『あなたはマスター』   作:アグネス・ゾンビ・デジタル

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 ミホノブルボンと契約を交わした翌日の朝、これからのトレーニングや出走レースについて考えをまとめるため、各資料をたづなさんから借り受けて自室で頭を悩ませていた。

 朝食をとることも忘れて、気がつけばいつの間にやら時刻は12時を少しまわっている。

 さすがに昼食までとらないわけにはいかないので、俺は資料を片手にカフェテリアへと向かった。

 

 受け渡し口でにんじんハンバーグを受け取り、空席を探してきょろきょろしていると、端の方でひとり昼食をとっているウマ娘の姿を見つけてそちらへと向かう。相変わらずお耳が大きくて可愛らしい。

 

 近くまで行って声をかけようとした瞬間だった。俺より一足先にライスの正面の席に腰を下ろして、「食事中に悪いな。ちょっと良いか?」と声をかけたのはルドルフさんの元担当トレーナーであり、俺の元相部屋の先輩だった。

 

「ら、ライスになんの用、ですか?」

「もちろん、君をスカウトしに来たんだ」

「ふぇえ!? で、でもライス、まだ選抜レースにも……」

「うん。だからその前にスカウトしようと思ったんだ」

「ど、どういうこと?」

「自主トレは毎日してるだろ? 君の走りを何度か目にして、惹かれたんだ。一目惚れ、なんて言うと大袈裟だけど」

 

 キザだ。全身が痒くなってくる。

 よくもまあ抜け抜けと、恥ずかしげもなくそんなセリフを笑顔で言えるもんだ。

 俺は先輩の毒牙からライスを守るため、持っていたトレーを乱暴にテーブルの上に置き、ライスの隣に勢いよく腰を下ろした。

 

「ライスさん。この男からは『危険』を感じます。やめといた方が良いですよ」

「え? と、トレーナーさん?」

「おいおい、心外だな」

 

 軽く受け流す先輩を睨め付ける。そんな俺たちの顔を交互に見て、ライスはあわあわと困り果てていた。

 

「勘繰るなよ。もう……半端な覚悟じゃないからさ」

 

 「ふぅ」と小さく息を吐いて、先輩は俺から目を逸らさずに真剣な表情で言った。

 そこには確かな決意が感じられて、まるで昨夜までの先輩とは別人のように見える。

 

「というわけで、どうかな? 実は俺ルドルフの担当トレーナーだったこともあるからさ、だからってわけじゃないけど──でも絶対に、後悔はさせないよ」

 

 目を細めて笑顔でそう言った先輩は、悔しいけど俺から見ても魅力的だった。

 この人のことなんてなにひとつとして知らないはずなのに、その言葉に嘘偽りは無いのだと、本気でそんなことを思ってしまう。

 

「ライスは……だめな子だから……」

 

 右手で持った箸をぎゅっと握りしめながら、ライスは俯きながら震える声で言った。

 

「がんばろうって……選抜レースにも出ようって思ってたのに……結局……」

 

 この前の選抜レース、俺も詳しくは知らないがライスは出走登録をしていたのに直前になって逃げ出したらしい。

 トレーナーたちが話していたのを小耳に挟んだだけだが、みんなどこか呆れていたようだった。

 何故レースに出なかったのか、その理由は彼女にしかわからないが、なにか悩みがあるのだろう。

 耳を前に倒して、今にも泣き出してしまいそうな彼女に言葉をかけようとすると、またしても俺より一足先に先輩が口を開いた。

 

「俺もだめな奴なんだ。ずっと……ずっとだめな奴だった。あの日から、ずっと──」

 

 先輩は笑顔で、それでもどこか悲しそうにそう言うと、右手をぽんとライスの頭に乗せて──

 

「だから俺と一緒に、頑張ってくれないか? って言っても君はだめな子なんかじゃないけどね」

「でも……! ライスは……っ」

「──良いよ。だってみんなそうだろ? だめな所のひとつやふたつ、誰にだってある。でもそれはみんなが隠し持っているほんの一部だ。だから、君はだめな子なんかじゃないよ」

「ライス、は……」

 

