ターフより愛を込めて   作:雪卯鷺

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 俺がまだ中央のトレーナースクールに通っていた頃の話だ。

 その頃、俺には親友がいた。神崎という名のその男は、俺がスクールに入ってから初めて友人になった男だった。レースの世界に入ったばかりで右も左もわからない俺に、何かと世話を焼いてくれたのが始まりだったか。

 

『俺は絶対に中央のトレーナーになって、三冠ウマ娘を育ててみせる』

 

 それがアイツの口癖だった。

 俺もアイツならば、いつか必ず成し遂げるだろうと、そう思っていた。

 

 あれはスクールの卒業を間近に控えたある日。地方のトレセンに最後の実習の為に訪れていた時の事だ。実習期間も終わって、明後日にはいよいよ中央に帰るっていう日の夜。俺がホテルの自室で帰りの荷物をまとめていた時、ノックもそこそこにアイツが部屋に入ってきた。

 

『なんだ、もう荷物を纏めているのか? 帰りの便は明後日だぞ。もう中央が恋しくなったのか?』

 

 そう言って笑いながら、アイツは俺の肩を叩いた。

 俺はそんなんじゃない、明日になって慌てたくないだけだと言ったが、アイツは分かっているのかいないのか、ただ笑うばかりだった。

 

『なんでも、向こうで既に担当契約の予約が入ってるらしいじゃないか。まだ試験を受けてすらいないのに、羨ましいかぎりだよ』

 

 神崎の言う通り、俺は研修の時に一度トレーニングを見たあるウマ娘から、試験に合格したら是非自分を担当して欲しいと頼まれていた。丁度、俺がトレーナーになるのと同じ年に、デビューできるだろうって話だった。彼女とは不思議とウマが合ってな、俺も彼女を担当したいと思っていたから、ありがたい申し出だった。

 それに後から知った事ではあるが、どうやらそのウマ娘はその世代では、そこそこ注目されていたようでな。クラシック出走は確実、もしかしたら何処かの冠を獲るのも夢じゃない、と言われていたらしい。神崎のヤツも、出来れば自分が担当したかったなんて言っていたっけな。

 しかしあんまり揶揄われるのも癪なもんで、さっさと話題を変えようと、俺も神崎に中央へ戻ったら施設に報告へ行くのかと聞いてやったのさ。

 ああ、神崎は養護施設の出身でな。親の事は、よく覚えていないらしい。それでも、自分を捨てた親を見返してやる為に、なんとしてでも成功して名を上げるんだって言っていたっけか。

 

『いいや。俺は施設には行かん』

 

 それが神崎の答えだった。施設の所長には随分と良くして貰ったから、その恩返しに古くなった設備やらなんやらを取り替えてやるんだと。その為の資金が貯まるまでは、施設には顔を出さないようにすると言っていた。

 

『でも、俺の目標はそれだけじゃないぜ。俺はいずれ、自分のチームを作り上げて海外へと挑む。三冠トレーナーは、その為の足掛かりだ。その為なら、どんな手段だってとるさ』

 

 そう言った神崎の目は今までに見た事もないような鋭さで、俺は一瞬、目の前のコイツは本当に俺の知る神崎なのかと思った。だがそれもほんの一瞬で、次の瞬間にはアイツはまたいつも通りの人の良さそうな笑みを浮かべていた。

 

『さてと、今はそんな話はいいさ。パーッと酒でも飲みに行こうぜ』

 

 笑ってそう言うアイツを見て、俺は今のはきっとただの見間違いだったんだと思った。あの時、ほんの少しでも疑っていたら、この後の結果も、もっと違った物になっていたかもしれない。

 ともかく、神崎にそう誘われて、俺はアイツと二人で夜の街へと繰り出した。それから2、3軒周ったかな。俺はすっかり酔い潰れちまって、まともに歩けもしない状態だった。

 店のカウンターに突っ伏して寝ていた俺の肩を、神崎が揺らした。

 

『関原、これにサインしろ。外泊証明の書類だから』

 

 そう言って突き出された書類の文面を、俺は碌に読みもせずにサインをした。なんでもいいからさっさと終わらせて、眠りたかったのさ。

 

