古場は、目の前で老婆が消え去っていくのを眺めていた。
黒い光が風にさらわれ、夕焼けの空に散っていく。
もう老婆はこの世にはいないと確認した古場はカールのもとに駆け寄った。
脇の地面に槍を横たえ、地面に横たわるカールを抱きかかえる。
「大丈夫ですか! 今、治療します!」
背嚢からヘンリに行きがけにもらったパンの残りを取り出す。
そして、カールの傷の患部に手を当てた。
パンが塵となって風化していく。
一方でカールの傷はみるみるうちに癒され、ふさがっていく。
古場は一息ついた。
カールが自らの傷の様子を確かめている間に、古場はさっきまでの自分を振り返っていた。
(まただ。また、自分が自分でなくなるような感覚を感じた。)
あの時、カールに庇われたとき、まるでスイッチが切り替わったかのように、心が感情を失っていくのを感じた。
しかも、今に至ってもそれは続いていた。
(確かに僕は人間を一人殺してしまった。たとえ正当防衛とか色々と言い訳できたとしても、その事実は変わらない。
それなのに、どうして僕はこんなに平然としているんだ!?)
まるで、徐々に自分がゲームのキャラに塗り替えられていく、というよりは一体化していく?、そんな心地がした。
「あの、フィルバーさん! 危ないところを助けていただいて、ありがとうございました。」
カールに声をかけられる。
どうやら、カールはもう大丈夫な様子だ。
古場は自分の今までの不安をごまかすように、カールに向き直り、にこりと微笑んだ。
「どういたしまして。でも、困ったときはお互い様とも言いますし、当然のことですよ。」
古場はカールの顔をちらっと見る。
と、やけにカールの目が輝いていることに気が付いた。
「でも、やはり、何かお返しをしないと気がすみません!」
カールは古場のほうにずいっとのりだしてきた。
古場は、カールの勢いにたじろいだ。
(あれっ、さっきまで何だか気弱な少年だと思っていたのに………………。)
それはともかく、困っていることが今あるのは確かなことなので、古場はその申し出をありがたく受けることにした。
「そうですか? それじゃあ、道案内お願いしてもよろしいですか?」
カールはすぐに快諾した。
「ええ、もちろん! ここら辺の路地はまだ見覚えがありますし。」
夕焼けに染まる空の下、すっかり薄暗くなってしまった路地に二つの人影が。
「それで、どうしてカールさんはあの老婆に命を狙われていたんですか?」
古場はなんだかカールに会話の主導権を握らせてはいけないような気がしていた。
それに、純粋に自分の出くわした出来事のいきさつも知りたかった。
「その、怪しげな取引の現場に首を突っ込んでしまいまして………………。」
「へぇ、そうなんですね。どんな人たちの取引だったんですか。」
古場は何の気なしにそう尋ねた。
「その………。」
カールは言いよどんだ。
なにか、言えない事情があるようだった。
「あっ! ぶしつけ過ぎましたね。何か事情があるんですね。」
「すみません、こっちから巻き込んでおいて。」
「いいんですよ、あんなことが無かったら、僕多分まだ半べそかいて路地裏をさまよっていましたし。」
古場はカールに向かって茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
少なくとも、それは事実だった。
ボードウィングという町は、とにかく広く、入り組んだ街並みだった。
古場一人では、到底ヘンリに紹介された銀細工職人のもとまでたどり着けなかったに違いない。
それに、人なら誰しも隠したいことの一つや二つはあるものだ。
二人は路地裏を抜け、大通りに出た。
一気に人通りがふえる。
もう夜が近いからか、人々が行きかう足取りも心なしか早い。
喧騒が、夕日に染められた家々の間を埋めていた。
二人は、店仕舞いに忙しそうな商人たちの間をすり抜け、職人達のいる区画へと向かっていた。
「ここをまっすぐ行くと、銀細工職人たちの集まる一帯に出ます。多分、フィルバーさんの探してる人もそこにいると思います。」
