ボルドウィンド城の一角。
地下深くにはもう長い間放置された牢があった。
遥か昔、禁忌を犯した魔法使いを閉じ込め、拷問したと伝わるそのおぞましい牢獄は、すでに人々の遠い記憶の中に消え、忘れ去られていた。
もう、人が訪れることもないであろう、古びた牢に人影が一つ。
真っ暗な地下牢をろうそくの光だけを頼りに進んでいく。
カールだ。
しきりに辺りを見渡すと、カールは懐から古びた古文書を取り出した。
そして、ろうそくを近づけ、本を照らす。
この城に起こった異常事態の原因を調べていた時に出会った一冊の本。
『闇の告白録』。
かつてこのボルドウィンド城に籍を置きながら、暗黒魔術に手を染めた魔法使いの自伝。
カールは先程、何とかしてこの本を図書館から盗み出すことに成功していた。
樹海の魔女が記したものではないかとまことしやかに囁かれるいわくつきのこの本の一節が、カールの目的だった。
「え~~っと、だいたいこの辺に……。あった!」
この魔法使いは、その悪行が知れ渡って遂には時の学院長本人の手によってこの牢獄に幽閉されてしまう。
しかし彼女はある魔法を使って地下道を掘りまんまと逃げおおせたそうなのだ。
この自伝にはそれを自慢げに、当時の学院長へのありったけの罵倒と共に、語っている部分があった。
無論、具体的な方法については言葉を濁してある。
しかし、荒れ狂う外の嵐は城から出ようとする者を見つけ次第襲い掛かってくるので、地上からボルドウィンド城を脱出するのは不可能に近かった。
なので、カールは記憶の端に引っかかっていたこの本をヒントにして地下通路を探し当てることにしたのだ。
「この魔法使いが閉じ込められていた牢屋は四号室、ここだな。」
カールは錆だらけだが、頑丈そうな鉄板に覆われた扉の前で立ち止まった。
付近の柱には無数の複雑な紋様と、それに無造作に穿たれた無骨な穴があった。
恐らく、罪人を捕えておくためかけられていた魔法を、紋様に穴を穿つことで打ち消しているのだろう。
カールはその錠を、地下牢の入り口に落ちていた今にもポッキリと折れそうな鍵で開けた。
耳障りな音を立てて扉が開く。
長い間放置されていた弊害で、蝶番が完全にさび付いてしまっていたらしい。
中に入ると、すさまじい悪臭がカールを襲った。
何とか声を上げるのを我慢したカールは、ろうそくで部屋の中を照らした。
室内には、閉じ込められてしまったのであろう生き物の骨があちらこちらに散らばっていた。
蛇や猫、蝙蝠などの物だろうか。
その脇には、完全にシーツが蟲にやられてしまったベットの枠組みが鎮座していた。
壁には、閉じ込められた人物が日を数えるためにつけたのであろうか、整然と無数の直線が刻み込まれていた。
カールは少し躊躇して、足を踏み入れた。
パリッ。
何かの骨を踏んだようだが、カールは極力気にしないことにした。
床に、ろうそくをたおさないようにそおっと置く。
「さてと、本には壁に細工したって書いてあったけれど………………。」
当時も、学院長を含む当時の最高の魔法使い達がその謎を解こうとやっきになって壁を調べたそうだ。
しかし、誰も地下通路を発見することはできなかった。
そのことも得意げにこの本の中に書いてある。
当然、彼らはカールよりもはるかに優れた魔法使い達だった。
なので、カールがその秘密を見つけ出せるかは怪しいところだった。
無論、ほかに道はないのだが。
とりあえず、カールは壁を叩いて空洞がないか探してみることにする。
しかし、四方の壁をすべて叩いていってみるがどこからもくぐもった音ではなく、中までぎっしりと何かが詰まった重厚な音が返ってくるばかりであった。
それからしばらくした。
カールは自分にできることは何でも試した。
壁の石組みのどこかにゆるんでいるところがないか全部試したり、風の魔法を使って壁のどこからか空気が漏れ出ていたりしていないか試してみたり………………。
しかし、全て骨折り損の徒労に終わった。
「はぁぁぁ。やっぱり無茶だったかなあ………。」
深いため息をカールはつく。
もうボロボロで、今にもバラバラになってしまいそうなベットの枠組みに腰を下ろす。
地下牢の上のほうがやけに賑やかになり始めた。
どうやら夜が明けたのだろう。
地下牢の上のほうの小窓がすこし明るくなってきた。
これから日中は監視の目が厳しくなる。
この地下牢まで捜索の手は伸びてくるに違いない。
もう、地下道を探している猶予はなさそうだった。
こうなったら、あの嵐を正面突破する方法を探したほうがまだましかしら。
そう考えていた時だった。
バキィッ!
