千恋*万花~Another Tale~ 作:もう何も辛くない
「ん…」
微睡に沈んでいた意識が、いつもの目覚ましの音によって覚醒していく。重い瞼を持ち上げ目を開けて、木目の天井を見上げる。
すっかり見慣れた本家の黒みがかった天井ではなく、ここ二日の目覚めで見上げた白い天井でもなく、本家と違って明るい印象を覚えさせる木目の天井。
朝武家にて、いつもの時間に起床した俺は体を起こそうとする。
「…?」
する前に、ふと違和感を覚えて動きを止めた。
右手を着いて体を起こそうとしたのだが、ふと左腕が柔らかく心地よい温もりに包まれている事に気付く。
布団ではない。もっとこう、何というか─────今、俺は半袖の寝間着を着ているため腕の素肌が露出しているのだが、やけに感触がすべすべしているというか…これ、もしかして人の肌か?
いやそんな筈はない。何故なら俺は、昨日安晴おじさんに割り当てられた部屋にて一人で眠りに着いたのだから。
その筈なのだ。
「…何故?」
だからこそ、俺の傍らで左腕に抱き着いて寝ている芳乃の姿を見て俺は呆然とするのだった。
「すー…すー…」
とても穏やかで、さぞ幸せな夢を見ているのだろうと思えるほどに安らかな寝顔で寝ている芳乃。
彼女が身に着けていた寝間着は眠っている間に僅かにはだけており、少し視線をずらせば確かな存在感を主張する眩しい谷間が目に入る。
魅惑の光景に視線が釘付けになりそうな所をこらえてすぐさま視線を持ち上げる。
いけない、これは見てはいけない。いやそれよりも、何で芳乃はここにいるんだ?何でこの部屋に、俺と同じ布団の中で寝ているんだ?
というか、この部屋に入ってくる芳乃に気付かないとは─────それ程に気が抜けていたのか俺は。
いや、問題はそこじゃない。話を戻せ、芳乃がこの部屋にいる理由─────って、それも違う。
勿論そこも後で考えるべき事ではあるが、それよりもまずこいつを起こさなくては。色々と手遅れになる前に。
「芳乃。おい芳乃、起きろ」
「んん…、やぁ…すぅ…」
「…」
可愛い。
いや違うそうじゃない。いや可愛いのは全くもって違わないが、可愛いで完結させるんじゃない俺よ。
「分かった。まだ寝てていいから、せめて腕を離してくれよ」
「いや、れす…。ぜったいに…はなしま、せん…」
「…」
れすって、可愛すぎる。
じゃねぇっつーの!いや可愛すぎるのは違わないけれども!でもそうじゃねぇだろ俺よ!
「おい芳乃」
「んっ…はるくん…」
もう一度呼び掛けるも返事は返ってこず、その代わりに芳乃の両腕の力が強まり、俺の左腕を包む柔らかな感触が更に広がる。
こう、むにゅぅっと─────
カット。考えるな、クールになれ。koolじゃなくcoolになるんだ。
そうだ、こんな時は素数を数えよう。そうすれば俺の思考が少しは冷静になれる筈だ。
1、2、3、5、7、11、13…ん?何か違うような?
「陽明くん、起きてますか?」
「っ!!?」
その時だった。部屋の外から茉子の声がしたのは。
どうやら俺の思考は自分が思っているよりも冷静からほど遠く、かなり混乱していたらしい。まさかここまで接近されるまで茉子の…いや、茉子だけじゃない。茉子の他にも二人、これは…有地とムラサメ様か?三人の気配に気付かないとは。我ながら不覚─────だからそうじゃなくって!
「芳乃、頼むから起きてくれ…!」
「はるくん…えへへ…」
「…ちくしょう!」
幸せそうに寝言を口にする芳乃を見るともうどうなってもいいやと思えてしまう。
だがそこで思考を止めるのは、ある意味死を意味する。この光景を見られればどうなるかなど容易く想像できる。
茉子とムラサメ様がそれは楽しそうに俺と芳乃を揶揄ってくるだろう。安晴おじさんも多分…二人に便乗こそしないだろうが止めもしないんだろうな。
…だから、悠長にしていられないんだっつーの!