 ぼろぼろと、涙をこぼしながら、声を押し殺して泣いていた。

 そんなライスの頭をくしゃりと撫でながら、「君のまま変わっていけば良いんだよ」と。

 窓辺から差し込む陽の光が二人を包んで、そこだけが切り取られたみたいにあたたかい。

 

「ライスでも……変われる、のかな?」

「もちろん」

「ライス、ほんとに、だめな子だよ?」

「ルドルフにもあったよ。だめなところは。……主にダジャレとか」

 

 そこは言わなくて良いんだよなぁ。

 

「迷惑だって、いっぱいかけるよ? それでも、いいの……?」

「ん。大丈夫だよ。全部受け止めてやるから、二人でがんばろう」

「……っ! ライス、いっぱい……いっぱい、がんばるね……!」

「二人で、な?」

 

 余計なお世話だったことに気がついて、俺はそっと席を移動した。

 菊花賞でブルボンの三冠を阻んだライスシャワー。彼女はきっと、俺がいた未来の彼女よりも強くなって俺たちの前に現れるだろう。

 なんとなくそんな気がして、昼食をとったあとすぐにブルボンのもとへと向かった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

「というわけで、スタミナ強化は引き続き行うとして、それと併行して模擬レースなんかも組んでいこうと思います」

 

 中庭にあるベンチに腰掛け、ゼリー飲料を吸っていたブルボンさんに駆け寄り、今後についての方針を話し合うことにした。

 

「レース勘を養うことは重要です。ペース配分はもちろん、仕掛けどころや相手との駆け引き。これはレースの中でしか得られないものです」

「了解しました。マスターの指示に従います」

「それから、未勝利戦は芝1000メートルの短距離に出走しましょう。これはもちろん短距離路線に進むということではありませんが、ブルボンさんの適性はあくまで短距離です。初めてのレースでは実力を出し切ることができない場合もあります。なのでまずはブルボンさんの得意な距離で、確実に勝ちに行きましょう」

 

 勝負勘というのは本番のレースでしか得られない。ならばまずはブルボンの土俵、短距離ならペースを乱すことなく、冷静に走り切ることができるだろうと考えての決断だ。

 1000メートルという短い距離の中でも、ブルボンならたくさんのものを吸収できるはず。

 

「そこで勝てば、次はマイルです。芝1600メートルのレースに出て、そこでも勝つことができるならさらに距離を伸ばして1800メートルのレースに出ます」

「マスター。ひとつよろしいでしょうか?」

「はいブルボンさん」

 

 右手をピンと真上に伸ばして質疑の態勢を整えたブルボンに応えて、続く言葉を待つ。

 

「何故また敬語に戻っているのでしょうか?」

「はい?」

 

 それはレースとは全く関係の無い質問だった。

 

「マスターと契約を交わした昨夜、マスターは私に『俺と一緒に、クラシック三冠を目指そう。ブルボン』と言いました。これはマスターの心境になんらかの変化が生じたことによるものだと考えます」

「うーん……」

 

 確かに心境の変化はあった。

 あの夜、俺の中でブルボンさんとブルボンの間に明確な境界線みたいなものができた。

 でもそれは頭では理解していてもうまく言語化することはできなくて。こうして純粋に問われると返答に困ってしまう。

 

「すでに理解されていると思いますが、私とマスターは主従の関係にあります」

「初耳なんだが?」

「なので、マスターが私に対して『敬語』を使うのはおかしいと考えます。……いえ、おかしいという言葉には語弊がありました。私は、マスターから『ブルボン』と呼ばれた際に、鼓動の高鳴りを感知。つまり、『高揚』していました」

「なるほど……?」

「マスター」

 

 吸い込まれてしまいそうなくらい大きくて綺麗な瞳は、逃がさないようにと俺の視線の先にいる。

 いつの日かテレビや雑誌で見ていた彼女はまるでサイボーグのようなウマ娘だった。レース直後の、記者たちによるインタビューにも淡々と応えていて、でも彼女がたった一度だけ口にした『クラシック三冠』という目標には、なによりも強い想いがあったのだと思う。

