千恋*万花~Another Tale~ 作:もう何も辛くない
~Another View~
「…知ってる天井だ」
目を開けると、視界に木目の板が入る。決して知らない光景ではなく、俺は昨日、朝起きた時にも同じ光景を見ている。
朝武家の屋敷にて、俺に割り当てられた部屋。どうやら昨日のあの後、俺はこの部屋に運ばれ寝かされていたらしい。
「もう朝か」
あれからずっと、今の今まで寝ていたのだろう。あの後─────若狭が俺を助けてくれて、その後にムラサメちゃんが来て、それから俺は意識を失った、のだと思う。記憶が曖昧だから自信はないが。
「…臭い」
ツンと鼻を突く臭いに顔を歪ませる。
結局、昨日は歯も磨いてないし風呂も入っていない。あんな事があったのだから仕方ないのだろうが…、今すぐにでも風呂に入ってこようか。
そう思って、体を起こそうとした時だった。
「んぎぃっ!?」
一瞬、息が詰まる程の鋭い痛みが突き抜けた。
体を起こすために利き手である右手を突いて、そのまま体を起こそうとして、すると右肩に焼けるような痛みが奔った。
直後、右腕から力が抜け、起こそうとした体は再び布団に倒れてしまう。
そうだ、そうだった。
痛みによって曖昧だった記憶がハッキリしていく。
龍成くんを探しに山へ入ると、あの黒い塊に遭遇し、襲われて─────急斜面を転げ落ちてしまったのだ。
そうだ。若狭とムラサメちゃんがやって来たのはその後だ。若狭が何かの術で俺を治してくれた筈なのだが…この右肩までは治せなかった、という事なのだろうか。
「ご主人、目が覚めたか」
今度は左手で体を起こそうとした時だった。ひょこっと俺の頭上に幼い少女の顔が出現する。
少女はぺちぺちと俺の頬を叩きながら、そう声を掛けてきた。
「うん。おはよう、ムラサメちゃん」
「体はどうだ?医者は、意識が戻れば問題ないと言っておったが…」
ムラサメちゃんに問われ、俺は確認するべく体を起こす。
先程のようにまた痛みが、という事はなかった。左腕は問題ないらしい。
首を左右に傾け、左肩を回し、両足を布団の中で軽く動かす。
「大丈夫だと思う。右肩がちょっと痛むけど…動かない事もないしな」
右肩以外どこも問題ない事を確かめてから、今度は慎重に、もう一度右肩を動かしてみる。
痛い、が、先程みたく鋭い痛みではない。慎重にゆっくり動かせば右腕も動かせる。
「そうか…。それならよかった」
俺の返答を聞いたムラサメちゃんが大きく安堵の息を吐いてから微笑む。
本当に心配を掛けてしまったらしい。今思い出してみれば、昨日俺を見つけた時のムラサメちゃんは本当に慌てていた。
正直あれは事故で、俺に過失は全くないのだが…心配を掛けてしまった事を申し訳なく思えてしまう。
「ありがとう、ムラサメちゃん。俺を助けてくれて」
「い、いや…。吾輩は助けを呼んだだけで何もしておらん。それに、ご主人を最初に見つけて応急処置を施したのも、陽明じゃしな」
「そうだ…。若狭はどこに行ったんだ?あいつにもお礼を言わなきゃ」
そう、お礼を言わなければならないのはムラサメちゃんだけじゃない。
ムラサメちゃんが俺を助けるために呼んでくれた人達にもそうだが、ムラサメちゃんの言う通り最初に俺を見つけてくれたのは若狭だった。
部屋の中には若狭の姿はない。若狭にもお礼を言いたくて、ムラサメちゃんに居場所を聞いてみる。
「陽明なら、ご主人の止血を終えたらどこかに行ってしまった。どこへ行ったのかは…吾輩にも分からぬ」
「そう、なのか…」
何というか、不思議な奴だ。
俺が叢雨丸を抜いた後、本殿にてじいちゃんが戻ってくるのを待っていた時に突然現れて、自分は陰陽師だとか語り出して。
しかも本当に術を使う所を見せてくれた。鳥の式神を出して、その場から消える術まで見せてくれた。
