空からあいつが、六角高村がやってきた。
今まで見たことがないほどに鋭い目つき、感じたこともないほど重い一太刀。
「ぐぅ……ッ!」
その渾身の一撃を受けた私は、苦痛に顔を顰める。
相変わらず桁外れな膂力だ。なんとか受け止めたものの、乗馬ごと弾き飛ばされてしまう。
「やはり、受けたか」
高村はそう呟くと、すぐさま追撃を仕掛けてくる。
飛越をしたばかりだというのに、態勢を立て直すのが早い。それが高村の持ち味だとは知っているが、相対すると脅威でしかなかった。
高村の刀術はかなり特殊で徒士でもすでに達人の域にあるのだが、騎乗するとさらにその位階は上がる。
人馬一体に立ち回り、馳違う際の一太刀に馬の速さを加えて斬り込んでくるほか、馬上を猿楽師のように自由自在に跳び回り、変幻自在の一刀を食らわせてくるのだ。
六角の一族は義賢や義定のように弓馬に優れている者は多い。しかし、異質さで高村に並ぶ者はいなかった。
(あいつの間合いに入ってはならない。入ったら最後、確実に私は討たれる)
馬に指示を出し、高村から距離を取る。
高村と馬上で戦う時は馬首を並べてはならない。飛びかかられて組み打ちに持っていかれる。
さりとて、背を見せるほど距離をとってはならない。一瞬の間で距離を詰め、人馬合力した一刀で斬り捨てられる。
流鏑馬の腕も刀術と比べれば見劣りするが、他とは冠絶しているため逃げ切ったと油断してはならない。
出来ることは槍の穂先が漸く掠めるような間合いを保ち、じわじわと削り取ることのみ。
余程の膂力か胆力がない限りはこれが最適解だと私は経験から知っていた。
*
俺と長政の一騎討ちは千日手に陥っていた。
やはり、手の内を知られると少々辛い。俺の我流刀術は速さと膂力で押し切り、短期決戦を図るものだ。
だから、見切られてしまうと決め手を失う。
(だが、今回はこれでいい)
今回の目的は、長政を止めて義賢様たち本陣近辺の兵を逃がす時間を作ること。
悔しいが、ここまで大々的に攻められてしまった以上は六角の負けは覆せない。せめて再起が出来るように損耗を減らすことしかできない。
つまるところ、積極的に長政を討つ理由はないのだ。
「ちっ、やはり馬術の差か!」
長政はちまちまとアウトレンジで攻め立ててくるが、難なく躱せる。その表情にはやや苛立ちが見えた。
戦の大勢は決したが、時間が残されていないのはむしろ浅井方だろう。
俺が浅井軍の突撃を止めたことで義賢様たちは逃げ、後背に食らいついた蒲生軍の勢いが増した。さらには、側面には義定の軍が回り込もうとしている。
いつまでも俺にこだわっていては浅井軍の包囲が完成する。……もっとも残存兵数が少ないため、完全に浅井軍を倒すことはできないのだが。
まあ、それでも浅井軍は国力も兵数も六角に比べれば劣る。後のことを考えれば、手痛い打撃は食らいたくないだろう。
「長政様ッ! お取り込み中、申し訳ございませぬ。今すぐお退きなされ! 義定隊が右に回り込んでおりまする!」
遠藤直経が長政に戦況を伝える。それを聞くと彼女は槍を下ろした。
「それは誠か、直経! くっ、これではこれ以上義賢を追うことはできないではないか!」
明敏な彼女はすぐに撤退の準備を開始する。
俺たちはそれを追い立てて浅井軍にいくばくかの被害を与えたが、主な家臣の首を取ることは出来なかった。
結局のところ、此度の合戦は六角ばかり被害が出て、浅井の被害は少なかったのだ。おそらくこの戦を境に近江での浅井の勢力は伸長することになるだろう。
(おめでとう、長政。俺たちにとって不本意だが、お前たち浅井はようやく独立を掴んだ)
口には出さず、去っていく長政を寿ぐ。
悔しいが、あいつは自ら行動して望むものを手に入れた。
やはり、浅井長政はひとかどの英雄だったのだ。
*
その後、六角側が乞う形で両家の間で書状が取り交わされてこの戦は水入りとなった。
かくして、のちに野良田の戦いと呼ばれる合戦は浅井長政の勝利で終わることになる。
浅井は独立を手にし、浅井長政の武名は近隣諸国を席巻した。
六角家中にも動きはあった。
「皆の者、わしは今日で当主の座を下りようと思う。以後は出家し、家中を裏から支えようぞ」
義賢様が隠居を表明したのだ。
口には出していないが、敗戦の責を負ったのだろう。家督は義治様が継ぎ、義賢様は六角承禎に名乗りを変えた。
「野良田表の事、大儀であった。お前たちの働きで負けはしたものの、滅亡は免れた。よってそなたたちにのみ恩賞を与える」
家督を継いだ義治様がしたことは、野良田の戦いの後始末だった。
まず、俺と義定、蒲生定秀殿が呼ばれて恩賞を賜った。
俺は此度の戦功で名馬を、義定は金を、蒲生定秀殿は書物を貰っている。
俺の名馬好きは家中では有名だが、定秀殿が書物を所望したのは意外だった。
「わしはそれほど書に対する情熱はないのだがな、孫に強請られてしまっては仕方がない」
理由を聞くと、定秀殿は好々爺然とした笑いを浮かべる。
「鶴千代のためですか、それならば合点がいきます」
蒲生鶴千代。のちに蒲生氏郷と呼ばれることになる姫武将である。史実での才人ぶりはこの世界でも健在で、俺たちより一つ下ながら確かな評価を得ている。
「そういえば、鶴千代のことで話があるんでしたな。今、よろしいか?」
「ええ」
「あの娘は来年に元服を控えている。学び舎ですることももうない。高村殿でさえ良ければ、鶴千代を引き取って鍛えてくれませぬか?」
それは渡りに船な話だった。
最近、政務が忙しくなってきて手が足りなくなっている。軍務も野良田の戦いで長政の突破力を目の当たりにしてから「もっと打たれ強くしなければ」と危機感を抱いていた。
蒲生氏郷ほどの才人が来てくれれば、これほど有り難いことはない。
「承知しました。では、手はずは後で整えまする」
快諾して、俺は定秀殿と別れる。
野良田の戦いを機に様々なことが変わろうとしていた。