魔女と弟子の世界周遊記   作:アンドララベリャ

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第九話

それは憂鬱な雨の日だった。

窓を覆うささくれだった木戸を通してしとしとと雨音が聞こえてくる。

部屋全体が重苦しい湿気に包まれている。

 

古場は掛布団に包まって、ぼんやりと部屋を見まわしていた。

狭い室内に質素な箪笥とベッド。

脇の壁にバックパックが立てかけてある。

 

すると、階下から賑やかな生活音が漏れ聞こえてきた。

起床の時間だ。

 

古場はのそりとベッドから抜け出した。

申し訳程度に髪の毛を手で梳かす。

マントを羽織り、三角帽子を深々とかぶる。

 

そうして、古場は自分に割り当てられた部屋を後にした。

 

 

 

古場が部屋を出た瞬間、目の前をまだ年若い徒弟たちが駆け抜けていった。

今日も仕事の準備に忙しそうだ。

怒鳴り声やカンカンと早くも槌を打ち付ける音が混ざり合った喧騒が響き渡る。

 

その中を古場はそそくさと通り抜けていく。

がっしりとした造りの木の階段を降り、

そして、工房にたどり着いた。

 

壁には所狭しと道具が掛けられ、多くの職人が机の上で細かい彫金に励んでいる。

作りかけの銀の食器や耳飾り、装飾具が雑多に並べられたその間を縫うようにして徒弟たちが任された用事をこなしていた。

 

その奥に、ひと際大きな机と、それに座る大男の姿があった。

 

全身の筋肉が激しく隆起しているのが作業着の上からでもわかる。

厳格な眼差しは手に持つ小さな飾りに注がれていた。

 

「すいません、お待たせしました。」

 

その大男に古場は話しかけた。

と、大男は顔をさっと上げた。

 

「これはこれはフィルバー様、おはようございます。今日も一日お願いします。

………………お前ら、フィルバー様がいらっしゃったぞ!」

 

すると、工房内の職人たちが一気に活気づいた。

歓声が沸き起こる。

一斉に古場に向けられる期待の眼。

古場は気恥ずかしさからくる苦笑いを浮かべながら、いつも通りの魔法をかけ始めた。

 

 

 

古場が銀細工師モーリスの元にお世話になるようになってから、もう三週間がたっていた。

モーリス親方の工房を魔法でお手伝いする代わりに、この後の旅の路銀と衣食住を保証してもらう。

そういう契約を今年の春までということで結んでいた。

交渉が思ったよりもすんなりといったのには驚いたが。

それはやはり、この世界で魔法使いは貴重なようで、自分はとても重宝されていたからだった。

 

古場はこの三週間の平穏を大いに楽しんでいた。

なにせ、工房の端に立って魔法をかけるだけで、三食の食事と個室、ベッドまでもついてくるのだ。

 

(このまま、何事もなく冬を過ごしたい………。)

 

古場は心の底から願った。

もう、このボルドウィンドについた初日に出くわした厄介ごとのようなものに首を突っ込むようなことになるのだけは勘弁してほしかった。

 

そっと古場は魔法をかけ始めた。

 

周囲が少しずつほのかに暖かくなり始める。

冷気がたちどころにどこかへと行き、辺りは春のうららかな一日のようなぬくもりに包まれる。

職人たちは大喜びで騒いでいた。

 

『暖炉の呪文』

主に寒冷地で活動する際、凍傷や低体温といった状態の異常になるのを防ぐものだ。

このように暖房代わりにも使える。

やはり、空調機などの便利な道具のないこの世界においての冬は厳しいものなので、魔法が大っぴらに使える今、古場が最も気に入っている魔法の一つだ。

 

ついで、職人たちにうっすらと淡い光がかかる。

すると目に見えて、動きがよくなり始めた。

槌や彫刻刀が金属とぶつかり合う音があちこちから響いてくる。

 

『いい気分の呪文』

かけられた者の調子が上がる呪文だ。

戦闘などにはお守り程度の効果しか発揮しない。

が、彫金などの根気のいる作業を進めるのにあたってはいい塩梅の魔法だ。

親方が一番ありがたがってくれた呪文だ。

 

工房全体の雰囲気がより一層賑やかになる。

職人たちが目一杯仕事に励んでいるのをみると、古場も元気をもらえるのだった。

 

工房の隅に置かれた小さな丸椅子。

そこに布切れをしき、座り込む。

 

「もし、暑かったり寒かったりしたら、声をかけてくださいね~~!」

 

古場はそう告げると、懐から棒針を取り出し、編み物を始めた。

少しでも路銀を稼ぐため、日中はこうやって内職をしている。

まだ慣れていないので編んだものは粗末であまり高くは売れないが、それでも多少足しにはなった。

 

徒弟の方のうちの一人が持ってきてくれたお粥を朝食や夕食として合間に食べながら、いつも通りの一日が過ぎていく。

何事もない、平穏な日々。

古場は深い充足感を感じていた。

 

 