爆音を立ててベットが崩壊した。
カールは床に勢いよく腰を打ち付けた。
その音は地下牢の中でくぐもり、反響して、城中に伝わっていった。
その瞬間、上から聞こえてくる城の喧騒が瞬時に止んだ。
ただ、外からの雨と風が城に打ち付ける音が聞こえてくるだけだ。
全身から汗が噴き出る。
次の瞬間、城中の人々が城中を駆け回る音がカールの耳の中に入ってきた。
距離は違えど、それらが目指す先はただ一つ、地下である。
カールは足音が次第に地下牢に近づいてくるのが嫌でも聞こえてきた。
どうやら、カールの居場所は城中に知れ渡ったらしかった。
(まずいっ………! あぁ、もう! なんて馬鹿なんだ僕は!)
カールは床から起き上がる。
冷や汗が止まらない。
この地下牢は袋小路だ。
ここから逃げ出したところで、必ずつかまってしまう………!
悩んでいる間にも、足音はどんどんと近づいてくる。
焦りがカールから冷静な思考を奪っていく。
(ああ、もうどうしたらいいんだよ!)
カールは今までで最大の命の危機に陥っていた。
その時、カールの足元の床が抜けた。
(えっ!?)
一瞬、カールは宙に浮遊する。
そして、背中を地面に強打した。
「がっ!」
カールは一瞬心臓が止まったかと思った。
暫くして、じわじわと痛みが背中から全身に伝わってくる。
「っぅ……………!」
長い間、カールは冷たい土の上で痛みに悶えて転げまわった。
上を見上げると、遠い彼方に地下牢の明かりが見えた。
辺りには、床から剥がれ落ちたのであろう、石があちらこちらに散らばっていた。
…………もしかして、あの魔女は壁ではなくて、床に地下道への入り口を作ったのだろうか。
だとしたら馬鹿らしい話である。
カールも、当時の魔法使いも、魔女の嘘に乗せられて、壁ばかり調べていたが、それでは見つかるものも見つからないだろう。
あの本があんなに挑発めいた文体で記されているのも、読む者に魔女への苛立ちを覚えさせて、記述が嘘だと気づかせないための罠なのだろうか。
そんなことをカールはぼんやりと痛みで朦朧とした頭で考えていた。
しかし、そんなカールを追い立てるように爆音が響いた。
どうやら、地下牢につながる扉が蹴破られた音らしかった。
カールはバッと立ち上がった。
(ここで寝っ転がっている場合じゃない! 早く逃げないと!)
よろめきながら、カールは先に続く暗闇の中に姿を消していった。
古びた地下牢の扉が轟音を立てて倒れる。
無数の生徒たちが足音も立てずにぬるりと地下牢へと入ってくる。
無表情の彼らは、無言でそれぞれの牢屋を確認していく。
一人の生徒が四号室に足を踏み入れた。
地面に空いた大穴を見つけると、ほかの生徒たちも集まってきた。
そのまま、全員が穴を覗き込む。
その目には感情はなく、ただ暗く淀んだ闇が広がっているだけだった。
暫くして、まるで石像のように固まっていた彼らが動き出した。
懐から杖をめいめい取り出す。
そして、やけに揃った動きで、それを穴の中に向けた。
(何も、見えない………………。)
カールは暗闇の中を進んでいた。
地下通路には一切の明かりが無かった。
唯一の手掛かりはどこからか漏れ出てくる風の流れだけだ。
「ッ!」
前につんのめってこける。
泥に足を取られたようだ。
靴が脱げてしまった。
しかし、探している暇はない。
後ろから追手が迫っているはずだった。
カールは泥まみれになりながらも起き上がり、先を急ぐ。
無防備な足の裏に尖った石が食い込む。
背中からは未だ打撲の痛みがじんじんと伝わってくる。
カールは歯を食いしばって我慢した。
よろよろと、カールはおぼつかない足取りながらも前へと進む。
地下道はろくに整備もされていなかった。
土がむき出しになった天井からは外の嵐によって大地にしみ込んだ水が絶えず垂れてくる。
それがカールの足元を泥まみれで沼のようにぬかるんだものにしていた。
木でできた支柱も腐りはて、今にも崩落しそうであった。
入り口から吹く風が一段と強くなる。
あともう少しでこの地下道から抜け出せる。
カールの目にようやく希望が見えた。
そのとき、カールの耳に、何か異音が入ってきた。
水の流れる音だ。
しかし、その音は足元の水分を多く含んだ泥まみれの床から聞こえる物ではない。
どちらかというと、濁流のような………………。
その時、カールはすさまじい勢いで足が持っていかれそうになった。
大量の水が、ボルドウィンド城側の地下通路から流れ込んできたのだ。
「なっ!」
流されないように必死にカールは踏ん張る。
そして、顔を青ざめさせた。
辺り一帯が水面に呑まれていたのだ。
それだけではなく、水位がどんどん上がっていっていた。
もうすでに、冷たい水はカールのひざ下まで迫っていた。
(もしかしてこれは追手の魔法………! っ、なんて悪趣味なんだ、僕を地下道の中で溺れ死にさせようとするなんて!)
