千恋*万花~Another Tale~ 作:もう何も辛くない
玄十郎さんと挨拶を交わし、別れて志那都荘から離れる。
とりあえず、志那都荘を拠点として使っていいという許可を得られてほっと息を吐く。
これで拠点に関してはしばらく問題はないだろう。
穂織は狭い町だ。俺の事を覚えている人がもしいた場合、その人が俺の姿を見たと誰かに話してしまえばあっという間にうわさは広がる。
もしそうなったら、野宿も視野に入れる。
「さて、と…」
拠点の見通しも立ち、通りに置かれたベンチにて遅めの軽い昼食も済ませて立ち上がる。
一つ目の用事は終わった事で、もう一つの用事を済ませに行くとする。
足を向けるのは街中で小高くなっている丘の方。昨日歩いた、建実神社へと行く道と同じ道を歩く。
だが、行先は建見神社ではない。建見神社よりも更に奥、鬱蒼と生い茂る森へと足を踏み入れる。
「─────」
瞬間、空気が変わる。ほんの僅かな変化だが、ひんやりと森の外よりも空気が冷たくなった。
どうやら
それを感じ取った俺は懐から一枚の札を取り出して宙へ放り投げる。
ひらひらと舞う札を見上げ、右手で人差し指と中指を立てて印をとると、札は白い煙を立てながら犬へと姿を変える。
地面に着地した小さな衝撃で黒い毛並みが微かに揺れる。
閉じていた瞼を開けた黒犬は俺を見上げ、ゆっくりと口を開く。
『何用ですか、主』
耳から聞こえるのではなく、頭に直接響いてくるような、若い男の声がした。
こいつは俺の式神の一つ。昨日、駒川の動向を探る時と有地に術を見せるために使用した鳥の式神よりも能力が高く、会話も可能という俺が最もよく使う式神の一つである。
用途としては、鳥の式神と同じく探索用。ただ、鳥の式神は視覚による探索に対してこいつは、まあ犬の姿をしているという事で察しはつくかもしれないが、基本は嗅覚を使って探索をする。
「今、お前が感じている祟りの臭い。覚えろ、そいつが今回の俺のターゲットだ」
『…主。この臭いは─────』
「皆まで言うな、
『…その呼び方はやめて頂けませんか、主』
「名前が短いと咄嗟に呼びやすいからこれでいいんだよ」
この森に漂う気配だけで、その正体が
式神、ポチが固い声で何かを言い掛けたのを途中で遮る。
そう言われるまでもない。数百年続く怨念と対峙するのは何も今回が初めてという訳ではない。
その時は、本家の人間が共にいたのだが─────危うく死にかけた。
しかしその時の俺と今の俺とは違う。今の俺ならば─────やれる筈だ。それだけの修行を積んできたつもりだ。
「まずは森の探索を行う。お前もついてこい」
『承知致しました』
俺の式神となって三年、未だに自身につけられた名前に不満があるらしいポチはその感情を割り切り、森の奥へ足を踏み入れる俺の後に続く。
鬱蒼と生い茂る木々に阻まれ、空からの探索は恐らく無理だ。だから、自分の足で森を歩き、自分の目で地形を把握する。
穂織で生まれてから十一年、この町に住んできたがここに足を踏み入れたのは初めてだ。だからまず、ここら一帯の土地勘を定める。
人の通った形跡のある道を進み、奥へと行く。次第に人が侵入した形跡は薄くなっていき、やがて道と呼べる景色は消え、人の手が及んでいないあるがままの森が姿を現す。
「…どうやら、今はいないか」
『そのようですね。…しかし、これは─────』
「どうした?」
森に足を踏み入れ、しばらく歩いてきたが…。気配は感じ取れる。しかしその気配がどれだけ歩こうとも一向に濃くならない所を見ると、まだ
だが、俺よりも感知能力に長けているポチは何かを感じたらしい。
『同じ気配が複数…各地に点在している…?』
「なに?」
ポチが言う気配。それが何を現しているかなど聞くまでもない。
だが、それが複数、各地に点在しているとはどういう事なのか。
「…ポチ、一番近い気配を感じる場所に案内しろ」
『承知致しました。こちらです』
立ち止まって考えていても埒が明かない。それならば、踏み込んでみるのみ。
ポチに案内を頼み、後に続く。
ポチは更に木々が生い茂る方へと進み、それに続いて歩くこと数分。ポチは不意に立ち止まり、周囲を窺い始める。
「ここか?」
『はい。気配は確かに、ここから感じられます』
ポチと一緒に俺も周囲を探索しながら、思考を巡らせる。
気配を複数感じる、とはどういう事なのか。俺が探っている気配の正体は、祟り神と呼ばれる、この地と朝武に呪いをかけた元凶の憎しみが具現化した姿、といえば正しいか。
確かに祟り神はこれまで何度も出現した。だが、それらは全て同一の存在と言っていい。
先程もいったが、祟り神とはこの地と朝武に呪いをかけた元凶が抱く強い憎しみが具現化したもの。つまり、これまでに出現してきた祟り神とは全て、同一の存在なのだ。
しかも、それらは全て巫女姫達の手によって払われている。故に、この森にて感じる気配は一つであるべきだと思うのだが─────
「ん…?」
日が暮れ始め、空が茜色に染まり始めた頃。視界の端にキラリと何かが光ったのを見た気がして足を止めた。
そっちに足を向け、近づいてみると─────光る何かを見たと思ったその場所に、小さな透明の…水晶の欠片、だろうか?
