ターフより愛を込めて   作:雪卯鷺

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お久しぶりです。
大丈夫です、生きてます。


04

 模擬レースの翌日、久下トレーナーの話を思い返して、自分は何をすべきだろうかと考えながらカフェテリアで昼食を摂っていると、前の席にサンドイッチと紅茶の乗ったトレーが置かれた。

 視線を上げると、そこにはドーベルが立ってこちらを見ている。

 

「……ここ、良い?」

 

 そう言いつつ、ドーベルはこちらの返事を聞く前に席に着く。

 呆気に取られて見ていると、ドーベルは少し不機嫌そうにこちらを見てくる。

 

「……何よ」

「……いや、珍しいなと思って」

 

 そう言うと、ドーベルは気まずそうに視線を逸らした。

 

「……今まで碌に話した事もないのに、いきなりすぎっていうのは自分でもわかってる。でも、アタシだって今のままだと良くないとは思ってるし……」

 

 ドーベルはそこで言葉を切ると、逸らしていた視線を戻して、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 

「このままだと、昨日の模擬レースの繰り返しになる。だから、これはメンタルトレーニング。アンタはサブトレーナーなんだから、ちゃんと手伝ってよ」

 

 そう言うと、ドーベルはまたそっぽを向いてしまう。俺はそんなドーベルを見て、「強い娘だな」と思った。こうやって自分の弱さと向き合うのは、思うよりも簡単ではない。大体の人間は、妥協して済ませてしまう。

 それをキチンと向き合って、その上乗り越えようというのはなかなかできる事ではない。

 

「勿論、俺に出来る事ならなんでも」

「……ありがとう」

 

 そう言うと、ドーベルは微かに笑みを浮かべる。その笑みがあまりに自然で、綺麗だったから、一瞬見惚れてしまう。

 ドーベルはそんな俺の様子を見て、不思議そうに首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「……俺、君の笑った顔、初めて見たかもしれない」

 

 それを素直に言うのが恥ずかしくて、そんな軽口で誤魔化してしまう。するとドーベルは、ムッとしたように口を尖らせる。

 

「そんな筈ないでしょ」

「少なくとも、俺に対してってのは初めてかなぁ」

 

 事実、俺の記憶の中のドーベルは、俺と話す時にはいつも眉間に皺が寄っていた。その時はまだドーベルの事情も知らなかったので、「気難しい娘だな」なんて思っていたものだ。

 

「それは、だって、急だったから……」

 

 今までの自分の行動を思い出してか、ドーベルは頬を染めてモゴモゴと何事かを口籠る。そんな様子を微笑ましく思いながら、俺は一つ気になっていた事を聞いてみることにした。

 

「なあ、ドーベル。何故、君はレースの世界に?」

「何、急に……」

「いや、気になったから。言いたくないなら良いんだ」

 

 ドーベルはチラとこちらを見遣った後、一つ息をついて語り始めた。

 

「別に、月並みだよ。メジロのウマ娘にとってレースは凄く身近にあるから、単純に憧れただけ」

 

 紅茶を一口飲んで、そのままカップに視線を落とす。白く繊細な指先が、カップの縁をつぅとなぞる。

 

「アタシだって、絶対、走って勝つ為に生まれてきたんだ、って。……ただ、そう決めただけ」

 

 ドーベルは淡々と、呟くように言葉を紡ぐ。しかしその目には、隠しきれない程の強い意志の光が宿っている。

 

「でも、勝つどころかまともにレースにも出られないなんて、そんなんじゃ話にもならないから。だから、アタシはとにかく強くならないといけないの。トレーナーはこんなアタシでも、支えるって言ってくれた。だからアタシも、早くトレーナーに勝利をあげたいの」

 

 そう言ってドーベルは、胸の前で硬く拳を握る。決して諦める事のないその不屈の精神は、レースに於いてこれ以上ない程の武器になるだろう。

 

「君なら、絶対に勝てるようになるよ」

 

 自然とそんな言葉が口を衝いて出た。すると、ドーベルは少しムッとしたような表情になる。

 

「……そんな、軽々しく言わないでよ」

 

 別にそんなつもりはないが、確かに取って付けたような言い方にも聞こえるだろうか。この辺りは単純に、共に過ごした時間の少なさから来る信頼の薄さが原因だと思われるので、地道に信頼関係を築いていくしかないだろう。

 

「本当にそう思ってるんだよ」

 

 そして、信じて貰う為にはとりあえず言葉を尽くして、行動で示すしかない。後からならどうとでも言える。今どう思っているのかを、しっかりと伝える事が重要なのだ。

 

「……そう」

 

 とりあえず今の所は納得してくれたのか、ドーベルは一言だけそう言うとカップを傾ける。

 

「ねぇ、食べ終わったら次の模擬レースの出走申し込みに付き合ってよ。そういうのも、サブトレーナーの仕事でしょ」

 

