ターフより愛を込めて   作:雪卯鷺

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とうとう月一更新すらまともにできなくなったクソザコ執筆者が私です…。

今回、独自解釈的な部分が含まれますのでタグに「独自解釈」を追加しました


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 現在時刻10時30分。新潟レース場は多くの人で賑わっていた。関係者用の駐車場へと車を停めて、一般の出入口の混雑を尻目に関係者用の出入口から建物内へと入る。今日のメインレースは確かオープン戦だった筈だが、これだけ多くの人がこの時間からレース場へと訪れているというのは、なかなか圧巻である。

 

 基本的には一般的なレースファンの中で、レース場に足を運ぶ人は余り多くない。というのも、そもそもレース場のある地域が限られているという事がある。現地への移動や滞在に手間がかかるので、レース場に直接観戦に行くのは地元の人でなければ中々ハードルが高い。それも重賞などの大きなレースがある場合の話で、メインレースがオープン戦などの場合は、有名な選手が出走するなど余程の事がなければ、レース場に来ることはまずない。大体の人はテレビ中継で済ませてしまうし、メインレース以外のレースに関しては見向きもしない。だから朝のこの時間からレース場に来ているのは、余程熱心なレースファンの人達だろう。

 

 そんな新潟レース場内の控室。学園指定の体操服に着替えたドーベルは、今のところは落ち着いているように見える。出走まではまだ少し時間がある。職員から渡された4番のゼッケンは、既にその胸に貼られている。

 不意に扉がノックされる。丁度扉の横に立っていたので、そのまま俺が応じる。

 

「はい。今開けます」

 

 開いた扉の先には見覚えのある顔があった。

 

「ドーベル、関原さま。ごきげんよう〜」

「ブライト、どうしてここに?」

 

 ニコニコと笑顔で手を振るブライトを見てドーベルが立ち上がる。そんなドーベルを見て、ブライトは口元に手をやってクスリと笑う。

 

「応援に決まっていますわ〜。同志たるドーベルのデビューを、わたくしが見届けないでどういたしますの〜?」

「わざわざ遠くまで……。ありがとう」

「ふふっ。まだ感謝するには早くってよ〜。応援に来たのは、わたくしだけではありませんから〜」

 

 ブライトがそう言うと、扉の陰からさらに2人の人影が現れる。

 

「ドーベル、今日は頑張ってね! 肩の力を抜いて走れば大丈夫だよ!」

「今日までの自分を出し切って来い。……期待しているぞ」

「ライアン……! エアグルーヴ先輩まで……!」

 

 そこに居たのは、普段からドーベルの事をよく気にかけてくれている2人の先輩達だった。特にエアグルーヴは、ドーベルのトレーニングにも何度か付き合ってもらっているし、そのトレーナーにも何度もアドバイスを貰っている。模擬レースの時にも助けられた俺としても、頭の上がらない相手と言える。

 

「すみません……。アタシなんかの為に、こんな……」

 

 ドーベルも先輩達の手を煩わせてしまった事が申し訳ないのか、2人に対して頭を下げるが、そんなドーベルをライアンが制止する。

 

「いやいや、『なんか』なんて言わないでよ! あたし達みんな、ドーベルの走りが見たくて来たんだからさっ!」

 

 そして同意を求めるようにエアグルーヴの方を振り返る。エアグルーヴはライアンの隣に立つと、ドーベルの肩にそっと手を添えて微笑む。

 

「ドーベルには以前、私のデビュー戦を応援して貰ったからな。……今度は私に見届けさせてくれ」

「———ありがとう、ございます……! アタシ、必ず走りきります!」

 

 2人の言葉を聞いて、ドーベルの瞳に強い光が宿る。そんなドーベルの様子を見て、ライアンとエアグルーヴはその肩を軽く叩くと、踵を返して部屋を出て行く。ブライトもゆったりとそれに続いた。

 

「それじゃあ、あたし達はもう行くね」

「もう良いのか? まだ時間もあるし、もう少しゆっくりしていってもいいんだぞ?」

 

