ターフより愛を込めて   作:雪卯鷺

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お久しぶりです。
なんか毎回言ってる気がします。


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「メジロドーベルさん、入ってください」

「……はい」

 

 係員の誘導に従ってゲートの前へ。入る前に目を閉じて、一度だけ深呼吸をする。ゆっくりと目を開いて、ゲートの中へと足を踏み入れる。もう幾度目かになる見慣れた筈のその鉄の門は、いつも以上の重圧を持ってアタシを迎え入れる。

 

『各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました』

 

 周りの緊張が高まってきているのがわかる。隣に入っている娘の微かに乱れた息づかいや、地面を掻く音が聞こえる。ヒリヒリとした空気に思わず息が詰まってしまいそうになる。誰かの、もしくはアタシの、ゴクリと唾を飲み込む音が、やけにはっきりと響いた。

 一瞬の静寂。そして———

 

『……スタートしました! 横一線、揃ったスタートになりました』

 

 ゲートが開いた瞬間、アタシは強くターフを蹴って勢いよく前に飛び出した。スタートは出遅れもなく、全員がほぼ同時にゲートを出たようだ。

 

『まずは先行争い、誰が前に行くか。2番ネレイドランデブー、ハナを取ります。そのすぐ後から1番シーキングザパールが追走。その後1バ身ほど空いて外に8番タクティカルワン、内に7番モイストアイズが続きます』

 

 内側から2つの影が競うように前へと抜け出す。それを追って外からさらに2つ、アタシの横を駆け抜けていく。

 アタシはそれを無理には追わずに、少し空けてその後に着いていく。

 

『さらに2バ身後ろに6番メジロドーベル。その後ろ、少し開いて4番リボンマーチ。その外からは10番のヴェナバラム。9番シンスフィールド、内から並びかける。そして3番セプテントリオンがいて、最後方5番のヴァイスグリモアです』

 

 中団先頭につけたアタシは、先行した4人の動きを注意深く観察する。外の2人は枠順の不利を取り戻すためか、早めからペースを上げていく。

 先頭で逃げる娘は後ろからの気配が増えた事を気にしたか、息を入れる事なく、ペースを緩めずにコーナーに入った。

 

『先頭はネレイドランデブーのまま第3コーナーを回ります。タクティカルワンが2番手に上がって行きます。モイストアイズは3番手をキープ、シーキングザパールは少し控えます』

 

 パールさんがペースを落として少し後ろへと下がってくる。それを好機と見たか、入れ替わるようにアタシの前、外側にいた娘が前に出る。それに釣られたのか、はたまた蓋をされるのを嫌がったか、内にいた娘も同じくペースを上げた。

 今回のレースは比較的落ち着いたペースになると予想して、トレーナーと2人で作戦を組み立てていたけれど、予想に反して少しペースが早くなっている。

 

 でも、対応できない訳じゃない。とりあえず今は落ち着いて、周りに流されずに自分のペースをしっかりと守って、できるだけ脚を溜める。

 

『さあネレイドランデブー先頭のまま第4コーナーへ。しかしここで後続勢も差を詰める』

 

 最終コーナーに入って、流石に厳しくなったか、先頭の娘が息を入れる為にペースを落とした。その機を逃さずに、アタシは逆にペースを上げて距離を詰める。

 

『600の標識を通過』

 

 4コーナー中間、残り600mを過ぎた所で緩やかな下り坂に入って、自然と全体のペースが上がり始める。

 スピードに乗って勢いのついた体が外へと振られる感覚がするけれど、それに無理に逆らう事はせずにコースを外へと修正する。アタシの後ろでも、固まっていたバ群がばらける気配を感じる。

 

 そしてコーナーを抜けた。

 

『バ群が横に広がって、直線を向いて最後の追い比べに入ります!』

 

 直線に入ってすぐ、最初に仕掛けたのはパールさんだった。

 

「さあ、眠れる真珠が目を覚ます———。この私が、世界に見せてあげる!」

 

