君と歩く道   作:汐響

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俗に言うセキランウンスカイと呼ばれるやつです。
トレーナーとの距離が縮まらないスカイが絶望して……っていうおはなしです。


4、深海で睡る

深海で睡る

 

 

長い夢から覚めて、黄昏。

目を開けると、見慣れたトレーナー室。

「……おはようございマス、トレーナーさん」

目を開けてすぐの景色に呼んだ人は居なかったけれど、トレーナーさんなら、

「スカイ、おはよう」

私が寝ている間、ずっとこの部屋に居てくれると知っていた。

身体の上には、身に覚えのない毛布。

(あぁ、優しいな)

体を起こして、トレーナーさんの方を向く。

ここから見える彼の顔はせいぜい横顔だ。

けれど、それが見えるだけで、心が温まるのは、私がトレーナーさんを好きだから。

伝わることの無いその感情に心の中身を攫われながら、空いた心を満たしたくて、彼が掛けてくれたであろう毛布に触れる。優しい手触りのそれは、縋るには頼りなくて、心を満たすことはなかった。

トレーナーさんはすぐ近くに居るのに、この心を満たしてくれと、私は言えない。

毛布の下で自分の膝に手を当てると、酷く熱を奪われた。

「ね、トレーナーさん、毛布、ありがとうございました」

冷えた体で毛布を持って、トレーナーさんに近づく。

「でもセイちゃん、少し体が冷えちゃったみたいですよ?こんな時はトレーナーさんにあっためて欲しいな〜☆」

自分から彼に触るのは少し気が引けて、そんな事を言ってみる。

「またそんなこと言って……」

そうトレーナーさんは笑ったけれど、私の事を温めてくれることはなかった。

あくまでトレーナーさんにとって私は、ただの担当ウマ娘でしかないのだろう。

心は貴方に奪われて、身体の熱も貴方の掛けた毛布に奪われてしまった。

(……それでもトレーナーさんは、私を満たしてくれないんだね)

空っぽの心と身体の私は、心の中でそう呟いた。

それからすぐに彼を見ていると少し苦しくなって、目を逸らす。その先にはトレーナー室の角、立て掛けられた釣竿が見えた。

(……最近、トレーナーさんと釣り、行ってないなぁ)

ふと浮かんだその発想を、トレーナーさんに聞いてみる。

「トレーナーさんトレーナーさん、今日、セイちゃんと一緒に、夜釣りに行きません?」

それを聞いたトレーナーさんは私を見て、

「うん、良いよ」

と、笑いながら答えてくれた。

彼の笑顔を見ながら私は。

(……触れたいな)

そう、静かに願った。

 

 