 俺がそう言うと、ライアンが軽く笑って答える。

 

「一番いい所でドーベルが勝つ瞬間を見たいですから。今から場所をとっておかないと」

「そういう事なら後で場所を教えてくれ。俺もそっちに合流する」

 

 3人の中で唯一連絡先を交換しているエアグルーヴに向かって言うと、頷いて了解の意を返してくる。そうして3人を見送ってドーベルへと振り返ると、ドーベルは目を閉じて軽く握った右の拳を左手で包み込むように自らの胸へと当てていた。

 

「……良い先輩を持ったな」

「……うん」

 

 俺の言葉にドーベルが頷く。ドーベルが椅子に座り直すのを見ながら、俺は控室の扉を閉めた。ドーベル初の公式戦まで後少しだ。

 

 

 

 

 パドックへと向かう地下バ道。目的地に近づくにつれて、ドーベルの呼吸が少しずつ浅くなっていく。体の動きもどこかぎこちなく、その目は僅かに不安気に揺れている。

 

「……緊張してる?」

 

 隣を歩くドーベルへと問いかけると、キッと鋭い視線が飛んできた。

 

「……うるさい。してるに決まってるでしょ」

 

 そう一言だけ言って、再び視線を前へと向けるドーベル。通路の先、パドックの舞台裏へと通じる出入り口からは外で待つ観客の声が、熱量が、溢れ出さんばかりに伝わってくる。

 その熱に飲まれそうになりながらも、ドーベルはしっかりと前を見据えている。

 

「だけど、絶対に走り切りたい……! 見てくれている皆のためにも……!」

 

 ドーベルの前へとまわり込み、少し腰を屈めて目線を合わせる。

 

「きっと大丈夫だ。信じてるよ」

「っ、本当アンタは……。すぐそうやって言うんだから……」

 

 一瞬怯んだかのように体を引いたドーベルだったが、すぐに持ち直すと真っ直ぐに俺と目を合わせてくる。

 

「……じゃあ、ちゃんと見てて。アタシが……走り切る姿を」

 

 その姿に、一瞬言葉を失う。初めてだったのだ。ドーベルがこうして真正面から目を合わせてくるのも、そんな風に言ってくるのも。

 

「……ああ、一番前で見てるよ」

 

 俺のその言葉を聞いて、ドーベルは通路の向こうへと歩いていった。俺もその背中を見送ってから、エアグルーヴ達に合流するべく観客席の方へと向かう。背後で一際大きく歓声が上がった。

 

 

 

 

 パドックでは1番の枠に入ったディヴィニティーのお披露目が終わった所だった。舞台裏へと下がって行くディヴィニティーの背中を見ながら、舞台の正面に陣取っていたエアグルーヴとライアンの2人と合流する。

 

「ブライトはどうした?」

「コースの方で場所を取ってくれてます。こう人が多いと、移動について来れなさそうだったので」

 

 ライアンと言葉を交わしつつ、パドックに目をやる。舞台上では2番のドカドカが観客に向かってアピールをしている。

 パドックでは1人当たり1分から3分程度のお披露目が行われ、ウマ娘達はそれぞれ思い思いに観客に向かってアピールをする。観客によってはこのパドックでのお披露目時の調子によって、応援チケットの購入先を決めたりもする。チケットの購入は発走の5分前まで受け付けているので、パドック終了から10分程度は時間がある。

 そして購入したチケットのウマ娘が勝利した場合、ウイニングライブにて優先的に良い席へと案内されるようになっているのだ。購入者の多い人気の高いウマ娘の場合は、その中から更に抽選になったりもするが。

 

 そしていよいよドーベルの番がやってきた。3番のバイパーピアースと入れ違いに出てきたドーベルは、どこか緊張した面持ちで舞台上にあがり、湧き上がる歓声に一瞬怯んだ様子を見せるものの、舞台正面に3人並んだ俺達の姿を見つけると、安堵からかその表情を緩めた。