『あばよ、関原』

 

 意識の落ちる前。最後に、そんな神崎の声を聞いた気がした。

 

 その次の日の朝の事だ。俺が乱暴に肩を揺すられて目を覚ますと、そこは知らないホテルの一室だった。大方、途中で酔って寝た俺を、神崎が適当に運び込んだんだと思った。だが、俺を起こしたのは神崎じゃなかった。

 

『目が覚めたのなら、服を着替えて我々に着いてきてもらおう。君はもう、我々と契約したのだから』

 

 高圧的にそう言い放ったのは、いかにも高そうなスーツを着た初老の男だった。男の側には大柄で屈強な男が二人、脇を固めるように立っていた。

 この男達が誰かもそうだが、そもそも契約というのが何の話だかわからず、俺はソイツに聞いてみたんだ。

 

『君は関原一輝だな?』

 

 そう聞かれたから、俺はそうだと答えた。中央のトレーナースクールの生徒だってのも付け加えてな。そうすると、スーツの男は鼻を一つ鳴らして言ったんだ。

 

『君は本日の午前0時を持って中央トレーナースクールを中退し、我々NAUの指導教員として登録された。これからの進退に関しては、我々に従ってもらう』

 

 俺は自分の耳を疑った。そして、俺がこの状況なら、一緒にいた神崎も同じ状況になっているんじゃないかと、そう思った。神崎を探しに行こうと立ち上がった俺を、横に立っていた二人のうちの片方が取り押さえにかかって来た。

 俺はそんな契約なんて知らないと言ったが、男が一枚の書類を俺に手渡してきたんだ。そこにはスクールを中退し、NAUへの登録を了承する旨が書き込まれていた。署名欄には、俺のサインがあった。

 俺はその紙に心当たりがあった。昨夜俺がサインした、外泊許可証だと聞かされていた紙だ。

 

『その為なら、どんな手段だってとるさ』

『関原、これにサインしろ』

 

 頭の中で、神崎の言葉が響いていた。俺は、ヤツに嵌められたんだ。何故、どうして。そんな俺の疑問に答えられる筈の男は、その場にはいなかった。

 結局、その場ではどうする事もできず、俺はNAU所属の指導教員になった。指定されたトレセンへと赴き、トレーナーの付いていないウマ娘に、基本的な指導だけをただひたすら繰り返した。

 そうして仕事を続ける傍らで、俺はトレーナー試験の勉強も並行して続けていた。向こうの就業規則で、中央の試験を受けられるようになるまでに、何年かは向こうで勤めてなきゃいけないらしくてな。それまでに、確実に受かれるようにしておきたかったのさ。

 そうだ。俺はこんな所で終わるつもりなんて、更々なかった。いつか必ず中央に戻ってやる。そう固く誓って、辛い日々にも耐え続けてきたんだ。

 

 

 ◆

 

 

「そうして俺は、トレーナー試験に無事合格して、晴れて中央に戻って来たのさ」

「まさか、そのような事が……」

 

 年の瀬のある日の事。俺は年末のパーティー兼、トレーナー同士の顔合わせの為にメジロの本邸へと訪れていた。ドーベルに呼ばれてトレーナー寮の前に出た瞬間、目の前にリムジンが停まっていた時の衝撃は、暫く忘れられそうにない。

 とにかく食事も終わり、ひと時の団欒の時間。十人以上は座れるだろう大きさのテーブルの、その俺の対面の席に座るウマ娘の口元に当てられた手の隙間から、小さく震えた声が上がる。

 美しい少女だった。透き通った白磁の肌に、口元に添えられた手指はさながら白魚のよう。今は驚愕に見開かれた紫の瞳はまるで宝石の如く輝いて、背中にまで届く艶やかな淡藤色の髪には照明の灯りが反射して、天使の輪が浮かび上がっている。その頭の上、俺の話を聞き漏らさぬようぴんと立った形の良い耳は、先の方だけ薄っすらと黒色に染まっていた。髪色と同じ毛色の尻尾は、その興奮を表すようにパタパタと勢いよく左右に振られている。