「スカイと釣りをするのも、結構久しぶりだね」

夜風が吹き付ける海岸で、トレーナーさんはそう呟いた。

「そうですね〜、トレーナーさんと一緒だとよく釣れるから、セイちゃん、結構楽しみにしてるんですよ?」

簡易的なイスを長い堤防の上に立てながら、私は言う。

「そっか、安心したな」

静かな夜の中、カランカランと椅子が地面に当たる音が響く。

「というと?」

風が吹いて、軽く水面が揺れる。

「最近、釣りに誘ってくれなかったから」

空には雲が懸かって、切れ目から星空と月が見える。

「あー……」

痛いところをつかれた。最近のトレーナーさんは、誘うに誘えなかった。

いつも忙しそうで、口を挟めなくて。

だから今日、一緒に寝れたのは好機だと思った。セイちゃんが、トレーナーさんと距離を縮められる、またとないチャンスだと。

ただ、正直に理由を言えなくて、

「セイちゃん、こう見えても忙しいんですよー。でもでも、今日は一緒に来れてるし!だからほら、大丈夫ですよ」

いつものように、誤魔化してしまう。

この想いを見破って欲しいと思いつつ、見破られないように、海に向かって釣竿を振った。

それから後。

私は釣り糸を垂らしていた。

「釣れませんねー、トレーナーさん」

釣果ゼロ。水面に垂らされた釣り糸は、終ぞ動くことはなかった。

「そうだね……でも、もう少し続けるよね?」

トレーナーさんは、分かっている、と言うようにそう言った。

実際そうなのだけれど、それに気付くくらいなら、もっと他のことに気付いて欲しかったと思ってしまう。

「はい、釣れない時ほど、策を立てたくなっちゃうんですよね〜、トレーナーさんも、私のアドバイス、忘れたわけじゃないですよね?」

「うん、『魚より、釣りそのものを愛せ』」

「その通り!だから、もう少しこの場所で、どうやったら釣れるか、試してみたいんだ」

釣り糸を戻して、餌を変えてみる。

「トレーナーさん、私と一緒に寝て、どうでした?」

竿を振って、もう一度垂らしてみると、つんつんと、浮きが動いた。チラと横を見ると、トレーナーさんの驚く顔があった。

浮きが沈んで、魚が食いついた。

トレーナーさんは少し考える仕草をした後に、

「うん、スカイのおかげで安眠できたよ、ありがとう」

と返した。

気付いたら、魚は逃げていた。

「そうじゃなくって……セイちゃんと一緒に寝て、なんかこう……感じることとか無かったんですか?」

どれだけやっても、釣れそうになくて。

ついに、聞いてしまった。

「感じることって……」

トレーナーさんは戸惑いを見せた後、私に聞いた。

「なんで、そんな事聞くの?」

「なんでって、そりゃ……」

トレーナーさんのことが、好きだからですよ。

そう、呟いたのが、トレーナーさんにも届いてしまった。

「あはは、ありがとう、スカイ」

トレーナーさんは取り乱しもしないで、

「でももう、スカイの発言には慌てないよ、私は、スカイのトレーナーだからね」

と答えた。

その瞬間、何かにヒビが入った気がした。

トレーナーさんは、続けた。

「……でも「私、釣り場、探してみますね〜」

けれどもう、それ以上は聞くのが怖くて。

逃げるように、その場を離れた。

「……はぁ」

砂浜に、足跡を付けていく。

こんな事しても、意味ないのに。

(私はスカイのトレーナーだから……かぁ)

その通りだ。その通りだけど、その言葉が、どうしても辛かった。

空を見ると、月を隠すように雲がかかっていた。

……もうぜんぶ、どうでもよくなってしまった。

がむしゃらにやるきも、全部なくなってしまった。

そんな時、音が聞こえた方に視線を投げると、海岸に打ち寄せる波が見えた。

ふらふらと、引き寄せられる様に。餌に吸い付く魚のように、私はそこに歩いていった。

パシャン、という音と共に、私の足は海水に濡れた。

けれど気にせず、更に歩く。

「冷っ」

下半身が浸かってすぐ。氷を当てられたような感覚に咄嗟に声が漏れた。

自分の周りで揺れる波を見ながら、より深い海に向かって歩き始める。

不安も、怖さも無い。

(死ぬのも……怖く、ない)

砂浜に向かって進む波に逆らって一歩進む。お腹が水に浸かった。

返す波に押されて一歩進む。心臓が海に飲み込まれそうな程に深いところまで来た。

片足を前に出すと、足は地面に触れなかった。

きっと、次に進めば、私は溺れて、泡になる。

最期の景色に海を見ようとしたけれど、黒い波に映る自分の顔があまりに見れたものじゃなくて、最期に見るものは夜空にした。

輝く星が、暗くなった自分を笑っているような気がした。

(……おやすみ、トレーナーさん)

最後に大きく息を吸って、私は一歩踏み出した。

ゆっくり、けれど確実に堕ちていく。その先の景色は、目を瞑ったから分からない。ただ、少しずつ胸が締まる感覚と、肌に触れる水が、体の熱を容赦なく奪っていく感覚だけが、一人きりの世界の中に生まれている。

これから私は、命も何もかもを、この海に置いていく。

そう思うと、夜空も、魚も、波が大きく揺れた音も。全部気にならなくなっていった。

暗闇の中で、不意に髪が自由になる感覚。

(……アレは、着けたままが良かったなぁ)