 

『4番、メジロドーベル。1番人気です』

『良い仕上がりですね。あの名門メジロ家という事もあって、期待度はかなり高くなっていますね。トゥインクル・シリーズの初戦、見事に勝ち抜いて偉大な先達へと続く事ができるのか。注目です』

 

 実況によると、ドーベルは1番人気に推されているらしい。やはり名門出身となると、世間からの注目度も自然と高くなるのだろう。

 舞台上のドーベルはぎこちなく笑顔を浮かべながら、観客席に向かって軽く手を振っている。緊張はしているようだが、以前のように動けなくなるという事はなさそうだ。

 その後もパドックは恙無く進んでいき、9番のエフェメロンが舞台裏へと下がって行くと、観客達もコースの方へと移動し始める。

 

「じゃあ、あたし達も行きましょうか。ブライトも待たせてますし」

 

 ライアンの言葉で俺達もコースへと移動する。そうしてゴール前のスタンド席で場所取りをしていたブライトと合流する。

 

「ライアンお姉さま〜。こちらですわ〜」

 

 ブライトもこちらを見つけたのか、背伸びをしてこちらに向けて大きく手を振っている。正直、もう目と鼻の先なのでそんなに手を振る必要はないのだが。

 

「ブライト、ありがとう。こっちはどんな感じ?」

「今ちょうどコースの上に出てきた所ですわ〜」

 

 言われてコースへと視線を移せば、返しウマが始まった所だった。地下バ道から出てきたウマ娘達が、スタート地点へと向かって体を温める為に軽く走っていく。中には足を止めて、最終直線の芝の様子を確認している者もいる。

 ドーベルはと言うと、今のところは落ち着いた様子でゆっくりとゲートに向かっている。パドックでの緊張も、コースに出たことでいい感じに解れたようだ。

 

『晴れ渡る空の下行われます、新潟レース場第5レースメイクデビュー、芝1600m。9人のウマ娘達が挑みます』

 

 ゲート前へとウマ娘が集まっていく中、実況席からアナウンサーの声が流れる。コース上は容赦なく夏の陽射しが降り注ぎ、熱された地面からは陽炎と共に草いきれが立ち上り、スタンドにいる俺達にまで届きそうだ。そんな中、全員がゲート前へと集まった所で、奇数番のウマ娘からゲートの中へと入っていく。

 

『枠入りは順調に進んでおります。おっと6番のベラプラテリア、ゲート前で足を止めました。一度下がります。……入りました』

 

 自らを囲い込む鋼鉄の檻を嫌うウマ娘は多い。慣れている筈のシニア級のウマ娘でもゲート入りを渋る事があるのだから、ジュニア級の初戦ともなると1人や2人出てきてもおかしくはない。今回は寧ろ大分すんなりといった方だろう。

 

『さあ、各ウマ娘ゲートに入って体勢整いました。トゥインクル・シリーズへの参加権。そのたった一枚の切符を懸けて、メイクデビュー今スタートしました』

 

 

 

 

 ゲートが開くと同時に9人が一斉に飛び出していく。

 

『2番ドカドカと8番エレクトリファイドは良いスタート。6番ベラプラテリアは少々出が良くないか。ハナを進むのはドカドカ、エレクトリファイド追走。5番ハートブロウアップ、9番エフェメロンも続きます。1バ身開いてベラプラテリア、外に並んで1番人気4番のメジロドーベル。そのすぐ後ろ7番シンプトンダッシュがピッタリと着けています。そして1番ディヴィニティーがいて、3番バイパーピアースは最後方からのレースとなりました』

 

 ゲート入りを渋っていた娘はタイミングが合わず、少々出遅れて中団の先頭を走る形になった。遅れを取り戻す為に多少無理をしてでも加速をかけてくれないかとも思ったが、チラリと横を見てみると落ち着いてペースを守っている。今回はスローペースでの展開になるだろうから、挽回できるタイミングは充分にあると考えているのだろう。