さっき光ったと思ったのは、太陽の光が反射したからだったのか。とにかく、そんな物を見つけた。
「ポチ」
『…はい、間違いありません。気配はその欠片から確かに感じられます』
ビンゴ。と言いたい所だが、ポチの話を考えれば恐らくまだこの様な欠片が森の中に思われる。
この欠片が何なのか、どういったものかはまだ分からないが─────
「ポチ、次だ。気配を感じる場所に連れていけ」
ポチに命じて、次の場所に案内させる。
予想が正しければ、ポチが感知した場所にそれぞれ同じ様な欠片がある。
一先ず、その欠片を集め、帰って詳しく調べる事にしよう。
二個目の欠片は一個目の欠片を拾った場所からそう遠くない場所で拾えた。
三個目はその場所からかなり遠くにあり、三個目の欠片を拾った頃にはすっかり日も落ち、森の中という事もあってかなり暗い。
まだ暗くなってすぐ、月も上がり切っていないため尚更森の中は暗い。
「探索はここまでだな」
『はい。…しかし、この欠片は一体何なのでしょうね』
「さあな。それは帰ってから詳しく調べ─────」
視界がかなり狭まり、流石に帰るべきだと判断したその時だった。
ぞくりと背筋に寒気が奔る。この森に入ってからずっと感じ続けていた邪の気配が何の前触れもなく、突然増幅する。
『主!』
「分かってる!お前は戻れ!」
ポチは俺の命令通りに
術を使って身体能力を向上、生い茂る木々に衝突しないよう走る位置、速度を調整しながら森を走り抜ける。
やがて木々が生い茂るエリアから抜け、森に入って初めの頃、まだ人が立ち入った形跡が残るエリアまで戻ってこれた。
どうやら、祟り神が発生した場所は森の入り口から、つまり朝武の家からかなり近い位置らしい。
それでも祟り神が森の外に出たという例はないようで、心配はないと思うが─────
「っ、こいつは─────」
近い。祟り神の気配が近くなっているのを感じながら、それと同時にもう一つ、意識的に鋭敏にさせた感覚に祟り神と少し似た気配を掴む。
祟り神のようにドロドロとした嫌な気配ではない。何と形容すれば良いのか─────大まかに感じられるのは人間の気配なのだが、その気配の中に小さな黒い邪の気配が混じっている、といえば良いのか。
とにかく不思議な気配だった。
しかもこの二つの気配、位置的にいえばほぼ同じ場所に─────
「─────有地っ!?」
その光景を目にして、思わず足を止めてしまった事を後悔する。
道から足を踏み外し、急勾配の方へと体を投げ出してしまう有地。その有地の傍らには、まるで泥で形成された、犬の様な形をとった黒い塊。
祟り神だ。この目で見るのは初めてだが、直感的にそう感じた。
祟り神は落ちていく有地を追う。
「させるかっ」
そして俺もまた、有地を追う祟り神を追って急勾配に身を投げ出す。
両足のかかとで体のバランスをとりながら、急勾配を急速に滑り落ちていく。
「これでも─────」
体のバランスをとりつつ、こちらには目もくれず有地を追いかける祟り神に狙いを定める。
懐から一枚の札をとり、妖力を注ぐ。直後、札は姿を変え、俺の手には確かな重量がのし掛かる。
直後、有地に意識を向けていた筈の祟り神が突然、ギョロリとこちらを見た。
この手にある妖力を感知したか、それともまた別の理由か。俺に狙いを変えたらしい祟り神だが、遅い。
俺の手からすでに
祟り神から断末魔の声は聞こえない。だが滑り落ちる速度に合わせて流れていく視界には確かに、投じられた御手杵に巻き込まれるように、祟り神が消滅していく場面が映った。
祟り神の消滅を確認した俺はもうそちらに意識を向ける事はなかった。
今意識を向けるべきは、ようやく平地にて落下が止まった血だらけの有地である。
「有地!」
聞きたい事は山ほどある。まさか、何も聞かされていないのか。山に入るなとは言われなかったのか。
だがまず、有地の意識が残っているかの確認だ。
「有地っ!」
平地に倒れたまま動かない有地に駆け寄り、もう一度呼び掛ける。が、返事は返ってこない。
少しの焦りを抱えながら、有地の口元に耳を近づけ呼吸の音を、同時に視線は有地の胸に向けてその動きを確認する。