手探りで、外れた菊の髪飾りを取ろうとしたけれど、手が伸びなくて無理だと悟る。

声も、脚も、故郷も、全部失っても良かった。

でも、例えそうした所で、彼は私を見てくれないと、思ったんだ。

だから、諦めた。もう、トレーナーさんが私に振り向いてくれることはないと、見限って逃げた。

それでも、最後には。

(トレーナーさんに、触れたかったな)

そう願って、堕ちた。

 

ゴポゴポッ

 

……堕ちた先で、泡の音が聞こえた。

人魚姫の様に、私も泡になって消えていくのだろうか。

それはただの、泡の音。

最初は、自分が本当に泡になっていると思った。

でも、その泡の音が、酷く恋しく感じて。

ただ泡が立ち上る音が。

どうしようもなく私を呼ぶ声に聞こえて。

わけも分からず、目を開けた。

写った視界に、彼が居た。

 

(トレーナー……さん)

 

瞬間、動かないと思っていた体が、勝手に手を伸ばして。

冷たいだけの海の中、必死に伸ばした手が、確かに暖かくなったのを感じた。

 

目を開けて入ってきたのは、雲の切れ間から顔を出す月。砂浜の上で大の字になっているという自分の状況に気付く。

そして、服も髪も重たくなっていて、さっきまでの光景が夢ではなかったことを示す。

重たくなった上体を上げて辺りを見渡すと、同じく服を水浸しにして、落ち着かない様子のトレーナーさんが見えた。

その視線に気付いたトレーナーさんが、驚きと安堵の表情でこちらに視線を返した。

彼がこちらに駆け寄るのを見て、私も立ち上がる。けれど。

「スカイ!無事で良かっ」

私は彼の言葉も意に介さず、近づいてきた彼の服をギュッと掴んで、反射的に声を発していた。

「……なんで」

「なんで私を……助けたのっ……」

 

訪れる静寂。握っている彼の服から染み出た海水が、私の手に流れた。

顔を見られたくなくて、彼の服に頭を当てながら俯いた。

私は、大嘘つきだ。

死ぬのが怖くないなんて、嘘だった。

本当は、知っていた。

私は。

彼なら助けてくれると、分かって逃げたのに。

……助けて欲しいと、求めて、溺れたのに。

出てきた言葉は、そんな言葉。

せき止められていた思いが溢れ出すように、口から全部流れ出る。

「助けてもらっても……助けてもらっても意味なんてないのに」

空っぽになったはずの心が苦しくて堪らない。口から零れる言葉が鎖になって、縛り付けるように。

「何言って」

「だって!!!」

服越しに、彼の肩がビクッと震えたのが分かった。

「トレーナーさんは……『私のトレーナー』だから、助けたんでしょ……」

言葉を吐き出す度に、ナイフで刺された様な激痛が走る。痛むのは、水に侵された肺じゃない。海に落としてきた、私の心が痛みに叫んでいるのが分かった。

けれど、いくら胸に刺さる痛みがあっても、それは止まらなかった。

「それじゃ、ダメなんだよ……」

トレーナーさんは何も言わず、ただ私の言葉を待ってくれている。望む言葉が出せないと分かっていても、それは零れた。

「ずっと……ずっと試してきた。どうやったら釣れるかって」

釣れなくても、エサを変えて、もう一度釣り糸を垂らして。浮きが動いて、沈んでも、逃がして。

「でも、釣れなかった。だけど私は諦めないで、もっともっと色々試せば、いつかは釣れるって、思ったんだ。でも」

釣りじゃ、釣れなくても意味があるって、知ってた。

レースでも、勝っても負けても、意味があった。

諦めそうになった時でも、それには意味があると、トレーナーさんは教えてくれた。

でも、今はもう。

「意味……なかったんだよ」

担当ウマ娘とトレーナー。その距離が、ずっと縮まらないことに、気付いてしまった。

「いつまで経っても、釣れないって、分かったんだ」

全部、意味は無くて。

「ねぇ、トレーナーさん。意味……ないんだよ」

それでも。

想いが、溢れて。

 

「トレーナーさんが、私を見てくれなきゃ……意味が、ないんだよ……」

 