 

 そしてアタシのすぐ後ろ、ピッタリと1人のウマ娘が着けてきている。風除けとして利用しようという事だろうか。足音がずっと付き纏ってくるというのは、思ったよりも神経を使う。ハッピーミークとのトレーニングで慣らしていなければ、振り切ろうと掛かってしまったかもしれない。

 

 200m程走ったところで、高さ2mの坂に差し掛かる。距離にして300mと少し。大して動きのないまま、3コーナーの入り口までひたすら登っていく。

 

『大きな動きのないまま坂を登って、各バ第3コーナーへと入っていきます。先頭は依然としてドカドカ、2番手はエフェメロンに変わりました。続いて内からハートブロウアップ、外にエレクトリファイド。ベラプラテリアは半バ身程距離を詰めました。1バ身空いてメジロドーベル、その後ろシンプトンダッシュ、外からディヴィニティー。さらに1バ身空いてバイパーピアースという展開』

 

 繰り返し行ってきた坂路トレーニングのおかげか、坂はあまり苦にならずに3コーナーに突入する。3コーナーに入ってすぐに、今度は下り坂になっている。スパイラルカーブで突入時のスピードが速くなりがちな上に、下り坂も加わって自然と勢いがついていく。

 

『先頭はドカドカ、エフェメロンが後を追う。そのすぐ後からエレクトリファイド。ハートブロウアップとベラプラテリアも続いている。その後ろ、内にディヴィニティー、外からメジロドーベル。シンプトンダッシュは後ろから2番目、バイパーピアースはまだ最後方のまま4コーナーを迎えます』

 

 4コーナーに入ってすぐに、少しだけ登りに入る。距離は100mも無いし、高さも1mに満たない。その坂を越えれば4コーナーも終わりだ。4コーナーの出口は少々コーナー半径が小さくなって、勢いのついたままコーナーへと突入した私達は、自然と外へと膨らんでいきバ群がバラけていく。

 

『4コーナー回って直線へと向きます。先頭は僅かにドカドカ。しかしその後ろからベラプラテリアが迫っている。1000mの通過タイムは1分1秒3。ここで先頭はベラプラテリアに変わりまして、この新潟の長い直線を駆けていきます』

 

 4コーナーを回ると歓声が一層大きくなる。まだ距離があるのに、スタンドにいる大勢の観客の視線を感じる。それだけでも、アタシの体には緊張からか力が入る。

 

 スタートから先頭を走り続けていた逃げの娘が、とうとう先行勢に捕まってそのまま抜き去られていく。そして二つ目の坂を超えたところで、アタシの後ろについて走っていた娘が、遂にアタシの陰から飛び出して加速していく。それに合わせるように全員がスパートをかけ始めて、観客席から歓声が上がる。

 

『残り400で先頭ベラプラテリア、2番手にエフェメロン。その後ろ、内にハートブロウアップ、外エレクトリファイド。ドカドカはもう苦しいか。ディヴィニティーとシンプトンダッシュが並びかける。1番人気メジロドーベルはまだ後方。ここでバイパーピアースも上がってきた』

 

 スタンド前、大歓声を受けたアタシは脚から力が抜けそうになるのを感じた。大音声から引き起こされる、空気の振動。アタシを取り囲む無数の視線と声。その全てがアタシを縛る鎖のように感じた。スタート前まではなんともないと思っていたのに、いざそれをこの身に受ければ、どうしようもなく臆病なアタシが顔を出す。

 

(このままじゃ、また……!)

 

 また前までの、弱いアタシに逆戻りだ。でもどうしようもない、そう思ったその時だった。

 

「ドーベル! 君の強さを見せてやれ!」

「……っ!」

 

 大歓声の中、確かに聞こえたその声。いつだってアタシの事を強いと言ってくれるその声に背中を押されて、アタシは崩れ落ちそうな脚に精一杯の力を込めて踏み込んだ。

 

「……やって、やるわよ! ——はぁあああああっ!」

 

 基本的にスローペースで進んだレースでは、前の脚質の方が有利だ。しかし、この新潟レース場ではスパイラルカーブのおかげで前脚質と後脚質での格差は軽減されているし、直線が長い分、結局最後は末脚の鋭さとトップスピードを維持する為の持続力の勝負になる。

 

 そしてその2つなら、アタシはこの中の誰にも負けるつもりはない! 