「分かった芳乃!起きなくてもいいからせめて!せめて離れてくれ!」
「いやぁ、れすぅ…」
「あの…、入りますよ?」
「茉子!?頼む、今は─────」
嫌がる芳乃を力づくで引き離す、なんて出来る筈もなく。扉の向こうの茉子を遮る事も出来ず、部屋の障子は開かれた。
「…あは」
布団の中の俺と芳乃の姿を見て、茉子はニヤリと笑って。
「…ほぉ?」
ムラサメ様も茉子と同じようににたりと笑って。
「…マジ?」
有地は呆然と、あんぐりと口を開けて。
「むにゅ…すー…」
芳乃は何も知らずに呑気に気持ちよく眠りこけている。
「まさか再会してすぐに朝チュンとは…流石です陽明くん」
「やるのぉ、陽明」
「茉子、ムラサメ様、有地。これは違う、違うんだ」
この三人が思っている事、勿論朝チュンなんて全くもって事実ではない。だがこの状況で、この体勢で違うなんて言っても説得力はこれっぽっちもない。
「はぁるくーん…」
「「…何が違うんだか」」
俺の左腕を抱きしめながら、頬すりを始める芳乃。その様子を見てニヤニヤと笑みを浮かべたまま声を揃える茉子とムラサメ様。
そして有地はどことなく羨ましそうな目で俺を見ている。そこ変われとでも言いたげな目で俺を見ている。
ふざけるな、絶対に変わってやらねぇ。この場所は俺の─────じゃないんだって!だから!さっきから思考ずれすぎだろ俺!
「芳乃、芳乃ー」
「ん…」
「芳乃さーん、起きてくださーい」
「んー…」
呼びかけるだけでなく一緒に芳乃の肩を揺する。すると先程までとは違う反応が芳乃から返ってくる。
身動ぎしながら、寝苦しそうに顔を俺の二の腕に埋める。まだ寝続ける気か、だがそうはさせない。
「芳乃ちゃーん」
「う…にゅ…」
何その寝言、可愛いすぎる。もっと聞いていたいが、後ろ髪を引かれる気持ちを抑えて芳乃に呼び掛けながら肩を揺すり続ける。
「…ぁ」
そして遂に、芳乃の瞼が開かれた。
俺の腕から顔を離してから、寝ぼけ眼で周囲を見回して軽く目を擦っている。
「…はるくん?」
「おう。おはよう芳乃」
「ん…。おはよう、ございます…。ふわ…ぁぁ…」
目を開けた芳乃はゆっくりと体を起こし、そして大きく欠伸を漏らす。
何これ、眠ってる時の芳乃も起きてる時の芳乃も可愛すぎるんだが。芳乃は世界一可愛い、異論は認めない。
「…あれ、はるくん?」
「あぁ、陽くんだぞ」
「…どうして陽くんが私の部屋に?」
「間違ってるぞ芳乃。ここは芳乃の部屋じゃない」
次第に意識がハッキリとしてきたのか、芳乃が状況を飲み込み始める。
どこか舌足らずな声は流暢に、寝ぼけ眼はパチリと開かれ、そして俺の顔を見て驚きと共に更に見開かれる。
「な…な、ななななななな何で陽くんが私と一緒に寝ているんですか!?」
「それを聞きたいのは俺だ」
「べべべ別に嫌ではないのですがこれは少し急すぎるというか色々と飛ばしすぎというか─────」
「落ち着け芳乃。お前今物凄い事を口走ってるぞ、目を覚ませ。ほら、深呼吸でもして」
シュバッ、と俺から距離を取った芳乃は顔を真っ赤にさせて早口で言い並べる。
その言葉の中にとんでもないものがあったような気がするが、今の芳乃は取り乱しているし聞かなかった事にしておく。
とりあえず、芳乃に落ち着く様に声をかけてから深呼吸を促す。芳乃は大きく息を吸い、吐いてを繰り返し、それを止めた時には落ち着きを取り戻した表情に変わっていた。
「そ、それで、どうして陽くんは私の部屋にいるんですか?」
「さっきも言ったがその段階で間違ってるんだよ。ほら、周りを見てみろ」
芳乃は疑問符を浮かべながらも、俺の言う通りに周りを見回す。
すると、芳乃の表情は次第に驚きに染まっていく。
「ここ…私の部屋じゃない…?」
「やっと分かってくれたか」
ようやく芳乃は今自分がいる場所を自覚してくれた。が、どうも納得はいかないようで、表情がやや腑に落ちていない。
「ど、どうして私は陽くんの所に?」
「俺が知るか」
いや、俺にそんな事を聞かれても困るんだが。俺が起きてる時に来たのならいざ知らず、寝てる時に来られても正直知らんとしか答えようがない。