 パゴダスリーブのブラウスの上から、青緑色のノンスリーブのハイウェストワンピースを着こなすその姿は、右耳につけられたエメラルドグリーンのリボンと合わさって、まさしく深窓の令嬢と言った具合だった。

 

「それで、その担当の約束をされていたという方とは、どうなったのですか?」

「一応、どこかのチームに入る事になったらしい。……が、結局あまり結果は出せなかったようだな。俺が戻ってきた頃には、既に引退していたよ」

「そんな……」

 

 俺の言葉に、少女は悲しげに目を伏せる。激しく揺られていた尻尾も、勢いを失ってシュンと萎れる。しかしすぐに顔を上げ、キッと眦を吊り上げた鋭い視線で虚空を睨む。

 

「自らの見出したトレーナーとトゥインクル・シリーズに挑む事も叶わず、結果を残す事も出来ず、さぞかし無念だった事でしょう……。それもこれも、神崎というトレーナーのせい。なんて卑劣な男でしょうか」

 

 拳をギュッと握りしめ、怒りを露わに呪詛を吐く。今目の前に件の神崎トレーナーがいれば、掴みかかっていただろう。

 

「しかし、私もトレセン学園に籍を置いて暫く経ちますが、神崎というトレーナーにはお会いした事がありませんわ。一体、どこに行ってしまわれたのでしょうか……」

 

 そんな彼女は、顎に手を当てて何事か考え込んでいる。視線を落として考えに没頭していた彼女は、ふと何事かを感じとったのか、顔を上げて周囲を見回す。

 そして自分を見つめる複数の視線に気がついた。

 

「な、なんですの、貴女達。そんな何とも言えない顔で、私の事を見て……」

 

 少し狼狽えた様にそう言った後、俺の右隣に助けを求めるような視線を送る。そこには、俺の担当ウマ娘であるメジロドーベルが座っていた。

 白いオープンショルダーのシャツワンピースのウエストをベルトで留めて、下には黒いレギンスを着用した、ラフな装いながら楚々とした雰囲気を感じる服装である。

 そんな彼女はティーカップを片手に、俺の話の事など我関せずとばかりに寛いでいた。どうにも少女は、それが気に入らなかったのだろう。ドーベルに向けた視線が鋭さを増す。

 

「そもそもドーベル。これは貴女のトレーナーに関する事でしょう。貴女ももっと、真剣に考えて差し上げなさいな」

「……いや、あの。マックイーン?」

「なんですか。自身のトレーナーの苦境に、担当ウマ娘として真摯に向き合い、解決に協力すべき。私のこの考えに、何か不満でも?」

 

 マックイーンと呼ばれた少女——メジロマックイーンは腕組みをして、ドーベルに向かってフンと鼻を鳴らした。俺の話を聞いて、俺の置かれた状況に憤り、それに本気で向き合ってくれているのだろう。心根の優しい少女なのだ。

 しかし、そうして水を向けられたドーベルは、どこか呆れを含んだ視線でマックイーンの事を見ている。そしてそれは、俺達の周りにいる他のウマ娘達も概ね同じであった。

 それはなぜならば、

 

「どう考えたって、嘘に決まってるじゃない」

「えっ」

 

 ドーベルの言葉に、キョトンとした表情をするマックイーン。俺達の周りで、そのやり取りを見ていた他のウマ娘達が後に続く。

 

「まあ、書類一枚にサインしただけで、学校中退から別組織との契約まで全部は、流石に無理があるかなぁって」

 

 苦笑しながらそう言ったのはショートカットのウマ娘、メジロライアンだ。裾にカットの入った紫色のグラデーションカラーのトップスに、同系色のレイヤード。下はカプリパンツという出立ちで、普段の活発な印象とは違い、シックで大人びた印象を受ける。

 

「その翌日すぐに、わざわざ人を使ってまで連れて行こうとするのも、まあ結構無茶だよね。その書類にどれだけの拘束力があるかは、わかんないけどさ」

 

 ライアンに続いたのは、緩くウェーブのかかった鹿毛の髪をポニーテールに結ったウマ娘だ。グリーンのボウタイのブラウス、グレーのチェック柄のハイウエストパンツと、シンプルにまとまった服装の少女で、タレ目がちなブルーの瞳を楽しげに細めている。