 

『残り300を切って外からメジロドーベルが飛んできた! 大外メジロドーベル! 内からはエフェメロン! ベラプラテリア粘っているが苦しいか! エフェメロン先頭に変わった! しかしメジロドーベルも来ている!』

 

 コーナー出口でバ群がバラけた上に、そもそもの出走人数の少なさからアタシの前には誰もいない。こうなればもう後は全力で走るだけだ。アタシはグッと爪先に力を込めると、思い切り地面を蹴った。

 

『200を切った! ここでバイパーピアースも伸びてきた! エフェメロンが逃げる! メジロドーベルが迫る! 内を通ってシンプトンダッシュ伸びてくる! しかしメジロドーベルが抜けた! メジロが抜けた! そのまま後続を離していく! 残り100で1バ身リード! 2番手エフェメロンは届かないか! その後ろシンプトンダッシュとバイパーピアースも必死に追いかけるが、しかしメジロドーベル! メジロドーベル1着でゴールイン! 2着エフェメロン、3着にはシンプトンダッシュです』

 

 ゴール板を駆け抜けて、ゆっくりと減速しながら電光掲示板へと目を向ける。1着には4番、間違いなくアタシの番号が点されている。それを確認してスタンドへ振り返ると、一際大きな歓声が上がり思わず体が竦む。

 

 正直、目は眩んでいるし、脚だってさっきから膝が笑いっぱなしで立っているのだってやっとだ。心臓なんて、自分の物とは思えないほどにうるさい。でも……、

 

「そのくらい、アタシ……! 今の、全力……出せたんだ! ここで……レースで!」

 

 そうして息を整えてウイナーズ・サークルへと向かう途中、ふとトレーナーがレース前に言った言葉を思い出した。

 

「一番、前……」

 

 最後の直線、声が聞こえたという事はそれなりに近くにはいるのだろう。ただ、これだけの人の中で見つかる筈がないと思いつつも、もう一度スタンドへと視線を巡らせる。しかし、視線はある一点に吸い寄せられるようにして止まった。

 

「……見つけた」

 

 ゴール前、まさに真正面の位置。その一番前で、ライアンと手を打ち合わせて笑っている。ふと、その視線がアタシを捉えた。

 

「……トレーナー」

 

 見ていてくれたんだ。約束通り、一番前で。たったそれだけの事で胸の辺りがなんだか温かくなる。どうしようもなく口元が緩んでいるのが、自分でもわかった。気が付けば周りの視線の事も忘れて、自然とトレーナーへと手を振っていた。トレーナーも嬉しそうに微笑んで、手を振り返してくれる。なんだか急に恥ずかしくなったアタシは、それを誤魔化すようにトレーナーと視線を切り、ウイナーズ・サークルへと小走りに向かうのだった。

 

 

 

 

「あ、トレーナー……」

 

 一足先に地下バ道で待っていると、勝利者インタビューを終えたドーベルが戻って来た。呼吸は既に落ち着いているが、綺麗な髪は汗で顔に張り付いているし、頬も上気して赤くなっている。足元は踏み込んだ際に千切れた芝が所々についているし、土で汚れている。しかし、その表情は晴れ晴れとしたものだった。

 

「やりきったな!」

「……大げさ。まだ最初の一歩でしょ? 今からそんなにはしゃいでどうすんの」

 

 ドーベルは視線を逸らすが、耳も尻尾も落ち着きなく動き周り、興奮を隠せていない。それを微笑ましく思いながら見ていると、ドーベルが横目でチラリとこちらを見てくる。

 

