毎日更新している人とか尊敬します。
私もなんとか更新頻度上げていきたいですね。
「幸い処置も早めにできましたから、命に別状はないと思います」
トレセン学園から程近い病院のその一室、ベッドに横になっている久下トレーナーを取り囲む様に、俺とドーベルは医師の話を聞いていた。久下トレーナーは既に意識を取り戻しているが、その前腕からは細長いチューブが伸びて、ベッド脇の点滴装置へと繋がっている。
久下トレーナーの診断結果は、急性心筋梗塞との事だった。
「しばらくは入院していただく事になりますが、すぐに退院できると思います。……ただ、年齢的にもトレーナー業の続行に関しては、お勧めできません」
心筋梗塞の発症原因に激務による極度の疲労や、精神的・肉体的な強いストレスなどがあるらしい。トレーナー業は激務であるし、夜遅くまで作業をする事も多く、生活のリズムも崩れやすい。最近はその辺りの作業は俺が代わりにする事が多かったが、今までの無理が祟ったのかもしれない。
「……そう、とうとうこの日が来てしまったのね」
久下トレーナーは医師の言葉を静かに聞いていたが、そう呟くと一つ息を吐いて寂しげに目を伏せる。
そうしてドーベルへと視線を移して、そっと手を伸ばす。
「……ごめんなさいね、ベルちゃん」
「っ! トレーナーが謝る事じゃないです!」
伸ばされた手を、ドーベルはベッド脇に膝をついて両手で取ると、額の前へと持っていく。まるで何かに祈るかの様な姿勢のまま、その瞳から一筋光るものが流れる。
「アタシが……、アタシがずっと、ずっと弱いままなのがいけないのに……!」
「ベルちゃん……」
その様子を黙って見ていた俺と、久下トレーナーの視線が不意に交わる。すると、久下トレーナーは申し訳なさそうに薄く笑みを浮かべた。
「……関原さんも。約束守れなくて、ごめんなさいね」
久下トレーナーのその言葉に、俺は何も返す事が出来なかった。病室には暫くの間、ドーベルの啜り泣く声だけが聞こえていた。
目を覚ましたばかりの久下トレーナーにあまり無理はさせられないと、俺達は病室を後にした。ドーベルも既に泣き止んだものの、その目は未だ赤い。俺はそんな彼女になんて声をかければ良いかわからず、空を仰ぐ。
先程まで降っていた雨も今は止み、厚い雲が空一面を覆っている。灰色の空模様は、まるで今の俺達の心を表しているかの様だった。
◆
次の日は朝から何をするにも身が入らず、作業をあまり進める事が出来なかった。同僚も心配して声をかけて来るが、それにまともに返事もせず、視線から逃れる様に部屋を出てしまった。
昼食もどうにも人の多い所で摂る気にならず、トレーナールームで食べた。購買で購入したパンを齧り、牛乳で流し込む。味なんて碌にわからなかった。
昼食後、手持ち無沙汰になりトレーナールームの整理をしていると、理事長秘書だと言う緑のスーツを着た女性が訪ねて来た。
結局、久下トレーナーはこのまま引退する事になったようだ。それで、この部屋やチームの管理等の権限を俺に移譲したいと言っているらしい。
「久下トレーナーは、ぜひ貴方にと仰っていますが、どうなさいますか?」
駿川さんは口ではそう言うものの、その目は確実に「受けますよね」と言っていた。俺としても、久下トレーナー直々に頼まれたとなると受けない訳にはいかない。
「わかりました、お受けします」
「ありがとうございます。それでは明日、手続きに必要な書類をお持ちしますね」
手に持ったファイルをラックに戻しながらそう答えると、駿川さんは笑みを浮かべ、軽く一礼して部屋を出て行った。やはり予めこちらの答えを予想していたのだろう。
とりあえず、この辺りの詳しい事情をドーベルにも伝えなければいけない。午後の授業が終わった頃を見計らって、教室へと向かう。
階段を昇り高等部の廊下まで来た所で、丁度良くドーベルを見つけた。ドーベルは俯きがちに歩いていて、こちらに気づいた様子はない。歩み寄って声をかける。
「ドーベル、ちょっと良いか」
「……サブトレーナー」
こちらを振り返ったドーベルは耳も尻尾も力無く垂れ下がっていて、声にも元気がない。とりあえず今は昼に駿川さんから聞いた話を伝える。
「久下トレーナーだけど、引退する事になった。正式な日程はニ週間後になる」
「……そっか」
ドーベルの耳が、ピクリと動く。こちらの話を聞くだけの余裕はあるようなので、続けさせてもらう。何をするにしても、先ずはチーム残留の意志などは確認しておかなければならない。
「とりあえず、後は俺が引き継ぐ事になった。それで、今後の事なんだけど……」
「……ごめん、今は全部後にして」
そこまで話した所で、ドーベルに静止される。気がつけば先程まで垂れていた耳は立ち上がって、尻尾にも力が入っている。
