彼のトレーナーとの第一印象は変な人だった。
4月の入学に向けて寮に荷物を入れ終えて一息ついたら、どうしても走りたくなってしまったから。そんな言い訳をついて新しいトレセン学園のジャージを着て衝動のまま飛び出した。
もう色々あって数日も走れなかったから、走る。ただそれだけ。
私は走る理由なんていらない、走りたいから走る。前方から流れてくる景色が後ろに流れていくのが好きだ、何もかもを置き去りにして走るのが好きだ。
私、サイレンススズカは走るためにこのトレセン学園に入ったんだ。
ちょっときつめの坂を走り終えて、折り返しトレセン学園の前を通り過ぎたところで誰かに呼び止められた。一応警察の方だと困るので速度を落として立ち止まり呼ばれた方向へ向くと、息を切らしたスーツ姿の男の人が汗水たらして中腰で膝のあたりを手で掴みゼーハーゼーハーと肩で息をしていた。
「だ、誰ですか?」
ここで一つ。サイレンススズカは其処まで社交性があるわけではない。じゃあ皆無かというとそうではない。
「何か御用ですか?」
普通にウマ娘は
『こ、こういう者です……』
男の人が胸のあたりのスーツを右手で掴み上げるように見せる。トレーナーバッジだ。
という事はスカウトなのだろうか?
「スカウトでしょうか?まだ入学しているわけではないのでお受けはできませんけど」
『君の走りに惚れたんだ、ぜひ私のもとで走ってみないかな?』
つらつらとよくそんな言葉が出るなぁと思いながら男の人の話を聞き流しはじめる。全体的にフォームが良いとか、楽しそうに走っているだとか。
聞き流していた私が、唯一耳に残り彼の言葉に惹かれた。そのワンフレーズが
『その才能を伸ばせば先頭を譲ることなく、早く走れる』
そのセリフを聞いて、この人がトレーナーでも良いかなと思ってしまった。
さらに、トレセン入学後すぐの模擬戦。先頭を味わうために出たレースの後に、彼が居の一番に飛んできて、こう言ってくれた。
『自由に走る、それこそが君の……サイレンススズカさんの持ち味なんだ。その才能をさらに伸ばさせてくれ。そのためには自由に走ってくれたってかまわない』
『約束ですよ?』
『あぁ、約束しよう』
『分かりました、スカウトをお受けいたします』
其れからはとんとん拍子で彼の担当バの手続きが済んで、担当バになった翌日。
トレーナー室が並ぶ棟の端っこの部屋を訪れると黒い折り畳机の上に置いてあるパソコンに、折り畳みイスに座って向かい合っている担当トレーナーさん……すばるトレーナーの姿があった。彼はパソコンに小さい妙なモノを付けてタイピングをしていた。
しばらく様子を見ているとすばるトレーナーは満足いったように頷き、小さい何かをパソコンから外すと手招きをして私を呼ぶとその小さなものを渡してきた。
よく見ると万歩計のような物だったけど若干姿かたちが違う。
「あの……これは?」
「距離を測定できる万歩計だね。普通の万歩計に加速度による速度計算を行って――――おっと私の悪い癖が。まぁ自由に走って良いとは言ったけど、まぁとりあえずこちらとしてはどれほど走ったのかは知りたいからね。走るときにはとりあえず何かにつけて置いて、トレーニングの前にそれを見せてくれる?」
トレーナーさんは私が走った正確な距離が知りたいみたい。別にそこまでしなくても聞いて貰えれば……
「うーん、分かってないようだけど……まぁいいや。とりあえず走るときにはできるだけつけておいてほしい」
その日のトレーニングは……
一杯走れて楽しかった。
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サイレンススズカは思ったより素直な娘だった。そういえば史実の名を遺した馬と言うのも癖しかないという事を聞いたことがある。
例えば、言わずと知れたゴールドシップ。ウマ娘の奔放さより本物の方がやばいとまで言われているあ奴。例えばメジロマックイーン、ウマ娘でもパクパクですわ!だし実馬も気性難だったそう。例えば皇帝シンボリルドルフ、ウマ娘ではダジャレの皇帝による皇帝となっているが実馬ではもうライオン。
そしてサイレンススズカは、よく左回りにくるくる回っていたそうな。ただ、相当な寂しがり屋で弥生賞か何かでは用務員が居ないのに寂しくなってゲートから出てきてしまったという話もあるほど。
