千恋*万花~Another Tale~   作:もう何も辛くない

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第八話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の奥から来た道を引き返し、来た時にはいなかったもう一人と並んで歩く。

 欠片の気配を探るために喚んでいたポチはもう札に戻して懐にしまってある。なので、今ここを歩いているのは俺ともう一人、芳乃の二人だけだ。

 

 会話はない。辺りに響くのは二人分の足音だけ。その足音も、人が入ってきた形跡がある場所、道が整備されている所まで来ると響く程の音は鳴らなくなり、俺達の間では沈黙が流れていた。

 

「…」

 

 何も言わないまま隣を歩く芳乃をこっそりと横目で悟られぬよう、彼女の横顔を見る。

 

「…どうかしましたか?」

 

 注意をしたつもりだったが、ふと芳乃の視線がこちらを向く。

 サファイア色の瞳がこちらを向き、視線が交わる。

 

「いや…何でもない」

 

「…」

 

 芳乃の問い掛けに答えながら芳乃の横顔から視線を外して前を向く。

 

 そろそろ森の入り口が近い。朝武の─────芳乃の家が近い。

 

「ねぇ、陽くん…。どうして私に会いに来なかったの?」

 

「─────」

 

 視界に木々が途切れた箇所が見え始めた頃、芳乃が固い声質で俺に問い掛けた。

 

 足を止める。直後、隣から聞こえていた足音も止まる。

 

 芳乃が振り返り、再び視線が交わる。俺は何も言わないまま考える。芳乃の問い掛けに対する答えを。真実を語るのか、それとも誤魔化すのか。

 

「私との約束を…破ったからですか?」

 

 だが俺の思考は無駄でしかなく、俺の本心は芳乃には完全にお見通しだったらしい。

 

 つい笑みが零れる。

 芳乃との約束を破り、それを後ろめたく思い隠れてこの町に戻って一人で呪詛を何とかしようとして、その結果がこれだ。

 穂織に戻って高々二日であっさりと存在に気付かれ、しかもこんな回りくどい真似をした理由まで見抜かれて。

 

「…陽くんは帰ってきた。私は、それだけで嬉しいです。それだけで─────」

 

「俺は()()()、二度と約束を破らないと誓った。なのに俺は、また約束を破った。それも、芳乃との約束を」

 

 一番破りたくなかった人との約束を破ってしまった。

 だから俺は、もう一つの約束を果たすまで芳乃と再会する資格なんてないと思っていた。

 

 なのに芳乃は、こんなあっさりと俺の想像を越える行動を起こしてくれた。

 

「俺も、芳乃とまた会えて嬉しいさ。…ありがとう、芳乃」

 

 嬉しい、本当に嬉しい。その気持ちに嘘を吐く事は出来ない。

 だってずっと会いたいと思っていた。一日たりとも穂織での日々を、芳乃の事を思い出さない日はなかった。

 

「でも俺には芳乃と顔を会わす資格がないから」

 

「…」

 

 視線を切って歩き出す。

 

 嬉しかった。本当に。でも、再会はここで一旦お終い。次は今度こそ、約束を果たした時に─────

 

「ぐええぇっ」

 

 と、思っていたのに。背後から襟元を掴まれ足を止めさせられる。

 思いっきり首を絞められる形になり、喉から潰れたカエルのような声が漏れる。

 

「な─────なにすんだっ!」

 

 立ち止まった直後、襟から手が離されたのを悟るとすぐに振り返って芳乃に文句を吐く。

 

「資格って何ですか」

 

「…芳乃?」

 

「資格なんてありません。私に会いたいなら最初から来れば良かったんです。それをうじうじと…」

 

 振り返った俺をジト目で睨みながら、芳乃は頭を振ってから溜息混じりに続けた。

 

「バカですか?」

 

「ぐ…」

 

 ドストレートなディスリが胸に突き刺さる。

 え、芳乃がそこまでストレートにバカって言っちゃうほど俺っておかしい事してたのか?