有地の口からは呼吸をする音が、有地の胸はその音に合わせて上下しているのが確認できた。どうやら、呼吸は問題ないらしい。
「くっそ、治癒術は専門外だってのに!」
陰陽師に伝わる数多くの術の中に、怪我や病気を治す事が出来る治癒術というものが存在する。
一応、俺も使えるには使えるが、出来るのは精々止血程度。有地の様子を見る限り骨折はなさそうだが、まず体のそこらを打撲しているだろう。
だがその痛みを和らげる程の技量は俺にはない。とはいえ止血だけでもやらないよりはマシだ。だいぶ派手に出血しているから、放っておく時間によっては命に関わるかもしれない。
すぐに両手を、まず有地の額に出来た切り傷に添える。
意識を集中し、力を両手に集め、いつもは殺意を以て発する力を今は慈愛の心を以て両手から放つ。
両手から発生するのは柔らかい翠色の光。久々に治癒術を行使するため心配だったが、どうやら問題なく発動できた様だ。
「…わか、さ?」
「っ、有地」
頭の傷の治癒を始めると、有地の意識が朦朧としながらも戻ってきた。
もしかしたら転がり落ちる最中に頭を打ったか、目は虚ろ、口調も定まっていない。
まずい、もしかしたら俺の手には負えない域なのかもしれない。そう感じた俺は、頭の傷の治癒を負えるとすぐに懐から一枚の札、鳥の式神を取り出して宙へ放る。
放る直前に俺の妖力を注がれ、同時に命令を刻まれた式神は一目散にとある方向へと飛び立っていく。
飛び立った方向は駒川の家がある方。緊急を要するためメッセージなどは用意できなかったが、式神が送られてきたとなれば駒川も何かがあったと感付く筈。
式神には駒川を俺のいる場所へと案内するようにという命令も刻んでおいた。これで駒川はあと少なくとも三十分もすればこの場所に来てくれる筈だ。
「どうして、ここに…?」
「この山に用事があったんだよ。お前こそ、なんで──────」
有地の疑問は当然だ。こんな山の中に俺が一人でいる理由なんて、普通なら考えても分かるまい。
しかしその疑問にバカ正直に答える訳にもいかない。芳乃が、朝武家が有地には事情を教えないという選択をした以上、俺の口から俺の目的を教える訳にはいかない。
だがその朝武の選択がこの結果を招いた。決して有地に事情を話さない選択が間違いだったとは言わないし、思わない。
それでもその結果がこの有地の大怪我を招いた以上、朝武は有地への対応をもう一度考え直さなければならないだろう。
それより、俺も気になっていた。確かに山へ入るなとは言われていないのだろうが、何だって有地はこんな本当に、有地にとっては何もない筈の山の中に入ってしまったのか。
その理由を問おうとした時だった。
「ご主人!っ、ご主人!!」
どこからか誰かを呼ぶ声がする。すぐにその声の正体は姿を現し、有地の姿を見つけるとその者はこちらに文字通り
「ご主人!陽明も…、一体何があった!」
「…どうやら足を滑らせて転んでしまったらしいです。俺はそこに偶然居合わせて、今こうして治療を施しているところです」
一瞬、祟り神に襲われたと口から出かかるが有地は意識を取り戻している。有地に祟り神について聞かれる訳にはいかないため、ここは申し訳ないがムラサメ様に嘘を吐かせて貰う。
「足を滑らせたなど…そんな…っ」
とはいえ流石に俺の言い訳には無理があったらしい。疑わしげに俺に視線を向けるムラサメ様だったが─────ハッ、と目を見開いて何かを察したのか、俺への追求はせず視線を俯かせる。
「そう、か…。そういう事か…。陽明、礼を言う。ご主人を…よくぞ救ってくれた」
「本当に偶然だったんですが…。間に合って良かったです」
どうやら俺の意図は伝わったらしく、ムラサメ様は俺に有地を助けてくれたお礼を口にする。
もう少し早く、それこそ俺が生い茂る木々を恐れて
だが今、それを後悔してもどうにもならない。反省だけはしつつ、ムラサメ様のお礼は素直に受けとる。
「ムラサメちゃん…。龍成くんは…」
「おぉ、そうじゃ!迷子は無事に保護できたぞ、ご主人。だから安心せい」
「…そっ、か。それなら、よか…った…」
「っ、や、やっぱりダメじゃ!安心するなご主人!今は迷子よりもご主人の方が危険なくらいだ!気を緩めてはいかん!しっかり気を持て!」
