千恋*万花~Another Tale~ 作:もう何も辛くない
VS祟り神続きです
地面から泡立つ黒い泥はやがて宙へと浮き、円形を型取ると次第に形を歪ませていく。
あの時と同じだ。形を歪ませた泥はゆっくりと犬型、祟り神の形を形成していき、四本脚を地面に着ける。
「祟り神が、復活した…」
茉子がぽつりと呟く。
祟り神の復活、まさにその言葉通りだ。俺達が滅した、祟り神が消えたその場所で再び祟り神が現れたとなればそう思うのも無理はない。
ただ─────本当に、それだけなのか?祟り神が復活した、それだけでこの現象を片付けても良いのか。
俺も陰陽師としてそれなりに場数を踏んだ。今まで戦ってきた妖の中で、一度滅しても再び現れるというものもいた。
俺の脳裏に過るのは、黒い泥が湧いて出てきた直前に視界の端に映った光。
何かが発光していたのか、それとも月明かりが反射したのか、それは分からない。だが、もし後者だとしたら─────
「…っ」
不意に俺の索敵範囲内に、まさに湧いて出てきた気配に息を呑む。それも、現れた気配の場所は俺達がいる場所からそう離れていない。
そして、その気配の主は真っ直ぐにこちらに向かってくる。
「もう一体、こっちに向かってくる!…っ」
突如現れた新たな気配、すなわちもう一体の祟り神の存在を芳乃達に大声で知らせ、その事態を把握した芳乃達が息を呑んだその直後だった。
俺達の目の前で現れた祟り神がこちらに飛び掛かってくる。
それと同時にこちら目掛けて振り下ろされる二本の触手を、思い思いの方向へと避ける俺達。
芳乃と茉子、有地とムラサメ様、そして俺と集団を分けさせられた俺達はその中央で着地した祟り神を警戒する。
「っ─────」
すたっ、と着地した直後、祟り神は即座に顔を俺の方へと向ける。と同時に迫る二本の触手。
体を翻し、首を傾け、迫る触手を回避してから俺はムラサメ様の方へと視線を向ける。
「陽くんっ!」
「こっちは大丈夫だ!ムラサメ様っ!」
「分かっておる!ご主人、芳乃、茉子!もう一体が来るぞ!」
祟り神に襲われる俺を気遣う芳乃に返事をしてから、ムラサメ様に呼び掛ける。
ムラサメ様は俺が言うまでもなくもう一体の祟り神の接近を察していた。
ムラサメ様が言い、芳乃達がムラサメ様が見る方へ警戒を向けた直後、新たな祟り神が現れる。
「くっ、芳乃様!私の後ろに!」
「ご主人、叢雨丸を抜け!」
茉子が芳乃を自身の背後へと押しやり、そしてムラサメ様は有地に刀を抜く様に告げる。
言う通りに有地が叢雨丸を抜くと、ムラサメ様は目を瞑って集中を始める。
淡い光がムラサメ様の身体を包んだかと思うと、光はみるみる強くなり、爆発したかと思わせる程に強く辺りを照らした。
辺りを強く照らす光は一瞬、すぐに収まった後、叢雨丸の刃に変化が訪れていた。
先程ムラサメ様の身体を包んでいた淡い光。それと同じものであろう光が叢雨丸の刃を包んでいたのだ。
これが、叢雨丸の本当の姿。ムラサメ様と一体化し、神から賜った神力を発揮する本来の叢雨丸。
少し離れた場所に立っている俺の方にまで、ビリビリと叢雨丸から放たれる神力が伝わってくる。そしてそれは、目の前で俺と対峙する祟り神も同様の筈だ。
─────こいつ…っ。
だが、目の前のこいつは叢雨丸には見向きもしない。有地の方に何の反応も見せず、ただただ二本の触手を俺に向けて振るい続ける。
先程の茉子と祟り神の打ち合いに似ていた。少し違うのは俺の手元に得物がないため、俺は振るわれる触手をひたすらに回避だけしている所。
そして、振るわれる触手が二本の分、先程よりも展開が速い。
四方八方から時に同時に、時に時間差をつけて迫る二本の尾を躱しながら追いかけてくる祟り神との距離を保つ。
周囲には木が生い茂っているため障害物が多すぎる。それだけならまだ良いのだが、傍には芳乃達がいる。
芳乃達を巻き込む危険がある以上、御手杵は使えない。となると基本は徒手空拳、札を用いながらの戦いになるのだが─────正直に言うと、あまり札を使いたくはない。理由は、札を作成するコストが割と高いからだ。
この戦いで区切りがつくのなら出し惜しみはしない。だがそうではない。ここで祟り神を祓って終わり、という訳ではない。