 ニヤリ、と普段の底抜けに明るい彼女からは想像できないような獰猛な笑みを浮かべると、一際強く踏み込んで一息にトップスピードへと加速する。ドッと鈍い音がして、パールさんの足元から踏み込みによって掘り返された土が、芝ごと蹴り上げられる。

 

 そして、

 

「動いた!」

 

 そして、それこそがアタシが待っていた瞬間だった。パールさんがアタシの前に下がって来た時から、ずっとマークしていたのだ。パールさんに遅れないように、アタシもスパートをかける。

 それをチラリと一瞬、肩越しに目線だけで振り返って、パールさんは一層笑みを深める。

 

「パールさん!」

「来たわね、ドーベル。でも、私も譲る気はないわ」

『内からシーキングザパール、先頭に詰め寄ります。ネレイドランデブー粘っているが苦しいか。外の方からはメジロドーベルも上がって来ている』

 

 先頭はもう限界か、呼吸が乱れて来ている。2、3番手は自分達の背後に迫るアタシ達を認識して慌ててスパートをかけるが、こちらは既に射程内に捉えている。

 パールさんは鋭くステップを刻んで前の2人を躱すと、そのまま垂れて来ていた先頭の娘と入れ替わりに先頭へと踊り出た。

 

『残り400を切って先頭変わってシーキングザパール。1バ身のリード。しかし後続も伸びてきている』

 

 控えていた後続もスパートをかける。溜めていた脚を開放して、一気に前へと迫っていく。先行勢も粘っているが、ジリジリとその差が縮まっていく。アタシも前方の2人を追い越して、前を行くパールさんへと迫る。

 レース展開がハイペースだった分、普段なら先行策を取ったパールさんよりも差しで走るアタシの方が展開的には有利な筈だけど、今回は道中パールさんはペースを落として多少脚を溜めているし、アタシはスローペース想定でいつもより前目につけていて、脚を溜めきれていない。

 もうこうなるとアタシの末脚がパールさんにどこまで通用するか、直線に入ってから前の2人を避けるのに、パールさんがどの程度消耗したのか、この辺りが勝負の分かれ目になるだろう。

 

『メジロドーベルがジリジリと差を詰める。シーキングザパール粘っているがどうか。バ群を割って中からリボンマーチも上がってくる』

 

 少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、パールさんの背中が近づいてきている。しかしもう残りは300mを切っている。この調子では追いつけないかもしれない。

 それでも必死に脚を回してなんとか喰らい付いていく。パールさんだってもうそろそろ限界が近い筈だと自分に言い聞かせ、ひたすらにその背中を追いかける。

 

『残り200を切って、ゴール前最後の攻防。ここから坂を駆け上がります』

「くっ……!」

「ふっ……!」

 

 緩やかな下り坂から一転、100m程で約2mもの高低差のある、勾配が急な上り坂へと変わる。そして坂へと踏み込んだその瞬間、僅かにパールさんの脚色が鈍った。

 やはりパールさんも既に一杯になっていたのだ。そしてそうとなれば、やる事は決まっている。我慢比べだ。

 

「うああぁぁぁぁっ!」

 

 声を上げて自らの身体に活を入れる。徐々に重く、上がらなくなっていく脚に鞭打って、パールさんの背中へと喰らいつくべくターフを蹴る。このチャンスを逃さないように、確実に物にする為に。

 

「ふぅっ……! くっ……!」

 

 パールさんが苦しそうに息を吐くのが聞こえる。さっきまで後ろから見ていた、一度は追いつけないかとも思った背中が、今はすぐそこ、手を伸ばせば届く距離にある。

 ここで捕まえる。絶対に逃がさない。勝つのは、アタシだ。

 

 そして坂を越えた。

 

『ここでメジロドーベルが先頭に立った! シーキングザパールは伸びが苦しいか! 外の方からはリボンマーチも来ているが、これは届かないか!』

 

 僅かに、しかし確実にパールさんよりも前に出る。視界の隅、苦々し気に顔を顰めるパールさんが見えた。恐らく、これ以上はもう伸びてこられないのだろう。

 アタシの前にはもう誰もいない。後ろからは他の娘も来ているようだけど、この位置ではもう誰も追い付いては来られないだろう。

 

