俺たち六角軍が上洛を果たした一方、河内和泉方面でも大きな動きがあった。
久米田の地で畠山高政をはじめとする連合軍が三好軍を倒して、河内和泉方面の総大将だった三好義賢を討ち取ったのである。
三好義賢は三好長慶の弟であり、三好家の故国の阿波を任されていた。長慶に限らず、その祖父の之長や父の元長の代でも阿波の兵はその精強さで畿内の政局を動かしている。
阿波の兵の強さ、それが三好家の強さの源であった。
だから、それをまとめた義賢の死は三好軍にとっては相当な痛手だろう。
翻って畠山や六角にとってはチャンスではある。
それも、立ち回り次第では天下を獲れるほどの特大のチャンスだった。
「畠山の連合軍は、その後は長慶の居城である飯盛山城を囲んでいますね。勢いに乗る畠山軍とはいえ、飯盛山城は堅城。どうやら攻めあぐねているようです」
そう言って山岡殿は報告を終え、俺の前を去った。
「天下か……」
獲れる機会が回ってきたとしても、いまいちぴんと来ない。
ただ、現在やることははっきりしている。
さらなる追撃をし、京の南西の勝龍寺城と山崎に籠る松永姉弟を追い散らして河内への道を開く。そして、飯盛山城を囲む畠山軍に後詰めする。
その進撃の最中に、今は石清水八幡宮にいるらしい将軍・足利義輝を確保すればいよいよ天下への大義名分も獲得できる。
後方の浅井は義輝様の名を使って停戦させるか、あいつに敵対している斎藤義龍を動かして釘付けにすればいい。
それでまず、畠山と天下を分ける段階までは行くだろう。
「うまくいけば、天下はともかく畿内は獲れるな。だが、問題は承禎様がそこまで決断してくれるかだな……」
とりあえず、思いついた戦略を書状に書き残しておく。
しかしまあ、天下か……。
獲れても、承禎様じゃ平和にはならないだろうな……。絶対全国から美女を集めて大奥作るだけだろ、きっと。
*
ともあれ、畠山軍の戦勝は、六角の家中を積極的な好戦論に傾けるには十分だった。
上洛前は中央に関わることに否定的だった義治様は進撃を唱え始めた。六宿老と呼ばれる大身の中では、進藤殿と平井殿も進撃派である。義定もどちらかと言えば、進撃派に傾いていた。
非戦論を唱えるのは、蒲生殿と後藤殿ぐらいか。
俺はどちらかと言えば、非戦論だ。思い描いた戦略ならば、畿内を獲れるかもしれないが、きっと畿内平定の間に織田信奈がやってくる。
国力を多少増やしたとて、織田信奈……おそらく現代でいう織田信長に相当する英傑に勝てるとは到底思えなかった。
(ただ、それを理由に反対してもまともに取り合ってはくれないだろうな……)
なぜならば、今の織田信奈は桶狭間で今川義元を降伏させ、美濃を切り取っている最中。時期にしても、国力にしてもとても畿内の政局を左右する存在ではなかった。
「今週の評定を始める。皆の意見を聞かせて欲しい」
義治様の音頭で週始めの評定が始まる。普段この評定で大したことが決まることは滅多にない。町内会の定例報告みたいな感じだ。
だが、今回は違った。
「それで、父上。勝龍寺城はいつ攻めるので? この好機を掴まねば、六角は天下の笑い者になりましょうぞ」
義治様が、承禎様に食ってかかったのだ。
「義治。お前には時期尚早と言ってあるだろうに」
「畿内を席巻した鬼十河も阿波衆もなく、我ら六角は上洛を果たしている。敵の松永姉弟は連絡を断たれ、孤立している。むしろ今以上の時期があるならば、教えていただきたい」
「ならぬ。家臣たちにも告ぐ。まだ、六角は天下を獲るのは時期尚早ぞ。わかったら、評定を続けよ。わしは帰る」
そう言うと、承禎様は評定の間を辞した。既に自分の分の報告を終えた義定もそれに続く。
残された義治様や諸将は、口々に「臆病な方だ」とため息を吐いている。
ともあれ、今のように当初は畿内に参戦する決定打になった承禎様が何故か進撃に消極的なため、六角家は動くに動けない状態だった。
*
評定の日の夜。
義定は承禎の寝所に向かっていた。
「お前が、わしの寝所に来るとは珍しいこともあるものだ」
意外そうな顔をして義定を迎える承禎の股下には、妙齢の美女が裸になって組み敷かれている。
それを見て、義定はため息をついた。
「ああ、後家奉仕ですか。精が出ますね、父上」
「これから出すところだったんだがな……。それで要件はなんだ? おそらくはわしが軍を進めるのを渋る理由だろうが」
「合ってますが、そういう情報はいらないです。ちょっとその人は退けておいて下さい。母上を思い出して、集中できないんで」
義定が言うと、承禎はしぶしぶ美女を帰して着衣を直す。
「……義治には言ってはないが、義定にならばいいか。六角にはもはや天下を狙う力はない。それだけのことだ」
承禎はそう言って寂しそうに笑った。
「わしには、天下人の才はない。それは義治やお前も同じことだ。せめて、父上がいた時にこれだけの機会があればと知らせを聞いた時に思った」
六角定頼。管領代にまでなった六角の名君。
その影を承禎はずっと追ってきた。しかし、すぐにそれは永遠に届かないものだと知る。
「義定よ、実はわしはすでに満足しておる。こんなわしでも上洛を果たすことが出来た。当主としてはもう十分であろう。この戦を最後に畿内からは手を引こうと思うておる」
胡座をかいていた脚を崩し、承禎は天を見上げる。
その様を見て、義定は「父上は戦いを倦んでいる」と察した。
だから、女に溺れたのだろうとも。
しかし、同情する気にはなれなかった。
(それでも、父上は母上を殺した……!)
義定は彼女が6歳の頃、母を承禎との行為中に腹上死させられている。対外的には病死となっており、知る者は少ない。
義定の母は元々は他家に嫁いでいたが、後家奉仕で承禎に性行為を強要されており、その過程で産んだ義定は彼女にとっては当初望んだ子ではなかった。
(だから、わたしは母の呪詛を子守唄にして育った)
産まれた瞬間に唾を吐きかけられようとも、それでも義定にとっては母であり、愛情もいくばくか与えてもらっている。
だから、義定は承禎を仇として認識していた。
そんな義定の内心を知る由もなく、承禎は続ける。
「さて、後は義治に託さざるを得ないが、まだわしにはやることがある。今度は逆に問うぞ。……義定、新十郎が謀反を企てているとは誠か?」
完全に寝耳に水で、今度は義定が驚く番だった。
「そのような噂を誰から聞いたので?」
「義治からよ。なんだ? その様子だと奴と親しいくせに知らぬのか。ならばいい、帰れ。中途半端に止められたせいか、情欲で狂ってしまうわ」
言うと、承禎は手を振って義定を追い出す。
外に出た義定は走り出した。
(伝えなきゃ、新十郎に……! このままじゃ父上に殺されるって……!)
承禎は戦いには倦んでいた。
だが、代わりにこの洛中で六角新十郎高村という家中最強にまで成長した政敵を排するつもりでいる。
自身が在世している間に、次代への総仕上げを行うつもりだった。