カールは前へと駆け出した。
水をかき分け、ただひたすらに先を急ぐ。
(冗談じゃないっ! こんなところで死んでたまるか!)
水を含んだローブやズボンは重くなり、足に水がまとわりつく。
冷たい水はカールから体温を奪う。
加えて、これまでの一週間にわたる逃亡生活が、カールの体力をむしばむ。
既に、水はカールの胸元にまでたどり着いていた。
カールの視界がぼやけ始める。
手足の動きが緩慢になり、唇は青紫色になった。
その時、雷鳴が走った。
轟音と共に、カールは確かに見た。
遠く彼方から漏れ出てきた稲妻の光を。
カールは最後の力を振り絞った。
「ぁぁぁあああああっ!」
全身で前に進む。
足をがむしゃらに前に出し、手で一心不乱に水をかき分ける。
遂に、水はカールの首に達した。
カールは半ば体当たりするかのようにして地下通路の入り口に辿りついた。
入り口を覆っていた土塁が吹き飛ぶ。
鉄砲水のように地下道から水が噴き出し、それに押し出されるようにしてカールは雨雲の下に転がり出た。
「はあっ、はあっ、はあっ。」
カールは荒くなった息を整えると、起き上がった。
嵐は、カールがボルドウィンド城からまんまと逃げだしたことに怒り狂うように、その勢いを増していた。
カールの全身を雨が打つ。
カールは一面の草原の中にいた。
遠い彼方に、霧にけぶるようにして黒いボルドウィンド城の姿が見えた。
その反対には、ボードウィングの町から漏れ出たオレンジの暖かな小さな無数の光が遠い彼方に見える。
(そっか…………。僕、ボルドウィンド城から抜け出せたんだ………………。)
カールはしばらく草原の中に立ち尽くしていた。
ずりずりと、足を引きずるように歩く。
あれから、何とかカールはボードウィングの職人街までたどり着くことが出来ていた。
とっくに太陽は沈み、時刻は深夜に達しようとしている。
(銀細工職人モーリス、銀細工職人モーリス、銀細工職人モーリス………………。ここだ。)
意識が朦朧としながらも、カールは目的地に着いた。
うろ覚えの魔法で四苦八苦しながら入り口の扉の鍵を開ける。
半ばもたれかかるように扉を開け、中に入り込む。
どうやら、二階に寝室があるらしい。
カールは床や階段にべっとりと泥をつけながら、なんとか上の階に上がることが出来た。
カールが廊下を歩く。
ギシッ…………ギシッ………………。
木の床が軋む。
(多分、ここが客間だ。)
カールは扉の前で暫く躊躇った。
(ここにフィルバーさんが住んでいるかどうかはわからない。
それに、よしんばフィルバーさんがここにいたとしても僕を助けてくれるかどうか………………。
…………ええい、ままよ! ここまで来たんだ、もう後戻りはできない!)
カールは扉の取っ手に手をかけ、部屋の中に入った。
一瞬、ろうそくの明かりで照らされた室内に目が眩む。
次の瞬間。
カールは視界が逆転した。
「うわあっ!」
思わず声を上げてしまう。
ゴォンッ、と頭を床にぶつける。
そのまま床に寝っ転がされたと思ったら、体を踏みつけられる。
ローブのフードを取られ、首元に槍を突き付けられる。
見上げるとフィルバーさんの顔があった。
桜色の唇はきつく結ばれ、透き通った碧眼は鋭い視線をこちらに放っていた。
もしかして、泥棒か何かと勘違いされている………………!?
「ま、待ってっ!」
意識が朦朧としてろれつがろくに回らない。
「何者っ! 何をしにこのへ……や…に…………。」
こちらの正体に気が付いたフィルバーさんの表情が驚愕に変わるのを見たのを最後に、カールの視界は暗転した。