ターフより愛を込めて   作:雪卯鷺

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なんとか今月中に更新できました。

投稿開始から1年、未だにジュニア級どころかデビュー戦までしか進んでいない事実に戦々恐々としています。
半分くらいは本編の文章ままなのになんでこんなに遅いんでしょうね。


12

 ある休日の朝、ポストから回収したまま放置していた郵便物を整理していると、とあるチラシに目が止まった。

『駅前水族館、グランドオープン!』『癒しの空間をご提供いたします』とポップな字体で上下に書かれており、中央には綺麗な建物の写真が、色とりどりの魚のイラストに囲まれて写されている。

 

「へえ、水族館か。息抜きに良いかもな」

 

 せっかくなのでドーベルを誘ってみようかと思ったが、彼女は今日はメジロ家の集まりの方に行ってしまっているのを思い出した。なんでも月に何度か、オフの重なったメンバーで集まって、お茶会をしているらしい。こういう所で本当に良家のお嬢様だったんだな、と実感する。

 しかし一度行こうかと思ってしまうと、なんだか無性に行きたくなってきてしまう。仕方ないので誰か誘える人がいないかと、暇つぶしがてら探しに出る事にした。

 

 

 

 

 そうしてとりあえず足を運んだトレーニングコースで、何やら人だかりを見つける。なんとなく気になって見に行ってみると、どうやらトレーナーが集まって、誰かのトレーニングしている所を見ているらしい。

 一体誰がいるのだろうかと思って目を向けてみると、良く見知った人物をコース上に見つけた。

 

「お疲れ様です、ミーク。よい走りでした。でも、ラストで少々集中が途切れましたね。今の貴女ならもっと加速できるはずです。最後まで気持ちを途切れさせないことを意識しましょう。大丈夫、貴女ならできます!」

「……はい、トレーナー。がんばります。……むん」

 

 どうやらトレーナー達は桐生院トレーナーとハッピーミークのトレーニングを見ていたようだ。大勢のトレーナー達から見られていても、桐生院トレーナーとハッピーミークは気にした様子もなく、平然とトレーニングを続けている。

 

「おぉっ……! なんてことだ。あのウマ娘、以前とは走りのキレが違う!」

「まだ専用トレーニングを受け始めて間もないはずなのに、あの成長ぶり……。やはりレベルが違うわね、桐生院トレーナー……!」

「彼女が、数多くの優駿ウマ娘を育て上げた名門トレーナー一族"桐生院家"の後継……。前期ライセンス試験のトップ合格者、『桐生院葵』トレーナー……!」

 

 トレーナー達が口々に桐生院トレーナーの事を褒め称えているのを聞いて、改めて桐生院トレーナーのレベルの高さを知る。というか、名門の後継とかライセンス試験のトップ合格者とか、ちょくちょくとんでもない事まで聞こえてきたんだが……。

 指導力の高さもそうだが、考案してくるトレーニングの内容などもかなり高度なものが多く、優秀な人だとは思っていたがそういう事なら納得できる。そんな人が俺のような半人前との合同トレーニングを、良くもまあ何度も受けてくれたものだと思う。

 

「あっ……、関原トレーナー!」

 

 そんな事を考えていると、こちらに気づいた桐生院トレーナーが小走りに駆け寄ってくる。その人好きのする笑顔を見ていると、他のトレーナー達が言うような敏腕トレーナーというような雰囲気は感じられず、人は見かけによらないものだなと思った。

 

「おはようございます」

「おはようございます! それと、少々遅くなってしまいましたが、先日のメジロドーベルさんのメイクデビュー勝利、おめでとうございます」

「ありがとうございます。ハッピーミークもデビュー戦、お見事でした」

「ありがとうございます。でも、ミークは凄い子ですから。まだまだこんなものじゃありませんよ」

 

 そう言って両手の拳を胸の前でグッと握り、気合いを入れている。そんな会話をしている間に、後ろからトテトテとハッピーミークが追いついてきた。

 