まあ、消えてからそのままそれ以降は姿を見せてくれなかったのだが。
「そういえば、何であいつはあの山にいたんだろ…。もしかして、あの黒い塊を退治しに来てたのかな…?」
「あー…。その事なんだがな、ご主人…」
ふと思う。どうして若狭はあんな暗くなる頃に、あの山にいたのだろうと。そして考え始めてすぐ、あいつが陰陽師だという事を改めて思い出す。
それならば、あいつがあの黒い塊を退治するために山にいたという俺の仮説は辻褄が合っているんじゃなかろうか。
今度会った時に聞いてみようか、そう思ったその時だった。
どこか歯切れが悪そうに、ムラサメちゃんが口を開いた。
「陽明と会った事、そして今回の事─────他の者には黙っていてほしいのだ」
「え?どうして?」
「それは…陽明の希望でな」
若狭の事を黙っていてほしい。理由が分からず聞き返すと、それは若狭の希望なのだとムラサメちゃんは言った。
「若狭の希望って…どうして?」
だが、若狭の希望と言われても疑問が深まるだけだ。何故若狭は他の人達に自分の事を知られたくないのだろう。
…もしかして、若狭はあの黒い塊について秘密裏に調べていたのだろうか?だとすれば、若狭の希望というのも分からないでもないが。
いや、何か違う気がする。何が引っ掛かっているかは分からないが、どうしても違和感を拭えない。
「…ご主人。陽明はのう、とんでもないヘタレなんじゃよ」
「…は?」
何故、と思考を働かせていると突然、ムラサメちゃんが思いも寄らない事を言い出した。
ヘタレ?若狭が?ムラサメちゃんはいきなり何を言っているんだ?
「ムラサメちゃん、それってどういう─────」
ムラサメちゃんにどういう事なのかと聞き返そうとしたその時、部屋の外の廊下から足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
足音はやがて部屋の前で止まり、そして部屋の外から今度は声が聞こえてきた。
「ムラサメ様、いらっしゃいますか?」
「おぉ。入ってきていいぞ」
部屋の外からムラサメちゃんに呼び掛けた声は高い女の子のもの。
呼び掛けに対してムラサメちゃんが返事を返すと、すぐに障子が開かれた。
障子が開き、その向こう側に見えたのは二人の女の子。身長は大体同じくらいで、両方ともとんでもなく美少女だ。
一人は長い銀髪を束ねて下した女の子と、もう一人は黒髪を襟元で切ったボブカットの、しかしもみあげは長く下し、ぴょこんとアホ毛が伸びた女の子。
銀髪の女の子は俺の婚約者にさせられた朝武芳乃さん。そしてもう一人は、朝武さんの付き人である常陸茉子さんだ。
「有地さん…?」
「有地様…?」
「おはようございます。二人とも」
「…有地さん!?」
「…有地様!?」
「あ、はい。有地ですけど、なにか…?」
部屋に入ってきた二人は、驚いた表情を浮かべて俺を見ていた。
繰り返し俺の事を呼んで、いきなりどうしたというのか。
「い、いえ。その…」
「随分のんびりされていらっしゃるので、拍子抜けといいますか…。大丈夫ですか?怪我の痛みはどうですか?」
「ちょっと痛むけど、大丈夫だよ」
常陸さんの問い掛けにそう答えると、彼女はやや目尻を吊り上げ、少々鋭い視線で俺を見る。
「駄目ですよ、ちゃんと診察は受けてください。先生も、何かあればすぐに連絡を、と仰っていましたから」
「あ、はい。ありがとうございます。気になる事があればちゃんと言います」
常陸さんの有無を言わさない口調につい姿勢を正して畏まってしまう。
「でも本当に良かった、意識を取り戻されて…。ムラサメ様も、一安心できたのではありませんか?」
「まあな。血だらけのご主人を見つけた時には、肝を冷やしたぞ」