 

「約束なんてどうでもいいんです。約束にこだわって陽くんが会いに来てくれないなら─────そんな約束は取り消しにしてやりますっ」

 

「─────」

 

 俺は二度、絶対に守ると心に決めていた筈の約束を破った事がある。だからこそ、残る最後の約束を守るまで芳乃には会わないと決めていたのに。

 

 そんな事を言われたら、固く刻んでいた決意が揺らいでしまう。これから明日も、明後日も、明々後日もその次の日も、芳乃と会って話して、一緒に過ごしたくなってしまう。

 

「私は、陽くんとまた一緒に居たいです」

 

「っ…」

 

 こいつ、俺の胸中を分かった上で言ってるんじゃないだろうな。さっきからずっと、俺が言ってほしくない事ばかり─────いや、俺が言ってほしい事ばかり言いやがって。

 

 他の誰でもない、芳乃がそう言ってしまうのなら俺は…俺の決意を曲げるしかなくなるじゃないか。

 

「…最悪だ」

 

「陽くん?」

 

「約束破った上に、今度は自分が決めた事も曲げて…情けねぇ」

 

 最悪だ。最悪で、この上なく情けない。

 俺ってこんなに意志が柔らかい奴だったんだな。まあ、芳乃に対して限定だと思うけど。

 

「芳乃、帰ってくるのが遅くなってごめん。約束破ってごめん」

 

「…はい、許します」

 

 本当にこれでいいのかと、こんなんで済ませていいのかと、どこかから囁き声が響いてくる。

 でも、いいんだ。だって、芳乃自身が許すと言ってくれたから。我ながらチョロいと呆れるが…それでいいという事にしよう。

 

「だから、一緒に帰りましょう?」

 

「…あぁ」

 

 微笑む芳乃に頷きながら、再び並んで歩きだす。

 今度は立ち止まる事なく、迷う必要もなく、行く場所は同じ。

 

 森を出た俺達はどちらから言う事もなく、朝武家へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五年ぶりに穂織に帰ってきてからここに来るのは三度目だ。三度目なのだが、以前の二度が誰にも見つからないよう警戒しながらの侵入だったからだろうか。こうして姿を隠すことなく堂々と、それも家主の一人と並んで入っていると、帰ってきてから初めてここに来た訳でもないのに周囲の景色が、朝武家の敷地内が懐かしく思えてしまう。

 

「今頃お父さんは授与所にいると思うので、行きましょう」

 

 そう言いながら前を歩く芳乃についていく。向かう先はさっき芳乃が言った通り授与所がある方。

 参拝シーズンでもなく、つい最近大きなイベント事が終わったというのもあるのか、参拝客は殆どおらず、境内を歩くのは今この瞬間は俺と芳乃だけだった。

 

 境内を横切り、授与所へと近づいていく。次第に開けられた窓から授与所の中が見えてくる。中では神官衣装を身に纏った一人の男性が少々暇そうに椅子に腰かけていた。

 その男性は近づいてくる俺達に気付き、芳乃の顔を見てからふと笑顔を浮かべた。

 

「芳乃、丁度よかった。授与所の番を替わってくれないかな?今日はお客さんも少ないし、今のうちに仕事を片付けておこうと思って」

 

「お父さん。そんな事よりも、気付かないんですか?」

 

 訂正。暇そうではなく、実際に暇だったらしい。神職ってこんな感じで良いんだろうか?

 いや、昔は仕事中にも関わらずこんな風に時間が空いた時は授与所で遊んで貰ってたりもしたのだが。

 今思い返してみると、あれって良かったのだろうか?案外罰当たりな事のように思えてくるのだが。

 

 とりあえずそれは置いておいて、男性、安晴おじさんがきょとんとしながら俺の方を見た。

 眼鏡の位置を直しながらジッと俺の顔を見つめてくる。んー…なんて言いながら俺の顔を見ていた安晴おじさんの表情が少しずつ変わっていく。

 

「─────陽明くん、かい?」

 

「はい。…お久しぶりです、安晴おじさん」

 

 おずおずと遠慮がちな問い掛けに頷きながらそう返すと、安晴おじさんの表情がぱっと明るくなり、開いた窓から身を乗り出して俺の両手を掴んで上下に振ってきた。

 

「陽明くん!いやぁ、久しぶりだね!帰ってきてたのかい?」

 

「えっと…はい」

 

「いや、本当に大きくなったね…。元気にしていたかい?」

 

「はい。父と母も…安晴おじさんによろしくと言っていました」

 

「そうか。…そうか。お二人も元気にしているんだね」

 

 安晴おじさんの勢いにやや押されながらも次々に投げ掛けられる問いに答える。

 多分傍から見れば男が男に迫られている様にも見える、そんな状況で俺も相手がこの人でなければ容赦なく相手を殴るか蹴るかして離れるのだが─────

 

「本当に…帰って来てくれて嬉しいよ、陽明くん」

 

 相手が安晴おじさんで、しかも本当に嬉しそうな笑顔を浮かべるものだから俺も邪険に扱えない。いや、安晴おじさんを邪険に扱うなんて出来やしないのだが。

 

「お父さん。陽くんが困ってるから離れて」

 

「おっと…、すまないね陽明くん。こんなおじさんよりも可愛い女の子と手を繋ぎたいよね」

 