「……トレーナー」

「あぁっ! ごめんなさい、ミーク。急に置いて行ってしまって……!」

「やぁ、おはようハッピーミーク。デビュー戦おめでとう」

「……おはようございます。……がんばりました。……ぶい」

 

 ハッピーミークは得意気にフフンと笑うと、顔の横でピースサインを作る。その様子に思わず笑みが溢れてしまう。と、ふとハッピーミークの視線が俺へと向けられると、ある所でピタリと止まる。それを不思議に思ってその視線を辿ってみると、どうやら俺の右手、より正確に言うなら右手に持たれている物へと注がれているようだ。

 

「……」

「……」

「……? あの、ミーク? 関原トレーナー?」

 

 試しに"ソレ"——水族館のチラシを持った手を右へと動かしてみると、ハッピーミークの視線もソレを追って右へ。今度は左へと動かしてみると、視線は左へと動く。

 

「……」

「……あっ。……」

 

 最後に背後へと回して視線から隠してみると、ハッピーミークは小さく声を上げて俺の顔へと視線を移すと、尻尾を一度ユラリと揺らした。心做しか不満気な表情に見える。

 

「コレが気になるのか?」

 

 あまり意地悪をするのも良くないと思い、隠していたチラシをハッピーミークの前へと出す。

 

「えっ……? 水族館のチラシ、ですか? ミーク、ずっとコレを見ていたの?」

「……行きたいのか?」

「……えっ」

 

 俺がそう訊ねると、ハッピーミークは少し驚いたように俺の方を見て、次に桐生院トレーナーの方を見る。そして暫く上に視線をやって、もう一度俺の方を見て小さく頷いた。

 

「だったら丁度良かった。誰か一緒に行く人を探してたんだ。桐生院トレーナーもどうです?」

「えっ!? 私もですか!?」

 

 桐生院トレーナーにも声をかけてみると、何故か非常に驚かれた。一緒にその場にいるんだから、誘うのは当たり前だろうに。

 と、ここで一つ問題を思い出した。

 

「あっ、でもトレーニング中か。だったらダメかな……」

「……大丈夫です。……もう、終わるところなので」

「……ミーク?」

「……着替えてきます」

「ミーク!?」

 

 そう言うが早いか、ハッピーミークは踵を返してコースから去って行ってしまった。桐生院トレーナーは、ハッピーミークへと伸ばしかけた手をジッと見つめている。

 

「……すいません。邪魔しちゃいましたかね」

「……いえ、大丈夫です。どうせ今日は軽めのメニューで済ませるつもりでしたから。……とりあえず、私も道具とか片付けて来ますね」

 

 そう言うとコースへと戻って、置いてあったラダーやマーカーコーンなどのトレーニング道具を纏めて箱の中へと入れて、トレーナー棟へと足早に歩いていってしまう。

 そして注目されていた2人がいなくなると、必然的に直前まで話していた俺に視線が集まってくる。ドーベルの模擬レースでの事もあり、向けられる視線の中にはあまり良い感情ではない物も含まれていて、なんとも居心地が悪い。

 

「……桐生院トレーナーに着いて行けば良かったな」

 

 それから桐生院トレーナーの戻ってくるまでの数分の間、俺はトレーナー達の視線に晒され続けた。

 

 

 

 

「……おぉ。……クラゲ、ゆらゆら。……おぉぉ〜」

 

 薄暗い照明の下、大きな水槽の前でハッピーミークが声を上げる。尻尾はバサバサと大きく振られ、耳もパタパタと忙しなく動き回っている。どうやら珍しく興奮しているようだ。そしてキョロキョロと周りを見回しながら、フラフラと水槽に沿って歩いて行ってしまう。

 

「ふふ……。ミーク、楽しそう。水族館、好きだったんだ。でも……、私まで一緒に来てしまって、良かったのかな……?」

 

 そんな様子を見た桐生院トレーナーは、口元に手を当ててクスリと笑うが、すぐに眉根を寄せて不安気に呟いた。

 