 ゴール板を通過した。

 

『メジロドーベル! メジロドーベル1着でゴールイン! 2着シーキングザパール! 3着にリボンマーチ!』

 

 徐々にスピードを落として、掲示板へと振り返る。見上げた先、1着の所には確かに6番の文字が、アタシの数字が表示されている。

 風が熱った身体を優しく撫でていく。世界が普段よりも数段、綺麗に見える。

 

 ———ああ。この感覚を、なんて言葉にすれば良いんだろう。

 

 きっとこれが、GⅠのレースを走り抜けた感覚なんだ。そうだ。アタシは、GⅠでもちゃんと最後まで走れたんだ。これなら、本当にトリプルティアラだって……。

 息を整えながら掲示板を見上げていると、背後からパチパチと小さく拍手が聞こえてきた。振り返ると、どこか晴れやかな表情を浮かべたパールさんが、手を叩きながらアタシの方へと歩み寄ってくる。

 

「コングラチュレーション! 思わず見惚れてしまう程の走りだったわ。ナイスファイト! ナイスガッツ!」

「パールさん……。アタシも、パールさんと競う事ができて、その、自信が持てました。ありがとうございます」

「ンン〜、エモーションッ!」

 

 目の前に差し出された手をしっかりと握り返す。と、その手をグッと引かれたかと思うと、背中にパールさんの腕が周る。ハグされている、という事に気がつくまでに一瞬の間があった。走った直後のパールさんの熱を、体全体で感じる。

 

「えっ!? パ、パールさん!?」

「私たちの道が再び交わるか否か。それは神のみぞ知ることだけど……、これだけは言わせてちょうだい」

 

 突然の出来事に驚いて固まるアタシを他所に、至近距離でアタシの眼を覗き込みながら、パールさんは不敵に笑う。

 そして軽い抱擁を解いて、パールさんが大仰に両手を広げる。

 

「無限の可能性よ! 私達の未来に、大いなる輝きをっ!」

 

 そしてそのまま呆気に取られるアタシに向かって、ウィンクを一つして背中を向けると、背中越しに手を振りながら颯爽と歩み去ってしまう。

 

「サンキュー、メジロドーベル。いつかまた、シーユーアゲイン……」

「パールさん……」

 

 悠々と立ち去って行く背中を見送る。

 普段は突飛な言動ばかりが目につく彼女も、其の実他人に対する面倒見の良さは誰もが認める所だ。よく悩みを抱える人の前に現れては、あれこれと世話を焼いている姿を見かける。

 意表を突かれはしたものの、今回の事だってきっとアタシを気遣っての行動だろう。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 遠ざかる背中に向けて小さく、しかししっかりと頭を下げる。

 だって本当は彼女だって悔しい筈だ。あとほんの少し。あとほんの数秒先頭だったなら、勝っていたのは彼女の方だったのに。ほんの少しの差で勝利を逃した。それは悔しい筈だ。

 でもそんな事の直後でだって、彼女はアタシの事を気遣ってくれた。

 純粋に健闘を讃える意味もあっただろうけど、半年前までまともにレースを走れなかったアタシが、この大舞台で本当に何の問題もなく走りきれたのかどうか。それを確認しにきてくれたという側面もあるのではないかと、普段の面倒見の良い彼女を見ているとそう思うのだ。

 

「メジロドーベル」

「……え?」

 

 下げていた頭を上げてパールさんの背中を見送っていると、不意に背後から声をかけられる。振り返ると、栗毛の髪をツインテールにしたウマ娘が、アタシを睨むように立っている。3着に入ったリボンマーチだ。

 リボンマーチはその大きな琥珀色の瞳に、強い意志の光を湛えながらアタシを見ている。

 

「……次は、負けないから」

 

 そしてそれだけ言うと、サッと踵を返して足早に去って行ってしまう。

 リボンマーチとアタシとの着差は1バ身半。何かあればすぐに覆せるであろう差だ。そこまで詰め寄られているのだ。警戒するべき相手はパールさんだけではない。

 

