ある晴れた秋の日のこと。
ボードウィングの通りには、今年最後の書き入れ時だと市場が広がっていた。
これから厳しい冬がやってくる。
その間は、都市と都市間の行き来は非常につらいものになるため、冬の間はいったん商人たちは自身の故郷に閉じこもるのが常である。
その前に少しでも儲けを出そうと商人たちは必死である。
暖かな日差しの中で市は賑わっていた。
その中を一人の少年が対照的に暗い表情で歩いていた。
カールだ。
カールは憂鬱な気持ちであった。
魔法学院の三年生は、もう講義がない。
その代わり、この冬から春の卒業までの期間、師事することになる御師様を見つけることに時間を費やす。
しかし、カールは誰にするかをまだ悩んでいた。
かねてから悩んでいた通り、カールは自分の本当にやりたいことがまだ見つかっていなかった。
それは御師様達の魔法を見た後でも変わらず、いやむしろより強くなっていた。
しかし、いつかは決めないわけにはいかない。
それも出来る限り早くに、だ。
人気のある御師様はさっさと弟子を取ってしまう。
あまりのんびりとしていると余り者同士で組まされてしまう。
カールはそんな風になし崩し的に物事を決めたくはなかった。
いつしか、カールは活気に満ちた表通りから、静かで落ち着いた裏の通りまで来ていた。
商店が立ち並ぶ表と異なり、裏にはこじんまりとした家々が軒を連ねる。
辺りでは主婦たちが立ち話に興じ、その中を若い職人が忙しそうに走っていく。
どこからか、鍛冶屋のカーン、カーン、カーン、という槌をたたく音がしてくる。
そこには落ち着いた生活感が漂っていた。
ふとその中に、カールはよく見慣れた赤毛が二つ並んでいるのを見つけた。
ハインリヒとメディシーだ。
メディシーとカールとは、ガイウスの一件以来顔を合わせていなかった。
ハインリヒと久しぶりに家族同士水入らずの時間を過ごしているのを邪魔するのも悪く感じたのだ。
それにカールは自身の進路についての悩みに取り掛かりになっていたのもあった。
カールはとっさに声をかけようとした。
しかし、どこか様子が変なことに気が付いた。
メディシーの眼がうつろなのだ。
いつもの活発そうな様子はなく、胡乱げに佇んでいる。
それにハインリヒがこの前にも増して挙動不審だ。
おかしいと感じたカールは話しかける機会を逃した。
その間に二人は路地裏に入っていった。
(いったいどこに向かっているんだろう?)
カールは不審に思って後をつけることにした。
二人は路地裏をずんずんと歩いていく。
後ろを追いかけるカールは小声で呪文を唱えた。
「『風よ わが姿をしばし現世から覆い給え』………………。」
すると、カールの姿は次第に見えなくなっていった。
その次の瞬間、ハインリヒが不安そうに後ろを振り向くのが見えて、カールは胸をなでおろした。
二人はどんどんボードウィングの奥のほうへと向かっていった。
ハインリヒは時々立ち止まっては懐から何やら羊皮紙を取り出し、道を確認していた。
どうやらハインリヒにとってここに来るのは初めてのようだった。
それはカールにとっても同じだった。
もうすでに、カールにとってもここがどこだかわかっていなかった。
三年もこのボードウィングで過ごしてきたカールにとってもわからない場所。
(一体全体こんなところへ何を二人はしに来たんだ?)
カールの疑いはより深まった。
それから十分ほどさらに薄暗い路地を抜けた先にあった小汚い店に二人は入っていった。
ハインリヒが二人が入ると同時に扉をすぐにバタンと閉じてしまったので、カールは締め出された。
その店はどこか胡散臭そうな雰囲気を漂わせていた。
店の軒先には得体のしれない動物の足や頭蓋骨、カールが見たこともないような薬草などが無造作に吊るされている。
カールは窓の木戸が開けっぱなしになっているのに気が付いた。
カールはその窓に近づき、そっと中を覗いてみた。
店の中はさらに奇怪なものが所狭しとおかれていた。
釘で無造作に壁に縫い留められたトカゲか何かの舌。
べとべとの何かで全体が汚れた大きな鍋。
カールの顔程もありそうな巨大な本。
そして、その中に所在なさげにハインリヒが立っていた。
その脇にはメディシーがぼんやりと佇んでいる。
もっと様子を見ようとカールが前のめりになった時。
店の奥のほうから不気味な嗄れ声がした。
「何の用ですかねぃ………、そこのお嬢ちゃんとお坊ちゃん。ここはそんなこぎれいな格好をした者の入るところじゃありやせんぜ。」
実にねっとりとした声だった。
奥から姿を現したのは、背中がフックのように曲がった老婆だった。
全身をぼろぼろのローブで包み、鼻をツンと刺すような刺激臭がする。
落ちくぼんで濁った眼からはやけに鋭い眼光が放たれていた。
カールは少しのけ反ってしまった。
目の前の老婆が実に不気味だったのだ。
それはハインリヒも同じなようだった。
ヒッとかすれたような怯えた声をしたハインリヒはしばし固まった後、おずおずと懐から取り出したさっきの羊皮紙を差し出した。