「どういう事ですか?」

「あ、いえ……」

 

 おそらくは誰に聞かせるつもりでもなかったのだろうその呟きを、しかし聞こえなかった振りもできず、俺は桐生院トレーナーに訊ねた。桐生院トレーナーも聞こえていたとは思わなかったのか、少しバツが悪そうにしていたが、少し考えてから口を開く。

 

「確かに、桐生院家の教え……『トレーナー白書』にも、『ウマ娘には適度な休息を』とありました」

「はあ……」

 

 流石、名門ともなると代々伝わる家の教えがあるらしい。俺が変な所に感心して間の抜けた返事を返していると、桐生院トレーナーは目を伏せて少し不安気な様子で続ける。

 

「ただそれはウマ娘のみに任せ、のびのびと気を抜かせてやるべきとの事だったので……。私が同行して良かったんでしょうか? 気が張って休めないのでは……?」

「……なるほど」

 

 伏せられていた視線が上げられる。そこには、わずかばかりの困惑と葛藤があった。

 どうやら真面目なこの人は、自分が今まで実践してきた家の教えとは異なる事をしている事が気になっているらしい。確かに自分の家が長年積み重ねて、自らもそれに従ってきた教えに逆らうというのは、とても勇気のいる事だろう。

 しかし、彼女のその心配は無用の物のように思う。

 

「……あ。……このヒトデ、トレーナーみたい」

 

 少し先で、食い入るように水槽を覗き込んでいるハッピーミーク。傍目には普段と変わらない様子にも見えるが、その表情は普段よりも柔らかで、足取りも心做しか軽やかだ。

 それに何より———

 

「……あとで教えよ。……ふふふふ」

 

 ———あの笑顔を見ればわかる。思うに、ハッピーミークは……。

 

「一緒に来られて、喜んでいますよ」

「えっ……。そうなのですか?」

 

 俺の視線を追って、桐生院トレーナーもハッピーミークへと目を向ける。ハッピーミークは水槽の前にしゃがみ込んで、寄ってきた魚を追って水槽のガラス面を指でつついている。

 

「確かにウマ娘とトレーナーは、アスリートと指導者という立場ではありますが、それ以前にウマ娘達はまだ思春期の少女ですから。あまり踏み込み過ぎない方がいい、というのも理解はできます。それでも俺は、やっぱり担当とはある程度距離を縮めるのも大事だと思います」

「距離を……。……そういえば、私、ミークが水族館を好きだなんて、今日まで知りませんでした」

 

 そう呟くと口元に手を当ててジッと何事か考え込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げる。

 

「……私、まだあの子の事、全然わかってあげられてない……?」

 

 そして何かを決心したように一つ頷くと、ミークの隣へと歩いて行って同じようにしゃがみ込む。そうして2人で何事かを話し合っているようだ。会話は聞こえてこないものの、時折垣間見える横顔は楽しそうな笑みが浮かんでいて、いい雰囲気に見える。

 そうして後ろから2人を見ていると、不意にポケットの中で携帯が震えた。何事かと取り出してみると、LANEにドーベルからのメッセージが届いている。

 

『トレーナー、今何してるの?』

 

 お茶会の途中で時間ができたのか、それとも終わったのか。ともかく手が空いたので、なんとなく連絡してみたといった所だろうか。とりあえず放っておくのも良くないので、返信しておこう。

 

『新しくオープンした水族館に来てる』

 

 そこでふと思い立って、桐生院トレーナーとハッピーミークの後ろ姿を写真に撮って、トークルームへと貼り付ける。これでなんとなくの雰囲気だけでも感じられるだろう。

 しかし送信したメッセージにはすぐに既読がついたものの、その後一切の反応が無い。やはりお茶会の隙間時間に連絡してみただけだったのだろう。携帯をポケットへと戻して、桐生院トレーナー達の下へと向かう。

 

 

 

 

「……は?」

 