「……次も、アタシが勝つから」

 

 遠ざかる背に向けて宣言する。もしかしたら聞こえていないかもしれないけれど、それでもこれはアタシにとって必要な事だった。

 次も勝つ。そう言葉にする事で、アタシの中に負けたくないという、確固とした気持ちが湧き上がってくるのを感じる。

 思えばタイキやブライト、パールさんといった友人同士ではない、実際のレースにおいて、同じ路線で鎬を削る者同士という意味では、初めてのライバルと言える存在なのではないだろうか。そう思うと今のなんて事のないやり取りでも、なんだか少し嬉しく感じてしまう。

 そしてだからこそ、負けられない。

 アタシは再度決意を固め、トレーナーと合流すべくウィナーズサークルへと足を向けた。

 

 

 

 

「改めて、1着おめでとう。力強い走りだった」

「……言ったでしょ。今日は結果を出したいって」

 

 インタビューを終えて控室に帰ってから、俺は改めてドーベルへと声をかける。既にライブ衣装への着替えも済ませて、後は出番が来るまで待っているだけだ。

 

「……トレーナー。アタシ、コレできっと……勝負できるよね」

 

 上目遣いにこちらを見やって、不安気な様子でドーベルが問う。何が、とは言わない。言わずとも、お互い何の事かはしっかりと共有できている。

 俺はその問いに一つ頷いてから返した。

 

「今日の調子なら、意外と本当にトリプルティアラだって達成できるんじゃないか」

「当たり前でしょ。ブライトと誓ったの。絶対に勝たないと……! ……だから、その……」

 

 一度小さく鼻を鳴らして意気込んでいたドーベルが、不意に口籠ると視線を左右へと彷徨わせる。それを何事かと見守っていると、やがて上目遣いにこちらを見遣って、遠慮がちに口を開く。

 

「また、明日からも……よろしく……」

 

 それだけ言うと、プイとそっぽを向いてしまう。改めて面と向かって言うのは恥ずかしかったのか、頬には微かに赤みが差している。

 それでもこちらの顔色を窺うように、チラチラと視線を動かす彼女の様子を微笑ましく思いつつも、それがバレて機嫌を損ねてしまわないように、表には出さないよう努めて応える。

 

「ああ、勿論。これからもよろしくな」

「……うん」

 

 俺の差し出した手をドーベルがそっと柔らかく、しかししっかりと握り返す。これは謂わば、これからも共に進んでいこうという意思確認のようなものだが、改めてこうして行動に移してみると、なるほど確かに気恥ずかしいものがある。なんとなく目が合って、恥ずかしさを誤魔化すようにどちらともなく笑う。

 そうしてドーベルと共に2人で決意を新たにしていると、控えめにノックの音が鳴り響いた。またライアン達が応援に来ていたのだろうか。それにしてはレース前には見かけなかったが。一度ドーベルと顔を見合わせてから、来客へと対応するべく扉を開ける。

 

「はい、どちら様で……」

 

 そうして扉の先にいた人物を見て、俺は思わず動きを止めた。

 

「お久しぶり。元気にしてたようで、何よりだわ」

「久下トレーナー!?」

「あら、私はもうトレーナーじゃないわよ。バッジも返上してしまったし」

「ああ、そうか……。いや、そういう事じゃ……」

 

 突然の事に狼狽えている俺を他所に、久下トレーナーは部屋の中へと踏み入ってドーベルへと向き直る。

 

「久しぶりね、ベルちゃん。G1勝利おめでとう。貴女ならやれると思ってたわ」

「……トレーナー」

 

 久下トレーナーの顔を見た瞬間から固まっていたドーベルは、声をかけられた事で我に返るとゆっくりとした動作で立ち上がり、どこかフラフラとした足取りで久下トレーナーの下へと近づいていく。

 そうして目の前まで歩いて行くと、両手を伸ばして久下トレーナーに抱きついて、その胸へと顔を埋める。久下トレーナーは苦笑を浮かべながらドーベルを抱き留めると、その背中を優しく摩ってやった。

 

