カールはガイウスの部屋を飛び出した。
最後の頼みの綱であるガイウスの身に何か良くないことが起きたのは明らかだった。
そして、それはこの異常事態が途方もなく深刻であることを意味していた。
しかし、部屋から出た瞬間、ヒッと軽く悲鳴をあげてしまった。
ズラッと。
生徒が、御師様が、先生が並んでいた。
全員が無機質で虚ろな、見つめると深淵に吸い込まれそうな目でこちらを凝視している。
誰一人騒ぐものは無い。
カールの全身に怖気が走った。
明るい日の光に満ちた窓の外のうららかさとは対照的に、城の廊下は底冷えしたような陰気臭い不気味さに満ちていた。
と、カールはふと気が付いた。
ドアが全開である。
その視線がカール自身だけでなくガイウスの部屋の惨状をもとらえていることは明白だ。
まずい、このままではガイウス殺しの濡れ衣を被せられるかも知れない。
しどろもどろに弁解を始める。
「その、皆。変な勘違いはよしてね、これは別に僕がやったんじゃないんだ。
僕もついさっきガイウス様が大変なことになってるって気が付いたばかりなんだ。
ほ、本当だよ、僕はガイウス様をその、してないから。」
誰も答えない。
「えっと、みんな聞いてる?
ガイウス様の部屋がおかしくてね。」
誰も答えない。
「が、ガイウス様が殺されたかもしれないんだよ、皆。」
誰も答えない。
ただひたすら、空虚な目がこちらを凝視してきている。
辺りに陰気な沈黙が漂う。
カールはよろよろと後ずさった。
(いったい何が起きているんだよ………………。)
この国で最高の魔法使いが殺された。
だというのに、誰一人として取り乱さない。
おかしい。明らかに皆狂ってる。
最早、この場で正気を保っているのはカールだけだったらしかった。
全身に鳥肌が立つ。
圧倒的孤独と絶望的恐怖。
重圧がのしかかる。
とにかく、カールはこの場を離れたくなった。
この狂気から一刻も早く離れたい。
カールはそっと集まった人々の横をすり抜けていった。
そんなカールを無数の目が追いかける。
それは、角を曲がるまでずっと感じられた。
心底薄気味悪かった。
それから、カールは自分が一体何をしたのか覚えていない。
とにかく、一刻も早く狂気と恐怖の渦巻くこの城から離れたかった。
その思いが無意識にカールの体を突き動かしていたのだろうか。
いつの間にか、カールは城の正門の前までやってきていた。
巨大な門は冷たく無機質に閉ざされている。
古びていて、無造作に鉄板が打ち付けられた不愛想な造りだ。
錆びつき、鬱屈とした雰囲気を漂わす。
玄関には人気が無く、ただただ辺りに彫像が立ち並ぶばかりだ。
その中をカールは恐る恐る歩いていく。
誰一人いないホールにカールの足音が大きく響く。
いつもはすぐに感じる門への距離が、今は果てしない千里の道のりのように感じられた。
ゆっくりと、ゆっくりと門が近づいてくる。
あと少しだ。
あともう少しで、この城から抜け出せる。
カールの胸に希望が芽生えた。
ようやくだ。
カールは門に手をついた。
「何してるの?」
その声に、カールはハッと顔を上げた。
振り返るとメディシーがこちらをじっと見つめていた。
顔色は青白く、目は落ちくぼみ、口は神経質そうにきゅっと結ばれている。
死人のような濁った視線をこちらに投げかける。
その姿はもはやこの世の者とは思えぬほど不気味だ。
ゴーン、ゴーンと鐘の音が鳴る。
正午を伝える、聞きなれた鐘が、今は何か恐ろしいことの前兆のように鳴る。
そして、カールは気づいてしまった。
ホールの上。
そこに目が。
無数の目がこちらを見ていた。
ありとあらゆる窓が開き、そこから知り合い達が顔をのぞかせる。
いや、それはもはや別人だ。
表情という表情が抜け落ち、人間ではなく彫刻のような顔がこちらを向く。
カールの知る彼らではない。
何か人間が人間であるために必要な物。
それを失った彼らは根本的に違ってしまっているのだ。
怖気が全身に走る。
何なんだ、何が起きているんだ。
恐怖に怯える頭の中でそれだけが駆け回っていた。
「ねぇ、何してるの?」
そっと、後ろを向いたまま、カールは取っ手を手でまさぐった。
「もしかして、この城から出ようとしてる?」
あった!
カールは取っ手をしっかり掴むと、全身で門を押し始めた。
早く、早く!
そう焦る気持ちとは裏腹に、門はのろのろと開いていく。
ホール中に門が軋む音が反響する。
「馬鹿だね、無駄だね。」
何故か、彼女と彼らはカールを止めようとはしてこなかった。
門が遂にカール一人だけ通れるほどの隙間を広げた。
カールは全身を門にこすりつけながら、外に出た。
出れた!
とにかく早くこの恐怖から抜け出したかったカールは狂喜した。
外に降り注ぐうららかな日差し。
楽し気な小鳥のさえずり。
一面を覆う緑の草木。
それが、カールを日常に迎え入れるはずだった。
カールを横殴りの突風が襲う。
荒れ狂う雨粒は容赦なくカールを打った。
雷鳴が轟き、空は黒く分厚い雲で遮られている。
(なっ……! いったいこれは何なんだ!)
おかしい。
ついさっきまで太陽が燦燦と降り注ぐ気持ちのいい一日だったはずだ。
確実に、今回の事件の裏にいる何者かがカールを城から逃すまいと引き起こしたに違いない。
「ねっ、カール。城に戻ってきなさい。濡れて風邪をひいてしまうわよ。」
後ろからのメディシーの呼びかけをカールは無視する。
(外が嵐であろうが関係ない! 一刻も早くここを離れないと………………!)
カールが、一歩城を出る。
途端、向かい風は砲弾のようにカールを押し戻そうと吹き荒れる。
カールが、二歩踏み出す。
途端、滝のような雨がカールの頭上に降り注ぐ。
カールが、三歩這い進む。
途端、轟音と共に雷がカールの目の前に落ちた。
目の前が爆ぜる。
その衝撃でカールは吹き飛ばされ、門の中に逆戻りしてしまった。
「だから、言ったでしょ、カール。無駄なのよ。」
目の前で、まるでカールに見せつけるかのように門が閉まっていく。
どうやら、カールはこの城に囚われたようだった。