「さて、今日は金曜日だから『断食』をするよ」
「ダンジキ……?」
朝起きたばかりでまだ頭が働いていないと見えるクリスティーナに私は淡々と宣告する。
「簡単に言えばご飯食べちゃダメな日だね。もちろん水もダメ」
「なん、ですと……!?」
クリスティーナには断食の概念が無かったらしい。まぁ国教である聖教教会にはそんなもん無いから当然と言えば当然なんだけど。
「あの、それにはどういった意味があるんでしょうか?」
「うん、それを説明するには、まず神のご意志とこの『福音派』の存在龍から話す必要があるかな。
我らが神は人間の罪に塗れた地上の清浄を私に命じられた。人間は身分を理由に差別し、争い、蹴落とし、奪う」
「……」
「そして貯め込んだ財が傲慢さを増長させ、それが
このままではいずれ地上から緑は消え、水は黒く濁り、空は暗雲に曇る。そしてそこに暮らす人間は厄災に抗うすべなく滅び去る」
真剣な表情で私の説教を聴くクリスティーナ。うんうん、マインドコントロールは十分機能しているようだ。私もあの手この手で引き込んだ甲斐があるというもの。
「本来その滅びは神が救いの手を差し伸べてくださるのだが、今を生きる人間のあまりの愚かしさに主はお怒りなんだ。
だからこそ私たちは示さなければならない。この魂と、そして世界が清廉であることを。そうすれば神は怒りを鎮め、来たる災厄の日に私たち人類を必ずや救ってくださる。その上、浄化に尽力した特に清き魂は死後神のお
もちろんテキトーなでっち上げである。あんな人の話聴かねぇ天使雇ってる神なんざどうせロクなもんじゃねーだろ。
まぁ私は教義を作るときにもそれなりに考えて作ったがそれは構造としての話であって、細かなストーリーは全部10分ぐらいで決めたものだ。
多少不自然な点があっても構うものか。とにかく教団に引き込んでから、こっちの言うことは何もかも正しいんで〜すとそれっぽく言っておけば万事オッケー。後は信者自身がテキトーに作った教義に合う理屈を勝手に作って、「ほうほう、つまりこういうことか! やっぱり教祖サマの言うことは正しかった!」と自己完結してくれるわけだ。人は自分の信じたいことを信じる生き物だからな。
いやぁ、楽ちんな生き方でいいねぇ!
「なるほど……つまり、神にわたしたちの清貧さと無欲さ、誠実さを伝える証拠として一日ものを食べないということなんですね!」
「その通り!」
このような手にはクリスティーナのように甘やかされて育ったが教養だけは一丁前なボンボンエリートには特に刺さり易い。何にでも理屈がついてるもんだと生まれた時から周囲に仕込まれてるもんだから、不自然なことと自分にとって正しいことの間にむりやり線を引いても気づきもしないのだ。
笑っちまうほどのカモなんだよなぁ、この手のヤツらは。うさんくさい穴だらけな教義したインチキ宗教の幹部がどいつもこいつも一端の英才教育を受けたエリート共なのはこれが理由だろうさ。
「つーわけで、悪いけど今日は我慢の日だ。しっかり勤めを果たしなさい」
「はい!」
うし。んじゃあ先日パウロくんに届けさせたブツもあるし、ちゃっちゃと説明して朝のミーティングは終わりにするか。
「それと! 今日からみんなにはうちの修道服とロザリオを作ってもらう! どちらも神に自身が『福音派』の教徒であることを示す重要なものだ。それにみんな日中ヒマだったろう? 裁縫とアクセサリー作り……興味ないかい?」
「きょうみあるー! やらせてーしとさまー!」
「よし、では私が手本を見せるからその通りに進めるように。困ったことがあったらどれだけ聞いてくれても構わないよ」
いやー、人件費たったのゼロ円とか。信仰心とはお得なもんだ!
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わたしが『福音派』に入って5日ほど経ち、だんだんとこの教団での生活にも慣れてきた。
「痛てっ! 針刺さっちまった……」
「あっ、じゃあわたしが治療しますよ。ヨハンさん!」
「おう、悪いなクリス」
そして今はエヴァンジェリンさまから言いつけられた修道服の作製をしている。黒を基調とした衣服は『聖教教会』の伝統的な衣装であり、その流れを汲むという『福音派』の修道服も当然似てくるのだろう。
わたしは趣味で裁縫をしていた経験があるし治癒魔法も使えるので、慣れない作業に悪戦苦闘しているみなさんの指導役をすることになった。
「『此の者の傷を癒やし給え———《ヒール》』」
「おぉ……すっげ、本当に治ったぞ。これが魔法ってやつか! ありがとな!」
「いえ、ヨハンさんにはここのことを色々教えてもらいましたから、これくらいではお返しにもなりませんよ」
「そう言うなって。礼ぐらい素直に受け取っとくもんだぜ?」
にしし、といたずらっぽく笑うヨハンさん。彼はわたしがこの教団に正式に入信した際、ルールや戒律、それからわたしたち年長者が率先してやるべきことなどを教えてくれた。言わばこの『福音派』の先輩である。
年はわたしより3歳年上の17歳。黒髪黒目で、少し浅黒い肌をしているため異民族の血を引いているのかもしれない。子どもたちの兄貴分的な存在であり、細身だがしっかりと筋肉がついていて、お年寄りや女性、子どもが多いこの教団ではとても頼りがいのある好青年だ。
「しっかしお前も随分とここに馴染んできたよな。今じゃあすっかりみんなの人気者じゃん」