 彼女の名前はメジロパーマー。史上五人目となる、春秋グランプリ制覇を成し遂げたウマ娘だ。

 

「そもそもトレーナー試験に受かるかどうかは個人の実力であって、他者の介在する余地はありません。関原さん一人を他所に追いやったとして、それに何か意味があるのでしょうか」

 

 顎に手を当てて思案顔でそう言うのは、綺麗な水色の長髪が特徴的なウマ娘だ。白いヴィクトリアブラウスに、紅碧色をした花柄のフィッシュテールスカートの下にグレーのストッキングという服装の彼女は、メジロアルダン。生まれながらに病弱で、『ガラスのように繊細な脚』と言われ、実際に幾度かの休養を挟みながらもトゥインクル・シリーズを走り抜いた、清楚な見た目の内に強い意志を秘めたウマ娘だ。

 因みにどう見ても芦毛であろう髪色も、本人の申告では黒鹿毛である。まあその辺り、どう考えても自然な発色ではない髪色をしたウマ娘も多数いる事を考えると、あまり深く気にしてもしょうがない気はするが。ウマ娘には未だ謎が多い。

 

「だいたい、研修中に問題が起きたのなら、学園の方に連絡して事情を説明すれば良いじゃない。碌に連絡も取れないような田舎でもないだろうし」

 

 そう言って、ドーベルがテーブルに並んだ菓子に手を伸ばす。俺が見ても、おそらくは良いものなんだろうなという事しかわからない。味は美味かったが、普段食べてる安物との違いはおそらく理解できていない。

 さて、そうして周りから俺の話の中の整合性の取れない粗を指摘されたマックイーンはというと、ポカンとした顔で順々に他の娘達の顔に視線を巡らせていたが、それがとうとう俺の方へと向いた。俺はそれにどう返したものか考えて、とりあえず親指を立てておく。その行動の意味が飲み込めたのか、マックイーンの表情に徐々に怒りの色が滲んでいく。

 

「……騙しましたのね!」

「いや、ごめん。ごめんて」

 

 マックイーンからの抗議に、俺は両手を合わせてただ謝るしかできない。余りにも純粋に聞き入ってくれるものだから、つい興が乗ってしまったのだ。

 しかし、こんなあからさまな作り話をあっさりと信じてしまう辺り、少々この少女の将来を案じないではない。詐欺とかに引っ掛からなければいいが。

 

「でも、とても面白いお話でしたわ〜。わたくし、ついつい夢中になってしまいましたもの〜」

 

 そんななんとものんびりとした声をあげたのは、ライアンの隣でユラユラとご機嫌そうに体を揺らしていたブライトだ。襟元にフリルのふんだんにあしらわれたライムグリーンのワンピースを着た彼女は、胸の前で指先を合わせて、キラキラとした目をマックイーンに向ける。

 

「マックイーンさまも、そう思いませんこと?」

「……ええ、まあ。確かに、思わず聴き入ってしまうほどには」

「お気に召したのであれば良かったよ」

 

 ブライトの問いかけに気勢を削がれたか、マックイーンは乗り出していた体を椅子の上へと収める。そして俺の事を横目でチラリと見て、小さく溜息を一つ吐いた。それから一度目を閉じて、気を落ち着かせる為か紅茶を一口含んでから、今度は何やら期待に満ちた瞳で俺を見る。

 

「それで、次はどんなお話を聞かせてくださいますの?」

「ええ……?」

 

 まさかのおかわりである。その顔は、俺が今から何かしらの物語を綴る事に、なんの疑いも抱いていないようであった。

 

「流石に俺も、そう引き出しがある訳じゃないからなぁ。何かリクエストがあれば、頑張って考えてみるけど」

「……自分で言っておいてなんですけれど、別に無理はなさらなくても宜しいですわよ?」

「そうか? まあ言うだけならタダだ。何かないか?」

 

 そこまで本気でもなかったのか、マックイーンはあっさりと引き下がった。それでも俺は、少しくらいは聞いてやってもいいかという気持ちになっていた。確かに結構な無茶振りではある気がするが、頼まれれば多少は応えてやろうかという気にさせる。マックイーンにはそんな、人を惹きつけるような、そういう不思議な魅力のようなものを感じる。

