あぁここで終わりなんだ。と、わたし……クリスティーナはそう思った。
わたしは謂わゆる貴族街の出身で、なに不自由なく育った。頼りになる父と優しい母に惜しみなく愛情を与えられ、恵まれた日常を送っていた。
容姿にも恵まれ、母譲りの豊かでウェーブのかかった金髪と父譲りのサファイアのような碧眼が自慢だった。
魔力もそこそこで、珍しいとされる治癒魔法の才能も認められており、安泰な将来を夢想していた。
そんな環境が一変したのはわたしが14歳になった今年から。
端的に言えば父が他の貴族に嵌められ、没落した。元々多額の借金を抱えていたらしく、そこが基点になったのだとか。
それからあれよあれよという間に今まで暮らしていた家から追い出され、身ぐるみひとつで放り出されたわたしたちは地下街のスラムに身を潜めて暮らしていくしかなくなってしまった。
父はそれでもあくせくと夜も眠らず行動を起こしたが、ある日食べ物を探しに行ってから帰ってこなくなった。母もそれが心労となり、病に罹って先日息を引き取った。
そしてわたしも、今は人気のない路地裏で見知らぬ男たちに手足を押さえつけられ服を剥が取られている。
「やだっ、助けてッ! 誰かっ……」
「あァ!? うるせェよ! 黙ッてろ!」
「ひ……」
獣のように眼をギラつかせる3人の男たち。スラムで女が犯されることはすなわち死を意味する。壊れるまで乱暴され、飽きたら殺され口封じだ。
つまり、わたしは今この瞬間に死んだのだ。終わりってことだ。
ごつごつとした男の手が、剥き出しの身体に伸ばされる。
嫌だ。気持ち悪い。触らないで。怖い。誰か、誰でもいいからわたしを助けて、どうしてこうなったの、わたしなんにも悪いことしてないよ、だからお願い、嫌だ誰かいやだいやだいやだ助けて———
神さま
「げ、ぼっ……」
「あ……え、」
生暖かい液体がうなじに、そして顔にぼたぼたとかかった。目を開けると同時、男が倒れ込んできた。男の首には大振りのナイフが根元まで突き刺さっていた。———男は、死んでいた。
「『姦淫犯すべからず』と、神は
「な、なんだっお前っ、ガッ!?」
「神はこうも
倒れた男の背後にはいつのまにか引き込まれるような微笑を浮かべた、灰色のマントを羽織った少女が立っていた。少女はわたしと同じくらいの年のように見えたが、纏う雰囲気が場を支配するような威圧を放っていた。
血まみれのナイフを強引に引き抜き、流れるような速さで刃をもう一人の男に走らせる。血飛沫が噴水のように噴き上がり、少女のさらりと長い銀髪を真紅に染め上げる。
「まぁつまり、君たちのようなゴミカスならいくらでも殺していいぜ、と神は許可してくれているわけなのだよ、このキンタマカス野郎」
神秘的な見た目とは裏腹な言葉遣いに舐められたと感じたのか、残る最後の男が猛然と襲いかかる。体格差は明白で、側から見れば勝負すら成立しない蹂躙が開始されるべき状況。
しかし少女は微笑みながら懐に手を入れ、筒のような鉄の塊を取り出して男の額に突きつける。
「じゃ、恨み言は天にまします我らが神へと告げるがいいさ」
火花と破裂音が響き渡り、男の頭がザクロのように弾け飛ぶ。屈強な悪漢はなにもできずにその生涯に幕を下ろした。
「や、大丈夫かいお嬢さん。取り敢えずこれを着たまえ。いつまでもその格好ではまた愚かな輩が寄ってくる」
「え……え?」
そして少女は血に汚れていない自分の服を脱ぎ、わたしに着せた。マントで優しくわたしに付いた血と溢れた涙を拭ってくれた。
「君、親御さんは?」
「……死に、ました。母も……たぶん、父も」
「……そうか。すまないね、辛いことを思い出させてしまって」
彼女はそう言ってわたしの髪を優しく撫でてから、しっかりと抱きしめてくれた。まるで母のように優しく、父のように頼もしく。辛くて暗い生活でいつの間にか忘れていた、人の温もり。
「う……うぅっ……!」
「思う存分泣くといい。私は……私だけは、何があっても君の味方でいてあげるから」