「芳乃様は陽明くんと一緒に寝たくてこの部屋に来たのではないのですか?」
「そ、そんな事しません!それに私はここに来た覚えもないんです」
茉子の戯言は置いておいて、何とも不思議な話だ。
芳乃は間違いなく自分からこの部屋に来て、その上俺が被っていた布団の中に潜り込んで来た。
芳乃の部屋とこの部屋が隣同士に位置していたなら芳乃が寝ぼけていた、で片付けられるのだが、二つの部屋は結構距離が離れている。寝ぼけていた、ではどうしても片付けられない。
「…?」
芳乃の寝顔、そして起きてすぐの仕草などでかき乱されていた俺の心も落ち着きを取り戻し、この事態について思考を巡らせようとした時だった。
冷静さを取り戻したと同時に取り戻した鋭敏さは、昨日よりも微かに強まった
「陽くん?」
布団から出て、壁際に置いてあった俺の仕事着を手に掴む。
芳乃の呼び掛けへの返事を一旦後回しにして、俺は仕事着の中からとある物を取り出す。
その直後だった。ぴくり、と小さくムラサメ様が反応し、彼女の視線がとある物を掴む俺の掌に向けられたのは。
「陽明、それは一体…」
「ムラサメちゃん?」
僅かに動揺している様子のムラサメ様に有地が声を掛けるが、ムラサメ様は答えない。
視線は俺の掌に注がれたまま、恐らくそこから漂う気配について考えているであろうムラサメ様を見る。
「拾ったんですよ。あの山の中で、祟り神と戦った場所で」
「拾った?祟り神と戦った場所で…って、どういう事ですか?」
芳乃に聞き返された俺は芳乃達に説明を始める。
何度かあの山に入って祟り神について調べさせてもらった事。その山で、複数の祟り神の気配を感じた事。その気配を追って行くと、この欠片が落ちていた事。
そして、この欠片は元々この大きさだった訳ではなく、俺が拾った複数の欠片が一つになった結果この大きさになった事。
説明を続ける毎に芳乃達の表情は驚愕に染まっていく。
「…何という事だ」
ムラサメ様なんて驚きを通り越して絶句している。
ムラサメ様は朝武の家が呪詛に掛けられた当初からこの地に存在し、朝武と共に数百年という時を過ごしてきた。
その数百年という時の中で明らかにできなかった謎が、己の知らぬ所で解き明かされそうになっていたのだから当然と言えば当然なのだろうが。
「これ…形的に割れる前は球型だったのかな?」
「だろうな」
「それなら、この欠片を集めて元の形に戻したら─────」
「…」
有地の問い掛けに答えた直後、再び有地が口を開く。
有地はその台詞を言い切る事はなかったが、続く言葉は容易く想像できた。
だから、俺はさっきは言わなかったこの欠片についてのもう一つの事実を伝える事にした。
「俺は、この欠片の正体を探るために色々な事を試そうとしたんだ。その一つに、この欠片を削る、或いは割ったらどうなるか、という疑問があってな」
口を開いた俺に、有地だけでなく芳乃達の視線も一斉に注がれる。
「…この欠片を割ろうとしたら、どうなったと思う?」
「…」
周囲を見回しながら問い掛けると、芳乃達は考える素振りは見せるも答えはどうしても分からない様子。
「祟り神が発生した。まるで、俺が欠片を割ろうとするのを止めるように」
だから俺から答えを口にする。
脳裏に過るあの時の記憶。
近くにあった大きめの岩に欠片を叩きつけようとすると、突然手の中の欠片が熱くなり、思わず手放して欠片を地面に落としてしまった。
そして、地面に落ちた欠片から発生した祟り神。
「祟り神が発生した、だと…?だが、芳乃に耳は…」
「発生してすぐに祓いましたから。多分、芳乃が反応する前に祓えたんでしょうね」
あの時、俺は祟り神を発生してすぐに祓った。芳乃に獣耳が生えなかったのはそのためだろう。
「とにかく、俺が言いたいのは祟り神はこの欠片を再び割る事を良しとしていないのだとしたら、祟り神はこの欠片を元の形に戻す事を望んでいる、とも考えられないか?」
そう、祟り神が本当に俺が欠片を割るのを止めようとしたのなら、逆に欠片を元に戻したらどうなるのだろう。
欠片を割るのを良しとしていないのなら、欠片を元に戻す事は…それは、祟り神が望んでいると考えられないだろか?