「でも、まあ……その」

 

 ドーベルが何事かを言おうとして、口籠る。それを急かすことはせずに、ドーベルが言葉にしてくれるのを待つ。やがて意を決したようにこちらへと向き直り、口を開く。

 

「……悔いなく、走れたから。そこに関しては……一応、感謝してる」

「……ああ。改めて、1着おめでとう。良い走りだった」

 

 俺の言葉に、ドーベルが笑顔を浮かべる。それは今まで見た中でも、最高の笑顔だった。

 

 

 

 

 控室に戻り、シャワーも着替えも済ませて、昼食に何を食べようかと新潟レース場のグルメに関してネットの口コミを調べていると、扉がノックされた。なんとなく来客の予想はついたので、そのまま扉を開ける。

 

「失礼いたしますわ〜」

「ああ、いらっしゃい」

 

 そこに居たのは予想通りの3人だった。控室の中へと迎え入れる為に、扉を押さえたまま半身になる。3人は俺の横を通って部屋の中へと入っていく。

 ブライトがドーベルに駆け寄って、その両手を取る。

 

「ドーベル! デビュー戦、お疲れさまでした〜!」

「ブライト、ありがとう。おかげで走り切れたよ」

 

 ライアンがその後に続いて、ドーベルの肩を叩く。

 

「かっこよかったよ、ドーベル! 筋肉の律動がスタンドまで届くぐらいに!」

「例えだよねそれ!?」

 

 ライアンの言葉に、ドーベルがツッコむ。しかしすぐにその表情を崩して穏やかな笑みを浮かべる。

 

「……でも、ありがとう。そう言って貰えて嬉しい」

「堂々とした、見事な走りだったぞ。……これからの道行きも励めよ、ドーベル」

「先輩……! ありがとうございます……!」

 

 エアグルーヴが静かにドーベルの隣へと歩み寄り、その肩にそっと手を乗せる。ドーベルはエアグルーヴへと真っ直ぐ向き直り、深々と頭を下げた。その様子をニコニコと笑いながら見ていたブライトが、ドーベルの頬に手を添えて顔を上げさせる。

 

「……ドーベル。次はぜひ、わたくしの事も見ていてくださいまし。必ずや、あなたに続いてみせますわ」

「うん。アタシも応援に行くから……頑張ってね」

 

 そうして2人で顔を見合わせて笑う。そんな2人を見ていた俺は、ふと思いついて3人に声をかける。

 

「そうだ。3人共、昼はまだだろう? 俺達もこれから食べる所だったんだが、一緒にどうだ?」

 

 レース前に食べるわけにもいかなかったので、少々遅い昼食となってしまったが、その分全員で楽しめるのなら良いだろう。しかし、俺の言葉にライアンは首を振った。

 

「すいません。実はあたし達、もうそろそろ帰らないといけなくて……」

「……え?」

 

 その言葉に、ドーベルはライアンの顔を見る。ライアンは申し訳なさそうに、ドーベルへと笑みを返した。

 

「……ライブは見られそうにないか?」

 

 その日に行われる全てのレースが終わってから、ウマ娘達は観客と共に喜びを分かち合う為に、ライブパフォーマンスを行う。第1レースの走者から順に行っていき、全ての曲が終わる頃には大体夜になっている。ドーベルが走ったメイクデビューは第5レースだったので、この時期ならばまだ日は出ているぐらいの時間だろうか。

 

「門限もあるので、難しいと思います……」

「……そうか。それなら仕方ないな」

 

 生徒達の入寮しているウマ娘寮は、朝晩2回、決まった時間に食事が提供される。その為、自然と門限もそれよりも早い時間になる。もしトレーナーと一緒ならば、許可さえ得られれば多少の時間超過も許されるだろう。なんなら外泊許可を取って、こちらに泊まるのでもいい。しかしここにそのトレーナーが居ないという事は、生徒だけでここまで来たという事なので、やはり門限までに帰るのが条件となる。

 

