『あなたはマスター』 作:アグネス・ゾンビ・デジタル
「いやだから俺はこの時代の人間ではなくもっと先の未来から……」
「急患ッ!!」
警備員二人に押さえつけられたあと、騒ぎに気づいて駆けつけてきた理事長とたづなさんに連れられて、俺は今理事長室にいた。
完璧に関節を極められたときの痛みや、理事長室に飾られている日付のおかしなカレンダー、そしてトレセン学園の服に袖を通し普通に立って歩いているミホノブルボン。
冷静になればなるほど、これは夢ではなくタイムスリップとかそういう系統のものではないかと考えられる。
いや、冷静になってないなこれ。
でももしかしたら夢かもしれないので思い切り頬をつねってみたが、あまりの痛さに泣いてしまいそうだった。
「警察? 救急車……? どちらを呼んだ方が良いのでしょうか?」
「うむ……」
「ま、待ってください! 俺、こう見えても未来ではめちゃくちゃ優秀なトレーナーだったんですよ! 必ずこの学園のお役に立ちますって!」
嘘である。
この男、優秀どころかまだ担当ウマ娘すら持ったことがない。それどころかまだトレーナーとして働いたことすらないド新人である。
「しかし……」
「そ、そうだ理事長! これ見てください!」
俺は右ポケットから携帯を取り出し、今にも警察に通報してしまいそうな理事長の眼前に携帯を突きつけた。
「これ、俺がいた時代の最新機種です! さらにこの着信履歴を見てください。俺と理事長はなんでもないことで連絡を取り合うような深い仲だったのです!」
嘘である。
この男、理事長に連絡を取ったのは退院したことを伝えるためであり、さらにはトレセン学園の電話番号に、『秋川理事長』と名前をつけて登録しているだけである。
「それが本当に私の番号……」
「ていうかこれ! この日付! もう間違いないじゃないですか! どこからどう見ても完全に未来の日付なんですよ!」
「むむっ……」
多分、この二人は俺の言うことを信じているわけではないが、嘘だと決めつけているわけでもない。
携帯の日付だったり、硬貨や紙幣に印刷されている製造年表記は確かな材料になるから、当然揺れている。
まぁ信じられない気持ちはわかる。
俺だってブルボンさんが立って歩いていることがなにより嬉しくて、ただ感覚が麻痺しているだけなのかもしれない。
常識的に考えりゃ、俺の頭がおかしくなっただけなのだろう。夢でないなら幻覚かもしれない。
「──俺は、怪我をして歩けなくなったウマ娘を知っている。毎日、何年もリハビリに通い続け、それでも車椅子無しでは生きられないウマ娘を知っている……」
でも、だからこそ、夢や幻覚なんかで終わらせてはいけないことくらいわかっている。
俺は二人の目の前で膝を折って床に手をついて、頭を擦りつけた。
「この学園で俺を雇ってください。俺がここでなにをしても、結局未来の彼女にはなんの影響も無いのかもしれないけど……でも、もう二度と、あんな悲しい顔はさせたくない……」
俺は無力だ。
理事長が許可してくれなければ、この時代に来た意味なんて無い。
差し伸べられるはずの手を持っていて、でもそれは自分の意思では動かせない。
悔しくて死にそうだった。
じゃあなんで俺はここへ来たんだ。なんのために俺は時を超えて彼女と出会ったんだ。俺は──
「歓迎ッ!!」
「へ……?」
「り、理事長!?」
多分、ものすごく間抜けな声で、間抜けな顔をしていたと思う。
そんなあっさりと認めてくれるとは思わなかったから、一気に肩の力が抜けた。
「たづな。彼は本気だ。
見た目の幼さからは想像できないくらい大人びた笑顔を見せてそう言うと、理事長は座り込んだ俺の目の前に腰を下ろしてそっと手を差し出してくる。
「改めてッ!! わたしはこの学園の理事長、秋川だ! よろしく頼むぞ、新人トレーナー君!」
信じてもらえたことというか、俺の言っていることなんて理解できないはずなのに、それでも想いを共有できているような気がして……それがなにより嬉しかった。
「どうか……よろしくお願いします……」
差し出された手を両手できゅっと握って、震える声でお礼を告げた。
× × ×
「ブルボンさん! また会えましたね!」
