「どうも思いの外、義治殿は軽率なようで……」
大和国・信貴山城で松永久秀は観音寺の変事を掴んでいた。
義治を焚き付けたのは自分だとしても、その性急さには呆れを通り越して笑ってしまう。
「長慶様にも知らせておきましょうか。瀬田さえ抜けば、南近江を獲ることが叶います。北近江の浅井が好を通じてきている以上、この戦さえ乗り越えれば、天下の大勢は三好に固まることでしょう」
すぐに久秀は筆を取り、書状を記して長慶に送る。
その後の三好軍の行動は迅速だった。
長慶はすぐに二万の軍勢を手配し、すぐに諸将を京に集めた。
「総大将は私。第一陣は三好義興。第二陣は安宅冬康。まずはこの三人で瀬田を抜き、久秀は大和から伊賀に侵攻。これで六角を滅ぼします」
諸将の前に立ち、長慶は語る。
弟妹は失われたが、三好家の勢威は過去最高の域にまで達していた。
「この戦こそ、三好の天下を固める正念場。各々がた、万事抜かりなくその力をふるいなさいっ!」
長慶の号令に二万の兵が熱狂した。
一言でそれを為せる辺り、三好長慶の資質が天下に冠たるものである証とも言える。
ついに、天下の副将軍が直々に牙を剥いたのだ。
三好軍を見送る京の人々は口々にこう囃立てる。
「江南の暴れ馬も、長慶様の頚城に繋がれることになる」と。
*
瀬田川の西岸の石山に三好軍がひしめいていた。その数は一万五千。長慶自身は膳所に五千の兵を率いて在陣している。
三好軍の来襲を知った高村は何度か山岡景隆を使者に和睦を持ちかけたが、全て退けられていた。
瀬田城さえ抜けば、後は義治方の領地が広がっている。瀬田城に籠る高村一党はさながら、絹に付いた一点の染みでしかない。
畿内屈指の闘将とはいえ、四千の孤軍にそこまで警戒する必要を三好勢は感じなかったのだ。
「ふふ、高村一党の姫武将は美人どころばかりだと聞く。甲越では散々な目に遭ったが、今度こそ俺さまのものにしてやるぜい!」
三好家の第一陣の将、小笠原長時は舌舐めずりをする。
長時は元々は信濃守護を務めていたが、武田晴信に敗れて長尾景虎に身を寄せていた。
しかし、生来の女癖の悪さが災いして、景虎の上洛中に景虎に夜這いをかけて失敗。そのまま逐電して小笠原から分派した三好家に駆け込んだという経緯がある。
「高村一党の姫武将はともかく君の武勇には期待しているよ、長時」
その隣に立つ色白の美少年は三好義興。長慶の年が離れた弟でその聡明さで早くから後継者として嘱望されている。
とはいえ、線が細いため武勇には乏しく、小笠原流の礼法と弓馬の達人である長時を側に置くことでその弱点をカバーしていた。
「まあ、そんなことをいわずに聞いてくれ義興くん。江南には可愛い子ばっかりだぜ? 例えば蒲生氏郷ちゃん! 近江屈指の名門の出身のお嬢様でちっちゃくて可愛いんだ。可愛いといえば大谷紀之介ちゃんだが、純朴で守ってあげたくなる感じだな。使者として会った山岡景隆ちゃんは知的だが、絶対寝所では乱れて、すごいえっちい。俺さまにはわかるんだ」
もう姫武将の事を語らせたら長時は止まらない。どこからか仕入れた情報をもとにした妄想を垂れ流していた。
「僕としては六角義定が気になるかな。江南一の美少女として知られる一方、弓の達人だと聞く」
「そうだよな、その落差が最高だと思わないか義興くん?」
「やれやれ、僕は彼女の狙撃に気を付けろって言いたかったんだけどな……」
気を取り直して義興は六角軍を見据える。
大軍の前に浮き足立ちもせず、自分たちを待ち構えている。油断できない相手だと思った。
だが、長時はそうは思わなかったらしい。
総大将の三好長慶が進撃の下知を発すると、矢のように瀬田の唐橋を渡り始めた。
「者共進めーッ! 高村一党の姫武将は全部俺さまのものだッ!」
長時の士気は天を衝くほど高い。他の三好軍もそれに続き、相方の義興も長時を孤立させないように軍を進めた。
安宅冬康は辺りを警戒しながら進む。
三好軍一万五千の力押し。
守城の基本とも言える攻撃三倍の法則を凌ぐ戦力差が六角軍に叩きつけられる。
「やはり、この戦力差はきついわね……」
唐橋を守る山岡景隆が顔を顰める。
彼女はどちらかと言えば、文官系。乱波をまとめて情報の網を張る能力はあるが、力押しとなるといささか分が悪い。
「力む顔も可愛いな。だが、俺さまを止めるには実力不足だったようだな!」
案の定、すぐに小笠原長時に押し切られて唐橋を通してしまう。
だが、それは景隆のひいては高村の目論見通りだった。
*
「よく頑張ってくれた山岡殿。では、橋を落とせ」
唐橋が抜かれるのを見たと同時に、俺は義定に鏑矢を射させた。
どんなに頑張ってもこの戦力差では真正面から守り切ることはできないのは、わかっていた。
瀬田川を堀にしたとはいえ、瀬田城は決して堅い城ではない。
だから、それを当てにせずに地形を眺めて策を練っていたのだ。
「なっ、唐橋が落ちただとッ!?」
まずは瀬田の唐橋を落として敵の先鋒を孤立させる。
かかったのは二千ぐらいか。それぐらいならば、東岸に残して置いた兵でも相手出来る。
俺は虎の子の騎兵五百を率いて、小笠原隊のもとに赴いた。
「よもやこの瀬田の地で、あなたと見えることになるとは思わなかったな。小笠原長時公。領国はいかがなされた?」
「知ってて言ってるだろお前。腹たつが、早々と出てきてくれて助かるぜ! さあ、俺さまに姫武将をよこすのだ!」
犬歯を剥き出しにして小笠原が吠える。
端正な顔立ちだが、生来の粗野さが滲み出ていて台無しになっていた。
「生憎、お前に抱ける女はいねえよ。……というか、俺も抱いてないしな。まぁいい、とりあえずここで死ね」
吐き捨てて、馬腹を蹴って駆ける合図を送る。
それを見た小笠原も構えてはせ違う。
馬の勢いを乗せた重い一撃。割と渾身の一撃だったが防がれる。流石は武門の名家の御曹司といったところか、変態だが弱くはない。
けれども、まあ一合打ち合えばわかってさた。
「ぜえ、はあ。なんだよ、その膂力。化け物かよ……」
小笠原が肩で息をする。もう女に目を輝かせていた色ボケの姿はない。ただ、畏怖する兵の顔になっていた。
互いに体勢を整え、もう一度はせ違う。
すると、小笠原の方が崩れる。豪剣を受けきれずに小笠原が落馬したのだ。
「ちっ、高村の首は惜しいが、命あっての物種だ。俺さまは逃げる!」
腰をさすりながら、いかにもな捨て台詞を残して小笠原は遁走する。
それを俺は積極的に追おうとはしなかった。
確かに小笠原の武勇は少しは厄介である。
だが、それ以上に瀬田川西岸の情勢の方が大事だった。
「小笠原の残軍を掃討し次第、山側を越えて西岸に渡る! この戦はここからが正念場だぞ!」
その後、小笠原の残軍は頑張っていたが、大将が遁走した後ではどうしようも無い。囲んで叩いて寡兵で徹底的に打ち崩した。