「私達も本当はライブも見てやりたいのだが、今回はそういうわけにもいかんのでな。すまないが……」

「そんな! 応援に来てくれただけでも十分です!」

 

 そう言うエアグルーヴの顔は、心底残念そうだった。エアグルーヴは生徒会にも所属しているし、特に規則を破る訳にはいかない立場である。それをわかっているからか、ドーベルも3人を責めるような事はしない。

 

「まあ、その分ライブは俺がしっかりと見といてやるから!」

 

 その場の空気を変える為に、ドーベルの肩を叩きながら努めて明るく言い放つ。流石にわざとらしかったか、ライアンは苦笑していたし、エアグルーヴとドーベルには呆れ顔で見られたが。やはり慣れない事はするものではない。

 とは言え、その甲斐もあってか室内の空気は先程と同じように、和やかな雰囲気になったと思う。

 

「じゃあ、あたし達は帰るけど、ライブも頑張ってね」

「うん、ありがとう」

「道中、気を付けて帰れよ」

 

 そうして出て行く3人を見送って、控室には俺とドーベルだけが残った。やはりライブを見てもらえない事は残念なのか、ドーベルの耳は萎れて、尻尾も力なく垂れ下がっている。俺は右手を持ち上げると、ドーベルの頭の上に置いて、その髪を撫でてやる。サラリとした手触りで、なんとも心地よい触り心地だ。

 

「……何してるの?」

「いや、慰めてやろうかと」

 

 言いながらドーベルの髪に指を通す。なんの引っかかりもなく、指の間を通り抜けていく。綺麗な髪だと、改めて思う。ドーベルは呆れたように息を吐きながら、俺へと振り返る。

 

「子供じゃないんだから、もう……」

 

 そう言って少し困ったような笑みを浮かべながらも、俺の手を払い退けるような事はしなかった。

 

 

 

 

 ホテルの部屋でベッドに寝転がりながら、ドーベルは今日一日の事を思い返していた。初めての公式戦にウイニングライブ。どちらも問題なく遂行できたと思う。大勢の視線にはまだちょっと慣れないけれど、それでも現時点では十分な結果だった。

 エアグルーヴやライアン、ブライトにライブを見てもらえなかったのは残念ではあるが、これから先、まだまだ機会はあるだろうと、ドーベルはそう思い直した。

 

「……そうだ」

 

 もう1人、今日の事を報告しておこうとメッセージアプリを立ち上げようとして、昨日の事を思い出し、電話へと切り替える。2回目のコール音の後、画面の文字が呼び出し中から通話中へと変わり、スピーカーから独特なイントネーションの明るい声が飛び出した。

 

『ハーイ、ドーベル! どうかしまシタか?』

「ああ、タイキ。アタシ、勝ったよ。……ちょっと、連絡遅くなっちゃったけど」

 

 電話の向こうのタイキシャトルへと、今日の勝利を報告する。スピーカー越しに『ワォ!』という喜びの声が聞こえてきた。

 

『Congratulations! やりましたネ、ドーベル! 帰ったらパーティーしまショウ!』

「もう……、だから大げさだって。まだこれからが本番なんだからね」

『オウ! ……フゥム、それならこれからのエーキをヤシナウためにパーティーしまショウ!』

「どっちにしろパーティーはするんじゃない……。……でも、まあ、ありがとう」

 

 底抜けに明るい友人の声に、思わず笑みが零れる。偶にはパーティー好きな友人に付き合ってやっても良いかもしれない、なんて事をドーベルは思った。

 それから暫く取り留めのない会話を続けていたが、ドーベルはそこでふと前日の出来事を思い出す。

 

「そういえばタイキ。昨日は大丈夫だったの? アタシ途中で通話切っちゃったし……」

『ノープロブレム! 心配しなくても大丈夫デース!』

「ああ、そうなんだ。それなら良かった」

『イエス! ワタシが勝ちまシタカラ』

「……えっ」

 




実際ライブってどのタイミングでやってるんでしょう
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