 ドーベルの口から低い声が漏れ、その手に持った携帯から『ミシリ』と聞こえてはいけない音がする。その様子に周りにいた他の少女達が、何事かと視線を向ける。

 彼女達のいる広大なメジロの屋敷の敷地内、その中庭。敷き詰められた芝は全て一定の長さに切り揃えられ、綺麗に四角く刈り込まれた生垣と、色とりどりの花々の植えられた花壇も、常日頃から丁寧に手が加えられている事が窺える。少し奥まった所には休憩所としてガゼボが建てられている、所謂西洋風庭園と呼ばれる形式の庭だ。

 彼女達はそんな広い中庭の一角にテーブルを広げ、アフタヌーン・ティーの最中だった。テーブルの上には3段重ねのティースタンドに、スコーンやケーキ、サンドイッチが乗せられて、傍にはクロテッドクリームとジャムが添えられたクリーム・ティーと言われる様式だ。

 そんなお茶会の最中、ちょっとした話の流れからそれぞれオフの日にはどう過ごしているのかが話題に上ったのがきっかけだった。そこでふとドーベルが、自身のトレーナーが普段何をしているか知らない事に思い至り、それでなんとなく今何をしているか気になって聞いてみたらあの返事が返ってきて、それでついカッとなったのだ。

 

「あら〜。どうしましたの、ドーベル?」

「……別に、なんでもない」

 

 共にテーブルを囲んでいた少女のうちの1人、メジロブライトが携帯を鞄の中へと投げ込むようにしてしまうドーベルに問いかけるが、ドーベルは不機嫌そうに鼻を一つ鳴らすだけで、取りつく島もない。

 ブライトは指先を顎に当てて少しの間考え込んでいたが、やがて何かに思い至ったのかチラリとドーベルに視線をやった。

 

「関原さまのことでしょうか〜」

「……なんでそう思うの」

「最近のことで、ドーベルがなにか気にすることがあるとすれば、そうではないかと思いまして〜」

 

 ドーベルの視線がキッと鋭くブライトへと刺さるが、ブライトはそれを気にした風もなく、いつものようにふわりと微笑みを返している。やがてドーベルも無駄だと思ったか、一つ息を吐いてフッと体の力を抜いた。

 

「……いや、でも実際、なんでもないの。オフの日にトレーナーが何しててもアタシには関係ないし。むしろなんであんなにイラッとしたのか、わかんないくらいで」

「ドーベルから連絡入れたんでしょ? 関原さん、何て?」

 

 そう困惑したように零すドーベルを見て、隣でそこまでの流れを見守っていたメジロライアンが訊ねる。ドーベルは先程の写真を思い出したか、少し眉間に皺を寄せる。

 

「……同期のトレーナーと新しくできた水族館に行ってるって。写真も送って来た」

 

 そう言うと鼻を一つ鳴らして、カップに残っていた紅茶を一息に呷る。あまり行儀はよろしくないが、誰に見られている訳でもないと開き直った。そんなドーベルの憮然とした様子に、ライアンはもしやと思って聞いてみる。

 

「その同期の人って、もしかして女の人……?」

「そう」

「そ、それってもしかして……! で、デデ、デート……!?」

 

 ガタリと音をたてて立ち上がりながら、ライアンが興奮気味に大きな声を上げる。見た目ではボーイッシュでスポーティな印象のあるライアンは、周囲の人間からもそういう人気が高い。しかし実際の所、本人の内面的にはどちらかと言うと乙女で少女趣味な面があり、その手の話題には特に敏感であった。

 

「……いや、相手の人の担当ウマ娘も一緒にいたから、違うと思う。向こうでたまたま会ったとか、多分そんな感じ」

 

 一方のドーベルはすっかり冷静になって、目の前のサンドイッチをつまむ。その様子に勢いを削がれたライアンはストンと座り直すと、一息つくように紅茶を啜る。

 

「……まあ、自分から話を振っておいて返事しないのも良くないし、とりあえず返信だけしとこうかな」

 

 少し時間を置いて冷静になったドーベルは、少々今更かとは思いながらも、関原からのメッセージに短く『楽しんで』とだけ返信する。そして携帯の電源を落とすと、今度こそ鞄の中へとしまい込んで話の輪の中へと入っていった。