翌日、当たり前だけどトレーナー寮の俺の自室はまだ用意されていなかったから、相部屋を快く了承してくれたシンボリルドルフの元担当トレーナーに話を聞いて学園の門前で彼女の帰りを待っていた。
毎朝同じ時間から街中に出てランニングをしているらしい。
俺の姿を見つけたブルボンさんは立ち止まってぺこりと頭を下げ、そのまま門を潜って立ち去ろうとした。
「いやいやいや、ちょっと待ってください!」
心なしか嫌そうな顔をしているようにも見えるが、恐らく気のせいだと思う。
「……なんでしょうか」
「ふふん、聞きましたよ。まだ担当トレーナーは見つかっていないそうですね。俺もちょうど──」
「あなたからは『危険』を感じます。失礼します」
「ちょっと!?」
なんてことでしょう。
ブルボンさんは俺の返事も待たずにそのまま走り去って行ってしまいました。
第一印象がよほど悪かったのでしょうか。
だが一度や二度断られたくらいで折れるわけにはいかない。
とりあえず土産のひとつでも携えてブルボンさんを探すことにしよう。
「ハァ、ハァ……。探しましたよブルボンさん」
学園に備えられたトレーニングルームで、バーベルを頭の後ろに担いでフルスクワット──お尻が膝より低くなる位置まで深く落とすスクワット──をしていたブルボンさんを見つけて声をかけた。
ふむ、大腿四頭筋を重点的に鍛えているのか。脚力向上や基礎代謝アップも期待できる素晴らしいトレーニングだ。流石ブルボンさん。強い賢い超可愛い。
あとポニーテールがとても魅力的で萌える。
「トレーニング中です。端的にご用件をお願いします」
「俺の担当ウマ娘になってください!」
「了承しかねます」
「まあそう言わずに。これ、つまらないものですけど差し入れです」
手に持った袋を差し出すと、ブルボンさんは担いでいたバーベルを置いて受け取ってくれた。
それからすぐに中身を確認して、無言でこちらをじっと見つめてくる。
「き、気に入ってもらえませんでしたか?」
「意図がわかりません。何故差し入れに電池?」
「え? いや、お好きだと聞いて……」
「中断していたトレーニングを再開します。1分13秒のロスを確認」
ブルボンさんは手にしていた袋をそっとベンチの上に置き、再びトレーニングを開始した。
「もう邪魔するな」と、向けられた背中からそんな言葉が聞こえてきそうな気がして、これ以上話しかけることはできなかった。
ミホノブルボンの好物は電池だ、なんて嘘を教えた相部屋の先輩トレーナーはあとでしばくとして、次の手を考えなければならない。
俺は黙ってトレーニングルームをあとにして、その足でカフェテリアへと向かった。
「ど、どうしたんですか?」
朝昼兼用で、とりあえず頼んだにんじんハンバーグを食しながら今後について考え込んでいると、目の前からおどおどとした声が聞こえてきて、顔を上げてそちらに視線を移した。
声の主はライスシャワー。菊花賞でブルボンさんの三冠を阻んだウマ娘だ。
彼女は両手でにんじんハンバーグと目一杯盛られたライスを乗せたトレーを持ちながら、不安げにこちらを見つめている。
「あ、あの、あのね! すごく悩んでいるみたいだったから、声をかけたんだけど……ら、ライスなんかが話しかけたら、迷惑、だったよね……。ご、ごめんなさい」
なにも言っていないのに勝手に自己完結して落ち込む様はとても愛らしく、なにやらいけない気持ちになってくる。
少しいじわるしてみたらどんな反応をするのだろうかと、そんな低俗な考えを全力で振り払い、なんとか笑顔を作って応えた。
「いや、ちょっとスカウトしたいウマ娘へのアプローチが上手くいかなくて、どうしようかと考えていたところです。よければ相談に乗っていただけませんか?」
「ら、ライスでよければ!」
するとたちまち、口を大きく開けてぱあっと麗かな笑顔を見せるから、過呼吸に陥りそうだった。
顔が熱を持って赤くなっているのがわかる。天井に備え付けられた、カフェテリア内に行き渡る暖房の風が熱くて仕方ない。
おかしい、おかしいぞ。ライスは宿敵。今顔が赤くなっているのも暖房のせい、あるいは風邪かなんかの可能性が高い。落ち着け。落ち着いて一句詠むんだ!