 理屈ではなく、ただそこに、自分の中にある熱源を感じた。

 昔からなにをやっても本気で打ち込めず、中途半端だった俺の琴線に何故触れたのか。彼女の瞳は、決して俺に向けられたものではなかったのに。

 

「どうぞ、私のことはブルボンとお呼びください」

 

 今目の前にいるブルボンは、しっかりと俺の瞳を捉えている。

 それはまるで、彼女と私は違うのだと、彼女ではなく私を見ろと、そう言っている気がした。

 

 ──あぁそうか。それを言語化するならば、彼女の悲願を重ねても、同一視してはいけないということだ。

 彼女は彼女であり、ブルボンとは確かな違いがある。俺が今担当しているのはブルボンさんではなく、ミホノブルボンなのだから。

 

「いや、やっぱりうまく言語化はできないな」

「……?」

「でも俺は、確かに君を通して別の誰かを見ていた。まずは、そこから変えるべきなんだろう」

「エラーです。マスターの言っていることが理解できません」

「──ブルボン」

 

 声のトーンをひとつ落として、呼びかけた俺の声にブルボンの耳がぴくりと反応する。

 小さく開いた口は綺麗な三角の形を成していて、それが可愛くて可笑しくて、思わず吹き出してしまいそうになった。

 

「今日から毎日、坂路は4本な」

「マスターのご指示であるならば、完遂してみせます」

 

 きりりと眉を上げて、早速ジャージに着替えに行ったブルボンの背中を見送り、一足先にトレーニングコースへと向かった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

「目的のパラメータが未達成、つまり『失敗』であるため、その原因と対策を解析しています」

 

 デビュー戦に向けてトレーニングに励んでいたある日、10分間の休憩を言い渡し、その間にトイレへと行って帰って来たのだが、途中コース横ですれ違ったウマ娘の背中をじっと見送ったまま動かないブルボンへどうしたのかと問いかけた。

 

「パラメータ?」

「より良質な『会話』を達成するために、独自のデータログより算出した、会話における表情、声色、各数値のパラメータです」

 

 どうやら先ほどあるウマ娘に声をかけられたが、うまく会話ができなかったらしい。

 確かに、ブルボンが他のウマ娘と楽しげに会話しているところは見かけたことがない。想像すらできない。

 コミュニケーションに難があることはわかっていたが……。

 

「でも意外だね。ブルボンもそういうの気にするんだ。てっきり三冠以外には興味無いのかと思ってたよ」

「両親から『社会性の向上』をオーダーされていますので」

「なるほど……」

「私は幼少期より父と共にトレーニングに明け暮れ、結果、同年代との交流を逃してきました。そんな中、トレセン学園への入学が決まり、社会性の低さを心配した両親は私に言い聞かせました。『トレセン学園では、クラスメイト、ひいては友人との交流を大切にしなさい』と」

 

 確かに、これからデビューして勝利を重ねていけば必然、取材対応やファンとの交流もあるわけだ。

 そういや俺の知っているブルボンさんは一貫して無表情を決め込んでいた。一部のファンからはそこが良いと好評だったが、大抵の人はやはり近寄り難いと感じていたわけで……。ちなみに俺もブルボンさんの無表情は大好きだった。

 ──と、話が少し逸れてしまったが、恐らくブルボンの両親はただ純粋に友達をつくり、楽しい時間を過ごしてほしいと思っているのではないだろうか。

 

「ですので、積極的に『会話』を行っていますが、入学時よりパラメータは微減の一途をたどっています」

「そんなに難しく考える必要は無いんじゃないかな? もっとこう、ただ楽しんで会話をするだけで……」

「すみません、言葉の意図がわかりません。私のデータベースにはその言葉についてのナレッジが見つかりません」

 

 どう説明すれば良いのか、頭の中を引っ掻き回して言葉を探していると──

 

「休憩を20秒オーバーしていました。迅速にトレーニングに戻ります」

 

 そう言ってコースへと駆けて行った。

 

 今後のトレーニングにはコミュニケーション能力の強化も組み込んでおいた方が良いのだろうかと、そんなことを考えさせられた一日だった。

 

 

 

 

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