「あっ………………。」
カールはフィルバーが走り去っていくのを茫然と見ていた。
(少し踏み込み過ぎたのかな。)
カールだって、親友のメディシーが後ろめたい事に巻き込まれているのをごまかした。
フィルバーにとって、故郷の話は何か触れてはいけないものだったのかもしれない。
カールはそう反省した。
(少し、舞い上がっていたんだろうか。)
カールは今までフィルバーのような魔法を見たことが無かった。
だからか、好奇心が掻き立てられたのだ。
(多分、高名な魔法使いだと思うんだけど、失礼なことをしちゃったな。)
カールは、魔法が好きだ。
新しい魔法に出会うと、それに夢中になるのが悪い癖だった。
カールは夕焼けの街をとぼとぼと歩いた。
(やってしまったなぁ。)
時間がたつにつれ、カールはどんどんと気分が沈んでいった。
やはり、目の前で走って逃げられたのは、相当堪えた。
(危ないところを助けてもらったのに。)
随分と嫌われたに違いない、とカールは考えた。
やがて、カールは町の一角の小さな家の前で立ち止まった。
ここがカールの下宿先だ。
魔法学院の生徒は、基本的にボードウィングの市民に下宿させてもらうことが大抵であった。
むろん、カトリーヌ辺境伯家のメディシーや、ヴェネーノの大商人の家のボッカチオといった一部裕福な学生は、城の一角に部屋があてがわれていたりする。
しかし、そうするためには莫大な寄付金が必要で、生徒の大半を占める騎士階級や弱小貴族層の者は、下宿で安く済ませるしかないのだ。
カールはそっと家の中に入った。
既にカールの下宿先の一家は寝室にこもっているようだ。
カールは静かに二階に上がる。
古びた木製の階段がぎしぎしと音を立てた。
自分の部屋に入ると、パンとすっかり冷めたスープが机の上に置かれていた。
カールはモソモソと夕食をとる。
窓からは最後の西日がさしこんでいた。
オレンジの光が室内を照らす。
机とカールの長い影が床に写っていた。
カールが食事を終えた時には、とうに辺りは真っ暗になっていた。
窓の木戸をしっかりと閉じる。
藁の布団に潜り込む。
薄い掛布団をひっかぶる。
これから、どんどん気温は冬になるにつれて下がってくる。
まだ、本格的な寒波は来ていないとはいえ、もう晩秋に差し掛かる今でも身が震えるのには十分なほど寒い。
カールは布団の中に包まって、身を縮こまらせた。
(もう、過ぎたことは仕方がない。フィルバーさんにまた会ったら謝ろう。)
まどろみながら、思いを巡らせる。
(メディシーとハインリヒのことについても、あまり余計な首を突っ込まないほうがいいのかもしれない。
僕にとっては怪しげに感じたけど、なにか辺境伯家にとって必要なことだったのかも………………。)
瞼がだんだん重くなってくる。
カールは深い眠りへと落ちていった。
朝、カールは扉をがんがんと叩かれる音をぼんやりと聞きながら目を覚ました。
しばらくの間、布団の中で意識がはっきりとしてくるのを待っていた。
その間、扉をたたく音はどんどんと大きくなる。
ようやくはっきりと目を覚ましたカールは大きな声で返事をした。
「起きました! 今行きます!」
すると、扉をたたく音は止み、今度は代わりにどしんどしんという階段を下りる音と、ぎしぎしという木が悲鳴を上げる音が聞こえてくる。
カールは急いで支度を整えて、どたばたと階下に降りていった。
「おはようございます、ブラウンさん、ミシェルさん。」
階下の部屋では、暖房からパチパチと木の爆ぜる音が聞こえてくる。
その脇のテーブルに老夫婦がもうすでに席についていた。
「おはよう、カール。」
人当たりのよさそうな老婆がカールに微笑んだ。
老翁はフンッと鼻を鳴らし、こちらをにらみつけてきた。
老婆の名前はミシェル。