 上流階級としての気品や優雅さに、中等部らしい純粋さと好奇心。そしてメジロ家としての矜持と、そこから生じる義務感のそれら全てを併せ持つ。メジロマックイーンは、そんな独特な空気感を持ったウマ娘だった。

 

「でも、少し憧れますよね。たとえ一度は離れても、お互いに昔の約束を忘れずに、それを果たす為に再会する、みたいなの」

「あー、少女漫画とかだと割と鉄板だよね」

「相手が初恋の人とかだと、よりそれっぽくなるよね」

 

 ライアンとパーマーが何やら二人で盛り上がり始めた。二人とも女学生らしく、少女漫画がお気に入りらしい。……俺の今話した内容だと、再会までいかなさそうなのは良いのだろうか。

 しかし初恋、初恋か……。昔の事を思い出して少し苦々しい気持ちになる。

 

「……そんなに良いものでもないよ」

 

 ポツリと、そんな言葉が口を衝いて出る。その途端、少女達の首がグルリと回り、6対の瞳が一斉に俺へと向けられる。その迫力に、思わず「うおっ」と小さく声が漏れる。

 

「……そういえば関原さんは、初恋は経験されていますか?」

「まあ……。流石にこの歳だし、そりゃあ……」

 

 ライアンの問いにそう応えれば、俺の周囲を囲む少女達がズイと前のめりに俺へと迫る。その目はさながら獲物を狙う猛獣のような、爛々とした光を放っている。

 

「ヒエ」

「すいません。その話もう少し詳しく」

 

 机の上へと体半分乗り出して、ライアンが詰める。思わず椅子を引いて立ち上がろうとした俺の左肩を、逃がさないとばかりにパーマーがガシリと掴んだ。にこやかに笑みを浮かべているが、その視線は未だ鋭く研ぎ澄まされている。

 

「アッ」

「まあまあ、落ち着いて。ちょっとお話し聞きたいだけだから」

 

 逃げる手段を失った俺は、助けを求めるべくドーベルへと振り返る。ドーベルはまるで興味がないかのようにカップを傾けているが、しかしその耳はしっかりとこちらに向けられていた。

 女学生達の恋愛事についての興味関心を甘く見ていた。逃げられないと悟った俺は、観念して一つ溜息を吐いた。

 

「……で、何が聞きたい?」

 

 

 ◆

 

 

「ああ、酷い目に遭った」

 

 過去のあれこれを根掘り葉掘りと聞き出され、ようやく少女達から解放された俺は、椅子に深く腰掛けて一つ大きく息を吐いた。なんだって女子ってのは、他人の恋愛話があんなにも好きなのか。

 

「やあ。災難だったね」

 

 背後からそんな声がかかる。首を後ろに逸らすように背もたれ越しに見てみれば、逆さまになった視界の中、一人の男性が俺を見下ろしている。

 柔和そうな笑みを浮かべた、眼鏡をかけた線の細い男性。そう、確かこの人は、

 

「今川トレーナー、でしたか」

「そうそう。覚えてくれてたんだね」

 

 今川賢吾(いまかわけんご)。メジロライアンのトレーナーである。今川トレーナーは俺の隣の席に腰を下ろすと、目の前のポットからお茶をカップへと注ぎ、そのまま一口含んでからニコリと俺に微笑みかけた。

 

「随分と詰められていたね。あの娘達、意外とああいう話が好きだからね」

「貴方の担当なんですから、止めてくれても良かったのでは?」

「担当がせっかく楽しそうなのに、止める必要があるかい?」

 

 抗議の意味も込めてジッと睨みつけるも、今川トレーナーはどこ吹く風で優雅にカップを傾けている。

 ……なるほど。どうやらこの人は、人の好さそうな見た目に反して随分と()()性格をしているようだ。

 

「お、居たな」

 

 そこへ新たにかけられた声に振り返る前に、背後から肩へと腕を回される。

 

「なかなか良い語りだったよ。ウチのマックイーンも、楽しんでいたみたいで良かった」

「……それは恐縮です、桜庭トレーナー」

 