この戦いが終わってもまだ戦いは続く。時間が空いた時には一応札の作成に取り掛かってはいるのだが、作成のペースよりも消費のペースが早くなればいずれ札なしの戦いを強いられる事になる。
こういう事情から、戦闘中札を多く使用するのは本当に必要な時だけに限らせたい。だが、それはこの場にいるのが俺だけの場合だ。
この場で戦っているのは俺だけではない。茉子と有地が、芳乃も今この瞬間、別の怪異と対峙している。
─────仕方ない、か。
内心、諦めにも似た思いを抱く。
この場を凌ぐだけならば札を使えば良い。しかし、これから先も戦いは続く。
故に俺は、
本来なら絶対に使わない、俺が
黒泥の獣が迫り、一度開いた俺との距離をみるみる縮めていく。
それに対し、俺はその場から動かず、祟り神との距離を見定めながら頭の中で検算する。
勝負は一瞬。正直、この戦いでの一番の問題は、すでに対峙する相手である祟り神ではなくなった。
祟り神を祓えるかどうかではなく、どう祓うか。祟り神を、力の源であろうあの欠片ごと滅さない事。
そして何より、芳乃達とこの森に被害を及ぼさない事。
祟り神は二本の触手を俺目掛けて突き出してくる。それを回避しながら、俺はこれから動く方向と角度、それと
─────空が見えるのは、あそこっ。
祟り神の攻撃を躱しながら、生い茂る木の葉の隙間から覗く星空を視界に捉える。
その瞬間、俺は
そうなれば考えるべきは絞られた。あそこを一直線に射抜くにはどこに祟り神を誘い出すか。誘い出した祟り神をどこから、どの角度で
思考に要した時間はコンマ数秒。導き出した答えを疑うことなく、俺はすぐさま行動に移す。
「っ!」
迫る二本の触手の隙間に体を入れ込ませ、前へと転がって周囲を囲む触手から逃れて俺は駆け出す。
駆け出した俺を祟り神は視線で追い、その直後俺の方へと祟り神もまた駆け出した。
ここまでは狙い通り。そして俺はある場所で立ち止まると、懐から一枚の札を取り出す。その姿を見た祟り神の動きが更に加速する。
札を貼られれば動きを一瞬にでも封じられる。その事を学習したのだろうか。
もしそうだとすれば、
一体目の祟り神との戦闘の時もそうだった。
祟り神が持っているのは朝武への怒りだけ。故に祟り神には思考能力が備わっていない筈。それに本来、憎しみの塊である祟り神が狙うのは
長年朝武を守り続けてきた叢雨丸という例外はあれど、突然現れた俺をいきなり狙うなどあり得ない。
そして今この瞬間、札を警戒するという思考的行動というあり得ない行動を起こした祟り神に内心驚きながらも冷静さは失わない。
立ち止まった俺に触手を振るい続ける祟り神はやはり俺が握った札を警戒しているのか、俺に飛び掛かってこない。
かといって、祟り神にとってはこのままではじり貧だ。
視線が交わる。直後、祟り神は駆け出した。
といっても真っ直ぐにこちらへは向かってこず、距離を保ちながら周りを駆け回るだけ。
狙いとしては俺の視線を動かす事で、とにかく膠着した今の状況を動かそうとしている、といった所だろうか。
そこまで祟り神が考えて行動しているかは分からないが、どちらにしてもその動きは俺の思惑の上だ。
「─────」
地面を蹴り、こちらに迫る祟り神目掛けて駆ける。
一瞬、祟り神が目を見開いたような気がしたが、余計な思考は捨て去る。
あっという間に眼前にまで迫る二本の触手を姿勢を低くしながら体を翻して躱し、地面を踏み締める力を強くして更に加速する。
恐らく背後では空振った触手の軌道を修正し、再び俺へと振るっている筈だ。
前にはこちらに向かってくる祟り神、後ろには軌道修正された二本の触手。
前門の虎、後門の狼とはまさにこの事か。逃げ場はあるにはあるが、今はそれを選ばない。
触手よりも先に祟り神との距離が接触範囲内にまで近付く。
祟り神は己の前足を振り被り、俺目掛けて振り下ろす。
─────狙う場所はすでに決めている。生い茂る木の葉の隙間から覗く夜空には綺麗に輝く月が浮かんでいる。あそこを正確に、木の葉を巻き込まずに撃ち抜くには、式神に込める妖力を絞り込まなくてはならない。
右手に握る札に妖力を込め、この中に封じ込められていた式神を解放する。