「あらあら、ベルちゃんったら。今日は随分と甘えたがりねぇ」

「だって……」

 

 きゅっと、久下トレーナーの背中に回された腕に僅かに力が入る。そんな彼女の髪を梳くように撫でながら、久下トレーナーは視線を上げて俺を見た。

 

「関原さんも、おめでとう。最後の教え子2人がこんなに優秀で、私も鼻が高いわ」

「……いや、俺は」

 

 久下トレーナーのその言葉に、俺は素直に頷く事ができなかった。

 ドーベルが優秀だと言うのは疑いようがない。ここまで無傷の4連勝で、ジュニア級GⅠを勝つまでに至った。来年のティアラ路線は、間違いなくドーベルを中心にして回っていく事になるだろう。

 

 それに比べて俺はどうだろうか。

 

 ドーベルのこの戦績は偏に彼女の才能と、それを幼少期から伸ばし続けたメジロ家の教育が実を結んだ結果である。そしてその才能を最初に見出し、ここまで磨き上げたのは久下トレーナーだ。

 俺はたまたまそこに居合わせ、状況に流されるままに着いてきたにすぎない。

 

「……俺は、何もしてません。全部ドーベルと久下トレーナーのおかげです」

 

 そうだ。ここまでの軌跡において、そもそも俺の功績などどこにも存在していない。俺はただひたすらに、他人からもたらされる栄光を享受していたにすぎない。俺はこの人の賞賛を受けられるような事は、何もしていない。

 

「関原さん」

「……っ。はい、なんでしょう」

 

 不意にかけられた真剣な声色に、無意識のうちに俯いていた顔を上げるといつもの優しげな目とは違う、鋭い視線を向けてくる久下トレーナーと目が合った。

 

「貴方自身がどう思っていようとも、ベルちゃんがこうしてレースに出られるようになったのは、間違いなく貴方のおかげです。そして、それは私にはできなかった事です」

 

 先程の俺の思考を幾許か読み取ったのか、久下トレーナーは真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。その有無を言わさぬような視線に、俺は喉まで出かかっていた反論を飲み込んだ。

 

「それにこの半年間、ベルちゃんのトレーニングの面倒を見ていたのも、レース計画を立てていたのも貴方でしょう」

「それは、そうですけど……」

「前から思っていましたけど、貴方はもう少し自分に自信を持つべきです。貴方が思っている以上に、貴方のしてきた事はちゃんと誰かの為になっているんですから」

 

 そう言ってドーベルの抱擁を解いた久下トレーナーは、俺の前まで来ると真っ直ぐに俺の目を見ながら手を取った。

 

「もう一度言うわ、関原さん。貴方は、私の自慢の教え子よ」

「……っ」

 

 ……そう、なのだろうか。俺は本当にこの人の期待に、恩に、報いる事ができているのだろうか。

 そんな考えが頭を過ったが、それも一瞬のことで。

 柔らかく微笑を浮かべる久下トレーナーの真っ直ぐなその眼差しは、それが嘘や気休めなどではなく、本心からの言葉であると俺に知らしめるのに十分で。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 俺はようやく、この人の賛辞を素直に受け取る事ができた。

 

「……さてと、お祝いはこの辺りにして」

「……うん?」

 

 と、唐突に久下トレーナーの纏う空気が穏やかな雰囲気から、どこか圧を感じさせる物へと変わる。おや、と思う間に俺の手を握る手に力が篭っていく。それほど強いという訳ではないが、まるで俺を逃がさないようにしているかのようだ。笑顔のままなのが、今は逆に怖い。

 

「関原さん。貴方、無茶をしてベルちゃんを泣かせたそうね?」

「え、なんで……!?」

 

 知っているのか、なんて。そんなの、理由は一つしかなくて。

 久下トレーナーの肩越しに視線を向けると、俺に向かって小さく舌を突き出した彼女と目が合った。

 

「ドーベル、お前っ」

「今は私が話をしています」

「いや、待っ……! あれは違くて……!」

 

 当然、俺の下手な言い訳なんて通るはずもなく。

 結局、俺への説教はライブの始まるギリギリまで続けられた。

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