「ここまでありがとうございます。………………あの、もう多分一人でもここからならたどり着けると思いますので、もうカールさんも付き合う必要はないんですよ?」
「いえ、ここまで来たらもう最後まで案内しますよ。」
古場は強引にカールに押し切られるのであった。
「それで、さっきのフィルバーさんの魔法のことなんですけど、どういうものなんですか?」
ついに来た、と古場は覚悟した。
これが、古場が最も恐れていたことだった。
なぜなら、古場の魔法とこの世界の魔法が果たして同じものかどうかわからなかったからだ。
村の人は、この世界の魔法のことについてあまり知らないようだった。
だから、古場がどんな魔法を使おうが、受け入れてくれた。
しかし、この目の前のカールという少年は違う。
古場は、事前に村人から話を聞いていた。
このボードウィングにおいて、灰色のローブを着る者は魔法学院の生徒だ。
つまり、この世界の魔法について古場よりも詳しい。
ここでカールに下手にぼろを見せてしまうと、カール自身に悪気はなくとも、厄介ごとに巻き込まれることは必至であった。
もし、古場がこの世界の者ではなく扱う魔法も全く異なるものだと知れたら、当然邪な企みを企てる者も現れるだろう。
「いったいどの魔法のことですか?」
古場は慎重に言葉を選んだ。
「僕の傷を治してくれたものと、お婆さんの魔法をことごとく打ち破ったあの白い光を放つ魔法のことです。僕は魔法を学んでいる学徒なんですが、あんな魔法は似たようなものですら見たり読んだりしたことが無かったもので………………。」
やっぱり!
内心で古場は焦った。
この世界の魔法と古場の魔法とは、異なるらしい。
「いえ、特段大したものではありませんよ。
ただ、私の故郷に細々と伝わっていたものです。」
「へぇ、名前はなんて言うんですか?」
「………………カールさんの傷を治したのは『肩代わりの呪文』、あのお婆さんに使ったのは『漂白の呪文』です。」
まずい、もし名前を調べられたらどうしよう。
『肩代わりの呪文』
村人たちを治した例の魔法である。
『漂白の呪文』
古場がゲームで多用していた呪文だ。
相手の魔法や攻撃を無効化し、相手に大きなダメージを負わせる、カウンター型の環境最強の魔法。
習得に多大な労力を必要とする一方、これ一つで事足りるだけの汎用性と威力を兼ね備えた、まさにハイエンドな呪文。
無論、両方ともこの世界に存在するか疑わしい魔法だ。
(ッ! どうしてあの時、ファンタジーにありがちな精霊魔法とか光魔法とか使わなかったんだ!?)
まだ、そちらのほうが誤魔化しがききそうだった。
「聞いたことない名前ですね………………。
その魔法が伝わっているフィルバーさんの故郷ってどこなんですか。」
もうこれ以上ボロは出せない。
古場は決心した。
「その、カールさん。もうここからは多分ひとりで行けますので!
随分と日も暮れてきたことですし、もう案内は大丈夫です!」
「え!? あっ、ちょっと!」
古場は駆け足でその場を去り、カールを振り切った。
古場は壁に手をつき、息を整えた。
(どうやら、カールさんは振り切れたっぽいな………………。)
後ろを見ても、誰もいない。
(カールさんが今日のことをすぐに忘れてくれるのを祈ろう。)
壁から手を放し、人がまばらになった通りを進む。
もう、日は北の山脈の山際にかかっていた。
自分の正体が暴かれずに済んで一安心した古場は心なしか足が軽い。
ふわりと、そんな古場の横を冷たい風が通り過ぎた。
(なっ………!?)
古場はすぐに後ろを振り返った。
凄まじく、邪悪な気配を感じたのだ。
一人の老人が、足を引きずりながら歩いていた。
全身からどす黒いオーラを放っている。
それにもかかわらず、周りを行き交う人々に気にした様子はない。
まるで、そこだけぽっかりと穴が開いたかのように人が近づいていなかった。
古場が眺めている間に、その老人は路地裏へと入っていった。
(この町はいったいどうなってるんだ!?)
一瞬、後を追うか悩む。
しかし、もう首を突っ込んで厄介ごとに巻き込まれるのは嫌だった。
古場はかぶりを振って、職人街へ足を踏み入れた。