鈴鹿の山を左に眺めながら、私は六角領を行軍していた。
我が浅井家が江南に侵攻してからというものの、国人の寝返りが相次ぎ、箕作城の辺りまで侵攻が進んでいる。
今までなら浅井が一方的に侮られていたため、そんなことはあり得なかった。それだけ、此度の騒動は六角の屋台骨を揺るがしたのだろう。
ともあれ、この城さえ越えれば承禎が籠る日野城までは目と鼻の先である。今は日野城を義治の手勢が囲んでいるが、決め手に欠き攻めあぐねているらしい。しかし、私が後詰めすれば問題は解決する。
「それにしても、よもや浅井と六角が合力するとは思わなかったな……」
呉越同舟。今回の六角義治との共同作戦は端的にこの故事で説明がつく。
六角承禎という共通の敵を討つために、天を共に抱けない両家が手を結んだのだ。
初めは我らが単独で六角を倒そうとした。しかし、三好長慶が義治を支援していたため、そこまですると三好までもが敵になる。
(正直に言えば不本意だが、最悪は承禎と高村さえ追い落とせばいい。義治ならば、与し易いからな)
今までの経緯に思いを馳せながら箕作城を囲む。すると、高虎が早馬を飛ばしてきた。
もたらされたのは、六角高村の戦勝報告。
三好長慶率いる二万が瀬田に篭った高村の四千に追い返されたのだという。
「そうか、高村がこちらに来るんだな……。にわかには信じがたいが……」
この石山崩れの情報は私にとっては信じがたいものだった。
相手は日ノ本の副王・三好長慶、当代の天下人と言い切ってもいい。
教興寺の戦いで畿内の旧勢力を根こそぎ仕留め、天の時を得たような勢いをもっていた天下人を高村が止めたのだ。
それも、寡兵での完勝である。
「しかし、困ったことになったな……。安宅冬康殿はどうなった?」
「討ち死にしております」
「そうか……」
思わず私は天を仰ぐ。
この浅井と六角の合力は三好長慶殿を仲立ちにして行われている。私と義治の折り合いは悪く、何度も条件が合わずに頓挫しかけた。そこを安宅冬康殿に仲介してもらって今に至る。
(こうなっては、六角義治と意思疎通を図るのは難しいな……)
浅井と三好、六角義治。この三軍で六角承禎と六角高村を討つ。それが今回の戦の題目だった。
だが、肝心の三好は挫かれ、高村は江南で味方を集めながら日野に向かっている。
「やはり、ここでも高村は壁として立ちはだかるのか……。まあ、いい。早々と箕作城を落として南下するぞ」
報告に来た伝令を下げて、指示を出す。
箕作城を攻めさせつつ、私は高村のことばかり考えていた。
*
俺たちが水口辺りまで進軍すると、六角義治は日野城の包囲を解いて西の守りに入ったと報せを受けた。
「六角義治は殿と承禎様に合流されることを恐れているようですね。義治の軍は八千ほどかと」
「ありがとう、山岡殿。さて、俺はどうするかな……」
水口に来るまでの間、東海道沿いの義治派を討ち従えて俺たちの兵は三千弱から六千五百までに増えている。
数は増えたといえど、その練度は俺たちには及ばない。さらに義治が布陣した場所が水口と日野の間に横たわる森林地帯であり、虎の子の騎馬隊が使いづらいという不利を抱えていた。
「地形を見たところ、大軍が布陣できるのは日野側の出口に広がる盆地だけか。義治にしては考えたな」
(現代)
氏郷に提供してもらった日野の地図を見て唸る。
互い違いに山林が入り乱れる地形はこの上なく騎兵と相性が悪く、軍の進出も分散的にならざるを得ない。
「まずは、南側の二番目に広い盆地を取ることからだな。拠点を作らないことには始まらない。はぁ、力攻めはできればしたくないんだがなぁ」
あくまでこれからの一連の戦は内乱である。
自軍もそうだが、義治派の兵の損害も可能な限り抑えたい。兵の損失、それ即ち国力の減退に直結するのだから。
決断した俺はすぐに軍を進めた。
主街道と脇街道の双方を使った電撃戦である。義治の防衛の重心からは離れているため、氏郷と紀之介は一日で南の盆地を確保した。
「義治の本命は日野口ってことか。……ったく、本当に厄介な所に陣取りやがって……」
二人の戦果を賞した後、俺は歯噛みする。
南側の盆地の攻略の間、日野側の盆地から援軍が来ることはなかった。どうやら義治はこの天然の要害に完全に籠るつもりでいるらしい。
一応、蒲生家が義治の後方を扼する勢力でいるが、北にはそれより強大な浅井が義治支援に回っている。
浅井に後詰めされたらいよいよ兵力の差が明らかになり、甚大な被害が出る。そうなると、最早誰が勝とうが六角は斜陽の運命を辿るだろう。それだけは避けたい。
「そうなると、いよいよ時間がないな……。はてさて、どうしたものか……」
顎に手をやり、思考を巡らす。
堅い敵を速やかに討つ。それも後の浅井に備えるために寡兵で。
うん、いつもながらひでえ展開であった。
*
「ふはは、さしもの高村もこの地の前には苦しまざるを得ない」
南の盆地で停滞する高村を見て、義治は高らかに笑った。
高村の主力は騎馬隊。それを無効化する森林地帯で守る。凡庸だが、流石は国主。地の利を活かした見事な作戦と言えるだろう。
高村側は蒲生氏郷と大谷紀之介が必死に攻め立てるが、隘路を盾に寄せ付けられないでいる。無益な力攻めを繰り返すばかりで、高村の軍は疲弊していくばかりであった。
「さて、いつ高村は音を上げるか……」
義治は愉快でたまらなかった。
いつも軍事において自分を上回ってくる高村がなす術もなく追い返されているのである。
「義定も見る目がないものよな。あの男について行ったが故に斯様な目に遭う。俺に抱かれた方が幸せだろう」
一応、義治と義定は兄と妹である。
しかし、互いの感情は違う。義定は自身との境遇の違いから義治を家族として同一視出来ず、義治はあろうことか義定のことを情欲の対象として見ていた。
(俺にとって最も不幸なことは惚れた女が妹であったことよ。何故、天はあれほど美しい女人を血の繋がった妹にしてしまったのか……)
義定の美貌は冠絶していた。それは六角家中の中では周知の事実である。
お市こと浅井長政は顔の造形こそは匹敵するが、実の兄すら惑うほどの色香はなかった。
しかし、義定は違う。
生母の双葉が持っていた美貌と胸に秘した父を討つという復讐心、揶揄うことが好きでフットワークが軽い性格の3つが交わった結果、年齢にしては異様に大人びた魔性の美少女に仕上がっていた。
そんなのが身内にいたら多感な思春期の義治の性癖はねじ曲がるに決まっている。次第に義治は女は義定以外に情欲を持てなくなり、美少年で溜まったリビドーを解放するようになった。
「高村を討ち、義定をこの手に取り戻す。そして、俺はこの近江の王になるのだ」
義定がその場にいたら「お兄ちゃん、何を恥ずかしい勘違いをしてるの?」と冷や水をぶっかけられるような決意だったが、義治は本気だった。
画像編集ができない機械音痴が恨めしい……