「は?…いや、まぁ、そうですか、ね?」

 

「…」

 

 ジロリと芳乃に睨まれる。何故だ。

 そして俺を睨む芳乃と芳乃に睨まれる俺を微笑ましそうに見ている安晴おじさん。何故だ。

 

「そうだ、茉子くんにも知らせないと…。あ、でも今将臣くんと買い物に行っちゃったから、帰ってくるまでまだ時間が掛かりそうで─────あっ、食材をもう一人分多く買ってくるように頼まないと」

 

「え?いや、俺は─────」

 

「そうだった。私、すぐに茉子に電話してくる。陽くんも一緒に来て」

 

「いや、夕飯は俺適当にどっかで食ってくるから、そこまでしなくても─────」

 

「陽くん?」

 

「…はい、ご馳走になります」

 

 おかしいな。俺、割とそれなりの数の修羅場を潜ってきた陰陽師なんだけどな。結構ヤバめの妖と戦ったりもしてるんだけどな。

 一人の女の子の威圧感に圧されるなんて、普通あり得ない筈なんだけどな…。

 

 芳乃に手を掴まれ引かれる形で家の中へと連れ込まれる。そのまま居間へと押し込まれ、座布団の上に正座させられた俺は茉子に電話をしに行く芳乃を見送る。

 

 一般家庭のそれよりも広い和式の居間に俺一人、静かな空間にて芳乃を待つ。

 五年前と殆ど変わっていない空間を見回して、穂織に戻ってきてから何度目か分からない懐古の念を覚える。

 

 この部屋で、俺と芳乃と茉子の三人で遊んだ。時にはトランプで、時にはカルタで、時には花札で。たまに大人達の間で行われる麻雀に混ざった事もあったな。とはいえルールは殆ど分からないまま、親の言われるままに牌を出すだけだったのだが。

 

「─────」

 

 その場に存在する筈のない景色を幻視する。

 俺と芳乃と茉子で畳の上に散らばるカルタを囲んで、その近くで文を読む秋穂おばさんと、俺達をやいのやいのと冷やかす俺の両親に、お酒を飲みながら真剣に勝負に臨む俺達を眺める安晴おじさん。

 

 何もかもを忘れてただその瞬間を楽しんでいた、純粋な思い出。俺達がその時のように呪詛の問題に囚われる事なく、純粋に時間を楽しめる時はいつ来るのだろうか。

 

「…いつ来るのだろう、じゃねぇよな」

 

 いつ来るのだろう、じゃない。その時を手繰り寄せるのだ。必ず、俺達の代で穂織の因縁を解くのだ。絶対に。

 

 こうして固く決意するのも何度目か。その度にこの地に纏わりつく祟りへの憎しみを強くしながら俺は本家で修業を重ねた。

 でも今は…今この瞬間だけは、祟りへの憎しみを忘れてもいいだろうか。

 

「陽くん。茉子に連絡したら、陽くんの分の食材も買ってすぐに帰ってくるって」

 

「そうか。…ありがとう」

 

 今この瞬間だけは、芳乃との再会を、本当の意味で帰ってこれた事を純粋に喜んでもいいだろうか。

 誰とも知れない何かにそんな事を心の中で問い掛けながら、居間に戻ってきた芳乃を俺は出迎えた。

 

 芳乃はテーブルを挟んで俺の正面に腰を下ろし、座布団の上で正座になる。一方の俺は足を崩して胡坐をかいて芳乃と対面する。

 

「…」

 

「…」

 

 対面したのは良いのだが、言葉が出ない。何を話せば良いのか分からない。

 何というかこう、再会した事が嬉しくてそれだけで胸が一杯というか、自分でも初めての感覚に正直戸惑っている。

 

 ただ─────

 

「何か、聞きたい事があるんじゃないのか?」

 

「っ…」

 

 それは俺の事であって、芳乃は別の筈だ。

 事実、俺に問い掛けられた芳乃はぴくりと体を震わせた。明らかに図星の反応だ。

 

「何も隠さないから、遠慮なく聞け」

 

「…─────」

 

 優しくそう促すと、芳乃は一瞬迷う素振りを見せてから俺を真っ直ぐ見て、ゆっくりと口を開いた。

 

「…叢雨丸に選ばれた方が現れました」

 

「知ってる。名前は有地将臣。何度か話したよ」

 

 目を見開いて驚きを露にする芳乃。恐らく聞きたい事がまた増えたのだろうが、一旦それは胸の奥に押し留める事にしたらしい。芳乃は話題を変えずそのまま続けた。

 