 

 

 

 

 桐生院トレーナー達と水族館を満喫して、学園へと戻る頃にはすっかり陽も傾いていた。ハッピーミークを寮へと送り届け、トレーナー寮へと向かう道すがら、何やら神妙な面持ちで桐生院トレーナーが口を開いた。

 

「……今日はありがとうございました、関原トレーナー」

「いえいえ。俺も正直、1人だと行きづらかったので。むしろトレーニングの最中に無理矢理連れ出したみたいになって申し訳ないです」

「ああ、いえ。お誘いいただいた事もですが……、素晴らしい教えをくださった事も」

「教え?」

 

 俺の疑問に、桐生院トレーナーは「はい」と小さく頷いた。

 

「『担当ウマ娘の事を良く知るべし』とは、『トレーナー白書』のかなり始めに記されている事ではありましたが……。私、それは『身体能力について良く把握せよ』という意味なのだろうと思っていたんです」

 

 そして小さく息を吐きながら、空を見上げる。俺はそんな彼女の横顔を、ただぼんやりと見つめていた。するとチラリと視線が動いて、俺へと向けられる。紫色の瞳と目が合った。

 

「でも……今日、貴方と話したおかげで、本当の意味がわかった気がしました」

 

 そう言って、ニコリと笑う。その表情にドキリとする。思わず視線を逸らしながら、誤魔化すように頭を掻いた。夕陽のおかげで、顔色まではわからないだろう。

 

「いえ、そんな。大したことは……」

「ふふっ、ご謙遜を」

 

 桐生院トレーナーは口元に手を当ててクスリと笑うと、前へと向き直った。俺はというと、なんだか気恥ずかしくなって意味もなく空を見上げた。まだ仄かに明るい夕空には既に一番星が瞬いて、こちらをジッと見下ろしている様に見えた。その視線から逃れるように、今度は足元へと目線を落とした俺のことを知ってか知らでか、桐生院トレーナーはなおも続けて言う。

 

「担当へと真摯に、懸命に注ぐ眼差し……。それこそ、貴方のトレーナーとしての強みなのですね」

「いや、ホントそんなんじゃないんで……」

「私も、貴方に置いて行かれぬようもっと精進して参ります!」

 

 すっかりテンションの上がってしまった桐生院トレーナーの、期待に満ちた眼差しから顔を背ける。普段からあまり期待を懸けられる事に慣れていない所為で、桐生院トレーナーの方をまともに見ることが出来ない。自分はそんな出来た人間ではないのだ。

 その後も桐生院トレーナーからの称賛の言葉を躱しつつ、トレーナー寮への帰路へとついた。

 

 

 

 

「ふふっ。今日は楽しかったですわ〜」

「そうだね」

 

 メジロの屋敷から学園へと帰る車の中、ブライトはニコニコと笑いながら体を左右にユラユラと揺らしている。アタシは夕陽に照らされた街並みが窓の外を後ろへと流れて行くのを、ただボンヤリと眺めていた。

 

「明日からはデビュー戦に向けてトレーニングの負荷を上げていく、とトレーナーさまが仰っておられたので、こうしてのんびりと過ごす時間があまりとれなくなりそうでしたし、その前に皆さまとお会いできて良かったですわ〜」

「デビュー戦、今月だっけ?」

「ええ〜。31日に、函館レース場の予定ですわ〜」

「函館か……。流石に応援に行くのは難しいかな……」

 

 アタシのデビュー戦も応援に来てもらったし行きたかったんだけど、流石に函館は遠い。もし行くのなら前日からの移動になる。寮の外泊届はなんとかなるかもしれないが、その為に授業を1日休むというのも……。

 そんな風に考えていると、ブライトがアタシの手を取る。振り向けば、こちらの顔を覗き込むブライトと目が合った。

 