高等部? ライスは多分 小学生(ロリ)
……これはアウトですね。まずドキドキしてる時点でもう犯罪。
「えっと……大丈夫?」
黙り込んでしまった俺を心配そうに覗き込んでくるライスに「なんでもない」と答えて、正面の席に座るよう促した。
ライスは両手に持っていたトレーをテーブルの上に置き、椅子を引いてちょこんと腰掛けるとすぐに両手をあわせて幸せそうに「いただきます」と小さな声で言った。
ちょっと待て。ライスが椅子を引く……こんなもんルドルフさんに教えたら爆笑必至だろ。
「トレーナーさん?」
またしてもひとりで考え込んでしまっていた俺の顔を覗き込み、ライスは心配そうに俺を呼んだ。
「あぁ、えっと、ブルボンさんのことなんですけど──」
ブルボンさんの容姿に一目惚れしたという体にして、初対面で感動に打ち震えて涙を流しながら手を握ったことで俺への印象はとても悪いかもしれないということや、手違いで電池を差し入れてしまったことなどを説明した。
× × ×
「ライスさん、これは?」
「ライスね、思うの。やっぱりまずは相手のことをよく知ることが大事なんじゃないかなって」
建物の影に隠れた俺たちは、トレーニング用のジャージから制服へと着替えて中庭に置かれたベンチに腰掛け、昼食と言う名のゼリー飲料を吸っているブルボンさんの様子を窺っていた。
目の前でライスの大きな耳がぴょこぴょこと動いているせいで集中できない。触りたい。
「なるほど。つまり大事なのはまず相手をよく知ることだということですね──」
「あっ、ブルボンさんが動いたよ。ついてく、ついてく」
「よしきた。ついてくついてく」
ブルボンさんが向かったのは学園の外にあるスポーツ用品店だった。そこで腹筋マシーンやランニングマシーン、あらゆるものを試乗している。
ライスから借り受けたサングラスを装着し、先程自販機で購入した缶コーヒーを啜りながら様子を眺めているのだが、一向に店から出る気配は無い。
「いつまでやるつもりなんすかね」
「ブルボンさん、凄いなぁ……」
結局ブルボンさんは店内の全てのトレーニングマシーンを試し、店を出た頃にはすっかり日は暮れていた。
そのまま栗東寮へと戻って行ったブルボンさんの背中を見送り、ライスを美浦寮の前まで送り届けた。
「ど、どうだった? ブルボンさんのこと、なにかわかった?」
「昼食がゼリー飲料だけで事足りるなんて燃費よすぎですよね!」
「うぅ……。トレーナーさん、なんにもわかってない……」
ライスは大きな耳を前に倒して、しゅんと俯いた。
「ライスのせいだ……。やっぱりついてくだけじゃダメだったんだ……」
「い、いやいや! そんなことないですって! ゼリー飲料だけで済ませるのは時間を無駄にしないため、つまり効率が良いってことです。それから、あれです。全てのトレーニングマシーンを試していたのは学園にあるものと比べてどれだけ効果に違いがあるか、つまり学園のマシーンとスポーツ用品店のマシーンの違いを検証していたってことです!」
「うわあぁぁん! ライスのせいだー……!」
「ど、どうすれば良いんだ……」
──ミホノブルボン。彼女にスカウトを受けてもらえなければ先へは進めない。
来週に行われる選抜レースでなんとしても彼女の担当トレーナーになるために、これからどうすれば良いのかを真剣に考えようと思った一日だった。