「…ん?」
鋭い表情から一転、安堵の息を漏らしながら言う常陸さんとムラサメちゃんに違和感を覚える。
今この瞬間、二人の間で会話が成立したように聞こえた。もしかして─────
「常陸さんって、もしかして…」
「茉子も私と同じように、ムラサメ様が見えているんです」
俺の言葉を引き継いでそう語ったのは、朝武さんだった。
口を開いた朝武さんに向けていた視線を常陸さんに向けると、常陸さんは無言で一度、こくりと頷いた。
「…ムラサメちゃんが見える人って意外と多い?」
「そんな事はない。少なくともこの周辺には、ご主人を除けば芳乃と茉子だけだ」
今、ムラサメちゃんは多分わざと若狭の名前を出さなかった。
それが若狭の希望だからなのか。
しかし、ムラサメちゃん曰く若狭は以前穂織に住んでいて、その頃はムラサメちゃんを見る事が出来なかったという。
そして若狭曰く、陰陽師としての修行を積んだ結果、ムラサメちゃんを見る事が出来るようになったという風な事を言っていたのだから─────ムラサメちゃんはそんな事はないと言ったが、案外ムラサメちゃんを見る事が出来る人は多いのかもしれない。
「…ご主人は少々勘違いしているようだな。まあ、後で説明してやるか」
「?」
ムラサメちゃんが言っている事の意味が分からず、俺だけでなく常陸さんも一緒に首を傾げる。
しかしただ一人、朝武さんだけはどこか深刻そうな顔をで俺を見ていた。
「有地さん。本当に…傷は大丈夫なんですか?」
「え?うん、さっきも言ったけどちょっと痛むけどゆっくりでなら肩も動かせるし、大丈夫だと─────っ!?」
「有地さん!?」
さっきの常陸さんの問い掛けと同じ事を繰り返した朝武さんに、右肩を動かしながら答えようとした。
でも、自分でゆっくりでなら肩を動かせるとか言いながらどうやら速く動かしすぎたらしく、右肩から鋭い痛みが奔って言葉が途切れてしまう。
その様子に心配した朝武さんが慌ててこちらに来た。
「痛むんですか?」
「いや…大丈夫。動かさなければ、こうやって触られてても何とも─────」
ない、と言おうとした。朝武さんの問い掛けに、最後に何ともないと答えようとしたんだ。
朝武さんの頭についたあり得ないものを見るまでは。
「…」
ぴょこん、と白い獣耳が生えている。
あり得ない。人間に獣耳が生えているなんてあり得ない。いやまさか、コスプレか?
いやいやいや、わざわざ獣耳のコスプレをつけて怪我人の様子を見に来る人なんているか?
それなら、何だ。朝武さんは目にも留まらぬ速さでコスプレをしたとでもいうのか?
いやいやいやいやいや。
「─────」
ごしごし、と目を擦る。が、朝武さんの頭についた獣耳は相変わらず見えたままだ。
「───────」
パンパン、と両手で頬を叩く。なお、獣耳は見えたまま。
「有地さん…、どうかしたんですか?」
「いや。朝武さんの頭にあり得ないものが見えてる気がして」
「あり得ないもの…?」
きょとん、としながら朝武さんは両手で頭に触れる。ちょうど獣耳が生えている場所だ。
何その仕草、ちょっと可愛い。
「…」
朝武さんの両手が獣耳に触れて、さわさわと、もみもみと、その存在を確かめるように両手が動く。
そして─────
「…幻です」
「え?」
「有地さんは夢を見ているんです。なので今すぐ寝てしまいましょう」
「幻なの?夢なの?あと、最後のはおかしい絶対におかしい」
「茉子、有地さんは疲れていらっしゃるみたいだからあて身で寝かせてあげて」
「おかしい!今の朝武さんは絶対におかしい!常陸さん、ムラサメちゃん、何とかして!」
朝武さんの目に光がなくなっている気がする。というか、寝かせてあげてをそのままの意味で捉えられないのは俺の被害妄想かな?