「じゃあ、もしその欠片を元の形に戻せば…」
「呪いは、解ける…?」
茉子と芳乃が、声に喜悦を載せて呟く。
そう、
「俺の仮説が正しいのなら、な。それに、正しかったとして祟り神が欠片を元の形に戻す事を望む理由が分からなきゃ、実際に呪いが解けるかどうかも分からない」
希望を抱く芳乃には悪いが、俺も立場上無責任な事は言えない。だから、俺はこの段階で確かな事だけを言う。
まず第一、俺がさっき言った事は飽くまで仮説だ。それが正しいかどうかも今の段階では分からない。
それに、仮に俺が挙げた仮説が正しかったとして、祟り神が欠片を元に戻そうとするその理由は何だ。
勿論、祟り神の望みを叶える事で朝武への怒りを鎮められるという可能性もなくはないが、もし欠片を戻す理由が他にあったとしたら。
もしその理由が、各地に散らばった欠片を─────祟り神自身の力を集める事にあるとしたらどうだろう。
欠片から呪詛の気配が感じられる以上、この欠片には祟り神の力が込められているのは確かだ。
その力を、欠片を全て望み通り集めたとして、その力が恨みの対象である朝武に─────芳乃に向けられたとしたら。
「とにかく、俺はもう少しこの欠片について調べる必要があると思う」
「…そう、ですね。それでしたら私も陽くんに協力します」
俺がまだ結論を出すには早いと、まだ欠片について調べるべきだと考えを伝えると、芳乃がそんな事を言い出した。
「私も。呪詛を解くために、私も協力します」
「俺も、出来る事があれば何でも言ってくれ」
「吾輩も意識を集中して近くまで行けば欠片の気配を感じ取れる。欠片があったという山を、吾輩も探してみよう」
芳乃だけじゃない。茉子が、有地が、ムラサメ様が俺に協力しようと声を上げる。
「…」
考える。危険はないか、と。
だが、この欠片が集まり、元の形に近いならともかく今の段階で感じられる気配から考えると恐らくそこまで危険はないと思われる。
ポチの力を借りる事で正確に欠片の気配を捉える事は出来るが、あの広大な敷地の中、いくつあるかも分からない欠片を一人で集め切るのは正直かなり時間が掛かる。
「…頼む。だが、拾った欠片は俺に渡せよ。調査に必要だから」
しばらく考えてから、芳乃達に協力を頼む事に決める。
芳乃達を巻き込みたくはないが、芳乃と一緒に戦うって約束したからな。
「…それでは、話も一旦区切りがつきましたし、朝ごはんにしましょう」
話に区切りがついた所で茉子が言う。そういえば、起きてからずっとここで話していてまだ朝食がまだだったな。
それを自覚すると、急に空腹感に襲われる。
ホカホカのご飯にお味噌汁、出し焼き卵に焼き鮭─────今日の朝食のメニューがこれに決まっている訳ではないが、茉子ならどんなメニューでも美味い飯を出してくれるだろう。
さらっと、自然にこの家で朝食を食べていく事が自分の中で決まっている事に気付かないまま、芳乃達と一緒に部屋を出る。
縁側に差し込む日差しを浴びながら、朝食の準備をするべく居間へと急ぐ茉子の後に続くのだった。