「大丈夫ですわ、ドーベル」

「ブライト?」

「ドーベルがわたくしの事を気にかけてくださっているのは、良く知っていますもの。その気持ちだけでも十分ですわ〜」

「でも……」

 

 いまいち納得がいかず食い下がるアタシに、ブライトは顎先に人差し指を当てて斜め上を見上げるように、しばし考えるようなポーズをとる。

 

「それでしたら……、デビュー戦までの間、トレーニングに付き合っていただいてもよろしいかしら〜。少し、これまでの成果も見てみたいのです」

「トレーニング……。そういえばブライト、最近メニュー変えたんだってね。前よりもっと自分を追い込むようになったって、ライアンが心配したり成長を喜んだりで、忙しそうだったよ」

「まあ。ふふふ、ライアンお姉さまったら」

 

 ライアンの名前が出ると、ブライトは嬉しそうに笑う。昔からブライトはライアンに良く懐いていて、何をするにもライアンの後を付いて回っていた。そのライアンに少しでも認められた事が、嬉しいのだろう。

 

「……でも、わたくしだけではありませんわ。メイクデビュー以来、あなたも変わりました」

 

 不意に、ブライトの目付きが変わった。琥珀色の瞳はスッと細められ、まるでこちらを値踏みするかのような冷たさを纏う。その視線に困惑しつつも、アタシはブライトに視線を返した。

 

「え……そ、そう?」

「あら、自覚はございませんの〜?」

 

 ブライトがコテリと首を傾げる。先程の冷たさはすっかり鳴りを潜め、アタシの気の所為だったんじゃないかとさえ思う。

 

「……むか〜しむかしから見てきましたから、わかります。ドーベル、目が変わりましたわ」

 

 思わず目元に手をやるが、当然そんな事ではわかるはずもなく。再びブライトに目をやると、ブライトはまた何かを考えているようだった。

 

「———そうですわね。今のあなたとなら……」

「ん? ……なに、ブライト?」

 

 ポツリと呟かれた言葉が聞き取れずに聞き返すも、ブライトはそれには応えずにポンと両手を打ってニコリと笑った。

 

「ふふっ……、ドーベル。この後少々、お時間いただけませんこと?」

「え……? ……別に、いいけど?」

 

 話が見えずに勢いに押されるままに了承すると、ブライトは笑顔のままに前に向き直り、運転席に向かって声をかける。

 

「佐伯さま、お願いできますか?」

「かしこまりました」

 

 あらかじめ言付けてあったのか、ブライトの一言で車は学園へと向かう道から逸れて、横道へと入っていく。

 

「ちょっと、どこに行くのよ」

「大丈夫。すぐに済みますわ」

 

 行き先も伝えられないまま車に揺られてしばらく、連れてこられたのは学園からも程近い、とある公園だった。小高い丘の上にあるそこは、街の景色を一望でき、眺めが良いことから外周の途中や休日の散歩などで訪れる生徒も多い。

 ブライトは、そんな公園の一番高い場所にある広場までアタシを連れて行くと、夕陽に染まる街並みを見下ろしている。夕方になっても気温は高く、時折り吹き抜ける風が、頬をさぁっと撫でていく感触が心地よい。

 

「はぁ、良い眺めですわ〜。うんと遠くまで見渡せますわね〜」

「……ブライト。こんな所まで来て、どうしたの?」

「ふふっ」

 

 背後から声をかけたアタシを肩越しに振り返って、ブライトはスッと腕を持ち上げる。

 

「……ねえ、ドーベル。メジロ家は、あちらの方かしら〜?」

 

 ブライトの指差す方を見てみても、ビルやマンションなどの背の高い建物に埋もれてしまって、メジロの屋敷はここからでは見えそうもなかった。

 それでもブライトはそこにある事を確信しているかのように、ただ一点を見据えている。

 

「思い出しますわね〜。あそこで、あなたと過ごした日々……」

 

 ブライトは目を閉じて、思い出に浸っているようにも見える。そして目を閉じたまま、懐かしむように話し始める。

 