ガッと強引にハインリヒから手の中の羊皮紙を奪い取った老婆はなめるようにして羊皮紙を読み始めた。
辺りに沈黙が漂う。
やがてそれは老婆の低い割れたような笑い声で破られた。
「ヒッヒッヒィ………。ヒィッーーーヒッヒッヒッ! こいつは面白い。
こんな時代にココまでの闇と出くわすとはねぇ。長生きした甲斐があるってものさ。」
老婆は押し殺したように笑った。
そしていまだぼうっとしているメディシーに口が裂けたかのような笑みを向けた。
「あんたがそうかい、お嬢ちゃん。災難だねぇ。イィヒッヒッヒッ!」
店の戸棚をがたがたと老婆は漁りだす。
時々こちらに何かを投げ飛ばしてくる。
カールはあわうく何かの眼玉が当たるところだった。
ピタッと老婆の動きが止まる。
クックックックッと笑いながら老婆は小さな陶器の瓶を取り出した。
そしてメディシーに近づく。
次の瞬間、銀色の光がきらめいた。
メディシーの手首から鮮血がほとばしる。
その血が瓶の中に入ったかと思うと、不気味な緑の光があたりを満たした。
カールはその光が収まると共に身を乗り出した。
いったい老婆がメディシーに何をしたのか気が気でない。
それと同時に懐から杖を出す。
いざとなったら乗り込むつもりだったカールは目をぱちくりした。
メディシーの手首には何の傷もなかった。
(もしかして、あの一瞬で回復魔法を………! このお婆さん、只者じゃない。)
魔法で人を癒すことは高度な集中と実力を要求する。
それを無詠唱で、これほどの完成度で行う人など、カールは片手で足りる程しか会ったことが無かった。
「ヒッヒッヒッヒッヒィ! 依頼主の大切な道具に傷をつけるわけにはいかないからねぇ!」
老婆はそっとメディシーの手首を撫でた。
そしてハインリヒに厳重に封をした陶器の瓶を押し付けた。
「いいかい、絶対に割るんじゃないよ。効果がなくなるからねぇ。
………………さあ、取引は終わりだ! とっとと出て行ってくれぇ!」
老婆の突然の一喝にハインリヒは飛び上がった。
店の扉をすさまじい勢いで開けてメディシーの手を引っ張って出ていく。
わき目も振らずかけるその姿は恐怖でいっぱいだった。
(って見てる場合じゃない………………!)
二人が脇を駆け抜けていくのを呆気に取られて見ていたカールはハッとした。
カールはどうやってここから表に出るのかわからない。
それに、ハインリヒに一体メディシーに何をしたのか問いたださなければいけなかった。
カールが同じように走りだそうとしたとき。
「それで、坊主はどこに行くつもりなんだい?」
耳元でしゃがれた声が囁いた。
次にカールは鈍い痛みを肩に感じ、吹き飛ばされた。
痛みに悶えながら、カールが目を開けると。
目の前の老婆がいつの間にか持っていた鉈で切りかかってきていた。
カールは必死に転がり、その刃をよけた。
「あたしは商売熱心でねぇ。それに薄暗いこともたぁくさんあるんだよ。」
老婆はのそりと切りかかった姿勢から起き上がってきた。
カールは肩の様子を確かめた。
鋭い何かで一突きされて、傷は肩を貫通しているようだった。
鉈でできるような傷ではない。
何か、魔法の類だろう。
(もう、右腕は使えないなぁ………………。)
生命の危機を前にして、痛みの感覚が鈍くなったのか、カールは少し冷静な頭でそんな見当違いなことを考えていた。
「悪いけど、坊主にはここで死んでもらうよ。
………………そういえば、丁度少年のはらわたが調合で必要だったねぇ。」
老婆がニタリと笑った。
カールは後ろに振り向き、全力疾走を始めた。
(ま、まずいっ! こ、殺される!)
その後ろ姿を老婆は笑いながら見つめていた。
カールは人生で一番全力で走った。
それにも拘らず、後ろの老婆を引き離せなかった。
老婆はどこかカールが苦しむ姿を楽しんでいるようだった。
ゆっくりと甚振って、弱らせる。
カールは自分が加工されて店の商品になっているのを想像して身震いした。
そうして必死に走っていたカールは目の前にいる人物に気が付かなかった。
「あいたっ!」
誰かと真正面からぶつかってカールは転んでしまった。
ぶつかった相手も少しよろけて、服が乱れてしまったようだった。
カールが腰をさすっていると、ぶつかった相手から手を差し伸べられた。
「すみません。大丈夫ですか?」
カールは差し出された手を取って何気なく相手を見た。
「こちらこそ、すみませ………………! それどころじゃなくて! その、危険な……ん……で……。」
その瞬間、カールは息を呑んだ。
きらめくような金髪に透き通ったような碧眼。
三角帽の下に隠された美貌が露になっていた。
少し、首をかしげてその女性は言った。
「えっと何か取り込み中でしたか? その、すみません。
そのうえで少し申し訳ないんですけど、実は、その僕少し、道に迷ってまして。………………その、よければ道を教えてもらえませんか?」
その女性はにこりと笑って言った。
「あ、僕の名前はフィルバーって言います。」