「う、ああぁあぁぁあああっ!!」
「アッ、ちょ、くるしっ、グェーッ!」
「うわぁぁぁん!!!」
思えば誰かに優しく抱かれるのはいつ以来だろう。誰かに思い切り縋り付くのも、人目も憚らず泣き喚くのも、随分と長いことしていなかった。
なんでもない彼女の慰めが、抱擁が、わたしにとっての至上の救いだった。
そしてこれがわたしの人生の始まりだと、そう思えたのだ。
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「すっ、すみません! 強く締めすぎちゃって……!」
「い、いや大丈夫。教祖は首が折れない生き物なんだ」
「そうなんですね……! すごいです!」
「ピュアか……ま、いいけどね。元気が出たようでなによりだよ」
彼女は苦笑してそう言った。意外と気さくに話してくれる人で、最初は緊張して上手く話せなかったのだがそれも徐々に慣れていった。
「ところでさ、君身寄りがないんだろう。よかったら私たちの聖堂に来て一緒に暮らさないか?」
「聖堂? 地下街にそんな立派な建物があるんですか?」
「無いね。便宜上聖堂と言ってるだけで、ただの広場だよ。建物ですらないんだけど、それじゃあ格好がつかないだろう?」
悪戯っぽく笑う彼女に釣られてわたしも少し笑顔になる。
彼女は我が国の国教である『聖教教会』の関係者であるらしいが、教会の教えを否定し、独自の派閥をこの地下街で立ち上げたそうだ。
「まぁ、その聖堂で私たちは寝食を共にして生きている。神はこの世の清浄と一体化を望んでいるからね。まずは小さな範囲からそれを実践しているというわけだ」
「そう、ですか」
正直なところ聖教教会に背いているというのは少しばかり抵抗がある。異端と認定されてもおかしくないからだ。でも彼女はわたしを救ってくれた命の恩人だ。それにどうしても彼女が悪人だとは思えない。むしろとても心の綺麗な人だ。
「あぁちなみに言っておくけど、別に入信は強制しないから気楽にしてくれて構わない。あと、1日2回食事の配給をその広場にいる人たちを対象に行う。勿論無償でね。君もそれにあやかるといい」
「え……いいんですか?」
「うん、全然。神だって『助け合いが大事』って言ってんだし、困っている人に対してはじゃんじゃん手を貸すのが正しいあり方ってもんさ」
……やっぱり、この人は素晴らしい。聖教教会でも隣人愛は推奨されてるけど、これほどまでに他者を思いやれる人はそうそういない。ましてや生きていくことさえ難しいこの地下街ではなおさらだ。
「おっ、そうこう話している間に着いたね。
……ようこそ、我ら『福音派』の聖堂へ! まぁさっきも言った通り、ごくごく普通の広場だけどさ!」
そこは
「あ、おかえりなさい! しとさま!」
「あぁ、ただいま。良い子にしていたかな?」
「うん! にぃちゃんたちとね、おにごっこしてたんだ!」
「そうか! うん、子どもは元気良く遊ぶのも善行だ。えらい子だね、シモンは」
「えへへー!」
「おぉ、使徒様! おかえりになってましたか」
「使徒様、おかえりなさい」
「使徒様!」
一目見るまでもなく彼女はその場にいる全員からとても好かれていることがよくわかり、彼女自身もまた穏やかに彼らと接していた。みんな痩せてはいるが元気があり、スラムには似つかわしくないほど朗らかで明るかった。
「あの、使徒様……というのは?」
「ん? あぁ、私の愛称のようなものさ。まぁ私の名前は少々ものものしいから……おっと、そう言えばまだお互いの名前すら教え合っていなかったね」
「あ……ほんとだ。わたしとしたことが、ご迷惑を」
「気にしないで。会話が弾んでしまったからさ。悪いことじゃない。それに今からでもなにも問題ないからね」
彼女は改めてわたしに向き直り、優しく微笑んで告げた。
「私の名は『エヴァンジェリン』。神が新たに迷える人々を正しい道へと導くために天上より遣わした使徒なのさ」