「幼い頃、書斎に2人で忍び込みましたよね。あの時は確か、ドーベルがわたくしの手を引いて回ってくださいましたわね〜」

「あれは……バレたら叱られるっていうのに、ブライトがあんまりのんびり歩くから」

「その節はお世話になりました〜」

 

 ブライトが口元に手を当ててクスリと笑う。そして目を開くと、どこか遠くを見つめるような目で、アタシを見た。

 

「……それで、たくさん目にしましたわね。棚に並んだ、無数の栄光の証……。メジロの紡いできた、偉大なる歴史を」

 

 もう一度景色へと視線を戻したブライトの顔は、アタシの位置からは見えない。夕陽がゆっくりと山の向こうへと沈んでいき、街にはポツポツと灯りがともり始める。

 

「マックイーンさまやライアンお姉さま、パーマーさま……。その他たくさんの諸先輩がたが、メジロの栄光を継ぎました。継承し、研磨し、昇華させ……。皆さまがたのおかげで、メジロの名は今なお燦然と競争界にて輝き続けております」

 

 ブライトが、今度こそアタシへと向き直った。そして真っ直ぐにアタシの目を見つめる。その視線の力強さに、思わず息を呑む。

 

「では、わたくしたちは?」

「……!」

「いつまでも『メジロの末っ子たち』、……過去の栄光に庇護され、誇り高き蹄跡に憧れるばかりでしょうか? ……わたくしは、そうは思いませんわ」

「ブライト……」

 

 そこにいるのは、いつもののんびりとしてにこやかに笑っているブライトではなかった。その瞳にはメジロのウマ娘としての強い誇りと、使命感が燃えていた。

 

「ドーベル。わたくしは必ずやあなたに続き、鮮烈なデビューを果たし、……ゆくゆくは、クラシック三冠を。敬愛するライアンお姉さまさえ逃した、かの猛々しき威光を、わたくしが、わたくしこそが必ず、メジロに捧げますわ」

 

 両手を胸の前で握りしめ、決意に満ちた瞳でアタシを射抜く。

 

「そして必ずや———わたくしこそが、"メジロの新しき栄光"となってみせます」

「っ……! 新しき、栄光……」

 

 普段の様子とは違うブライトの迫力に気圧されていると、フッとブライトの雰囲気が和らいだ。そうしてアタシに向かってニコリと微笑みかける。

 

「はい〜。……それで、ドーベル。あなたはどうなさいますか〜?」

「アタシ……は……」

 

 ブライトの問いかけに、アタシは言葉を詰まらせる。

 ずっとアタシだけが、暗いところにいると思っていた。自分の脚で明るい方へと歩いていけるブライトやライアン、マックイーンたちとは『違ってしまった』と……。

 だけど———

 

 ———今の、全力……出せたんだ! ここで……レースで! 

 

 思い返すのは、デビュー戦の事。みんなのおかげで走りきれた。アタシでもできるんだって、少しだけ、自信を持てた。

 あの時の高まりがこの胸に残る今なら、きっと……! 

 

「……アタシ、も」

 

 ブライトへと視線を返す。ブライトに負けないように、しっかりと目を見つめ返す。

 

「アタシ、だって……! ブライトと、同じものを目指してみせる!」

 

 ブライトの瞳が僅かに見開かれる。それに構わず、ブライトの隣へと並んで街並みを見下ろす。太陽は既に山の向こうへと姿を消して、街の灯りが明るく世界を照らしている。

 

「アタシは、ティアラを狙いにいく。『桜花賞』『オークス』『秋華賞』、3つのレースを全て獲って、『メジロの至宝』……史上初のトリプルティアラをもたらした、あのラモーヌさんに続いてみせる! だから———」

 

 ブライトへと振り返る。ブライトは微かに笑みを浮かべながら、アタシの方をジッと見つめていた。アタシもブライトへと笑みを返す。

 

「1人で先には行かせないよ。一緒に描こう、ブライト。アタシたちで"メジロの新たな栄光"を……!」

「……ふふふっ、やっぱり」

 