直後、札から右腕に巻きつく黒い靄が現れる。黒い靄は札を握る右手から手首、腕を通じて肘、肩にまで達する。
式神を解放している間にも迫る前足を、右前方に倒れこむようにして避ける。
その間、視線は狙うと定めていた木の葉の隙間から見える夜空から逸らさない。
地面に両足を着け、見上げる視線の先。視界には夜空ではなく、祟り神の腹部が映し出されていた。
「っ─────!」
祟り神がその場から離脱しようとする。それよりも先に、俺は祟り神の腹部に
妖力は光線となり祟り神の腹部を貫き、それでもなお勢いは衰えず、天へと延びる光の柱は
腹部を貫かれた祟り神は動かない。動かないまま、ドロドロと形を形成していた泥は崩れていき、やがて一つの欠片を残して黒い泥は跡形もなく消えた。
「芳乃っ…!」
地面に落ちた欠片を回収してからすぐに俺は戦闘の音が止まない、芳乃がいる方へと視線を向ける。
そこでは祟り神と苦無を駆使して打ち合う茉子と、時折伸びる攻撃の手を躱し続ける芳乃と有地の姿があった。
茉子が祟り神の攻撃を受け流し、黒い触手が大きく弾かれる。
「っ、今なら!」
それに素早く反応して駆け出す芳乃。
巫女姫としての役目を継いでから何度も祟り神と戦闘を続けてきた経験が、この反応の速さに繋がっているのだろう。
「朝武さん!」
「いけません芳乃様!正面からではっ!」
それが真っ直ぐ、祟り神の正面からの突進でなければそれは正しい行動だったといえただろう。
有地と茉子が芳乃に呼び掛ける前から俺は走り出していた。が、如何せん遠すぎる。先程の戦闘の内に芳乃達からだいぶ離れてしまっていた。
これでは、間に合わない─────。
だが、動き出したのは俺だけではなかった。
思いの外早く体勢を整えた祟り神が触手をもたげ、芳乃を迎え撃つ。
しかしそれよりも早く、芳乃よりも祟り神に近い位置にいた有地が祟り神の背後をとっていた。
頭上から両手に握った叢雨丸を振り下ろす。
それに対して、祟り神は背後に近付く有地の存在を気配で感じ取ったのか、回避行動をとっていた。
結果的に言えば、有地の振り下ろしは祟り神に命中こそした。したのだが─────
─────浅い…っ。
叢雨丸の刃は祟り神の身体にやや掠めただけに留まった。
刃に切り裂かれた箇所からは決して少なくない量の泥─────祟りが零れている。しかし、祟り神から感じられる敵意は未だ衰えを見せない。
祟り神は自身を切り裂いた有地と向かい合う。が、すぐさま有地から視線を逸らすともう一人、自身に迫る存在へと顔を向けた。
「このぉぉぉぉっ!」
再び回避行動に出ようとする祟り神。
だったが、いざ回避しようとする方に目を向けて─────その視線が俺の姿を捉え、祟り神は動きを止めた。
芳乃の危機には間に合わず有地に助けられはしたが、せめてこれくらいはしなければ。
有地と芳乃、祟り神の位置関係に加えて茉子がいる場所、これだけ条件が揃えば祟り神の動きはある程度予測できる。
祟り神が動こうとした場所に先回りした結果、僅かな硬直を生む。祟り神のすぐ眼前まで芳乃が迫っているこの状況で、たとえ僅かといえどその硬直は命取りだ。
振り下ろされる鉾鈴。それでもなお逃れようとする祟り神の頭部を掠めた一撃はかなり効いたらしく、呻き声をあげながらたたらを踏む。
そこに間を置かず有地が追い打ちをかける。
「はぁぁぁぁぁっ!」
気合の声を上げながら有地は再び叢雨丸を振り下ろす。
芳乃の一撃によろけた祟り神は三度の回避行動に移る事は出来ないまま、有地の一撃をまともに受ける。
神力を纏った刃の一撃を受けた祟り神は真っ二つになりながら形を崩し、消滅していった。
「…おわ、った?」
叢雨丸を振り下ろした体勢のまま、先程まで祟り神が立っていた場所を呆然と眺めながら有地が口を開く。
『ああ、そうだ。安心しろ、ご主人』
まだ実感が湧いていない様子の有地に、叢雨丸と同体化しているムラサメ様が優しく語り掛ける。
ムラサメ様の声を聞いた有地は一度周囲を見回した後、今度こそ祟り神の姿がない事を確認してからようやく警戒を解き、大きく息を吐いてその場に座り込んでしまった。
緊張から解放されて力が抜けたのだろう。それは有地の完全に気の抜けた表情から見て取れた。
「有地さん!」