 メジロマックイーンの担当である桜庭透(さくらばとおる)トレーナーが、その端正な顔にニコニコと笑みを浮かべながら、今川トレーナーとは逆側の席に腰を下ろす。そして体ごと俺に向き直ると、テーブルに片肘をついて足を組む。

 なんとも行儀の悪い行動ではあるが、それが様になっているあたり、顔の良い人間は得である。

 

「しかし悪かったね。担当達の相手を、君一人に押し付けてしまって」

「いえ。なんだかんだで俺も楽しかったですから」

 

 桜庭トレーナーの言葉に、首を振って答える。確かにあれこれと質問責めに合うのは少しは疲れたものの、別に聞かれて困るような過去でもない。

 そう思っての返答だったのだが、桜庭トレーナーはなんとも意外そうに片眉を上げた。

 

「あれだけの目に遭ってそれとは。君、意外と大物かもね」

「いやいや、そんな大げさな。あれはちょっと、子供達の好奇心に振り回されただけで」

「一人、二人ならともかく、あの人数はそれなりに大変な事だと思うけどねぇ。まあ、君がそう言うならいいか」

 

 桜庭トレーナーはそう言って笑いながらスマホを取り出すと、何か操作をして画面がこちらに見えるようにして差し出してきた。見てみれば、何やらQRコードが表示されている。

 

「俺のLANEのアカウントだよ。今日一日マックイーンに付き合ってくれた礼に、今後何かあれば相談に乗ろう」

「そういう事なら、僕のも教えておこうか」

 

 反対側から今川トレーナーの手が伸びてきて、目の前にスマホが置かれる。その画面には桜庭トレーナーの物と同じように、QRコードが表示されている。

 正直に言えば先輩トレーナー、それも名家であるメジロ家のウマ娘を担当して、既に結果を残している優秀なトレーナーの連絡先を知れるのは俺としてもありがたい。が、それはそれとして。

 

「良いんですか?多分、色々とご迷惑をかける事もあるかと思いますけど」

「後輩っていうのは、先輩に迷惑かけて成長するものさ。それに君も、同じメジロのトレーナーだ。遠慮することなんてないさ」

 

 そういう事なら、とスマホを取り出してQRコードをスキャンし、新たに二つの連絡先が登録された画面を見る。二人してアイコンが担当の写真なのは何というか、二人共に担当の事が好きすぎる。

 しかしまあ、わからなくもない。どちらも初めての担当ウマ娘で、それがあれだけの結果を残しているのだ。それは存分に脳を焼かれている事だろう。

 ふと、俺もドーベルの写真をアイコンにしてみようか、なんて考えていると、脳内に現れたドーベルが『恥ずかしいからやめて』と渋い顔で言って消えていった。というか、そもそもドーベルの写真なんて持っていないな、という事を思い出したので、仕方ないから断念する。そのうち撮ろう。

 そんなどうでもいい事を考えていると、手元のスマホからピロンと通知音が鳴る。見ればLANEグループへの招待が来ている。どうやらメジロ家の担当トレーナー達のグループのようだ。

 

「俺の方からグループの招待も飛ばしておいたから、良ければ入っておいてくれよ」

 

 画面が見えるようにスマホを顔の横へ掲げて、桜庭トレーナーが笑う。錚々たるメンバーに流石に気が引けたが、その中に同じく新人であるブライトのトレーナー、粂野桂祐(くめのけいすけ)の名前を見つける。

 彼がいるのなら、俺が遠慮する必要も特にないだろう。俺はその通知の入会確認のボタンをタップした。

 

「それじゃあ、何か困った事があったら相談させてもらいますね」

「ああ、どんどん相談してくれ」

「ええ。もう勘弁してくれって言うまでします」

「そこはもうちょっと加減してくれんか」

 

 そんな軽口を言い合って笑う。桜庭トレーナーは「これで用事は済んだから」と、俺の肩を軽く叩いてから去って行った。今川トレーナーも、呼びに来たライアンと共に客間を後にしている。彼らは本日はここに泊まって帰るらしい。メジロの本邸に客室を用意されている、という事も驚きだが、二人共それをごく当たり前のように受け入れている様子なのも驚きだ。あの慣れた様子を見るに、既に何度も利用しているのだろう。流石はメジロ家の担当トレーナーと言ったところか。