 ブライトの笑みが深くなる。そして一度ゆっくりと目を閉じてから、もう一度アタシの顔を覗き込むように見つめてくる。街灯に照らされた顔には、いたずらの上手くいった子供のような無邪気さが見えた。

 

「今のドーベルならきっと、そう仰ってくださると思っていましたわ〜」

「……え。まさか、試したの?」

「いえいえ、試したなどと〜」

 

 アタシの言葉にヒラヒラと手を振って、ブライトはニコリと笑う。

 

「あなたの気持ちを、あなたの言葉で聞きたかっただけですわ」

「はぁ……そういうところ、敵わないなぁ……」

「ふふっ。では〜、改めまして。この手を取ってくださるかしら、ドーベル?」

 

 ブライトがアタシに向かって手を差し伸べる。一度息を吐いてから、ゆっくりとその手を握りしめる。

 

「「三冠とティアラを。メジロに新たな栄光を、2人で———!」」

 

 月明かりの下、2人で誓いを交わす。顔を見合わせて笑うアタシたちを、月が静かに見下ろしていた。

 

 

 

 

 次の日、トレーナー室でトレーニングメニューの調整をしていると、ノックもそこそこにドーベルが部屋の中へと入ってきた。

 

「トレーナー。今、ちょっと良い?」

「……どうした?」

 

 いつにも増して真剣な様子に話を聞いてみると、昨日の夜にあった事を話してくれた。ブライトと共に、メジロの新たな栄光を描きたい。そして、その為にトリプルティアラを狙いに行きたい。ドーベルの言葉を、俺はただ黙って聞いていた。

 

「いつかラモーヌさんが描いた栄光に、アタシも続きたいの」

 

 そこで一度言葉を切ると、ドーベルは握りしめていた手を開いて、その掌を見るように視線を落とす。

 

「……わかってるよ。今のアタシじゃ、そんな事言うにはまだ足りないものが多すぎるって……。でも……!」

「足りないものは、これから一緒に補おう」

 

 ドーベルの言葉を遮るように言う。ドーベルが視線を上げて、俺の顔を見た。その視線を真正面から受け止めて、俺は不敵に笑ってみせる。ドーベルの感じている不安なんて、なんでもないんだと言うように。

 

「俺は君を、さらに強くする為にいるんだ」

「さらにって……、もう」

 

 ドーベルは呆れたように一つ息を吐いて視線を逸らしてしまうが、その顔には微かに笑みが浮かんでいる。俺も軽く笑って、そしてパンッと一つ手を打つ。

 

「さて、それじゃあ次の目標を決めよう」

「目標……」

「ああ。クラシック級ではティアラ路線に向かうとして、ジュニア級の目標を何にするかだな」

 

 ドーベルの最終目標であるメジロの新たな栄光、それを得る為のトリプルティアラ。そこに行き着くまでに、まず俺たちが目指すべきものと言えば……。

 

「「阪神ジュベナイルフィリーズ」」

 

 俺とドーベルの声が重なる。

『阪神ジュベナイルフィリーズ』。阪神レース場で行われる、ジュニア級に4つしかないG1の内の1つだ。クラシック三冠路線の前哨戦たる『朝日杯フューチュリティステークス』と同じく、ティアラ路線の前哨戦として扱われる事が多い。

 まずはここで結果を残して、ティアラ戦線本番に向けて力をつけていくべきだろう。

 

「さて。そうなると、それまでにもうあと1つ、2つレースに出ておきたいな。レース間隔も大分空いてしまうし」

「その辺りの判断はトレーナーに任せるよ。……頼りにしてるからね」

 

 ドーベルは少し恥ずかしそうに視線を逸らしつつも、俺に判断を委ねてくれた。その不器用な信頼に応えたい、心からそう思う。

 兎にも角にも、目標は『阪神ジュベナイルフィリーズ』。そしてトリプルティアラ。俺とドーベルの新たな一歩が始まる。




次回からはもう少し展開も早めにいけると思います。多分…。
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