出ていくときには、もう戻ってこれないかもしれない、でもどうにかして帰ってきたいと思っていた自分の実家。その懐かしい実家の前にみちるたちはいた。
あぁ帰ってこれたと思いたいところではあるが、今は帰ってくるためにここにいるのではない。本来のことを進めないと。
みちるがインターホンのボタンを押す。
ほどなくして、女性の声がインターホンから流れる。
「はい、どちらさま?」
お母さんの声、と思って返事をする。
「あ、あの、かあ(さんじゃなくて)、影森さんでしょうか?私みちるさんの友人なんですが、お聞きしたい事がありまして」
母の声に気持ちが高ぶってしまい、噛みまくってしまった。
「みちるの友人?黎和高校の方?」
「いえ、あまり大きな声では言えないんですけど、アニマシティから来ました」
母の問いに、さっき決めた設定どおりに答える。
「えっアニマシティ?!ちょ、ちょっと待ってくださいね」
母の驚きを含んだ声がインターホンから途切れ、ほどなくして玄関のドアがガチャリと開く。
開いたドアには一人の女性が立っていて、こちらを見ている。
みちるは思わず小声で呟いた。
お母さん、と。
母は玄関から出てくると、門に近寄り、二人に小声で問いかけた。
「あなたたち、アニマシティにいるみちる知ってるの?」
「はい、向こうではよく会ってます。みちるさんから言づてがありまして。あと1つお聞きしたいことが。あ、私、景山みすずって言います、こっちは日登なつみ」
母の問いかけにみちるは答える。
「分かったわ、ところであなた方やっぱり獣人の方?」
「そうです」
そういうと、みちるとなずなは頬から猫科の触毛を生やしてみせた。
「じゃぁ、外で話すのはよろしくないわね。うちにお上がりなさい」
母からの招きに、今は見ず知らずの獣人でいることを気にして、なずなは尋ねた。
「あの、私たちを信用してくれるんですか?」
「もちろん。ちゃんと受け答えもしてくれるし、誰にも言ってない、あの子がアニマシティに行ったってことも知っているし」
「なにより、あなたたちみちると同じ年頃に見えるから。さぁ上がって」
母も信用する根拠があって私たちを招いてくれているようだ。
「はいっ」
二人は影森家におじゃますることにした。
ドアをくぐると、久しぶりに自宅の内部を見ることができた。
ドア近くのチェック柄の傘が入っている傘立て、靴箱の上の木彫りの置物などが目に入る。
わあ、前と全然変わってない、みちるは思った。
あ、今は私みすずだからきちんとしないとね。
「おじゃまします」そして靴をそろえる。
「あら、ネットじゃ獣人の方って礼儀作法なんかできないって書かれてたけど、ちゃんとできてらっしゃるわね。やっぱりネットの個人の情報って当てにならないわね」
母の思わぬ反応に、
「親の教育が良かったんだと思います」
とみちるは答えた。それを聞いていたなずなはくすっと笑った。
ダイニングルームに案内され、そこで話をすることになった。
ダイニングに入ると食器棚が目に入ってきた。
上段にはツートン柄の皿やコーヒーカップが並んでいる。中段の手前には小銭置きとして使われている細長い長方形の金属皿、その奥に調味料やコーヒー、クリーミングパウダーの瓶。
ここも以前とほとんど変わってない。
母がテーブルにコップを用意する。
そこに冷えた麦茶が注がれる。
わー、お客様用のコップだぁ。
自分が小さいころからあるものの自分はほとんど使えなかったコップを見て、一層の懐かしさをみちるは感じずにはいられなかった。
母が注いでくれている間も会話が進んだ。
獣人は通常人間態でいることや、人間の街にも研修や仕事でアニマシティから来ている者もいることなど。
そして麦茶を注ぎ終わった母も椅子に座り、本題に入る。
「申し訳ないけどみすずさん、先にみちるのことから話してもらっていいかしら?」