「今は、とにかくトレーニングしたいの。……信じてもらったのに、アタシ、まだ一度も応えられてない。まだ一回も、トレーナーに勝利をあげてない……!」
ドーベルは胸の前で拳を強く握りしめる。瞳の奥には、様々な感情が入り混じって燃えている。余りにも悲痛なその叫びに、俺は言葉を失う。
「後二週間しかない……。それまでに、何がなんでも……、絶対にレースに勝たなきゃいけないの……!」
そう言うと、ドーベルは走り去ってしまった。俺はドーベルを止める事もできず、小さくなって行く背中に向かって伸ばしかけた手を下ろす。
それはまるで、自分の無力さを突きつけられたかの様で、暫くの間その場に立ち尽くす事しか出来なかった。
◆
「突然のお話だったのに、受けてくれてありがとう」
「いえ、師匠からの頼みなら受けて当然ですから。寧ろ良かったんですか? 俺なんかに任せてしまって」
久下トレーナーへのお見舞いがてら、引き継ぎの件を報告する為に病室を訪ねる。久下トレーナーは顔色も随分と良くなり、ベッドの上で体を起こしていた。
俺はそんな彼女のベッド脇のパイプ椅子に腰掛けて、見舞い品のフルーツを弄んでいた。
「貴方だから、任せられると思ったのよ。これでも私、貴方のこと、ちゃんと見て選んだつもりなのよ」
『選んだ』というのは、おそらくはサブトレーナーとして迎えられた時の事だろうか。あの時の俺は、ただ何もせずにレースを眺めていただけだったし、一体何が久下トレーナーの琴線に触れたのだろうか。
「ところで、今日はベルちゃんは一緒じゃないのね」
そんな事を考えていると、久下トレーナーは俺の背後を気にする様な素振りを見せつつそう聞いてきた。昼間のドーベルの様子を思い出して、一瞬言葉に詰まる。
「……ドーベルは、今日はトレーニングです。次の模擬レース、どうしても勝ちたいって」
「……そう」
俺のその答えから何かを察した様に、久下トレーナーは目を伏せて一つ息を吐いた。そして暫く目を閉じてから顔を上げると、真剣な表情で俺の目をじっと見つめて、口を開いた。
「関原さん。後の事、宜しくお願いね」
俺としては当然そのつもりだが、正直なところ自信は無い。ドーベルとの距離もすっかり縮んだ気でいたが、今日の事で彼女の事をまだまだわかっていなかった事を思い知らされた。
ドーベルがレースを志した理由は聞いた。勝ちたいという思いも確かに聞いた。それでも尚、レースに懸ける情熱や勝利への執念という物を、俺は見誤っていた。今回に関しては久下トレーナーへの恩義に報いる為、という動機もあるだろうが、それでも俺はドーベルの覚悟を甘く見ていた。
そんな俺が、これから先彼女と一緒にやっていけるだろうか。そもそもがトレーナーとしてやっていく自信が無いからとサブトレーナーになろうとしていた様な人間が、あれだけの熱量を持つ相手を前に、何が出来ると言うのだろうか。
不意に"彼女"の事を思い出す。あの時はたまさか上手くいっただけで、今回も上手くやれる保証なんて物はどこにもない。
いや、もしかすると"あの時"から今に至るまで、俺に出来る事なんて、ただの一つもありはしなかったのかも知れない。
そんな事をつらつらと考えていると、知らず膝の上で組まれていた手に温かな物が重なった。見れば、久下トレーナーが柔らかな笑みを浮かべて、俺の手を両手で包んでいる。
「大丈夫よ……大丈夫。貴方なら、きっと……」
深く皺の刻まれたその手は、自分の物と比べると小さいが温かくて、不思議と自分の中の不安が小さくなっていくのを感じた。
◆
それから二日間程は引き継ぎ業務に追われて、ほとんど自由に動ける時間が無かった。それもようやく終わり、駿川さんに必要な書類を提出する。書類を受け取った駿川さんは暫く内容に目を通していたが、やがて小さく頷くと顔を上げる。
「はい、確かに受け取りました」
そしてその書類をファイルへと綴じると、そのファイルをラックの中へと入れて、改めてこちらへと向き直る。
「けど、良かったんですか? チーム名は別の物で申請も出来ましたけど」
「ええ。せっかく久下トレーナーから引き継いだので、チーム名はそのままで」
「わかりました。それではチーム名は『アルナイル』のままで受理しますね」
一礼してその場を後にする。これで引き継ぎ業務は全て終了した。外は既に日も落ちて暗くなっている。そのまま寮の自室へと帰ろうかと思ったが、ふとドーベルの事が気にかかった。
ドーベルとはあれから顔を合わせていない。メッセージを送ってみても返事もない。それでも彼女の事だ。きっと一人でトレーニングをしているに違いない。一度コースの方まで様子を見に行ってみる事にした。
