『あなたはマスター』 作:アグネス・ゾンビ・デジタル
「どこ行こっか?」
「思考中……」
夏合宿の最終日、トレーニングを終えたあとはマスターと共に過ごしたいと言ってくれたブルボンと海岸沿いを歩きながらゆく先を探る。
蝉の鳴き声とか、ジリジリと肌を焼く熱すぎる陽射しとか、そんなもの全てがどうでもよくなるくらい、隣を歩くブルボンに夢中だった。
このウマ娘の行く末を、できるならずっと傍で見ていたい。
「マスター」
「決まった?」
笑顔を作って問いかけると、隣を歩いていたブルボンは急に立ち止まり、深妙な面持ちでこちらを見つめてくる。
「私は何故、マスターと共に過ごしたいと考えたのでしょうか?」
「へ?」
「合宿を行っている間も、学園でも私はマスターと共に過ごしてきました。私は、現状に満足できていないのでしょうか? 今よりずっと、もっと一緒にいたいと考えています」
それは、目標を達成したその先も──ということなのだろうか。だとするならば俺も気持ちは同じだ。ずっと見ていたいし、いつまでも傍にいたい。
けれど、その日はいつかやってくるのだろう。
俺はこの時代の人間ではないし、帰るべき場所には多分今も、たったひとりで頑張り続けているウマ娘がいる。
もしブルボンと彼女を天秤にかけたなら、きっとほんの少しだけ……彼女の方に傾いてしまうのだろう。
「……どうかな。多分それは、ブルボンの目標を最初に認めたトレーナーが俺だったからじゃないかな? 刷り込みみたいなもんだよ」
「……なるほど。情報をインプットしました」
無表情で頷いたブルボンに笑顔を送って、再び歩き始める。すぐに後ろをついてくる足音が聞こえて、それはやがて隣に並ぶ。
あてもなくただ歩き続ける時間は無意味だと感じたのか、ブルボンはしばらく続いた沈黙を破り、「花火大会に行きませんか?」と、そんなことを提案してくる。
「あぁ、そういや今夜だっけ」
トレセン学園御用達の合宿所の近くでは、毎年花火大会が行われているらしい。合宿所には当然俺たち以外にもトレセン学園のウマ娘たちがいて、行きも帰りもみな同じバスで移動するのだが、花火大会に参加する者は別々に帰ることも多々あるのだとか。
夜も特に予定があったわけではないし、その提案を快諾して、俺たちは花火大会へと向かった。
× × ×
「事前情報によると、来場客は平均7万人、露店数は約90店舗。うち、遊戯の種類は9パターンです。射的、かたぬき、金魚すくい、ヨーヨー釣り、輪投げ、くじ引き、千本つり、パンチボックス、すいか割り、どれにしますか?」
詳しいな。意外と楽しみにしてたのか?
「ブルボンはどれがしたい?」
「私は……特に興味を惹かれるものはありません」
ドライだな。デレのないツンデレか?
「じゃあまずは、射的でもやろうか」
来場客数平均7万人は伊達じゃないらしい。何度も足を踏まれたり、肩をぶつけられたりと俺は今花火大会の洗礼を受けている。
ブルボンはうまいこと避けていたが、いつ見失ってもおかしくないくらいには人がゴミのようだ。
だから、「はぐれないように」、なんてありきたりな言葉で右手を差し出した。
「……ミッション、『手を繋ぐ』を実行します」
「ははっ、大袈裟」
繋いだ手は、じんわりと熱を持ち始めて手汗をかいてしまいそうだった。
それでもブルボンがきゅっと力を入れて握ってくるから、応えるように俺も握り返して人混みを潜り抜けていく。
『射的』と大きく書かれた出店の前で順番を待ち、俺たちの番がまわってくるとブルボンは「『共同作業』を開始します。準備はよろしいでしょうか、マスター」と、どこかやる気に満ちた声で問いかけてきた。
やっぱり楽しんでいるのか?