まぁ、このスズカはだいじょうぶでしょう、知らんけど。*1
それより、これをさっさと終わらせねば。今やっているのは加速度センサからどれほど加速したかを割り出し計算、加速度から速度と距離を求めるチップを万歩計に詰め込んだ。計算は万歩計の加速度センサから情報を貰い、自身でくみ上げたプログラムで計算を行い、液晶の端に走った距離を小さく累積距離を表示させる仕組みである。
それをスズカに渡すとポカーンとしていた。まるでアホノブルボンみたいな顔だったので記念に写メを取りたくなったがやめておこう。いきなりそういうことをすると怖がらせえてしまうかもしれないからな。
今日はターフのコースは予約できなかったが、ダートの坂道コースが開いていたため何とか予約を入れることができた。
実は、そういう練習場所と言うのは基本的に誰でも解放されている朝以外は予約制である。なぜなら、大量にウマ娘が走っているとぶつかる危険があるから……と言うのは建前。
本当は大きく古参のチームが得をするように設計された決まり事である。凝り固まった体質は本庁でも見てきたが、ウマ娘たちの夢を奪う事でもある為憤慨したものだ。
ただ、これでもトレセン学園に皆様ご恒例のロリ理事長こと秋川やよい理事長の就任と、皇帝シンボリルドルフが生徒会長になったことで少しずつ改善が始まっているらしい。
サイレンススズカがのびのびと芝のトラックで走る姿を見たいため、彼女たちに期待をしたいところだ。ちなみに今も守旧派と改革派トレーナーたちで静かな戦いが起こっているのかもしれない。
ちなみにダートの坂道はアプリで言うと根性トレーニングだけど、スピードとパワーを底上げしてくれるため早く走るためのトレーニングとして嘘偽りはない。
実際に気持ちよさそうにダートの坂道を走るスズカのタイムを計ってみたけれど、タイムは其処まで変わらなかった。ま、まぁアプリの一ターンは二週間に相当するし、ちょっと継続してやってみれば効果が出るかもしれない。
ちなみに当初のスズカのステは今現状だと以下の通り。
さすがはスピード20%&根性10%上昇率持ち、なんだかスピードの伸びがすさまじい。気がする。
今日のトレーニング内容を様式に揃え書き上げているとスマホ……ではなくウマホから着メロが流れてきた。ちなみに設定しているメロディーはトルコ行進曲である。
電話のかけてきた相手を確認すると……チームリギルでずいぶんとお世話になった東条トレーナー*2だった。
「はい、スバルです」
『リギルの東条よ。今時間は大丈夫?』
「ええ、大丈夫ですよ。スズカも満足して帰りましたから」
チームリギルは皇帝シンボリルドルフを擁する学園最強チームとまで言われているし、それを率いている東条先輩はものすごい凄腕だ。管理のイロハに関しても若干かすめ取らせては貰ったが、あちらも承知の上だろう。
というか、サブトレーナーの期間で経験を積ませてもらい、それなりには交友関係若干ある間柄ではあるのだが。こちらから電話することは多いが、東条先輩側からかけてくるのは珍しい事だ。
『そうね、あなた学園が始まって早々スカウト出来たようじゃない。ま、それで忠告に電話をかけたのよ』
「忠告……ですか。余り舞い上がらないようにってことですか?」
『それもあるけど、もっと深刻な事よ』
「深刻な事ですか?」
『そうよ。“愛バとの距離感に気を付けろ”これが忠告よ。気をつけていないと長くトレーナー業を続けることはできないかもね』
「は、はぁ……愛バとの距離感に気をつけろ……ですか。それで気をつけないと長く続けられないとは?」
『そのままの意味よ、後は他の男のトレーナーに聞いたりするのね。そのトレーナーの担当バが居ないところでね?じゃ、健闘を祈ってるわ』
そう締めくくると通話が切られた。いったいどういう事だろうか?距離感とは……いったい?
まさかよくウマ娘二次創作読んでいた時に見た『ウマぴょい』みたいなやつだろうか?*3けれどスズカはそういう性格じゃないと思ってるのでまぁ大丈夫だろう。トレーナーにかまけているより走った方が良いみたいなことを言いそうだからなぁ……*4