既に暗くなっているものの、通りには客引きの声が響いている。
ノゾミは物珍しげに周囲を見回しながら、人混みのなかを進んでいく。やがて一際賑やかな通りを抜けて広場につくと、そこにアニーの姿があった。彼女はノゾミに気づくと小さく手を振る。
「2分12秒の遅刻です」
「嘘、ごめんなさい」
ノゾミは反射的に謝ってしまう。どうも彼女は時間にうるさいらしい。
「まあいいでしょう。さて、行きましょうか」
2人は向かった先は古風な中華料理の店、
アニーが躊躇なく扉を開けると、出迎えたのはチャイナドレスを着た美しい女性だった。
「南様、お待ちしておりました」
白く透き通った肌を持つその女性は店の中に2人を案内すると、中華テーブルの椅子を引き備え付けのメニューを差し出した。
「本日のおすすめはエビチリになります」
「ではそれを2つ。あとここからここのページ全部と、デザートの杏仁豆腐。追加のトッピングは全部。小皿に分けて持ってきてください」
「はい......ハイ?!」
女性は目を丸くして固まっている。一方アニーは動じることなく水を1口飲むと、携帯を取り出してゲームアプリを起動した。
「少々お待ちクダサイマセ......!」
女性は慌てて厨房へ駆け出す。ノゾミは苦笑いしつつ水を飲むと、周りの目を気にしながら小声で話しかける。
「あの、そんなに頼んで大丈夫なんですか?」
「は? あなたもしかして、私があなたの分まで頼んだと勘違いしていらして?」
「違いましたか......」
「当然です」
アニーは携帯の電源を切って机に置くと頭を抱える。
「いいですか? あなたは私の付き添い、この店で食事をする権利は認めていません」
「どういう理屈ですかそれ......」
「まあそれは後々話すとして」
すると先ほどの女性店員が何往復もして料理を運んできた。寂しかった回転テーブルにはホコホコと湯気の立つ数々の中華料理が並べられ、あっという間にアニー用のコースが揃った。
女性は申し訳程度に2人分の取り皿を置くと、深々と頭を下げてから去っていった。
「冷めないうちにいただきましょう。あなたは黙って待っていなさい」
「分かりました......」
ノゾミが下を向くと、そこには光沢を放つフカヒレのスープがあった。ゴクリと唾を飲みスプーンに手をかけるが、注文した本人がそれを見逃すはずはなかった。「7000円」と呟くと、春巻きを口にしながら彼女をじっと見つめる。
「いや、食べませんよ! 食べません。そんな勝手に......」
ノゾミは手を振って否定する。そんな間にもアニーの目の前にあるエビチリやチャーシューが無くなっていき、ノゾミの前にあったスープも彼女の前に回転して飲み干される。
空腹に耐えることおよそ30分、デザートを食べ終えたアニーはナプキンで口を拭き手を合わせる。
「どれも絶品でした。もう来ることはありませんが」
アニーは伝票を持って立ち上がりレジに向かった。ノゾミも肩を落としてそれに続く。
見たことのない長さの伝票をレジに打ち、女性は淡々と金額を述べた。
「合計13万5800円になります」
「えっ?」
予想外の金額を聞いてノゾミは耳を疑った。アニーはすました顔でノゾミを手招きすると、耳打ちで不吉な言葉を走る。
「これから私が何をしても、絶対に騒ぎ立てないでください」
「一体何を──」
アニーは有無を言わさず女性の前に魔方陣を展開すると、そこからデビルガンライザーとエンジェルガンライザーを取り出した。アニーは2丁の拳銃を女性店員に向けるとニヤリと笑う。
「動くと撃ちますよ」
「ナ、何!?」
「動くなと言った」
アニーはデビルガンライザーでレジスターを破壊する。店員は驚いて後ずさると、急いで店の奥へと逃げ込んだ。
「追いますよ」
「え、ちょ、待ってくだ──」