 言いながら、サンドイッチを口へと運ぶ。ドーベルはこちらへと歩み寄ろうとしてくれている。こちらとしても、ドーベルの事を知る良い機会だろう。

 

「あぁ、一緒に行くよ」

「ありがとう。……次こそ、みっともない所は見せないから」

 

 ドーベルは自身の無力さに苦しみながらも、勝利に向かって必死にもがいている。そんな彼女を支えてやりたい、力になりたいと、単純にそう思った。

 

 

 

 

 模擬レースの出走登録を済ませた後、ドーベルと別れてトレーナールームに戻ると、久下トレーナーがパソコンに向かっていた。

 

「お疲れ様です。トレーニングメニューの作成ですか?」

「あら、お帰りなさい。そうよ、次の模擬レースに向けてね」

 

 パソコンから顔を上げずに、久下トレーナーが答える。

 俺は紙コップを二つ取り出すと、コーヒーの粉末を入れてお湯を注ぐ。そして、片方にだけスティックシュガーとフレッシュを一つずつ入れると、久下トレーナーの前に置く。

 

「その模擬レースですけど、今さっき、ドーベルと一緒に出走登録してきましたよ」

「ありがとう。ベルちゃんと一緒に?」

「ええ。カフェテリアで一緒になりまして」

 

 それを聞くと、久下トレーナーは少し驚いたような顔をした。

 

「貴方達、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

「まあ、ちょっとしたメンタルトレーニングで……」

 

 そう言いつつ、パイプ椅子に腰掛ける。接合部がギシリと音を立てて軋み、クッションの潰れた座面から鉄板の硬さと冷たさを感じる。

 

「……ソファとか買いません?」

「……そうねぇ、私が仕事で使うだけの部屋だし、そういうのはあまり要らないと思っていたけど、ちょっと考えましょうか」

 

 久下トレーナーの方へと振り返りながら言う。久下トレーナーはパソコンから顔を上げると、少し考えてからそう返す。

 

「これからは貴方もいるし、その内、貴方の部屋になるかもしれないものね」

 

 その言葉に、飲んでいたコーヒーを置いて、体ごと久下トレーナーへと向き直る。

 

「……それ、どういう事ですか?」

「あら、ごめんなさい。そんなに深刻な話ではないの」

 

 俺の真剣な声を聞いて、久下トレーナーは慌てたように軽く手を振って答える。

 

「私が担当するのは、きっとベルちゃんが最後になるから。そうしたら、この部屋を貴方に引き継いでもらおうかと思って」

「……良いんですか? そんな事」

「貴方が自分の担当を持つ時に、どうせ部屋が必要になるでしょう? それなら、引き続きこの部屋を使えば良いわ。理事長には掛け合ってあげるわよ」

 

 悪戯っぽく笑いながら、久下トレーナーは作業に戻る。俺はというと、さっきの久下トレーナーの言葉が気になっていた。

 

「……担当、ドーベルが最後だって言いましたけど」

「……ええ。私も、もう随分とお婆ちゃんになってしまったもの」

 

 久下トレーナーはコーヒーを一口啜ると、どこか遠い目をする。その表情は穏やかながら、微かに寂しさを漂わせている。

 

「あの娘の素晴らしい未来を、私もずっと見守っていたいけれど……」

「その事、ドーベルには……?」

「ちゃんとスカウトの時に伝えてあるわ。退職目前のトレーナーに指導されるのが嫌な娘だって、いるかもしれないもの」

 

 冗談っぽく言って、笑う。その笑みもどこか力無く見えて、俺は膝の上の拳をグッと握る。まだ師事して一週間ほどしか経っていないが、居なくなってしまうのを惜しく思う程度には、俺はこの人の事を好いていた。

 

「私が貴方に教えてあげられる期間は、あんまり長くはないとは思うけど、それでも教えられる事はちゃんと全部教えてあげる。……だからほら、そんな顔をしないの」

「……どんな顔してるってんです」

「拗ねた子供みたいな顔をしてるわよ」

 

 そう言われてムッとした俺が少しきつめの視線を向けると、久下トレーナーは困ったように眉尻を下げる。

 

「そんな目で見ないでちょうだい。別にわざと貴方に伝えなかったわけじゃないのよ」

「……それは、わかってますけど」

 

「ドーベルには伝えてあるのに」という言葉は、コーヒーと一緒に飲み込んだ。そんな事を言いだすと、本当に子供みたいだからだ。

 飲み干した紙コップを握り潰して、立ち上がる。

 

「とりあえず、ドーベルがトゥインクルシリーズを引退するまでは、指導していただけると思って良いんですね」

「ええ、そうね。それは約束するわ」

「じゃあ、それで良いです。次からはちゃんと伝えて下さいね」

 

