「さて、出走予定のレースは先ほど説明した通りだ」
スズカはとりあえず出走するレースがあらかた決まり、落ち着いて椅子に座っている。ただし、GⅢ一発挟んだ後でG1に直行すると伝えたら“噓でしょ……”とつぶやいたが。
まぁトゥインクルシリーズに絶対はないと言われているが、サイレンススズカに絶対はあるのだよ。
「さて、目標もあらかた決めたので本腰を入れて勉強会的な物を開くとしよう。といっても今後のトレーニングの内容とか今後の課題だが。
まず大前提として聞かなければ行けない事が有る。スズカ、君はレースでなぜ走るんだ?」
「私は――――――――」
問いを投げかけると、ぶつぶつと何かをつぶやきながら考え込み始める。こういう時は何か考えを纏めているときだ。こういう時に邪魔をすると考えが纏まらないまま話すことになってしまい理路整然と話すことができなくなってしまう。
腕組みをして、黙って待つ。
待つ事三分弱。考えがまとまったのか、前を……すなわち私を見据えた。
「私は走るのが好きです。走っている時間が好きなんです。私が走っていたときに、ほんの一瞬だけすごく静かな世界が訪れたんです」
……スズカのこの話はおそらくシングレで言う領域やアプリ版の固有スキルに相当するものだろう。という事は現在は自由に領域に入れていない状態だという事だろうか。
「自分の足音も、人の声も、最終的には自分の息の音さえも消えて。風の音だけ聞こえて、静かに流れる真っ白できれいな青い景色がその時に見えたんです」
「なるほど。もう一度その静かで綺麗な世界に入ってみたいと。そういう訳か?」
彼女は首肯する。
「この前の模擬レースの時にその世界に入れたという事は……「無いです」そうか……」
じっくり考えてみる。スズカはこの前の模擬レースでは一度も抜かされはしなかった。それなりにバ身差をつけていた筈だったが……
だが、領域は諸刃の剣である筈だ。なぜなら、集中の極限状態に至った時に本人の実力を超えて速度を上げたり、色々ウマ娘本人に作用するものが領域である。
スポーツ選手においても極限の集中状態になった時、ふっと体が軽くなるといったそういうケースと似ている。だが、ウマ娘の身体能力が限界を超えるとどうなるか。それは怪我に繋がりかけない。
あまりスズカに怪我をしてほしくはないのだが。
「そう言えば」
「うん?」
「模擬レース中抜かされかけた時があったんです。その時、先頭の景色を譲りたくないと思って。その時になんか体がふわってしたんです」
どれもが静かで綺麗な世界であるとか、先頭の景色を譲りたくないとか抽象的な物ばかりだが、基本的にスズカの性格がある程度わかって居れば簡単な事だ。いつも通りの事をすれば良いと思われる。
「なるほど、じゃあ前に誰も走って居ない方が良い……そう言う事か。なら話は早い。ゲートが開いてすぐに誰よりも早く飛び出し、加速し前に付け、それ以降も常に先頭を維持し続ければ良い。そして後続がより後ろにいる分だけその世界も見れる……かも知れない」
けれど今のスズカには闘争心と言う物の片鱗を見せていない。闘争心と言うのはレースにおいては諸刃の剣であるが、ウマ娘をより早く、強くする強力な材料にもなる。
「以前も言った通りだが、できうる限り君の夢を叶える手伝いをしたいと思っているし、そのために私は出来得る限りの努力をしよう。けれど、私が君の夢をかなえるに値しないと思ったその時には―――――――――」
契約解除をしてもらっても構わない
「さて、スズカがその世界に再度入る為に考え付いた事がある。何、身構えることは無いさ。今までやってきた事を鋭く成熟させていくだけだ」
思わず笑みがこぼれる。こう言う事を考える一瞬一瞬がとてつもなくたまらない。
「ひとまず、ゲートが開いたその瞬間に接触することなく飛び出し加速する、これはゲート練習で培って行こう。そして、単純にレース中に先頭を長く維持するためには何が必要か」
それは、言うまでも無く周りの平均速度よりも速く走り、かつ長く維持する事である。スタミナでもって周囲より早く走ることを行い、他のウマ娘が掛かって無駄にスタミナを消耗して来ればそれで良いし、掛からなくても差し切れるほどの距離を与えず、さらに最終直線でさらに加速すれば先頭を奪われずに済む。
「そのために日々のトレーニングを行っていく積りだ。これから行うトレーニングは、少なくともスズカの糧になると思っている」
1か月の練習予定をスズカに手渡しする。練習予定にはプールで水泳だとかジムで体幹トレーニングだとか、芝orダートで走り込みだとか書いてある物である。
「あの、あの、あの。トレーニングの前に走っても」
「良いぞ」
一言許可するとものすごく明るい顔になった。
「一応、走る距離を短くはできますけど……」
「せめてトレーニング時間外では自由に走って良いさ。その代わりトレーニングの前に走った距離が分かるこの万歩計を見せる事」
スズカに先ほど渡してもらった万歩計を若干上に掲げて示すと、彼女は首肯した。実は万歩計が無くともステータスの体力等を見てトレーニング内容を調整し疲労を貯めないようにすることはできるが、数値としてどれほど走っていたのか見ておきたい。
「走っても良いが、寮の門限と学校の授業時間には間に合わせるんだぞ?」
「あと今日は大雨だから雨具を使って走らず帰るんだぞ。風邪を引いたら困るからな。じゃあミーティング終わり、解散!」
そういうと、スズカは丁寧に辞して帰っていった。ちゃんと素直に帰ってくれればいいのだが。
仕事の終わりにスズカの寮長に話を聞いてみると、普通に傘をさして帰ってきたらしい。正直言うと傘を差さずに走ってるのかと思っていたが、風邪は引きたくなかったのだろうな。
そうのんびり考えながら寮に帰った。