ハチャメチャな事を言い出すムラサメ様。この様な台詞がこの様な状況でなく、もっと日常的な場面で口にされていたらきっと俺は爆笑していたのだろうが─────状況が状況だけに笑えない。
というより有地は本当に気が緩んでしまったらしく、目蓋がゆっくりと落ちていく。
「すでに助けは呼んでおるから、それまで意識を保つのだ!ご主人!」
「あぁ…わかったよ…」
分かった、と言いつつ更に有地の目蓋が落ちていく。
その様子を見て、有地に呼び掛ける声を大きくするムラサメ様。
「っ─────」
完全に有地の目蓋が落ちてしまったのを見て、俺はもう一度耳を有地の口元に近付ける。
再び有地の呼吸音と胸の動きを見て、すぐに俺は耳を有地の口元から離す。
「ムラサメ様、大丈夫です。どうやら眠っただけのようなので」
「そ、そうなのか…?」
「はい。それに、外はだいぶ派手に傷ついてますが、体の中を損傷した様子もないですし…。止血を行えば恐らく大丈夫でしょう」
そう言うと、ムラサメ様は一度有地の顔に視線を落としてから、大きく安堵の息を吐く。
「それと、ムラサメ様。助けを呼んだ、とおっしゃっていましたが、誰を?」
「む?あの時は慌てていたからのう…。芳乃と茉子に玄十郎と駒川の者を呼ぶように伝えてここに飛んできたのじゃ…」
「つまり、この場所は?」
「…芳乃達は知らぬ」
どうやら相当に慌てていたらしい。
ムラサメ様が芳乃と茉子に駒川を呼ぶように伝えたと言った時は式神を飛ばしたのは無駄だったかと嘆息したが、どうやら無駄にはならなそうだ。
「駒川には俺が先程式神を飛ばしました。恐らくあと二十分もしない内に俺がいる場所へと駒川を連れてくるでしょう」
「そ、そうか。それは…助かる」
「ですが…、俺はまだ、芳乃の前に姿を現す事はできません」
ムラサメ様の表情がきょとん、と呆けたものに変わる。
そしてやがて、その表情はじと目に、呆れたようなものへと変わるとムラサメ様は深々とため息を吐いた。
「へタレが」
「何とでも言ってください。約束を守るまで、俺は芳乃には会えない。なので、式神への命令を
「式神への命令変更…。すでに式神は放っておるのだろう?出来るのか?」
「この町は小さいですしね。町の範囲内でなら可能です」
すでに放たれた式神へ、元々刻んでいた命令を遠隔で変更するという芸当はかなり難易度が高い。
まあ、俺には出来るんですけどね。いやぁ、才能って怖いね。流石に習得するまでに少し苦労したけど。
「…よし。これで確実に、俺が放った式神は
ムラサメ様にそう伝えてから、有地の体を見る。
ムラサメ様と話しながらも止血は続け、もう有地の体に目立った出血は見られない。
これで俺はこの場では用なしだ。
「…本当に、芳乃には会っていかないのか?」
「…」
「お前が町を出てからずっと、芳乃はお前の事を気にかけておった。お前が帰ってきた事を知ればきっと、芳乃は喜ぶ」
芳乃の顔が、神社の本殿で見た成長した芳乃の姿が脳裏に浮かぶ。
会いたいさ。俺だって。
でも─────
「約束を破った俺には、会わせる顔がないんです。…呪詛の件を解決させた後、胸を張って会いに行きますよ」
「…その頑固なところ、本当に似た者同士じゃの」
ムラサメ様が苦笑いしたのを見てから、ムラサメ様に向かって一礼してその場から離れる。
遠くの方から、声がした。
ムラサメ様が呼んだ助けが来たのか、それともそれよりも先に駒川が来たか。
俺はそれを確かめる事なく、誰かと鉢合わせしないよう木々が生い茂る方から迂回して山を降りたのだった。
前作って二週間くらい毎日投稿続けてたんですよね。
当時の私はどうやって続けてたの?今もわりと頑張ってるけど早速毎日投稿途切れちゃいましたけど?
という事で黒いワンちゃんこと祟り神との初対戦でした。
なお、呆気なく投げ槍で一撃死。多分、よーいどんの決闘方式だったらあと数秒はワンちゃんの寿命が伸びていたと思います。
この話を読んで主人公強すぎね?ワンちゃん弱くね?と思ったそこのお方。
タグを見てください。この序盤はまだまだ序の口の予定ですよ。(ゲス顔)