 

 

「フィルバー様、もうそろそろ工房を締めますので。」

 

古場は編み物に没頭していた顔を上げた。

すでに周りの職人たちは仕事道具を片付け工房から引き揚げていて、工房には古場と親方しかいなかった。

どうやら熱中し過ぎていたようだ。

慌てて立ち上がる。

 

「すみません、モーリスさん。今すぐに片づけますね。」

 

 

 

工房の小さな窓からは激しい雨音が聞こえてくる。

どうやら、外はひどい嵐になっているようだった。

猛烈な風の音に、訳もなく胸騒ぎがした。

 

 

 

親方は古場が棒針や途中の編み物を仕舞うのを待っていてくれた。

なにやら機嫌がよさそうだ。

 

「いや、それにしてもフィルバー様がいらっしゃってから、本当に仕事がはかどりますなぁ。

こんなに快適な仕事場に慣れてしまうと、フィルバー様がいなくなる春以降が心配にすらなりますわ。」

 

「いえ、そんな……。モーリスさんや職人の皆様が頑張っていらっしゃるおかげですよ。」

 

古場は、親方たち職人の見事な腕前を尊敬していた。

彼らは実に見事な細工を作り出すのだ。

精緻にして微細な装飾の数々。

この辺りの貴族御用達なのも頷ける腕前だった。

自分がやったら三分で投げ出すこと請け合いである。

 

 

 

 

「ふう………………。」

 

古場は自室の木戸を閉じると、それにもたれかかって深いため息をついた。

深い充足感と心地よい疲労感に満ちた吐息が辺りに満ちた。

今日もそして明日からもこの平穏な日々は続くのだろう。

 

 

相変わらず、外からは雨音が続いている。

 

(随分と長い間振り続けるんだなぁ。もう一週間は経っているのに。)

 

とりとめもないことを考えながら、古場は小さな声で呪文を唱える。

体全体に淡い緑の光が走り、辺りにラベンダーの香りが立ち込めた。

 

『沐浴の呪文』

この世界においては水は貴重なので、入浴などの設備は存在しない。

便利なユニットバスに慣れ親しんだ古場にとっては到底耐えうるものではなかった。

しかし、この呪文さえあれば、その心配はいらない。

ゲームをしていた時はなぜ必要なのか理解に苦しんだ呪文だったが、今となっては古場が最もありがたがる呪文であった。

 

三角帽を脱ぐ。

水気を帯びたしっとりとした金髪があふれ出す。

 

マントを壁にかける。

辺りにラベンダーの清浄な香りが広がる。

 

ベッドにとびこむ。

きしむベッドの木枠の音を子守歌に透き通るような碧眼に瞼が落ちる。

 

枕もとのろうそくに息を吹きかけると、部屋全体が一寸先も見通せないような闇と息を殺したかのような静寂に埋められる。

古場は静かに眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!………………。」

 

古場は深い眠りから呼び起こされた。

何か、気配がする。

 

古場はろうそくの火を魔法でそっと灯した。

部屋が淡いオレンジの光で満たされる。

 

外の嵐はその激しさを増し、時折窓の木戸の隙間から稲妻の閃光が漏れ出ていた。

 

バケツをひっくり返したかのような雨音の中に、確かに古場は聞き取った。

 

何者かがこの廊下を歩いてきている。

 

ギシッ…………ギシッ………………。

 

木の床がきしむ。

 

古場はベットから音も出さずに抜け出す。

そのまま、古場は素早く壁からマントをひったくると、手をかざした。

バックパックから音もなく槍がぬるりとはい出てくる。

そのままその槍、グルガニルは手の中に納まる。

 

手の中のグルガニルから伝わる冷たさが、古場の心を冷静にしていく。

 

(泥棒? それとも………………僕自身を狙ってきた暗殺?)

 

一週間前のことが思い出される。

あからさまに怪しい老婆から少年を守ったあの日。

確実に厄介ごとに巻き込まれたあの日のことを。

 

(あの老婆の仲間が復讐にでも来た?)

 

足音が古場の部屋の真ん前で止んだ。

 

古場はそっと扉の真横の壁によった。

 

グルガニルが蒼く光る。

 

外の人物は、少し躊躇しているのだろうか、部屋に入ってくる気配がなかった。

 

が、遂に扉に手をかける音がした。

 

古場は今一度グルガニルをきつく握りなおす。

 

 

 

 

 

 

ぎぃっと軋みながら扉が開き、何者かが部屋に入ってきた。

 

古場は間髪入れず侵入者の足を払い、床に転がす。

 

「うわあっ!」

年若い少年のような声が響く。

 

手に持っていた杖を蹴り飛ばし、侵入者を踏みつける。

その侵入者がかぶっていたフードを槍でさっと払い、槍を首元に向ける。

 

「ま、待ってっ!」

 

「何者っ! 何をしにこのへ……や…に…………。」

 

ほの暗いろうそくの炎で照らされた侵入者は、あの日の少年、カールだった。

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