だが、戦闘の後いきなり座り込む姿を見れば人によっては別の疑いをかける。
底なしの芳乃は俺とは違い、そっちの部類だった。
「大丈夫ですか?もしかして、どこか怪我をしたんですか?」
「いや、大丈夫。どこも怪我なんてしてないよ。ただ…力が抜けちゃって」
苦笑しながら自身の問い掛けに答える有地に、一瞬きょとんとした顔を浮かべた芳乃は、一度安堵の息を吐いてから微笑んだ。
「それなら良かった…」
「おい。
芳乃の優しい性格は美徳である。
しかし、今の台詞は少々見過ごせなかった。
「は、はるくん?」
「祟り神の正面から突っ込んでいきやがって…。あの時どんだけ心配したか分かってんのか?」
「そ、それは…」
「芳乃様、私も陽明くんと同じ気持ちです。本当、陽明くんの真似をさせてもらいますが…
「…ごめんなさい」
しょんぼりと俯き、体を縮こませながら俺と茉子に謝る芳乃。
「…まあ、次から気をつけろよ」
「はい…」
これで意地を張るならまだしも、本人もしっかり反省している様子だし説教は短くここまでにしてやろう。
それに、ぶっちゃけ俺もあまり人の事言える立場じゃないし…本家にいた頃お世話になった師匠から似たような説教を何度も喰らった思い出は芳乃達には言わないでおこう。
「よっ、と」
「ムラサメ様」
話が一区切りした所で、叢雨丸との同体化を解いたムラサメ様が姿を現した。
するとムラサメ様は、一度祟り神との戦闘を終えて吐いた一息の後、すぐに芳乃へと向き直った。
「芳乃。大丈夫か?」
そして、唐突にそんな事を聞き出した。
質問を受けた芳乃だけでなく、俺達もまた一瞬呆ける。
「えっ、と…。はい。どこも怪我はしていませんよ?」
「いや、怪我もそうだが…。ご主人が叢雨丸を振った時、近くにおったであろう?」
「…あ」
芳乃が質問の意味を少しはき違え、それをムラサメ様が訂正してから─────俺は思い当たる事があり、誰にも聞こえない程度のボリュームで声を漏らした。
「え!?もしかして、当たった!?」
「いえ。当たっていませんよ」
「そうではない。叢雨丸は霊的な存在を斬る事に特化しておる」
そう。神刀叢雨丸は霊的なものを斬るために神が生み出した刀。その刃で例えば、人を斬る事は出来ない。そこらに生え散らかしてる木だって伐採する事は出来ない。
何度も言うが叢雨丸は霊的なものを斬るために作られた刀。実体を持った物は基本的に斬る事は出来ないのだ。
基本的には。
ならば、ムラサメ様は何を心配しているのか。
「故にな、何らかの影響があるのではないかと─────」
「芳乃。今すぐ服を押さえた方がいいぞ」
「へ?」
即座に感知範囲を広げ、芳乃に意識を向ける。
そして、芳乃が着ている巫女服の
だが、いきなりそんな事を言われても芳乃としてはさっぱり分からないのだろう。
芳乃だけではなく茉子と有地、ムラサメ様も俺が考えた可能性にまでは至っていなかったのか、同じように呆けた表情を浮かべていた。
直後、ハラリと何かが舞い落ちる音がした。
遅かった。遅かったが、同時に間に合った。
何を言っているか分からないだろうが、今の芳乃の姿と、そしてソッポを向いている俺を見てくれればその言葉の意味は察せるだろう。
「…」
流れる沈黙。
ソッポを向いている俺の目にはどんな状況なのか見られないが、恐らく巫女服がずり落ちて下着姿となった芳乃と有地が向かい合っていて、その傍に茉子とムラサメ様が固まっている、といった感じか。
とりあえず、遅かったが間に合ったという意味不明の言葉の意味は分かってもらえた事だろう。
「と、朝武さん!ごめん!気付かない内に朝武さんまで斬ってたみたいだけど、怪我はないかな!?」
「へ?あ、は、はい。怪我はありません…」
「そっか…。怪我がなくて良かった…」
「はい。怪我がなくて良かった…訳がありますかぁっ!」
芳乃と有地の会話が、そしてその後に芳乃の凄まじい怒鳴り声が響き渡る。
「ななななんて事をするんですか!叢雨丸を使ってこんな事…最低!変態です!」
「い、いや!俺だってそんなつもりじゃ─────」
「とりあえず有地。お前はソッポを向くべきだ」
「っ!」
いや、有地がどこを向いてるかなんて俺には分からないけどね?でも多分まだ芳乃の方を向いてるんだろうなぁと思ってたらマジだったらしい。あいつの息を呑む声が俺の耳に聞こえてきた。