 因みに、俺は当然日帰りである。おそらくは連れてこられた時と同じように、運転手付きの高級車で寮の前まで送迎されるのだろう。バリバリの庶民である俺は、それだけの事でも恐縮する事しきりなのだが、二人の肝の太さには心底驚かされる。俺もドーベルの担当を続けていれば、そのうち慣れる時がくるのだろうか。

 

「話は終わったの?」

 

 いつの間に居たのか、ドーベルが隣に並ぶ。ウマ娘同士での雑談も終わったらしい。気がつけばそれぞれのトレーナーの下へと戻って、連れ立って部屋を出ていく所だった。俺達も後は一言挨拶だけして帰るだけだ。

 

「俺達も行くか。……と、そうだ。ドーベル、ちょっとそこ立ってて」

「? いいけど、何するの?」

「まあまあ」

 

 不思議そうに首を傾げるドーベルを立たせておいて、スマホのカメラを起動する。構えていざ撮影となったところで、ふと思いついてドーベルの隣へと並ぶ。

 

「写真撮るの? ……えっ、何!? なんなの!?」

「まあまあまあ。まあまあまあまあ」

 

 狼狽えるドーベルを適当に宥めすかしつつ、インカメラに切り替える。そして斜め上に構えたところで、ふと思う。

 

———ちょっと絵面が弱いか?

 

 どうしたものかと考えたものの、この状態からできるアクションなどそうそう無く。迷った末に、とりあえずドーベルの細い肩を抱き寄せる。フワリと、微かに花のような香りがする。しかし香水のような科学的な香りではなく、もっと自然な感じの香りのような気がする。アロマか何かだろうか。

 

「……えっ!? えっ!?」

「ほら。カメラ見て、カメラ」

 

 突然の事に目を白黒させているドーベルの肩を軽く叩いて、スマホの方を指さして意識をカメラに向けさせる。

 正直なところ、現状で既に自分の中の冷静な部分が「俺は一体何をしているんだろう」と思っているが、ここまで来たら最後まで突き進むより他にない。……いや待て、本当にそうか?

 多少の疑問を挟みつつ、とりあえずシャッターを切る。画面の中には緊張に頬を赤く染め、ガチガチに固まったドーベルと、そんな彼女の肩を抱いて曖昧に笑みを浮かべる俺が写っている。あまりにも酷い出来栄えだが、とりあえず今はこれで良しとしておこう。……その内に絶対撮り直す。

 

「……もういいの?」

「ああ。急に悪かったな」

 

 スマホをポケットにしまって体を離すと、ドーベルはようやく肩の力を抜いて緊張を解いた。胸に手を当てて軽く深呼吸をしている姿を見て、その場の勢いで少しやりすぎたかと反省する。

 

「さて。あまり運転手さんを待たせるのも悪いし、もう行こうか」

「……そうだね。そうしようか」

 

 半目になって何か言いたげな視線を送ってきていたドーベルも、結局は何も言わずに俺の後に続いた。そうして再度、思わず腰が引けるような高級車に揺られ(と言っても揺れはほとんどなかった)、トレーナー寮へと帰って来た。ドーベルはそのまま寮の前まで送ってもらうそうで、その日はそこで別れる事になった。ドーベルの乗る車を見送って、それが角を曲がって見えなくなった所で、俺は大きく息を吐いた。

 なんとも精神的に疲れた一日だったように思う。主に高級車での送迎の部分。こういう時、自分はやっぱり庶民である事を実感する。だがこれから先も、彼女の担当を続ける限りはおそらくはこの問題はついて回る事になるだろう。なるべく早く慣れるようにしたいものだ。

 とにかく、今年一年はしっかりと結果を残す事ができた。来年はいよいよクラシック級、ティアラ路線へと挑む事になる。今まで以上に厳しい戦いになるだろう。俺もより一層気を引き締めて当たらなければと、そう強く自分に言い聞かせたのだった。

 

 後日、俺のLANEのアカウントのアイコンを見たドーベルから『恥ずかしいからやめて』と連絡が来た。とりあえず『やだ』と返しておいた。

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