「銃口、5度下へ下げてください。通り過ぎました、もう少し上──そこです」
ブルボンの指示通りに引き金を引くと、弾き出された弾は的確に景品をとらえ、撃ち抜かれた景品はパタリと倒れた。
射的屋の店主は「上手いねぇ」なんて笑いながら倒れた景品を手に取り、隣で指示をくれていたブルボンに手渡した。
おかしいな。俺の知っている射的じゃない。裏に支えがあったり、重りを仕込んでいたりするはずなのだが……いやこれは偏見。
「そろそろ花火大会が始まります。花火の見える位置へ移動するべきかと」
訝しげに他の景品を観察していた俺の手を掴み、「急ぎましょう」と言って手を引いて歩き出すブルボンのあとをついて行く。
ここへ来たときよりも人の数は増していて、中々前へと進めない。
「……ミッション、失敗です」
「始まっちゃったか」
そうこうしているうちに花火があがり出し、大きな音と共に夜空を明るく照らしていく。
「まぁ落ち着いては見られないけど、見えることには変わりないよ」
「もう少し、静かな場所へ移動しましょう」
そう言ってブルボンは再び俺の手を引いて歩き出す。
次から次へと打ち上がる花火をよそ目に、俺たちは人気の無い場所を探して彷徨った。
「あぁ、暑かったぁ……」
ようやく人混みを抜け出し、少し山道を歩いた先でギリギリ花火が見える場所を見つけて、並んで立ったまま夜空を見上げた。
「マスター」
「ん?」
視線はあげたまま、返事だけをして続きを促す。
「その、マスターに……感謝をと」
「感謝? なにもしてないけど……」
「クラシック三冠達成まで、残すは菊花賞のみとなりました。ここまで来られたのは、あなたが傍で支えてくれたからです。だから──」
もう花火なんてそっちのけで、俺たちは向かい合っていた。
ブルボンが口を開こうとした瞬間、最後の花火が一際大きな音を立てて夜空に打ち上がり、鮮やかに咲いていた。
「──ありがとうございます。マスター」
トレーナーになり、初めて担当したそのウマ娘は、俺にダービートレーナーの称号を与えてくれた。
『ミホノブルボン、ダービーを制し二冠達成! そして秋の京都へ伝説は引き継がれていく!』
地鳴りのような大歓声がレース場全体を包み込んでいた。
いつの間にか、強く握りしめていた右の手のひらには爪が食い込んで、皮がめくれて血が出ている。
痛みすら感じないほどに俺は興奮していた。
まるで夢の中にいるような、でもそれは確かに現実で。鳴り止まない大歓声を一身に浴びながらブルボンは小走りで俺のもとへと駆けてくる。
「マスター」
「ああ……」
あの日、1600メートルを走ることすらままならなかったウマ娘が、クラシック三冠を目指すと言った。
スプリンターとして十分過ぎる資質を持っていたウマ娘が、それを捨てて茨の道へ踏み出した。
デビュー戦はコースレコードを更新する勝利で、やはりブルボンは短距離路線に進むべきではないかと、そんな声が幾つもあがった。
それをものともせず、次に出走した東京レース場の芝1600メートルで後続に6バ身差をつけて勝利すると、続く初のGI、朝日杯FSで3連勝。そのあとのGIIIでも勝利を重ね、無敗のままクラシック三冠最初のレース、皐月賞へと挑んだ。
最も速いウマ娘が勝つと言われている皐月賞で、ブルボンは周りの評価を全て覆し、1番人気となった。
もうブルボンをスプリンターと呼ぶ者はいない。
それに応えるかのように、ブルボンはスタート後最初の3歩で先頭を奪うと、1000メートルを59.8秒という速いペースで通過して、後続に2バ身半離して皐月賞を制した。
そして今日──
「マスター、手を……」
目の前のブルボンは、息を切らせながら両手を差し出してくる。
「……よくやった、ブルボン」
俺はその手を両の手で包み込み、ぎゅっと力強く握りしめた。
まだ、最も強いウマ娘が勝つと言われている菊花賞が残っているけれど、それでも……言わずにはいられなかった。
「おめでとう。本当に、よくやった……」
──このウマ娘が行き着く先を、最後まで見届けたい。彼女が成し得なかったクラシック三冠、その先まで……ずっと共に歩んでいきたい。
それでもいつか、必ず訪れる終わりにこの手を離さなければならないのなら、今はただ、強く……。
「ブルボン……」
いつか途切れてしまうこの手を、離さないように。