「はい、みちるさん今シティで市民相談係の仕事してて、困った人のサポートとかされてます。やりがいがあるって言ってました。周りの人からも結構期待されてるんだそうです」
このみちるの言葉に、なずなは自分で言うかと思ってしまい思わず吹きかけた。
何吹きかけてんのよ、とみちるはなずなを横目で睨んだが、
「あらそうなの、元気そうで良かった」と母。
「家に帰りたいとかは言ってないのかしら?」
「あ、そういえば、みちるさん昔は獣人態から変われなくて家出したけど、今は人間態にもなれるようになった、と言ってましたね」
「ええっ、それ本当?だったらこっちに戻ってこれるかも!」
この家を出て行ったときより、今ははるかに良い状況となっていることを知り、母は娘が家に戻ってくることを期待したようだ。
みちるは続ける。
「いつかは戻りたいとは言ってました。ただ人間の街に戻ったとしても、今獣人の自分が受け入れられるのはまだ難しいと思う。でもシティでは今の自分を受け入れてもらえている」
「で、今人間と獣人の間にはミゾがあるけど、獣人のいいところ、人間のいいところ、それぞれ取り入れていい関係にしていきたい。それを元人間の自分がなんとかしていきたい。そしてこの家にただいまっていつでも帰ることができるような世の中にしたい」
「そうなるまでじっと待つなんてしたくない。シティで今の仕事を続けて、ゆくゆくは人間と獣人をつなげる仕事に取り組みたい。心配しないでほしい。そう伝えてほしいと言われて、ここに来ました」
そう結んだ。家に完全に戻るつもりが今しばらくは無いことを。
「そう、あの子らしく、立派にやってくれているようね、でも一度くらいは顔を見せて欲しいわね。SNSでも返事くれないし…会いたいとか言ってなかった?」
「あ、近いうちにここに何とか来れるようにしたいって言ってました。また直接連絡するって。SNSはアニマシティと外部のネットは繋がらないようになってるせいじゃないかと思います」
「まぁ、まぁ...」
娘も会いたいと思ってくれていることを知った母は、目頭を押さえ感激しているようだ。
その姿を見て、みちるもなずなも胸が熱くなるのを感じた。
「じゃあ楽しみにしてるって伝えてね。みすずさん、ありがとう」
「はい、確かに」
「でもすごいわね。まるで本人みたいに詳しく話せるなんて」
涙を拭きながらの母の率直な感想に、みちるは
「いやいや、あのあの、何回も聞いてきたので」
あたふたと、何とも微妙な返ししかできなかった。
「で聞きたいことって何かしら?」
母からの問い、ここからがみちるたちにとっての本題である。
「あの、他の方には秘密にしてほしいことなんですが、実はみちるさん、なずなさんのことも知ってるようで、今なずなさんの家族が引っ越しされたらしく、なずなさん本人から移転先、連絡先を知りたいということでして」
「あら、なずなちゃんもシティにいるの?」
「うーん、そこまでは私たちも、ね、なつみ」
「こくっ」
なずなについては、所在を知っているとするとややこしくなりそうなので、知らないふりをすることにした。
「うん、連絡先きいてますよ。もしなずなちゃん本人から聞かれることがあったら教えてあげて欲しいってご両親から言われていてね。今から教えてあげるからちょっと待っててね」
予想は当たっていた。なずなの両親の連絡先が聞けそうだ。
「わぁ良かったぁ」とみちる。
なずなはうるうると目が潤んでいる。
「はい、これが連絡先、無くさないようにね」
母は連絡先が書かれたメモを手渡した。
「ありがとうございます」
念願の両親の連絡先を手に入れ、なずなは大切に財布の中にしまう。
その間にみちるは確認したいことを尋ねてみた。
「ところでなずなさんのご両親はなんで引っ越しされたんでしょうか?」