 紙コップをゴミ箱に投げ入れて、パンッと手を打ち鳴らす。これでこの話は終わりだ。

 

「俺、ソファはアレが良いです。ベッドになるヤツ」

「寝る時はちゃんと寮に戻らないとダメよ」

「でもほら、仮眠とる時とか絶対便利ですよ」

 

 結局最後には久下トレーナーが折れて、ソファベッドを購入することになった。一応は設備投資ということで、経費で落とせるらしいものの、値段は安めの物を選んだ。そうして、日々は何事も無く過ぎて行く。

 ……筈だった。

 

 

 

 

 その日、久下トレーナーはトレーニングの時間になってもコースに表れなかった。朝のうちは晴れていた天気も、午後を過ぎてから次第に悪くなり、いつ降り始めてもおかしくない状態だった。 

 

「ドーベル、久下トレーナーを呼んできてくれないか。多分トレーナールームにいるだろう。俺はその間に準備をしておくから」

 

 そう言うと関原は、持って来ていたパイロンを等間隔に並べ始める。降り始める前にトレーニングを終わらせたいドーベルも、素直にトレーナールームへと向かう。

 

 放課後の校舎内は、外の天気も相まって少し薄暗い。人気の少ない廊下を、足早に進む。そしてトレーナールームの前に着くと、軽くノックをする。

 中からの返事はない。

 

「トレーナー、居ないの?」

 

 2度目のノックにも反応がなかった為、ドーベルはノブを捻ってみる。鍵はかかっておらず、ノブは素直に回った。そのまま扉を開いて中を覗いてみる。

 部屋の中は電気がついておらず、暗いままだった。すぐ横の壁のスイッチを探り当てて、電気をつける。

 久下トレーナーはすぐに見つかった。関原の要望で購入したというソファに腰掛けて俯いていた。

 最初は眠っているのだと思った。しかし近づくにつれて、ドーベルは徐々に違和感を覚える。

 

「……トレーナー、寝てるの?」

 

 声をかけるが、反応はない。肩に手を置いたところで、その呼吸がとても弱々しいのを確認する。

 

「トレーナー⁉︎」

 

 久下トレーナーの顔は青ざめていて、肩を揺すっても一向に目を覚ます気配はない。

 ドーベルは一気に頭の中が真っ白になった。

 

「誰か、誰か来て! トレーナーが……!」

 

 ドーベルの大声に隣の部屋の扉が開く音がして、慌ただしい足音が聞こえて来る。

 そこから先は、ドーベルは良く覚えていない。

 ただ、何人かのトレーナーやウマ娘達が部屋に入って来て、トレーナーの容体を見たり、何処かへ連絡したりしているのを呆然と見ている事しか出来なかった。

 

 

 

 

「……ドーベルも久下トレーナーも遅いな」

 

 ドーベルが久下トレーナーを呼びに行ってから、随分と時間が経ってしまっている。もう既に今日のトレーニングの準備は終わり、後は2人の到着を待つばかりである。

 

 ドーベルとはあのカフェテリアでの一件以来、良好な関係を築けていると思う。少なくとも、話しかける度に体を強ばらせたり、一歩身を引いたりする事は無くなったし、彼女の方から話しかけて来る事も増えてきた。久下トレーナーによるトレーニングメニューの添削も、この間ようやく及第点をもらって、後は細かい所を詰めていくだけである。

 

 しかしこうなると、久下トレーナーとの師弟対決が実現しないというのが実に惜しい。久下トレーナーには悪いが、ドーベルには少し長くシニア級で走ってもらって、その間に俺も担当を育て上げてぶつけるというのはどうだろうか。

 もしくは、予定よりも早く研修期間を打ち切って担当を持つ時期を早めるかだが、今の居心地の良い環境を手放すのは嫌なので、そちらは却下だ。

 

 何にしろ、今日のトレーニングを終わらせないことには始まらない。いよいよ俺も様子を見に行くかという所で、携帯端末へ着信が入る。相手は同僚のトレーナーの1人で、共用スペースの席が隣のため比較的良く話す相手だった。

 ただ番号の交換自体はしたものの、今まで一度も連絡を取った事が無く、そんな相手からの突然の連絡に俺は戸惑いを隠せない。

 

「もしもし?」

『関原! 今どこに居る⁉︎』

 

 電話口からの突然の大声に、俺は顔を顰めて端末を耳から離しスピーカー機能をオンにする。

 

『おい、聞こえてるか!』

「うるさいな、聞こえてるよ。今はトレーニングコースにいる」

 

 要件も言わずに一体何事かと思ったのも束の間、次に放たれた言葉に、俺の思考は完全に停止した。

 

『久下トレーナーが倒れた! さっき病院に搬送された!』

「……え?」

 

 ポツリと、雨が降り始めた。

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