「ご主人の右肩に触れたのが原因であろう。祟り神の穢れに触れた部分だからな」
「祟り神…穢れ…」
朝武さんが、あれでもなくてそれでもなくてこれでもなくて、とあたふたしているのを他所に、ムラサメちゃんが俺の知らない言葉を用いて説明を始める。
「その獣耳は…その祟り神と穢れっていうのに関係があるのか?」
「やはりご主人にも見えるか。…芳乃。こうなってはもう、ご主人にも話しておくべきだと思うぞ。祟り神と関わりを持ってしまった以上、何も知らない方が危険だ」
「…」
さっきまであたふたしていた朝武さんは、ムラサメちゃんの台詞を聞くとぴたりと動きを止めて、何やら思案している表情になる。
「芳乃様。ここはムラサメ様の言う通り、事情を説明しておいた方が…」
「僕もそう思うよ」
ムラサメ様の提案に賛成して口を開いた常陸さんに続いて、新たにこの場にやって来た朝武さんの父、安晴さんもまた事情というものを俺に説明する事に賛成の意を表した。
「お父さん…」
「盗み聞きをするじゃなかったんだが…茉子くんの声が聞こえてしまってね。でも…、僕も将臣くんに事情を説明すべきだと思う。彼はもう、祟り神と関わりを持ってしまっている」
確か、安晴さんはムラサメちゃんの事を見えていない筈だ。しかし、安晴さんはムラサメちゃんと全く同じ事を言った。
そしてそれに朝武さんも気付いているだろう。だから、だろうか。
「…分かりました。ですが、必要最低限の事だけです。…私だって、今の有地さんが何も知らないままでいる方が危険だって、分かります」
朝武さんは決して歓迎している様子ではないものの、思いの外あっさりと三人の提案に承諾した。
そして俺達は場所を居間へと移動して、俺は安晴さんから事情─────祟り神と呪詛というものについて。
あの山で出会った黒い塊についても含めて、説明を受ける事になる。
有地が安晴おじさんから朝武にかけられた呪い、その一端について説明を受けている。
安晴おじさんの説明を聞いて、有地が時折浮かんだ疑問を口にし、安晴おじさんが答える。
その会話を、俺は一昨日に神社の本殿にて使った術で姿を隠して盗み聞いていた。
ムラサメ様に口止めをしておいたとはいえ、万が一を考えてこの家に侵入して様子を観察していたのだが─────来ておいて良かった。ムラサメ様は、有地にだけは俺についての説明をするという選択をとってしまった。
まあ仕方ない。あの日、有地の顔を見に行くという選択をとった、元を辿ればあれさえなければここまでややこしくはならなかった。
あそこで有地とムラサメ様と関わりを持たなければ、昨日有地を助けたのも
これはもう、仕方ないかな。有地に事情を説明して、その上で口止めをした方が確実かもしれない。
そんな事を考えながら、安晴おじさんの有地に対する説明を俺も一緒に聞く。
まず、安晴おじさんが語ったのは穂織に伝わる伝承は事実と異なる部分こそあるが、叢雨丸とその担い手によって退治された妖は実在したという事。
伝承というのは、よくある昔話だ。昔、穂織の地を支配しようと企む妖がいて、その妖を叢雨丸とその担い手が退治したという、まあ簡単に要約すればそんなお話だ。
だが、この話には続きがある。退治された妖は、今際の際に呪詛を残した。その呪詛の一部が、あの山で有地を襲った祟り神と呼ばれる黒い塊だ。
そして、さっき祟り神を呪詛の一部といったが…そう、妖が残した呪詛はあの祟り神が全てという訳ではない。
そう、芳乃に生えたあの獣耳だ。あの獣耳は妖が朝武にかけた呪いによるもので、代々朝武の直系の者は例外なく呪詛によって呪われ、あの獣耳と共に運命を共にする事となる。
今はいい。今はまだ、ムラサメ様を見れる人─────この場で言えば俺や有地、茉子とムラサメ様くらいしかその耳は見えない。その段階ならばまだ大丈夫だ。
しかし、耳はやがて誰にでも見えるようになり、そしてそうなってしまえば近い内に─────
「っ…」
その結末を想像し、恐怖によって途切れかけた集中を繋ぎとめる。危うく術が解ける所だった。
させない、そんな事にはさせない。そのために俺は戻ってきたのだ。
そのために、何度も地獄を見ながら、あの場所で修業を積んできたのだから。
先程の話の続きになるが、獣耳は呪詛の力が強まると出現する。つまり何が言いたいかというと、あの山で祟り神が発生すると、獣耳が出現するのだ。
今回の獣耳の出現は呪詛に触れた有地の右肩に芳乃が触れてしまったために起きた
発生した祟り神は俺が消したのだから、一時的なものでなくては困るのだが。
「そういえば…、有地様は祟り神に襲われたんですよね?」
「え?うん、そうだよ」
「つまり、祟り神は現れたという事、ですよね?」
「?そうなんじゃない?」
「どうしたの、茉子?何が言いたいの?」
不意に茉子が何やら怪訝な表情をしながら口を開いた。
有地は祟り神に襲われたのも、祟り神が現れたのも、とっくに茉子は知っている。それを今更確認し始めて、何を考えて─────いや待て、何だ今の違和感は。
途轍もなく大事な何かを見落としている。取り返しのつかない何かを見落としている。そんな気がする。
何だ、何を見落としている?俺は…何を…?
「…祟り神は山で発生している。それなのにどうして、芳乃様の耳は消えたのでしょう?」
「「「「あ…」」」」
あ、やべ。俺、やらかしたかもしれん。
陽明君はうっかり