は?あいつ、なに?芳乃の下着姿を見たのか。
さっきはとにかく視線を逸らさなければと必死になってたから気付かなかったけど、そうか…。
有地に呪いを…切れ痔になる呪いを掛けてやろうか…。
「有地さん…」
「ひ、常陸さん…」
茉子の低い声と、恐怖に震える有地の声が聞こえてくる。
そうだ、茉子。有地にガツンと言ってやれ。
お前の説教内容によっては有地への呪いは無しにしてやってもいい。
なんて思っていたのだが、俺は今の茉子の性格をやや失念していた。
「肌に傷一つつけず、衣服だけ斬るとは…。何という腕前!私、感動いたしました!」
どうやら切れ痔になるべき輩はもう一人いたらしい。
なに感心してんだよ、なに感動してんだよ。お前は有地を るべき立場だろうがよ。
「はぁ…」
茉子を叱責する芳乃の声を背後から聞きながら溜息を吐く。
何だよこの状況、訳分かんねぇ。
そんな力の抜けた思考をしながら俺は和服の上に纏っていた羽織を脱いで、羽織を掴んでいる方の腕を背後へと伸ばす。
「おい芳乃。これを着ろ」
「は、陽くん…」
「そんで、帰って着替えたら、斬られた巫女服を寄越せ」
まだ芳乃の巫女服がどんな状態かは分からないが、状態によっては俺にでも直せるかもしれない。
そう思っての台詞だったのだが、何故か周囲の空気が固まった気がした。
「陽明…」
「若狭…お前…」
「え、なにこの空気」
訳が分からず戸惑いを隠せないまま、俺はソッポを向いたまま有地達に問い掛ける。
その問いの答えは茉子の口から、俺が全く思ってもみなかったものが返ってきた。
「確かに可愛い女の子が着ていた服というのは男子にとってはかなり需要があるものかもしれませんが、まさか堂々と本人に向かって寄越せなんて…」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ阿呆どもっ!」
いや確かにさ、一番重要な所を口にしなかったから誤解されるのは仕方ないのかもしれないけどさ。だからって
「てか需要って何だよ!どんな需要だよ!」
「それは…女の子の口から言わせるなんて、陽明くんは変わってしまいましたね」
「…茉子、そろそろその口を閉じないと俺はお前に呪いを掛けたくなってしまう。明日、お前は切れ痔でさぞ苦しむ事になるだろうな」
「閉じます、もう何も言いません」
放っておけば戯言を更に加速させるであろう茉子の口を無理やり閉じてから、俺はこの短時間で何度目かの溜息を吐く。
俺が差し出した羽織を茉子が受け取ってから、茉子が芳乃の方から羽織を着せて、ようやく俺は視線を芳乃の方へと向ける事が出来るようになる。
羽織を着てもやや際どい恰好ではあるが、さっきよりは間違いなくマシな筈だ。
「さて。ひと段落したのだし、早く戻ろう」
笑顔でそう言うムラサメ様の言葉に頷き、俺達は帰路につく。
その際、祟り神が落とした欠片を回収するのを忘れずに。
─────しかし、あの祟り神は何だったんだ。
この森に入る時とは打って変わって、和やかな空気の中俺は先程戦った祟り神について思い出す。
本来あり得ない思考的な動きに加えて、芳乃達には目もくれず俺を狙い続けた祟り神。
そして、一体目の祟り神を祓った後。祟り神が復活する直前に視界の端に映った小さな光。
「…」
掌を広げ、そこに載った小さな欠片を見つめる。
先程戦闘を終えて回収した二つの欠片は、俺の手に握られている内にいつの間にか一つになっていた。
月明かりが反射して光っているように見える欠片は透明なまま。
俺は懐から一枚の札を取り出し、その札で欠片を包む。
─────考えてたよりも面倒な事になりそうだ。
春の暖かい風ではなく、不自然なほど冷たい風が森の中を流れていった。
~Another View~
祟り神を祓い、
一度にたりと笑いながら、その人は掌を広げる。
その掌の上には、
「叢雨丸の担い手は…まあ、あんなものか。それよりも問題は─────」
まさかあんな怪物が現れるとは。いや─────
「…目的は、成すべき事は変わらない」
だが、たとえ誰が自分の前に立ちはだかろうとやる事は変わらない。
「朝武に災いあれ」