「そんなことないですよ。ヨハンさんの方がみんなから頼りにされてると思います。わたしも頼ってばっかりですし……。ヨハンさんはどれくらいの期間所属しているんですか?」
「んー、はっきりとは覚えてねーけど多分5年くらいだな。ちょうど設立した直後って使徒様は言ってたぞ。
……俺ぁ肌見りゃわかると思うが南の方の異民族の血を引いてる。お前も街にいたなら知ってるだろ? この国じゃ異民族は問答無用で奴隷行きってな」
奴隷。この国は広大な土地を持っているが、それらは戦争によって支配下に置いたもの。そしてそこに暮らしていた人間を大本領に持ち込み、生きるのに必要最低限な生活をさせて労働を強いることで煌びやかな街並みや生活を実現している。
わたしも奴隷は今まで何度も目にしてきた。その度に胸が締め付けられるような気分になっていたけれど、結局周りにいる人たちの言うことに従って見て見ぬふりを続けてきた。
「この地下街には奴隷の檻から脱け出してきたヤツらが結構いてな。うかつに街に出りゃあ石投げられんのは良い方で、最悪捕まって檻の中に逆戻りだ。
そんなだから俺たちはここで生きていくしかねぇ。金も無いし、故郷に帰るすべもねぇ。まぁ俺は3世代目だから故郷とか言われてもピンとこねーんだけどさ、俺の爺ちゃん母ちゃんはいつも故郷への帰還が夢だっていつも言ってたんだ」
「その、お爺さまとお母さまは……?」
「もう死んだよ。別にこのスラムじゃ大したことじゃねぇ。
けどな、そん時わかっちまったんだ。どう転んでもここからは出て行けやしねぇし、何もできねぇ。結局俺たちは檻の中にいないだけで、何かの奴隷でしかない。
この世界は地獄だってことを、俺はわかっちまったんだ」
わたしは何も言えなかった。だって、わたしも彼らを虐げていたようなものだ。本当はこうして話をすることだっておこがましいのに。彼にとってわたしは仇と同じようなもののはずだ
しかし、それでもヨハンさんの目は不思議と澄んでいるように見えた。
「んで、もう何もかんもがどうでもよくなっててめぇから死のうとしてた俺を救ってくれたのが使徒様なんだ……。
あの人はすげぇ人だよ。こんな地獄であっても目から光が抜けてない。
何でかわかんねーけどさ、あの人について行けばこんな地獄でもなんとかなっちまうんじゃねぇかって、そんな気がしてくるんだ」
「……わかります。あの方は、希望を捨ててない。いつも自信に満ち溢れてて、前だけを見据えてひたすら進んでいくような、そんな感じがするんです」
「あぁ。だから俺もあの人に恥じねーような男になりてぇ。いつかこの地獄をぶっ壊して———俺は故郷に帰る。そんで証明してやんだよ、俺たちはふんぞり返って見下してやがるだけのヤツらの奴隷じゃねぇ……人間なんだってことをな!」
「……!」
ニヤリ、と笑うヨハンさんが不思議と使徒さまに重なって見えた。閉塞した地下街の天井を見上げる彼の目には煮えたぎる熱がうかがえた。
「クリス、ここに所属してるヤツらは大なり小なり心に傷がある連中ばっかりだ。態度には出さねーが貴族出身のお前をよく思わないヤツだっているだろうよ。
だがな、だからこそ胸を張れ。自信を持て。遠慮なんかすんなよな。あの人みたいに突き進んで認めさせろ。お前ならできるさ……何たって、お前はあの人に認められたんだから」
もしかしたら、この人はわたしが負い目を抱いているのに気づいていたかもしれない。
この地下街は国の負の面を凝縮したもの……つまりわたしにも彼らの惨状に対して責任がある。だから遠慮して、関わるのは無邪気な子どもたちがほとんどだった。彼はそんなわたしを気遣って過去の話をしてくれたんじゃないかと思った。
……優しい人だ。ならこの人の言うことを信じて、もっと人と関わろう。拒絶されてもいい。仲良くなるまでがんばって、彼のようなエヴァンジェリンさまに恥じないような立派な人になれるよう、これからは真摯に向き合っていかなければ!
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「うんうん、やっぱりヨハンに任せて正解だったな」
これでクリスティーナの人間関係についても本人とヨハンあたりのお節介焼きが勝手になんとかするだろう。狙い通りだな。
断食をする理由は宗教によって色々ある。祈願の効果を高めたり、功徳を高めるためだったり、修行のためだったりと実に様々だ。
しかし、それはただの宗教的理由に過ぎない。教祖が信徒に断食を命じる理由は一つ。それは教団内の結束を高めることに他ならない。
この国の国教である『聖教教会』では断食を取り入れていない。つまり断食という行為はこの国の国民にとって「普通ではないこと」なのだ。
そんな「普通ではないこと」をしている自身に特別感を抱く。わかりやすく言えば「みんなと違うことしてるオレカッコよくね?」という厨二イズムに近い。
そしてそれが限られた集団内で浸透している場合、集団への帰属意識が生まれる。人間は集団内において自分の価値を見出すことで安心感を得たがるという心理が科学的に実証されており、断食というものはその心理作用を有効活用し、信者を手放さないようにするための措置でもあるのだ。
……あと単純に食費が浮く。
まぁ他にも色々メリットはあるが、
同じ釜のメシを食い、同じ屋根の下で寝る。これが最も集団の結束を高めるというのは万国共通なのである。
「そろそろ日も暮れるな。私も明日の準備をしなければね」
さて、第2段階も大詰めだ。前祝いといこうじゃあないか!