涙が、溢れた。

既に濡れた彼の服を、私が濡らしていく。

意味を成さない嗚咽と共に、私は彼に縋り付いた。

何も言わずに背中を優しく叩くトレーナーさんの手が、私をもっと絆していって。

空の心を満たす様に、泣き続けた。

……一体、いつまでこうしていただろう。

私の声が落ち着いた頃、トレーナーさんが、静かに声を発した。

「……ありがとう、スカイ」

なんで感謝されたのか分からない私を置いて、トレーナーさんは続ける。

「私はスカイに、魅せられたんだ」

今度は私が、何も言わずに聞き始めた。

「そりゃ、担当契約を結んだ時は驚いたけどさ……でも、君が走るレースを見る度に、次も君を勝たせたいって、何度も思った」

「『君のトレーナー』として、もっと頑張らないと。……そう、思ってたんだ」

思ってたんだけどね、とトレーナーさんは自嘲気味に笑う。

「それが全部間違いだったなんて、思ってない。でも、その考えが君を傷付けていたんだね」

酷く後悔が滲んだ声で、トレーナーさんはそう言った。

「スカイ、ごめんね。私はスカイに、酷いことを言った。私は君のトレーナーだから、なんて」

謝るのは、私の方なのに、彼はそう言う。

「でも」

「あの時、スカイは直ぐにどこかへ行ってしまったけれど、実はね、言いそびれた事があったんだ。『でも、その気持ちが本当なら』」

トレーナーさんは、少し間を置いて、

「……『凄く嬉しい』って」

そう、言った。

私は咄嗟に顔を上げる。その時見えた彼の顔は、とても辛そうだった。

「だけど、そんなはずないって決めつけて」

「ずっと、向き合おうとしてなかったんだ」

彼は目を閉じて、顔を上げた。

「もっと、向き合えば良かった。君を、信じてあげられれば……」

声が震えていた。目尻から涙が流れているのが、ここからでも見えた。

こんな時でも自分が泣くべきではないと、そう思っているんだ。

トレーナーさんの優しさを知っているから、私も言葉が出た。

「私もですよ、トレーナーさん」

今度は、正直者の私で。

「私も、トレーナーさんがもう私を見てくれる事はないって決めつけて、逃げたんだ。ちゃんと気持ちを伝えて、トレーナーさんと向き合えば良かったのに」

トレーナーさんから離れると、彼はもう一度顔をこちらに向けた。

私は、それに応えるように。

ひどく不恰好でも、精一杯の笑顔を見せて。

「これで、おあいこですね」

そう言って、笑った。

「うん、そうだね」

トレーナーさんも、不格好に笑った。

全身びしょ濡れで、涙で目を腫らして。不格好な笑顔を見せて、二人で笑っている。

何だか二人が本当に正直になれた気がして、それだけで良かった。

「……そうだ、スカイ」

トレーナーさんは優しい目で、優しい声で、私を呼んだ。

「なんですか?」

「これを」

そう言って、トレーナーさんはポケットから何かを取り出して私に見せる。

「えっ……」

目を疑った。

トレーナーさんの手に乗っている、それは。

「私の……髪飾り」

菊の花があしらわれた、髪飾り。

「君を助けた時に、コレも取っておいたんだ。大切な物だと、思ったから」

ああ。

この人は、私の命だけじゃなくて、心も拾ってくれていたみたいだ。

トレーナーさんに向かって、駆け寄った。トレーナーさんは、拒まなかった。

優しく私を抱きしめて、そのまま髪飾りを、私の髪に留めてくれた。

「トレーナーさん」

抱きしめられながら、私は彼を呼ぶ。

「……『好き』です」

今度はちゃんと、彼に伝えた。

「ありがとう、スカイ」

私は、また嘘をついた。

好きなんかじゃない。

本当はもっと。

でも、トレーナーは全部分かっていると言うように。

「……私も、『大好き』だよ、スカイ」

そう、言った。

あぁ、私は泡にはなれなさそうだ。

「うん……私も、『大好き』ですよ、トレーナーさん」

空を見ると雲はいつの間にか消えていて、満天の星空が私たちを照らしていた。

二人きりの海岸で、正直者は確かに。

満たされて、救われていた。

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