隣近所の人々の反応から並々ならぬ状況があったと予想される。なによりもみちる自身も危うく正体をバラシてしまうところだった。どのようなものだったのか知っておきたい。
「それはね、アニマシティの様子がTV放送されたからでしょうね」
母の言葉に思わずなずなが固まる。ゴクリと生唾を飲み込む様子も見て取れた。
「ホントあのブロマイドの子、なずなちゃんにそっくり、というか本人そのままだったわね。苗字は分からないけど名前も一緒だったし。そこからネットやSNSで話題になっちゃって、あれよあれよという間に日渡さんのとこに野次馬がたくさん押しかけてね」
「直接見たわけではないけど、ひどい内容の紙も撒かれたり。それは酷い有様だったそうよ。なずなちゃん本人には見せたくない光景ね」
話の内容に、なずなの肩が小刻みに震える。
動揺を抑えるために気分を落ち着かせようと、麦茶の入ったコップに手をのばす。
が、つかみ損ねてコップをゴトンと倒してしまった。
麦茶がテーブルの上に拡がっていく。
「ああっ、ごめんなさい」
なずなが声に出す。
「あ、拭くもの、拭くもの」
母がふきんを取りに席を立つ。
自分のハンカチを取り出してみたもののハンカチじゃ足りないか、とみちるが他に拭き取るものがないかあたりを見回す。
確か昔はあそこあたりにあれが……あった。小銭置きの奥に紙のロールがちらっと見える。
「すみません、あの小銭置きの向こうにあるペーパータオル使っていいですか?」
「え? ええぇ、いいわよ。」
一瞬戸惑った表情を見せたが、母は使う了承をくれた。
適当な大きさにちぎって麦茶を吸わせ、また少しちぎってテーブルの上を拭き取る。
テンポよく作業をこなしていく。
またたく間にテーブルの上は元のきれいな状態に戻った。
「てきぱきと手早いわね。ペーパータオル見つけるのも早いし。獣人の方ってホントすごいわね」
「親の教育が良かったんです」
みちるの2度目の言葉に、さっきまで緊張しきっていたなずなが、くすっと笑みを見せた。
だから吹くなっての、とみちるはジト目でなずなを見た。
さらに追加で母の言葉もくる。
「みちるもぜひみすずさんを見習って欲しいわねぇ」
「……あ、えっと、そう思っていただけて光栄です……」
あら?母さん、私今ちゃんとやれてるよ……とみちるは思いながら礼の言葉を述べた。
その様子になずなはさらに緊張が解けたようだ。
なずなも気分を取り戻し、その後はアニマシティで獣人たちがどのような生活を送っているかなど、ざっくばらんに会話した。
そして、時間が流れ、窓の外は夕焼け色となり、石崎と待ち合わせの時刻に近づいてきた。
「ではそろそろ帰らないといけない時間なので、これで失礼します。」とみちる。
「あらあら、もうそんな時間?みちるのこととか今まで分からなかったことがたくさん聞けたわ。本当にありがとうね」
「こっちも色々と聞けて楽しかったです。ただ今日話したみちるさんのこと、なずなさんのことは他の人に言わないようにお願いします。なんか他の人に知られると、またSNSとかで話題になっちゃって大変なことになるかもしれないですから。みちるさんにもそう言われてまして」
「そうね分かったわ。みちるにもよろしく伝えてね。また連絡待ってるって。また、なずなさんにも連絡先に早めに連絡を入れるように伝えてあげてね」
「はい」
母と二人は最後の会話をして席を立ち、ダイニングから玄関へと向かった。
二人が先にダイニングを出て、その後をついていく形になった母は、ふとテーブルの上にハンカチが置いたままになっていることに気づいた。
「あらっ?さっきのお茶のときにしまい忘れたのかしら?……うん、渡してあげないと」
渡すついでに確認したいこともある。
母はハンカチをもってダイニングを出た。