いつもカールによくしてくれる、気のいいお婆さんだ。
時折、近くの村でとれたてのリンゴをくれる。
老翁の名前はブラウン。
気難しそうだが、本当は優しいお爺さんだ。
毎朝カールを起こしに来てくれるのがその証である。
二人はカールを下宿させてくれる老夫婦だ。
カールは慌ただしく朝食の席に着く。
この家の全員が席に着くと、朝食が始まった。
「ねぇ、あなた。お仕事の調子はどうなの?」
「よくも悪くもならん、この前学院長様から鶏を生きたまま三羽とかいうよくわからん話があったぐらいだ。」
二人の会話を聞き流しながら、カールは食事を腹に詰め込んだ。
ブラウンの仕事は肉屋だ。
この家の裏は表通りに面していて、ブラウンはそこに店を構えていた。
全て平らげると、カールは立ち上がった。
「おやおや、もういくの。」
「はい、もうそろそろ御師様を見つけなきゃいけないので。」
カールは家を飛び出していった。
カールが出ていった後のこと。
ミシェルが悲しそうにつぶやいた。
「もうお別れね、時がたつのは早いものね。
カールが私たちの家に来たのがついこないだのようだわ、あなた。」
「ふんっ、せいせいするわ! どことなりへでも行ってしまえ。」
ブラウンの目元も、口とは裏腹に、心なしか下がっていた。
カールは、ひとまず城に向かうことにした。
城はボードウィングの外れのほうに立っている。
小高い丘の上にあって、ボードウィングの周囲を取り囲む城壁と一体となっていた。
辺りは岩がむき出しとなっていて、ごつごつとしている。
カールは丘の頂点につながる道を歩いていく。
両脇には一面の緑が広がっている。
空は憎たらしいほど澄み切った青だ。
後ろを振り向くと、ボードウィングの街並みがよく見えた。
途中、幾人もの同級生とすれ違う。
漏れ聞こえた会話から察するに、どうやら全員御師様はもう見つけたらしい。
カールは大いなる嫉妬と、どこか違和感を感じた。
しかし、はっきりとそれが何かは言い表せない。
なんだかもやもやとした気分だ。
(確かに何かいつもと違うと感じたんだけどなぁ。)
カールは城の入り口の跳ね橋を渡った。
下にはすっかり緑に覆われた空堀が見える。
城に入ってすぐ、さっき抱いた違和感の正体にカールは気が付いた。
行きかう生徒の目に生気が宿っていないのだ。
(まだ昨日のメディシーのほうがましだ。
……………本当にみんな死んだ魚のような濁った目をしてる。)
生徒ばかりではない。
先生や御師様と思しき人までも、無気力な雰囲気を漂わせていた。
(いくらなんでもおかしい。)
疑念が生まれ、ますます強くなっていく。
ふと、カールは見慣れた二人の後姿を見つけた。
メディシーとボッカチオだ。
カールはほっとした。
誰か、この異常事態の訳を教えてくれる人が欲しかったのだ。
(駆け寄って、みんなの様子の訳を聞こう。)
「お~~い、メディシー! ボッカチオ!」
二人は振り向いた。
「ちょうどよかった! どうして、みんなこんなに元気がな…い……ん………。」
カールは息を呑んだ。
ボッカチオの顔にはもはや極度の疲労感しか漂っていなかった。
いつもの態度はいったいどこにいったのか、顔色は悪く、陰鬱な雰囲気をあたりに放っている。
「はあぁぁ。なんだい、カール。こっちは疲れてるんだ、手短に頼むよ。」
「いや、なんでお前そんなに……。」
カールは言い淀んだ。
そして、助けを求めるかのようにメディシーのほうに顔を向けた。
「メディシーも何か言ってやってよ、ボッカチオがいつもの調子じゃ、な…………。」
今度こそ、カールは叫び声が出そうになった。
メディシーは全身から黒い靄をまき散らしていた。
重い、けだるさを肌で感じる。
顔は青く、もはや死人のようであった。
窓から明るい青空が見えるのにも関わらず、三人のいる廊下は暗く、淀んでいた。