「昨日、その有地さんがあの山で祟り神に襲われました。…私の頭には、祟り神が現れた証の耳が生えたんです。でも…その耳は、今はありません」

 

「…」

 

「ムラサメ様は、何らかの理由で祟り神自身の存在を保てなくなって自然消滅したのではないか、と仰いました。私もそうなのか、と納得しようとしていました。…でも、今は違います」

 

 納得しようとしていた、か。どうやら今日、俺を見つけなくとも芳乃はきっと俺を探し続けていたに違いない。

 自分が納得するまで、ムラサメ様の意見を受け入れられる様になるまで、穂織に帰ってきた筈の俺を探し続けていたんだろう。

 

「祟り神を祓ったのは陽くん、ですよね?」

 

「そうだ」

 

「っ─────」

 

 初めに言った通り、隠し事をする気はない。俺は芳乃の問い掛けに頷きながら即答する。

 

「俺が祟り神を祓って、有地の怪我の止血だけ行った。治癒術はどれだけ修行しても苦手なままでね」

 

「…どうして」

 

「ん?」

 

「どうして、そんな危ない事を…!」

 

 芳乃の声が震えだす。泣きそうな目で芳乃が俺を睨んでくる。

 

 危ない事。確かにその通りだ。祟り神と対峙し、戦うなんて事情を知っている者からすれば危ない事この上ない。

 だがそれは俺だけが当て嵌まるものではない。

 

「芳乃にとっても、それは同じだろう?」

 

「でも陽くんは、祟りには関係─────」

 

「関係ない、なんて言ったら怒るぞ」

 

「っ…」

 

 関係ないなんて言わせない。俺を除け者にするなんて許さない。

 自分の戦いに巻き込まないよう芳乃を遠ざけようとしていた俺が言えた事ではないかもしれないが。

 

「何度今俺がいる場所は地獄なんじゃないかって思ってきたか。何度死ぬ様な目に遭ってきた事か。…全部、朝武にかけられた呪詛を祓うためだ。なのに帰ってきて関係ないなんて言われたら、マジキレそう」

 

「…でも」

 

「今度は芳乃がうじうじするターンか。俺が言えた事じゃないけど、芳乃もバカだよな」

 

「なっ…!」

 

 芳乃の顔が赤くなる。羞恥ではなく、恐らく怒りで。

 

「芳乃。関係ないなんて言わないでくれ。俺はな、お前の戦いに巻き込まれたいんだよ」

 

「…陽くん」

 

「だから、一緒に戦ってほしいって言ってくれ。俺は()()()()()()()

 

 芳乃と一緒に戦いたい。今の俺は心の底からそう思っている。芳乃と一緒に祟り神と戦って、呪詛を祓って、芳乃を解放したい。

 それを一人で成し遂げようとしていた俺はもういない。今の俺は─────どこまでも芳乃と一緒に居たいと思っている。

 

「…危ないですよ?」

 

「あのな、大体俺はもう一度、一人で祟り神を祓ってるんだよ。戦力的にはお前や茉子より上だぞ」

 

「そ、そんな事はありません!昨日のは、その…ま、まぐれです!まぐれに決まってます!」

 

 またもや愚問を口にする芳乃を少し挑発してやると、ムキになって言い返してきた。

 子供の頃と比べて大人っぽく、口調も丁寧でお淑やかになったと思っていたが、ふとした時に子供っぽさが見え隠れする。

 その時の芳乃は子供の頃のままだ。

 

「ふーん?まぐれで倒せる程度の相手ならなおさら危ないとは思えないな」

 

「う…ぐ…ぬぬぬぬぬ…」

 

「ぷっ、あははははははははは!」

 

「な、何が可笑しいんですか!?笑わないでください!」

 

 再び軽く挑発してやると、今度は何も言い返せず唸り出す芳乃。その姿が本当に子供の頃のままで、耐え切れずつい噴き出し、そのまま大きく笑い出してしまった。

 芳乃は怒り、文句を言ってから頬を膨らませる。そんな仕草がまた子供の頃の芳乃を思い出させて、収まりかけた笑いがまたもや湧いてきて。

 

「む…。陽くんのバカァッ!!」

 

 芳乃の怒鳴り声を耳にしながら、俺は笑いを収めようと必死になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




法事で実家に帰っていて投稿が遅れました。
それなら投稿ペースは戻るのかと聞かれると、否と答えるしかないです。
ちょっとリアルの方がこれから忙しくなるので今までのペースでの投稿は多分出来ません。
それでも週一ペースでの投稿は保ちたいです。…それすら出来ないかもしれないですが、とにかく頑張るので気長にお待ちください。

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