照明に照らされた夜のトレーニングコースは、門限が近い事もあって本来ならば誰もいない筈である。しかし、今回はそこに一つの人影があった。
「ドーベル!」
一人走り続ける人影に向かって呼びかける。人影——ドーベルが立ち止まり、こちらを振り返る。いつから走っていたのか、呼吸は乱れており、額には玉のような汗が浮かんでいる。
「アンタ……」
「ドーベル、無理しすぎだ。今日はもう上がろう」
「うるさい! 放っといて!」
ドーベルの手を取りコースから連れ出そうとするが、ドーベルは俺の手を振り払うと睨みつけてくる。耳は後ろに絞られて、怒りを露わにしている。出会ったばかりの頃ですら、これ程ではなかっただろう。それ程までに明確な、拒絶の意思。
余りにも大きなその感情に、それでも正面から向かって行く。
「放っとけないよ。それ以上追い込んだら……」
「追い込まないといけないのよ! 弱いんだから!」
こちらの言葉を遮って、ドーベルが叫ぶ。瞳には涙を浮かべ、拳を強く握り、肩を怒らせたその姿は悲壮感すら感じる程だ。
「ずっと、ずっと……弱いままなんだから……!」
ドーベルの体から力が抜ける。そして目を伏せると、ドーベルは何処か、自嘲気味に語り始める。
「初めてレースに出たのは、もっとずっと小さい時。最初は勝てるって思ってた。ブライトみたいに堂々と走って、ライアンみたいな強さを見せて。アタシだってメジロのウマ娘として、立派な所を見せてやるって。でも……!」
視線を下に落としたまま、ドーベルは自らの肩を掻き抱く。その体は僅かながら震えている。
「……結果は散々。出だしで転んで、半周遅れのゴールがやっと。あれからずっと、皆がアタシを笑ってる様に見えるの。『みっともない』『弱いクセに』って……」
ドーベルの目から、堪えていた涙が溢れる。
「そう思うと、鼓動が変に速くなって、手も足も自分のモノじゃないみたいに感じられて……! そんなだから、まともに走れなくなって……! 皆当たり前にできてる事が、アタシだけできないの……!」
とうとうドーベルは、その場に蹲ってしまう。肩を抱き、涙を流して小さくなっている彼女はまるで幼子の様に見えた。
「トレーナーとなら少しは強くなれるかもって、そう思えてた。だけど、もうあの人には頼れない……! だったら、それでもレースに勝たなきゃいけないんだから! 無理してでも、追い込んででも、やるしかないでしょ!?」
勢いよく顔を上げると、ドーベルはこちらに掴みかかってきた。感情が昂って力の加減ができていないのか、掴まれた腕が痛い。
「アタシは弱いんだから! 一人でも、鍛えないと……!」
こちらに縋り付いて泣く彼女の肩に、俺はそっと手を添える。
「……一人じゃないよ」
「は……?」
こちらを見上げるドーベルの目を、じっと見つめる。涙に濡れた瞳の中に映り込んだ俺の顔は、覚悟を決めた顔をしていた。
「俺が、君を支える」
その俺の言葉に、ドーベルは一瞬惚けた様な表情を浮かべるが、すぐに表情を険しいものへと変える。
「……なに。今度はトレーナーの代わりにアンタが居るから強くなれる、大丈夫だって? 急にそんな風に思える訳ないでしょ!」
「……違う、違うよ。ドーベル」
確かに、久下トレーナーと比べると俺は頼りにならないかもしれない。しかし、俺は別に久下トレーナーの代わりをしようという訳ではない。俺は俺のやり方で、彼女を支えるつもりだ。
そして、ドーベルは一つ勘違いをしている。
それは———
「君は、もう強いウマ娘だ」
「っ、アンタ……!」
ドーベルの表情が、更に険しくなる。俺の腕を掴む腕にも、再び力が入っていく。
「アタシの話聞いてた!? 弱いって言ってるでしょ! 昔からずっと、アタシは……!」
「でも、君はずっと諦めなかった」
「……は?」
そう、模擬レースで負けた時も、久下トレーナーの退職を伝えた時も、そして今も。例え一人でもドーベルは決して諦めずに、勝利に向かって努力を積み重ねている。
「勝つ事を諦めないウマ娘が、弱い訳がない」
「……っ!」
ドーベルの肩が、ビクリと大きく跳ねる。その肩を、今度は強く掴み、真正面から目を合わせてもう一度ハッキリと言う。
「メジロドーベルは、強いウマ娘だ」
「あ……、アタシは……。……っ!」
ドーベルは俺の手を振り払うと、走り去ってしまう。その背中に向かって、大声で叫ぶ。
「ドーベル! 俺、待ってるからな!」
ドーベルは一人でもちゃんと強いウマ娘だ。それは間違いない。それでも、支えが必要な時には頼って欲しい。
小さくなっていく背中を見送りながら、俺はそう願った。
今回チーム名が出てきましたが、メンバーが増えるかは未定です。
基本はドーベルシナリオをなぞったりなぞらなかったりして進めていきます。